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2013年4月

2013年4月30日 (火)

ここでも係争

 中国とインドの間の国境は確定していない。世界地図を見るとそれぞれの主張する国境は恐ろしい程ちがう。間に小さい国が入ってしまう程だ。長い軍事的な争いの果てに現在は互いが踏み込まない領域を決めて休戦状態になっていた。

 ところが先日中国の解放軍がそのラインを17キロもインド側に踏み込んでそこにテントを張って留まっている。

 中国とインドは外務大臣の会談を予定していたが、当然延期になった。インド側は勿論強く中国に対して抗議している。それ以前にも中国はヘリ二機がインド領空に侵入している。

 このインドの抗議に対して中国側は「インドが我が国の領土に対して不法侵入し、地下に軍事施設を建設工事を始めている」と主張している。

 中国は、南シナ海での強引な占拠行動、尖閣での異常な領海侵犯の繰り返しに続いてインドとの国境でもこのような行動を行っている。どうも習近平新政権は周辺諸国と事をかまえようとしているように見える。習近平が国家主席になって以来、彼は軍部との結びつきをことさら強めているという情報がある。

 毎年軍事費の増加率が10%を越えると云われる中国は、軍備が10年前の4倍になったとも云われる。しかも公表されている軍事費の額は実際よりもずっと少ないと云われている。そこまで軍備が整えば、アメリカと同様に使ってみたくなるのは人情だろう。軍部の突き上げを習近平が抑えきれないような気がする。そもそも習近平にそのような挑発行為をとめようという気配がないのが気になるところだ。

 どこかで戦端が開かれることにならなければ良いのだが、ずいぶんときな臭くなってきた。

帰国命令

 王岐山中国共産党中央規律委員会書記が、海外滞在中の高官の子弟を年内に帰国させ、汚職調査を実施するよう指示した。

 裸官という言葉をご存知だろうか。共産党の高官達で、資産のほとんどを海外に持ち出し、子弟を海外留学させ、その面倒を見るという名目で妻も海外に送り出し、本人だけが中国にいるものを言う。

 一朝ことがあれば自分も単身で海外に逃げ出せるように万端準備している者たちただ。 

 中国共産党で賄賂を取らないもの、自分の職権で利益を得ていないものなど存在しない。自分の地位が上がるときにはその立場ごとの金額を用意してばらまかなければ決して地位は上がらない。上へ行く程その金額は勿論高くなる。通常の俸給だけでは決してそんな金は用意出来ないから、それぞれ立場を利用して蓄財するしかないのだ。それを怠れば上がるどころか転落するだけだ。

 その程度が度を超していたり、運が悪いとスケープゴートとして摘発される。

 今回習近平は汚職一掃、などと云う絶対不可能なことを旗印にしている。なぜ不可能かと云えば、そんなことをすれば現在の共産党独裁体制の否定につながるからだ。

 この王岐山の通達により、習近平(国家主席)、李克強(首相)、李源朝(国家副主席)、汪洋(副首相)などの高官の子弟が呼び戻されるそうだ。

 当然この辺の子弟に何があろうと罪に問われることなどあり得ない。その下のクラスは家族ともどもどうしていいか分からずに震えていることだろう。すでに数百人の高級官僚の海外逃亡が始まっており、少なくとも数兆円の金が流出したと云われている。

 習近平は反日をあおり立て、軍国主義に走り、汚職の摘発をすることで民心を何とか懐柔しようとしているらしいが、ここで中国経済に何らかのブレーキがかかるとそんなものでは留めようのない事態になるのではないか。

 もちろんそれが怖いからそんな手を打っているのだろうけれど、どうも習近平という人、軍国主義に走っているし、思った以上に危険に人物かも知れない。

やきもち?

 日本がメタンハイドレードから天然ガスを採取することに成功したことは世界に報じられた。

 これに対し中国メディアが、「資源小国の日本はメタンハイドレードでエネルギー問題を解決することは出来ない」と報じた。

 記事では「技術的な問題から石油は埋蔵量の30~40%、天然ガスは60~70%しか採掘出来ない。メタンハイドレードはそもそも埋蔵量のうちどれだけ採掘出来るのか現時点で不明だ」とし、「経済性と安全性を考えると採掘には大きな問題が伴う」と主張。

 「またメタンによる温室効果、採掘による海底面の地滑り、海洋の生態バランスに悪影響を及ぼすおそれがある」「採取した後海上から陸上への輸送に多大なコストがかかる上、地震や津波の多い日本では現実的ではない」のだそうだ。

 先日、レアアースが日本の領海で大量に発見されたときにも全く同様のコメントが中国のメディアから発表されていた。

 いままで前例のない方式での採掘であるから多くの問題があることは分かっている。その問題を一つ一つクリアしていくことで実用化を目指しているので、問題があることを誰も否定していない。問題があるから日本には何ら希望はないような言い方に終始する中国のコメントには、何だかよその家に臨時収入があったことにやきもちを焼いているだけ、ねたんでいるだけの態度にしか見えない。

 確かに他人の不幸は秘かな喜び、他人の幸福は秘かな哀しみ、といわれるが、ここまで露骨にそれを表すのは慎みに欠けると云わざるを得ない。

池上彰「学び続ける力」(講談社現代新書)

 帯にもあるように、これは「池上彰の教養のすすめ」である。

 人は目的を持って学ぶものだと思われている。だからマスコミは「その学問は何の役に立つのですか」と必ず聞き、人は「数学なんて人生に必要だったことはない」などと、やりたくないことを不要論の立場から正当化する。

 しかしそもそも本当の学問というのは好きでやるものである。やりたくてやるもので、大学生にもなったら自ら学ぶようでなければ大学生とは云えないのだが、学ばない大学生などそもそも自己矛盾だ。

池上彰は、すぐ役立つ学問はすぐ不要になる、と云う言葉を引く。すぐに役立つことのない学問は気が付くと長く役に立つものだ、と云う言葉に私も共感する。つまりやりたくてやる勉強は自分自身の精神の血肉になる。人としての教養や人格を形作るのがそのような勉強の蓄積であると思う。

 この本では池上彰自身が、どのようにして物事の本質を分かりやすく説明出来ることができるようになったのか、どんな勉強をしてきたのかが語られている。

 文化系の彼が理科系のトップの大学である東京工大で、客員教授としてどのような講義をしているのか、そのことを具体的な例として教養の意味について語る。

 そしてその目的こそ「自分の頭で物事の意味を考える」と云う事である。メディアやネットの情報を集めて、その中からひとつを選び出すことで自分の意見とするようなものは本当の自分の考えではない。

 インプットとアウトプットという観念に似たものにも言及しているところが嬉しい。いつも通り読みやすく、しかも大事なことが語られている。ただ分かりやすいために本当に大事なことを読み飛ばしてしまい易いので注意して欲しい。

2013年4月29日 (月)

池波正太郎「夜明けのブランデー」(文藝春秋)

