欠礼挨拶
年末になって「喪中につき年頭の挨拶を失礼させて戴きます」との欠礼挨拶状が次々に届く。昨年末は私も欠礼挨拶状を送らなければならなかった(父が5月に死んだので)のだが、サボった。年賀状はもちろん出さなかった。父の訃報を知らせなかった人も多いので当方からの年賀状が来ない理由がわからなかった人も多かっただろう。だから年賀状を戴いた人達には、松の内が明けた後で理由を書いた手紙を送った。
昨晩兄貴分の人から縁のあった人の訃報をもらった。昔新人時代に東京でお世話になった、営業所の主と云われたおばさんだ。今年の8月に亡くなっていたのだという。二回り以上違うから九十近かっただろう。
初めて会った時に別室に呼ばれて面白いことを云われた。「関西の人は信用出来ないから注意しなさい」というのだ。もともと会社は大阪が本社だから社員は西の人ばかりである。
そう言えば新人研修を受けて配属希望をきかれた(あまり例がないことだったらしい)時、地元が関東と云う事もあり、東京を希望した。配属先が希望通り確定して辞令が出たら、仮寓していた会社の寮で先輩達が口々に「東京へ行くのか、大変だなあ」と声をかけてくれた。まるで伏魔殿に行くのを慰めてくれるような口ぶりだった。
東京には鬼のような駐在重役とそのおばさんがいる、取って食われるぞ、ということのようであった。そう思われていることを承知しているからそのおばさんも頑なになっていたのかも知れない。
いや、当時新人の私にとって年齢から云えばもちろんおばさんに違いないのだが、いつもおしゃれだし、若い時はそこそこ美人だったろう、と云う面影が残っていたから私は悪い印象を持たなかった。だからその後、結構えこひいきをしてもらうことになった。営業所の旅行や社内旅行などには必ず参加した。大きな鞄に衣装を詰めこんで、夜の宴会にはすてきな衣装を着飾っていたのが忘れられない。
その後10年ほどで転勤してしまってからは年に一度くらいしか会うことがなかったけれど、容色はいつまでも衰えることがなかった。ずっと母親の面倒を見続けて独身であったから、寂しくはあっても対人関係の苦労は少なかったのかも知れない。
久しぶりに懐かしい人を思い出した。これで供養とさせてください。
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