マーティン・ファクラー「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」(双葉新書)
著者はニューヨークタイムズの東京支局長。日本語で書かれたものなので翻訳ではない。
東日本大震災の報道、そして一連の原発事故についての日本の大新聞の報道(テレビもそうだ)がどうも変だ、と思った人は多いと思う。
政府や東京電力などの報道を垂れ流すのみで、独自の取材をしている様子がないこと、政府の発表内容が二転三転してもそれに対する追求が極めて手ぬるいように見えたこと、しかも原発の現場に赴くことがなく、フリーのルポライターだけが駆け回っていたように見えたことなどが何となくジャーナリストとして勇気に欠けるように見えていた。
しかも被災地の報道が大抵同じ町や村であり、独自の報道という物をあまり見なかった。何だか修学旅行のように記者達が集団で行動して同じ記事、同じ映像を流しているように見えた。杜絶されて人がまだ行けない島の実情をなんとか一番乗りしてスクープした、などという記事に出会うことは殆どなかった。
それに比べて著者が同じ時期に現場で駆け回って報道した記事を知らされると日本の記事との違いに愕然とする。
ところで現場の被災者へのインタビューに、人間として出来損ないにしか見えない若い記者が、あり得ないようなお粗末な質問をしているものが度々放映されていた。馬鹿な記者もいるだろう。だが、それを放映するかどうか判断するのはその局の責任ある立場の人間である。こんなインタビューはつかえない、と云う判断が出来なかったのだろうか。あまりひどかったらベテランを送り込めよ、と思うことも多かった。
こう云うこと全てに対してこの本はなるほどそうなのか、と云う答を教えてくれる。
ジャーナリストというのはこう云うものである、と云う理想がある。そしてその理想を追うことにかけてアメリカの記者も日本の記者も違いはない。だがなぜこれ程日本の記者がお粗末なのか。多分心ある人は是非知りたいと思っているはずだ。それならこの本を読んでみることをおすすめする。
日本のマスメディアがどう云う状況にあるかを知ることは、日々のニュースにかかっているバイアスを知ることであり、正しいことについて思いをいたすための最低知っておくべき知識である。著者が繰り返し述べているようにアメリカが日本より優れている、などと云うことをこの本は述べたい訳ではない。心ある記者は日本にも沢山いる。この本を多くの人が読んで日本のマスコミの問題点が白日の下にさらされた時、日本のマスコミも変わるかも知れない(そう期待したいが時間はかかりそうだ)。日本の大新聞は中国の御用新聞と変わらないか、自覚がないだけもっと低レベルかも知れないことがあらためてよく分かった。
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