 この本には一話四頁の短い話がたくさん詰めこまれている。それぞれに池波正太郎自身の描いた絵が二つづつ添えられている。

 池波正太郎が、六十歳前後から六十二歳頃の、体力気力が急激に衰えだした頃の日々の話である。ちょうど私がまさにその年齢なのでその実感はよく分かる。酒の量が激減する、食事の量も減る、食に対しての貪欲さもなくなる。それまでの自分には考えられなかったことだ。そして自信のあった健康も怪しくなる。

 それまでの気力体力旺盛のときには見えなかったものが見えてくるときでもある。過去のいろいろな出来事が違うかたちでよみがえり、その時の相手の気持ちがふいに理解出来たりする。

 衰えは悪いことばかりではないのだと感じさせてくれる本だ。

韓国離れの兆し

 中国の新聞が、日韓関係の緊張の影響として韓国からの飲み物や食品の輸出が急激に減少していることを伝えていた。

 それによると、2012年は前年と比べて、マッコリは33.9%減少、ラーメン18.7%減、サムゲタン14.4%減、コチジャン5.1%減、キムチ2.6%減だったそうだ。

 これは李明博大統領の竹島への上陸や天皇陛下に対しての謝罪要求などが日韓関係を緊張させたからだとしている。

 でもキムチ以外は日本人に一般的に受け入れにくいものが多いような気がする。韓流ブームに乗って試しに食べたり飲んだりしてみたけれど、あまりなじめなかったから売れなくなっただけではないだろうか。だからすでに日本人に受け入れられているキムチはそれほど減っていない。

 あのマッコリというのは最初は薄いドブロクみたいで飲めないことはないけれど、それほどうまいものでもない。それなら日本の濁り酒を飲むか、普通に日本酒を飲む方がずっと好い。韓国の酒飲みでも自国にこだわりがなければそう思うのではないだろうか。

 それより何かあるごとに毎度映像で見せられる他国の国旗を破いたり焼いて見せたりするのは、一部の跳ね上がりのパフォーマンスとは云え、韓国が最低の礼儀もわきまえない低レベルの国であることを内外にアピールすることでしかないことをもう少し自覚した方が良くないだろうか。馬鹿のワッペンを自ら貼っているような愚挙である。

 しかしそれを見て真似をするそれ以上に愚かな人間も、時に日本にいたりするからあまり一方的に非難も出来ないが。

 韓国は自分の国が先進国になったとプライドを持って主張しながら、時にまだ開発途上国であるような弱気の発言もする。あの愚かなパフォーマンスを国民が恥じる気持ちを共有するとき、本当の先進国になったと云えよう。

 先進国とは金だけで計るものではないと思いたい。そうするとアメリカも中国も、いや先進国なんて今のところどこにもないようだ。

椎名誠「もう少しむこうの空の下へ」(講談社)

 2000年に発行された本を再読。椎名誠の娘と息子はすでに家を出ている。そして妻も昔からの夢だったチベットへの長い旅を繰り返し、このままチベットに棲みつくのではないか、と思われる程チベットにのめり込んでいる。

 椎名誠がひとりでいることが多くなった頃の話である。子供は家を出て行くのが当然と思っていてそのように育てていても、いざそうなって出ていったきり帰ってこなくなると強がりを言っていても、本音はとても寂しい。

 自分が仕事がらみとはいえ、長期の海外旅行で家を空けてばかりいたのに、帰ったときに妻がいないのも寂しい。待つ人のいない家は帰る家とは云えないところがある。

 椎名誠は未知の場所へどんどん旅をし、積極的に人に関わり、いろいろなことにチャレンジしているので、繊細さや寂しさとは無縁のように思われるかも知れないが、この本を読むと実はデリケートで意外な弱さがあることが分かる。この本の中の椎名誠は時に危うい。

 勿論勁(つよ)いだけの人間の書くものが人の心を衝つことはない。脳天気に見える楽しい文章の中に意外な暗さと弱さが垣間見えるとき、人はその文章に感情移入するのかも知れない。

 私もひとりでいる開放感を謳歌しているが、家族がばらばらである寂しさに何だか底なし夢魔の淵に立つような不安を感じるときがある。椎名誠のこの本はそういうものを強く感じさせるものだった。そしてそれが私にとってのやさしい癒やしになった。

2013年4月28日 (日)

驚異的な被害額

 今回の四川大地震の被害額の推計値を地元政府が見積もりした。その総額は1700億元(約2兆7000億円)だという。

 そんなものかと納得するなかれ。この地区の2012年のGDP総額は約80億元で、なんと見積額はその21倍である。特に廬山県だけ見ると、約40倍だという。

 いままでの通例では、この被害見積額と同額かその3割増し程度が国の復興プロジェクトの予算となる。それに従えば2000億元程度が投入されることになるだろう。

 「多すぎるのではないか」との指摘に対して地元政府は、「見積額であり、初歩的なデータである」と答えるに止まり、その明細や根拠については一切説明がないという。一応国家の見積もりの基準があるのだが、それに則ったのかどうかも一切明言しなかったそうだ。

 とてもそのまま通るとは思えないが、この復興予算を何処かの国と同様、手ぐすね引いて待ち構えている多くのシロアリがいることは間違いない。中国は、金が有り余っているようだからそれでもかまわないのだろう。

命のノビル

 ノビルをご存知だろうか。食べられる野草に興味や知識のある方ならほとんどの人は知っていることと思う。葱科の植物で、私のイメージは野生の韮である。

 春から初夏にかけてピンク色のアワ粒のような花が咲く。韮の白い花がピンク色をしているという感じだ。葉は韮のように味噌汁の具にして食べることが出来るが、特においしいのはその鱗茎である。地下茎がらっきょうのような白い根茎となっていて、もろみや味噌で食べることが出来る。エシャロットを生で食べるのとよく似ているが、エシャロットよりも辛くて匂いも強い。昔よく利根川の土手で採って酒のつまみにしたものだ。

 ちなみに日本で売られているエシャロットというのはほとんど生食用に栽培されたらっきょうのことである。フランス料理などに使う本当のエシャロットはらっきょうとはちがうそうだ(私は同じだと思い込んでいた)。

 四川大地震とは別に内モンゴル自治区で地震があり、中国東北三省でも強い揺れを感じた。余震も続いたことから不安が拡がり、遼寧省の女子大生達が考えたアイデアがこのノビルの生食であった。

 ノビルは辛くて匂いも強い。当然これを食べるとニンニク程ではないが口臭が強くする。もし彼女たちの暮らす女子寮が地震で倒壊したら口臭の強い彼女たちの匂いを頼りに救助犬が捜しやすくなり、命が助かるのではないか、と考えたのだそうだ。

 たまたま彼女たちのうちの一人のもとへ実家から送られてきていたノビルを、みんなで無理矢理食べたのだそうだが、あの辛いノビルをたくさん食べるのはかなりつらかっただろうと同情する。ニンニクを囓るのと同様、とても辛いのだ。だからそれを和らげるために湯にくぐらせると好いのだが、それだけ匂いも飛んでしまう。それにそんな無理をしたら胃にも悪いだろう。

