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2012年12月14日 (金)

「世間」とストーカー

 テレビでストーカーの実例を度々報道している。時に悲惨な事件にまで発展することがあり、被害者にとってはその理不尽さは恨んでも恨みきれないだろう。

 そのストーカーが若い人ばかりではなく、高齢者にも増えているのだという。寂しくて、しかも金と時間があるからいったん思い込んでしまうと止めどがなく、警察は相談を受けても余程のことがないと取り合わないようだ。

 このような心の病を抱えているとしか思えない人々が、人に迷惑をかけるような行為を実行してしまうのはなぜだろうか。まともな人ならば思いとどまる歯止めがきかないのはなぜなのだろう。

 今、日本人に自分のことしか考えていない人が増えているからではないだろうか。アメリカのルース・ベネディクトが解析したような、恥の文化を日本人が失いつつあるからではないだろうか。西洋人はキリスト教という宗教を倫理の基準としている。世界の多くは倫理の基準を宗教に置いているが、日本の倫理は恥を基準としているようだ、と云うのがベネディクト女史の分析である。

 言葉を換えれば、世間に顔向け出来ないこと、世間に恥をさらすことはしてはいけないこと、と云う暗黙の倫理規定が日本人にはあった。その世間が言葉と共に融解してしまった。今、日本人の倫理基準は自分自身である。自分自身が倫理基準というのは子どもと同じである。正に今、中国人がそのような倫理基準(そもそも基準が個人に寄すること自体が矛盾である)のもとにあるように見える。中国は文化大革命で倫理基準を破壊した。そして今破壊されたままである。日本はマスコミと日教組が倫理基準を破壊した。

 ストーカーはそのような社会の闇の表れの一つであろう。この数十年で失われたものは大きい。自己中心的な人間が急速に増えつつあることに恐怖を覚える。

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