 残念ながらノビルを食べた日に寮が倒壊するような地震はなかったようだ。だからといって毎日食べ続けるわけにも行かないだろう。それでは誰もよってこなくなる。その方がつらい。

 救助犬を管理している消防局によれば、口臭の強弱と発見の確立はあまり関係ないと思う、と語っていたそうだ。

とんぼ返り

 昨日は名古屋から千葉に行き、その日のうちに名古屋へとんぼ返りした。数日は実家に滞在する予定であったのだが、よんどころない事情があって強行軍をすることになった。

 一昨日の晩に久しぶりに息子とドン姫が家に揃った。そしてその後夜中の二時過ぎに車で名古屋を出発。実家に七時過ぎに到着。一休みしてから10時過ぎに隣町の菩提寺へ父の三回忌のために向かう。

 お経を上げてもらい、坊さんの法話を聞いた。法事の意味、功徳と云うことを丁寧に説明してもらい、素直に得心した。いい話であった。母も頷きながら聞き入っていた。

 五回忌というのがあると思っていたが、三回忌の次は七回忌なのだそうだ。あらためて父の墓に卒塔婆をあげて線香を焚き、手を合わせた。

 父の子供、孫、それぞれの連れ合い、そして曾孫の多くが揃った。ただ実家の主である弟の嫁さんがいない。その弟の嫁さんの姉が前々日の朝、静岡の病院で息を引き取ったのだ。癌で旦夕命に迫るとは聞いていたが、父の法事に重なることになってしまった。

 だから法事の精進あげが済み次第、弟とその子供たちは晩の通夜のために静岡に向かうことになったのだ。母は一人だけになるのでしばらく私の妹が預かることになった。だから私だけ留守宅にいてもしようがない。というわけで名古屋へとんぼ返りをすることになった。

 精進あげの食事は割烹で行ったが、みな運転する都合があるので、私の家族にしてはあり得ないことに全員ノンアルコールであった。酒飲みグループはみなアルコールフリーのビールを飲んだ。アルコールはないけれど何となくほんわかした気持ちになった。

 名古屋に帰り着いたのは九時過ぎ、故障車が原因の渋滞や、事故渋滞があったわりにはそれほどロスタイムなく帰り着いた。途中のパーキングでつまみを購入し、帰宅してから三人で酒を飲んだ。身体が渇望していたからまことに旨い酒となった。そのあと三人とも爆睡。

 ドン姫は今日も朝から仕事で出かけた。ゴールデンウイークがかきいれの仕事なので忙しいようだ。息子も今日は京都で友人の結婚式なので続けて出かけた。今日は京都泊まり。明日の晩はまた三人揃う。また酒盛りでもしよう。何となくいい雰囲気のゴールデンウイークの始まりとなった。もともといつもゴールデンウイークの身であるが、家族が揃うのは嬉しいことだ。

2013年4月26日 (金)

年金財政に負担

 ニュージーランドで永住権を取得する中国人が増えている。しかもその40%以上が50歳以上の高齢者だという。中国以外の国からの移民の高齢者の割合は10%程度だから突出している。

 中国からは2006年以降技能を持った技術移民が流入しているのだが、彼等が中国から両親を呼び寄せていることが高齢者の割合の高い理由だという。

 ニュージーランドでは10年以上居住すれば65歳から年金が満額支給される。生まれつきのニュージーランド国民と全く同じ待遇が受けられるのだという。しかし現在のまま高齢の中国人の移民が増えるとニュージーランドの年金の負担が増え続け、支給額を減らすか年金の積み立てを増やすしかなくなる恐れが出て来た。

 ニュージーランドは人口を増やすことを国策としてはいるが、ベースが少ないだけにわずかな変動は国の大きな負担増になりかねない。

 オーストラリアでも中国や韓国からの移民の流入がもともとの国民の反発を招きだしているという話だ。

映画「助太刀屋助六」2001年日活ほか

 監督・岡本喜八、出演・真田広之、鈴木京香、村田雄浩、仲代達矢、岸田今日子、鶴見辰吾、風間トオル、本田博太郎、岸部一徳、小林桂樹。

 誠に豪華な配役である。

 コメディタッチの時代劇。もともとコメディはたいてい面白いと思わない。ましてやコメディタッチの時代劇など見たいと思わないのだが、ほかならぬ岡本喜八の作品である。最後まで見てみることにした。

 音楽はなんと山下洋輔。全編にジャズが流れる。大袈裟な芝居、台詞も大声だ。静かなのは仲代達矢と小林桂樹だけ。

 たまたま敵討ちの助太刀をしたらやみつきになり、それを商売にした男・助六、というのが真田広之の役どころ。いつの間にかある程度の金を手にすることが出来て思い出したのが母親の墓参り。故郷の宿場町に帰るのだが、そこで出会ったのは片倉という男(仲代達矢)を仇と狙う二人の武士(鶴見辰吾と風間トオル)と、その助太刀の浪人二人(本田博太郎ほか)であった。

 この顔ぶれでは助六の出番はない、はずだったのだが・・・

 助六はいつの間にか助太刀ではなく、敵討ちを真剣にする羽目になる。奇襲を繰り返しながら絶対に勝てるはずのないあいでを次々に倒していくのだが、そのとき彼を潜んでいた銃弾が襲い・・・。

 ラストの画面一杯の夕陽に山下洋輔の音楽がかぶってジ・エンドとなる。

 ふうん、こんな映画だったんだ。まあ面白くないこともなかった、というところか。

期限切れ

 開城工業団地の稼働が北朝鮮によって一方的に停止されている。150人程の韓国人が工業団地内に残っているが、食事や水の供給も断たれていて、韓国側からの差し入れも拒否されている状態が続いている。

 韓国側はこれを重く見て26日の正午を期限とした話し合いを提案していた。それに回答がない場合は「重大な措置をとる」という警告を発していたのだが、期限を過ぎたいまになってもまだ北朝鮮から何の連絡もないらしい。

 韓国側としては、少なくとも残っている人員を引き上げ、開城工業団地の閉鎖措置を検討せざるを得ないだろうと見られている。北朝鮮は貴重な外貨の収入源を自ら断つ事になる。

 これにより、開城工業団地に参画している多くの韓国中小企業は経営危機に瀕するとも云われており、中小企業の振興を旗印にしている朴槿恵新大統領は最初から苦難の道を歩むことになりそうだ。

 韓国はいままでのいきさつから日本に支援を求めるわけにも行かず、ますます中国に傾斜せざるを得なくなるだろう。朴槿恵大統領は中国語が堪能だそうだ。中国への朝貢外交には都合がいいだろう。しかし昔の中国は朝貢する国の手土産よりもはるかに多くのものを見返りに与えたが、いまの中国がそんな甘いことをするとはとても思えない。韓国は苦難の道を歩むことになりそうで同情に堪えない。

合格点

 2008年以後に建てられた建築物の建築基準はマグニチュード8に耐えられるはずだったが、共産党の建物以外は損壊して住めなくなった建物が続出した。それについて手抜き工事だったのではないか、と批判が殺到していることを先日伝えた。

 これに対しての当局の回答は「建物に亀裂が入ったり、壁が崩れる、といった状況は異常とは云えない。倒壊しなかったから死者が出ていないではないか」。現在の基準は「弱震で壊れず、中震で修復可能、強震で倒壊しない、が原則である」から非難されるのは心外である、ということのようだ。

 「基準をクリアした建物で完全に倒壊した建物はひとつもなかった。倒壊すること無く人の生命を守ったのだから合格点だ」と胸を張っているそうだ。なるほど。

内田百閒「阿房列車」(旺文社文庫)

 内田百閒の随筆39巻がこの旺文社文庫に収められている。旺文社文庫は今はない。福武書店、いまのベネッセの文庫にも内田百閒の随筆集が収められている。旺文社文庫は旧仮名遣いであり、福武書店のものは新仮名遣いである。旺文社の方は全てそろえているが、福武書店の方は全部揃っているかどうかはっきりしない。たぶん全部あると思う。

 この「阿房列車」はその随筆集の第一巻に当たる。書かれたのは戦後だから時系列的には新しい。内田百閒を読むならやはり旧仮名遣いの方が気分が出る。

 内田百閒は岡山県生まれ。夏目漱石の最後の弟子といわれる。淡々とした文章の中に不思議なユーモアがあるのだが、よく読むとその世界観の中にどきりとするような不気味なものが顔を覗かせる。

 以前にも書いたが、文藝春秋の巻頭随筆で、江國滋が内田百閒の死を悼んで書いた文章を読んだのが百閒を読み出したきっかけである。その江國滋も今は亡い。

 「阿房列車」の中には「特別阿房列車」「区間阿房列車」「鹿児島阿房列車 前後篇」「東北本線阿房列車」「奥羽本線阿房列車 前後篇」が納められている。そして文庫は第二巻として「第二阿房列車」、第三巻として「第三阿房列車」と続く。

 「阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゑない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。何にも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つてこようと思ふ。」というのが「特別阿房列車」の書き出しである。しかし行きは用事がなくても帰りには「帰る」という用事が必ず出来てしまうから、用事がないというその好い境涯は行きしか味わえない、と続く。

 お供はヒマラヤ山系こと平山三郎。巻末に彼の長い解説が附されている。我が儘勝手な理窟と行動で終始するのだが、そこに不思議な稚気があり、人に迎合することを決して潔しとしない彼の矜恃がある。

 「奥羽本線阿房列車 前篇」のなかから浅虫温泉の宿での一場面。

「洋室の高い硝子戸の下はすぐ海である。陸奥湾の夜風は荒く、浪の音が次第に高くなつた。その内にばりばりと硝子戸を打つ音がして、暗い時雨を海風が敲きつけていつた。
 時雨の来る暗い海に向かった左手が、陸続きの出鼻になつてゐると見えて、海との境目と思われる辺りを、窓の明かるい夜汽車が何本も行つたり来たりした。夜汽車が波打ち際を走つて行くのを外から眺めるとしみじみした気持ちがする。遠くから見る程趣が深い。大阪の近くの浜寺から、夜の大阪湾の海波を隔てて、一ノ谷の山裾を走る須磨海岸の夜汽車の明かりを見たのが、私の記憶の中では一番遠かつた。蛍の火が列になって流れて行つた様であつた。」

 どうです。名文でしょう。何遍読んでもほれぼれします。

葉室麟「陽炎の門」(講談社)

 伊達騒動を題材にした「先代萩」という話がある。これは人形浄瑠璃や歌舞伎の外題で有名で、この中で原田甲斐は悪役として描かれている。山本周五郎は「樅ノ木は残った」でこの原田甲斐を全く違う側面から描いている。仙台藩のために全ての悪名を自らかぶって死んだ男、という役割を与えたのだ。

 この「陽炎の門」を読んで「樅ノ木は残った」を思い出した。

 藤沢周平が「海坂藩」という庄内地方の藩を舞台にすることが多いように、葉室麟は「豊後藩」という九州の藩を舞台にする物語がいくつかある。この物語も鶴ケ江湾を臨む豊後藩が舞台である。

 親友を陥れ、死罪に追い込んでその介錯をした男、とささやかれながら、軽輩の身から藩の重役である執政にのし上がった桐谷主水(きりやもんど)は、ついに藩の重臣だけが通ることを許される潮見櫓の門をくぐる。

 それは晴れがましく希望に満ちた一歩のつもりであったが、主水はまもなくそれが大きな陰謀の中に足を踏み入れる修羅の道への一歩であったことを思い知らされる。

 十年前、藩は保守派と改革派に別れて激しい権力闘争が行われていた。主水は成り行きから保守派の中に身を置いていたが、親友の芳村綱四郎は改革派に属していた。その綱四郎が藩主を非難する文書を書いた罪に問われる。その文書が本当に綱四郎が書いたものであるのかどうかが問題となり、その手跡が綱四郎のものであることを明言した主水の証言により、綱四郎は有罪が確定して切腹を命じられる。綱四郎は友である主水に介錯を依頼する。

 主水はその証言に誤りはなかったという信念を曲げることはなかったが、心にしこりを残すことになった。独り身であった主水は、ようやく十七歳も年下の若い妻をめとる。それは綱四郎の娘、由布であった。綱四郎から切腹する前の晩、主水には一切恨みはない、悪いのは自分である、と聞かされていたので由布には主水に対してこだわりはなかった。二人の中はようやく仲むつまじいものになりかけており、主水もしあわせを感じ始めていた。

 十年前のその事件は、若い藩主の手によって喧嘩両成敗のかたちで保守派と改革派の頭目と目されていた人物が失脚させられ、いまは穏健派の家老の手で藩政が取り仕切られていた。

 しかし主水が執政になったいま、藩内に疑心暗鬼の暗雲が立ちこめてきた。そんな矢先に主水の留守宅に江戸の遠戚に預けられていた由布の弟、喬之助が江戸からはるばる訪ねてきた。喬之助は姉に、主水を父の敵として仇討ちをするつもりだ、と告げる。喬之助は武芸の師と兄弟子を同道しており、九州を一回りした後の三ヶ月後に主水と雌雄を決する決意であると語る。

 帰宅後に由布からそれを聞かされた主水はなぜ今頃喬之助が突然敵討ちなどを思い立ったのかいぶかしむ。

 さらにそのことがきっかけとなって、今頃になって主水が明言した綱四郎の文書の手跡が本当に綱四郎の書いたものかどうかが問題となる。主水はそれが事実であることを証明しなければならないという窮地に追い込まれる。しかも早瀬与十郎という得体の知れない人物が主水に貼りつけられる。

 これが舞台設定である。やがてこれにはさらに過去に遡るある事件が大きく関わっていることが明らかになっていくのだか、窮地に追い込まれた主水はそれを単身で跳ね返し、逆襲していく。

 意外な人物が全体の陰謀を企んでいたことが分かる。早瀬与十郎という人物の正体とその複雑な性格と不可解な行動は主水を翻弄する。

 やがて由布も連れ去られて孤立無援となった主水がどのように虎口を脱するのか、虎口を脱しきれるのか、後は読んでのお楽しみである。

2013年4月25日 (木)

映画「山桜」2008年

 監督・篠原哲雄、出演・田中麗奈、東山紀之、篠田三郎、檀ふみ、富司純子、高橋長英、永島暎子、村井国夫、樋浦勉。

 藤沢周平の同名の短編が原作。だから舞台は海坂藩である。しかし映画の中では一度も海坂藩、という名前は出なかった(と思う)。しかし一番最初の、春の雪解け水が流れるせせらぎの背景に月山が見えたのですぐ分かる。

 実に淡々とした静かな映画であった。物語にしても、藩を私する奸物・諏訪(村井国夫)を手塚弥一郎(東山紀之)が討つというクライマックスがあるにはあるが、大きな動きはそれだけである。しかしそれなのに映画に飽きるところがない。監督の力量かも知れない。こう云う静かな映画も良いものだと思った。当時の世界というのはこう云う淡々としたものだったのかも知れない。だからこそそこに生きる人の心の中には熱いものがあったと思えてくる。

 東山紀之は時代劇に向いているし、役者としても好感が持てる。「小川の辺」を見てその演技と立ちまわりに感心した。「武士の一分」の木村拓哉の臭い演技よりは格段に上だと思った。それに現在放映中のNHKBSの「大岡越前」でその感を強くしたところでもあった。

 田中麗奈は美人というタイプではないがチャーミングな女性だ。しかしこの映画の中の磯村野江(後に浦井野江)という役どころはいささか荷が重かったのではないか。大変よくやっていたし、悪くないのだが、この静かな女性を演じるのは難しい。

 手塚弥一郎の母親役の富司純子が、わずかな出番だが素晴らしかった。

 磯村家の小者、源吉役の樋浦勉が印象に残った。こう云う人物が生きてくると全体のリアリティが増してくる。

内山清行「韓国 葛藤の先進国」(日経プレミアシリーズ)

 副題「なぜこの国はいつも不満なのか?」

第一章 天国と地獄 救われない超競争社会
 ここでとりあげられるのは世代間の対立、異常に高い教育費と受験戦争、老後におびえる中高年=年金の整備が不十分なのに二人に一人が貧困である現状、不動産神話の崩壊。
 さらに財閥の問題。財閥の富の独占、財閥に反発しながら財閥に頼らなければやっていけない韓国経済の問題がとりあげられる。

第二章 脆弱と野望 輸出立国の明暗
 FTA戦力は成功したのか、海外マネーの流入におびえる、ウォン暴落の恐怖、韓国型経済成長戦略の限界。
 韓国経済の順調な成長を見て海外からマネーが大量に流入し、ウォン高になっている。しかし韓国は大量に流入した海外マネーが引き上げられたために国の存亡に関わる辛酸をなめた経験があり、それがトラウマになっている。しかも円安ウォン高は韓国の輸出競争力にマイナスに働く。いつ流入した外貨が流出するか、韓国金融界はおびえている。

第三章 過去と未来 日韓関係波高し
 李明博はなぜ竹島に上陸したのか。従軍慰安婦問題とは。
 日韓のパイプが細り、摩擦が増大するばかりで関係修復が出来ない現状を分析する。

第四章 本音と建前 北朝鮮問題の行方
 金正恩の一年、進むインフレと中国頼みの現状、対話と圧力、朴槿恵は融和策か対立か、統一コストについて。
 韓国に潜む「反米リスク」、反米と畏中。
 韓国は親中国でも反中国でもない、中国を畏れている。これは二千年以上に亘って民族に刷り込まれた感情である。

第五章 権力と蹉跌 大統領の宿命
 新大統領朴槿恵について、韓国の大統領の権限とは、腐敗とレームダックは韓国の宿命か。
 李明博が政権末期に行ったこととその理由、それに対して朴槿恵はどうするのか、何が出来るのか。

 韓国という国はすでに押しも押されもせぬ先進国である。しかし韓国自身は先進国である、という思いと、まだまだ途上国だ、という思いが半ばしている。それは朝鮮半島という地政学的な位置にあることの宿命なのかも知れない。

 韓国という国について、その問題点と実情が網羅して論じられている。断片的な知識しかなかったので大変参考になった。資料も分かりやすくそろえられている。韓国がなぜ慰安婦問題にあれほどこだわるのか、そしてこだわらざるを得ないのか、納得は出来ないけれども理由は分かった。読みやすいので是非ご一読をおすすめする。

法律に従わない権利

 南シナ海の島の領有権をめぐり、フィリピンが国連海洋法条約に基づき仲裁裁判所に中国を提訴した。

 これに対して新華社は「中国はこの種の問題で国際的仲裁の拘束を受けない権利がある」と報じた。

 中国が提訴に応じないので、フィリピンは国際海洋法裁判所に対して中国に替わって仲裁人五人を指名するよう要請した。裁判所側はその要請を受け、遅くとも4月28日までに仲裁人を決める。

 仲裁人が決まれば手続きについての審議が進められることになる。海洋法によれば裁判の結論は強制力を持つ。

 これに対して中国は拘束を受けない権利を持つ、と主張したことになる。その理由は「中国政府は長期に亘り、領土に関する争議は、双方の交渉を通じて平和に解決することを堅持してきた」からだそうだ。

 法律を守らないことが権利だなどと主張するのはならず者、というのが世の中の常識である。まともな相手として世間は相手にしないことになるのだが、いま世界はアメリカをはじめとしてせっせと中国詣でを続けている。

 金の力がものを言っているわけで、こうなると中国がバブル崩壊や市民暴動による体制崩壊などが起こって、経済的に傾くことを秘かに望んでしまう。身勝手だろうか。

採算

 今回の四川大地震では共産党系の建物はびくともしなかった。今回よりも大きな地震だった2008年の地震の経験からマグニチュード8でも耐えられるような耐震性の建物を建てたからだと云うことだ。

 共産党の建物だけではなく、一般の建築物もこの耐震性を基準とされており、新築の建物は全てそれに適合したものである。

 前回の地震では学校の倒壊によって児童に多くの犠牲が出たことから、学校は特に耐震性を厳しくして新築したのだという。

 ところが新築の建物の多くが倒壊したり大きくひびが入って居住不能となった。また最新の新築したての小学校も、倒壊は免れたがやはり使用不能になってしまったという。全てM8適合の建物のはずである。

 この小学校は校庭が救援部隊のヘリポートとして使用されているが校舎は使用出来ない。

 共産党の建物がびくともしないように、新築の建物、特に学校は万全であるはずなのにこの事態となったのは手抜き工事のせいだ、と疑われている。

 日本では避難場所になることの多い学校だが、中国ではその様子を見て不思議がられることが多いようである。

 地震は必ず起こり、手抜きをすればどのような結果になるか分からないはずがないのに平然と同じ事が繰り返される。規制する側と工事業者に結託があって、責任を問われることがないからだ。住民はよく承知しているが今のところ騒ぎにはなっていない。それどころではないからだろう。

 工事代金の何割が規制する当局の担当者の懐に入ったことだろう。工事業者も手を抜かなければ採算が合わなかったのだろう。

2013年4月24日 (水)

映画「奈緒子」2008年日活ほか

 監督・古厩智之、出演・上野樹里、三浦春馬、笑福亭鶴瓶、柄本時生、綾野剛。漫画「奈緒子」が原作。

 漫画は全部で39巻の長編だが、映画はそれをぐっと絞ってシンプルにまとめ上げている。

 奈緒子はぜんそくの持病があり、小学校六年生の時に九州の波切島という島に療養で滞在する。両親と一緒に乗った漁船で、奈緒子は船から転落、助けてくれたその漁船の船長はそのときの事故で命を落とす。

 その船長は昔駅伝の選手であり、その息子の少年は奈緒子と同い年で、走るのが天性のような少年だった。父の死を奈緒子のせいだと少年は責める。これが奈緒子の大きな負い目として残ることになる。

 奈緒子(上野樹里)は成長していまは高校生。ぜんそくを克服するために陸上部に入り、毎日ランニングを欠かさなかった。陸上の記録会にかり出された奈緒子はそこで壱岐雄介(三浦春馬)という選手に出会う。あの波切島の少年の成長した姿だった。

 雄介は短距離界のホープと期待されていたが、自ら長距離に転向することを宣言。波切島高校の駅伝の一員となる。もちろん父の姿が脳裏にあっての転向だ。

 九州地区の駅伝に雄介が出ることを知り、奈緒子は九州へ飛ぶ。雄介の走る姿が見たかったのだ。そして雄介と関わるのだが、もう恨んでいない、と云う言葉とは裏腹に雄介に大きく気持ちを傷つけられてしまう。しかも雄介はレース途中に脱水症状で倒れ気を失ってしまう。

 雄介と奈緒子の関わりを全て聞き出した波切高校の陸上部監督(笑福亭鶴瓶)は夏期合宿にマネージャーとして波切島に来るように奈緒子の両親に提案する。

 雄介と奈緒子の時間は雄介の父親の事故死から止まってしまっている、と考えた監督は何とか二人の時間を取り戻そうとしたのだ。

 というのが話の設定である。

 監督は駅伝での優勝を目指すために過酷な練習を部員に課す。部員達はそれについて行けずにばらばらになっていき、雄介だけが群を抜いていることにねたんだり、あきらめたりし始めるのだが。

 まあいろいろあってついに長崎県大会となる。アンカーは雄介。そして雄介のライバルは諫早高校の超高校級ランナー・黒田(綾野剛)。

 デッドヒートの後、力尽きかけた雄介を奈緒子が声をかけて・・・。

 まあここでうるっと来るわけである。

 漫画ではこのあと雄介は世界的な長距離ランナーになっていくらしいが、映画はここまでであった。

 上野樹里がこんなに可愛いとは思わなかった。役柄で魅力的に見えるようになるものだ。もちろんもともと魅力的だけど。

悪質業者

 鳥インフルエンザに罹患する人がじわじわと増えている。このH7N9型というのは人間が罹ると重篤な症状が出るのだが、鳥に対しては弱毒性なために、その感染経路がわかりにくいのだという。

 だから症状の出た人に関連した場所の鶏や鳩の血液を採って感染を確認しないと鳥を観察しただけでは感染が分からない。

 公園の鳩と戯れている子供やおじさんにインタビューしている様子がニュースで伝えられていた。「鳥インフルエンザが怖くありませんか」と聞かれたおじさんが「こんなに鳩は元気じゃないか。インフルエンザの鳩は家で寝ているから大丈夫」と自信満々に答えていた。

 おじさん、鳩は鳥インフルエンザにかかっても家で寝ていませんよ。元気に飛び回っていますよ。

 ところで噂だけなのでまさかと思うのだが、鳥インフルエンザにかかっても鳥が元気なことをいいことに、処分したことにして安く売りさばいている業者がいるという。こっそり東南アジアに売り払っている連中もいる、というのだが、本当だろうか。

 悪徳業者も極まれり、というところだが、中国ならあり得そうな気がしてしまう。噂だけだと思いたいのだが。まさか日本にこっそり入ってくることはないだろうなあ。

トントン病

 湖南省の村で、全身の関節が痛み、身体が腫れて青黒くなる病気が発生している。近所に半導体の工場があり、2009年頃から次々に死者が出て、少なくとも20人が死亡したという。

 工場が稼働し始めてから地域の植物に異常が見られるようになり、村人3000人のうち、500人から基準値を超えるカドミウムが検出されていた。まさに日本のイタイイタイ病と同じ公害病なのだ。

 トントン病というのはまさに痛痛病と書く。

 工場は地元の反発もあって2011年にはすでに撤去されているのだが、地域の土壌中のカドミウム量はかえって増えており、汚染が進んでいると見られる。たぶん廃棄物を地下に埋めたものがしみ出しているのであろう。

 村は集団移転と被害の賠償を求めて温家宝首相に直訴したが、地元警察に妨害され逮捕者も出た。新たに李克強首相にも直訴を計画しているという。

 日本のイタイイタイ病の情報を中国当局が知らないとは思えない。このような事件がたぶん無数に発生しているのではないだろうか。かけるべきコストを省くことで低コストという武器を国際競争力にしてきた中国だが、いつまでもそんな事が続けられるはずもない。

 公害対策無視のツケが回ってくる。

共同歩調

 中国が北朝鮮への原油の輸出を再開した。

 国連での北朝鮮制裁決議をうけて、二月から中国は北朝鮮への原油の輸出を停止したと伝えられていた。ところが三月には例年並みの輸出がすでに再開されていたことが明らかになった。

 北朝鮮への原油の供給停止は北朝鮮の死命を制するものと観られていたが、わずかひと月で解除されていたようだ。しかもこの原油はイランから輸入されたものだ、という。

 現在アメリカはイランが核兵器開発を進めている、として各国に経済制裁を行うよう働きかけており、原油の輸入ももちろんその対象になっている。中国はそのイランから原油を大量に輸入して北朝鮮に供給している、というわけだ。

 実質上イランと北朝鮮のパイプ役を中国が担っていることになる。完全にアメリカは虚仮にされているわけだ。

 韓国がますます中国にすり寄っている。反日で共同歩調をとっている、というのは見かけのことだろう。韓国国民の多くは民族統一を望んでいるものの、北朝鮮が崩壊したときにもっとも被害を受けるのは韓国である。東西ドイツの統一で西ドイツがどれほどの辛酸をなめたか、韓国政府と経済界はよく承知している。東西ドイツの経済格差の数倍の格差が南北朝鮮にある。もし北朝鮮が崩壊すれば韓国経済は長期間の停滞を余儀なくされることは明らかだ。

 中国も韓国も北朝鮮の現体制が崩壊することを望んでいない。継続を強く望んでいる。北朝鮮はそれを百も承知だから茶番のようなプロパガンダを行い続けている。北朝鮮の敗北の目はないと読んでいるのだ。

 これに振り回されているのはアメリカであり、日本だ。北朝鮮が実力行使に出るとしたら軍部の暴発以外にはあり得ない。それは即座に鎮圧されるであろう。ただし危機感を煽るために中国の了解のもとに限定的な暴発を演じさせるかも知れない。そのときは韓国にも秘かに中国から連絡があるであろう。

 韓国はいま日本の円安により経済的に苦しくなり始めている。日本の復活は韓国の没落と感じているから反日行動は財閥系の使嗾によってさらにエスカレートすることになるだろう。これは中国も当然共同歩調をとる。

 だから靖国問題などに対しての強硬な抗議の申し入れなど無視してかまわないのだ。口実を与えることを恐れていてはどこまでも譲歩を余儀なくされるし、ではどうしたら納得するのか、といえば、妥協点などどこにもないのだから無限の譲歩しかあり得ない。

 尖閣に対する中国のエスカレートした行動も一連の流れの一環と考えてもいいのかも知れない。妥協はあり得ないと覚悟すべきだろう。韓国はズルズルと中国に引きずられて不幸なことだと思う。

2013年4月23日 (火)

取り締まりを実施する

 中国の漁業監視船(実質上は軍艦)がこのところ連日尖閣諸島の排他的経済水域の航行を繰り返し、 さらに領海への侵入も行っている。

 本日の中国の国家海洋局の発表は重大な危険性のあるものであった。

 「釣魚島海域で正常な巡視行動を行っていたところ、中国海監51、3、46の艦隊が4月23日に多数の日本船が、我が国領海で違法に活動をしているのを発見した。日本船による権利侵害の監視と証拠集めを行い、権利維持のための公務執行を行う」。

 これは実質上の我が国領土への実力行使宣言と云う事が出来る。尖閣諸島の状況は新たな状況に入ったと見なして、日本として、次のレベルの対応を準備する必要があるのではないだろうか。

 日本の巡視船への実力行使や、尖閣諸島への上陸等が近々行われるおそれがある。

 まさか実力行使に対して手をこまねくわけにも行くまい。

 話し合いをするために日本最強の田嶋陽子か福島瑞穂を送り込んでもいいが、どうもどちらも中国に丸め込まれそうな気もする。いざとなると案外意気地がないと私は観ている。

 しかし中国は何を考えているのか。これは中国トップの了解している行動なのだろうか。もしそうなら恐ろしいことである。日本として覚悟が必要な段階に入ったのかも知れない。

白石和良「取るに足らぬ中国噺」(文春新書)

 著者は北京大使館の一等書記官から農水省に移籍する、という異色の官僚畑を歩いている人で、専攻は中国農業、特に農村問題。中国の社会事情に詳しい。

 中国に詳しい、という程度が、凡百の中国研究者をはるかに超えている。その徹底ぶりは本書を見れば一目瞭然だ。

 この本では「少しやわらかい話(風流話)」「少し真面目な話(正経話)」「どうでもいい話(多余話)」の三つのコーナーに分けてその蘊蓄が語られている。

 「少しやわらかい話」では少しどころかかなりやわらかい話で、大人の話である。そしてこのような話をここまでとことん追求するのは学者ではまずやらないことで、貴重な話であるとも云える。

 「少し真面目な話」では取り上げられた言葉を追求していくうちに中国の歴史と国民性までが分かってくる。

 「どうでもいい話」では「風馬牛」「黒五類」「緑低黄高」「七転八起」と云う言葉をとことん調べ尽くして、誰もが見過ごしていたことに実は深い意味があったことを教えてくれる。

 日本と中国は漢字という共通の言葉の道具を使いながら国民性と長い歴史から漢字の意味がずいぶんちがうものになってしまった。その違いから逆に歴史と国民性を照射するという試みは大変興味深いものであった。

 新書だけれど盛りだくさんで、丁寧に読むとかなり読み応えがある。

暴言の女教師

 小学校低学年の女性教師が生徒に対して暴言を繰り返していた、として話題になっている。集中していじめられていた生徒の親が子供に持たせていたICレコーダーで女性教師の音声を録画していたものが公開されて動かぬ証拠になってしまった。

 いじめられていた子供は特殊学級に入るほどではないが、授業についていくのがほかの子供より遅いところがあったようだが、それを執拗に叱責し、ほかの生徒に迷惑をかけている、謝れ、といっていたようだ。さらにほかの生徒達にもヒステリックに叱声を繰り返していた様子が録音されていた。

 このように感情をほとんどコントロールが出来ない人格的にいささか問題のある教師というのは実は日本中にごまんといると思う。自分が子供のときのことを思い出してもいくらでも思い当たる先生はいる。たぶん一般世間よりも割合が高いかも知れない。

 そのような人間というのは必ずいるもので、全て先生として不適格として排除することなど出来るはずもないことである。問題は程度問題だろう。この先生はこの小学校の前にいた私立の小学校でも保護者達からその言動の問題を指摘されている。県の教育委員会はそれを承知しており、校長に指導を求めたという。

 しかし担任を持つことを外されただけで何の処分も受けず、何の記録も残されずに次の学校へ赴任してきたようだ。要するにババ抜きのババのようなものである。誰も責任をとりたくないから次へ送り出してしらんふり、というわけだ。

 この女性教師は東大出であることも取りたてて言われていることである。東大出に対して隠されたコンプレックスが回りにあるからでもあろう。東大出でもこんな人格的に劣等な人間がいる、というのが喜びなのかも知れない(マスコミは大衆の気持ちを忖度している)。

 この女性教師は東大出であることを自慢にしていたのだろうか。心では秘かにそれをプライドのよりどころにしてはいただろうが、取りたててそうしてはいなかったのではないだろうか。それよりも東大を出たのに小学校の教師なんぞをしている、という焦燥のようなものがあったかも知れない。だから生徒に対して勉強が出来ないのは劣っている人間だ、と繰り返し罵声を浴びせていたのかも知れない。

 番組で菊川怜(東大出)が普段とちがって辛口のコメントをしていた。この人、小倉智昭にちょっと厳しく当たられて同情されているのだが、正直言って東大出なのに何でこんなにものを知らないのか、と私もいつも感じているので小倉智昭を責める気にはならない。東大に入るために常識なんか勉強する暇がなかったのかも知れない。

 東大出は人間的に問題がある、というひがみから発する中傷があるが、それは東大に入ることに全力を傾けて、それ以外のことに耳目を傾ける余裕のなかった人、そして人生をそのままそれで良しとしてしまった人の割合がほかの大学出よりも多いせいかもしれない。

 人間はよそ見をするもので、よそ見をしないで集中出来る人が東大に行けるのだろうけれど、よそ見もいいものだと思う。私なんかずっとよそ見をし続けてきたことこそが自慢で、全く後悔はない。

2013年4月22日 (月)

映画「キリング・ショット」2011年アメリカ

 原題「Catch.44」。監督アーロン・ハーヴェイ、出演ブルース・ウィリス、マリン・アッカーマン、デボラ・アン・ウオール、ニッキー・リード、フォレスト・ウィテカー。

 饒舌に繰り返される会話、時間が、過去と現在がばらばらに前後して提示されていく。同じシーンが繰り返されたり、突然ラストシーンがフラッシュバックのように提示される。映画を観ている我々はジグソーパズルを頭の中で並べ直すようにシーンの意味を考えさせられる。そうして全てのピースが提示されたとき、このドラマの原因と結果が何となく分かってくるのだが、いささか疲れる。

 この手法は昔から使われている手法だが、この映画についてはクウェンティン・タランティーノのテイストが強い。「レザボア・ドッグ」や「パルプ・フィクション」で延々と無意味な会話が続けられ、その会話がどんな結論に向かっているのかさっぱり分からない、という宙ぶらりんな気分に観客を置いていく、という手法だ。しかもドラマの時間が前後するので何がどう云うわけで生じたのか分からない状態に追い込まれる。

 観客が好い加減にしろ、と怒って席を立つぎりぎり手前で次へ展開していき、最後に全体がつながって何となくほっとさせられる、というわけだ。

 裏社会のボスであるメル(ブルース・ウィリス)、メルの仕事をしている三人の女・テス(マリン・アッカーマン)、ドーン(デボラ・アン・ウォール)、カラ(ニッキー・リード)そしてメルの配下で秘かにテスを愛していて気にかけてきたビリー(フォレスト・ウィティカー)、メルからテス達三人を始末するように指示されたビリーという男が主な登場人物である。

 女三人組はメルの命令で郊外のドライブインに行き、メルのシマでメルの許可なく行われる麻薬の取引を調ベに行く。実は三人は前回メルの仕事をしくじっていて今回はその挽回のための仕事だった。

 指示された現場へ向かう車がおかしなパトカーに停められ、警官にしつこくからまれる。これが警官を殺してパトカーを奪ったビリーであることに三人は気が付かない。ようやく放免されて彼等は指示されたドライブインに向かう。

 しかしこの仕事がヘンだ、という仲間もいてぎくしゃくするのだが、現場のドライブインまで来てしまえばその命令を実行するしかない。

 そのドライブインで当たりをつけて三人は銃を抜き、まず女店主から事情を聞き出そうとするのだが・・・・。

最初のシーンでメルが誰かに向かい「お前を七年間も面倒を見てきた。信頼もしていた。信用していたわけじゃないけどな」と言う。それが誰に対して云った言葉なのか、これはラストシーンのメルの言葉であり、その意味は全部を見終わったときに初めて分かる。

 なかなか味のある映画なのだがジグソーパズルのピースが細かすぎていささか疲れた。もう一度見るのは勘弁して欲しい。

抗日ドラマは最重要

 四川省廬山県や雅安市周辺で起きた今回の四川大地震は、時間が経つとともに新たな被害が報告されており、被災地への道路も寸断されて救援物資も届かず、困難な状況が続いているようだ。

 先般安倍首相が政府を代表して支援を申し入れをしたが、不要であるとして断られたことは報告したが、これは他の国からの申し入れも同様であったようだ。ただし、前回の四川大地震の時も当初断られたが、72時間後に支援を受け入れた、という事実もあり、そのときの日本の救助部隊の活動には中国人から謝意が述べられている。

 地震が起きてからの生き埋めの被害者の生存確率は72時間を境に急激に小さくなるといわれる。受け入れるなら早いほどいいのだが。

 まさか日本の救助隊に功績を挙げさせたくないなどと思っているのではないだろうけれど。

 ところで四川省の四川衛視というテレビ局は地震の後地震の被害状況を報じることなく二時間も延々と抗日ドラマを放映し続けたとして批判を浴びている。

 最近の抗日ドラマのヒーローは、憎い日本兵士を素手ですぱすぱと切り捨てて何百人も倒すというスーパーマンまで登場するものまであり、あまりの荒唐無稽ぶりに顰蹙を買っていたところでもある。

 抗日ドラマを放送することと地震の状況を報告することとどちらが大切か、ということで批判を浴びているのだ。

 しかしネットでは中国メディアにとっては地震の被害などはたいしたものではなく、抗日洗脳教育の方がずっと大事だ、と皮肉交じりに擁護する意見もあるという。

 あまりに批判が殺到したために四川衛視はその後ほとんど地震の放送ばかりを流し続けているそうだ。

 抗日ドラマが大好きで完全に洗脳された人々がいる。そして抗日ドラマが洗脳番組だ、と感じて不快感を感じている人がいる。まともな人もいると言うことだ。

歯ブラシ

 数年前に電動歯ブラシを買った。パナソニックのドルツだ。ブラウンのものよりもパワーが控えめで日本人向きだと聞いてこちらにしたのだが、初めて使ったときはちょっとその振動が怖いと思った。

 あまりその違和感に慣れることが出来ず、使ったり使わなかったりしているうちに洗面台の棚にただ置いてあるだけになっていた。

 

 

 最近歳と共に歯の隙間も出来てくるし、何となく歯磨きが不十分な気がしていたので久しぶりに使い出した。違和感は相変わらずだが我慢しているうちにだんだん使い慣れてきた。人が普通に使っているものならば慣れないはずがないのだ。

 

 話は電動歯ブラシではなかった。今朝のNHKのニュースで、歯ブラシによる幼児の事故が取り上げられていた。見たひとも多いだろう。

 

 幼児はじっとしていない。母親から歯磨きを命じられ、歯ブラシを咥えるが、そのまま動き回る。その際に転倒して口腔内に歯ブラシが突き刺さる事故が多いというのだ。

 

 昔、実家の隣の家の女の子がこの事故を起こした。歯ブラシが喉の奥に突き刺さり、のどちんこをほとんど引きちぎるほどの大けがをした。普段からやや落ち着きのない子だったから私の母はそれを教訓にいろいろと私たち兄弟に注意をしたことを覚えている。

 

 だから自分の子供や甥、姪が歯ブラシを咥えていると注意したものだ。

 

 子供の事故は親の責任も大きい。事故が起こるかも知れない、という想像力が働くかどうかで、事故の起こる確率はずいぶんちがうだろう。

 

 事故を起こしやすい子供の母親はこのようなニュースを見ることが少ない。そしてもし知らされても自分の子供にかぎってそんな事は起きない、と考える。その差はずいぶん大きい。

 

 もし近くに幼児がいるならこの歯ブラシの事故について注意を喚起して欲しい。隣家の女の子は全身麻酔の大手術の末、さいわい助かった。

2013年4月21日 (日)

WOWOWドラマ「遠い日のゆくえ」2011年

 監督・朝原雄三、出演・永山絢斗、富田靖子、菊池亜希子、寺脇康文、風吹ジュン。

 主人公・孝志(永山絢斗)は故人の遺品整理や部屋の清掃を請け負う特殊清掃業の会社の見習いである。これは彼が58歳で孤独死した沢村希和子(若いときは瓜生美咲(菊地凛子に似ている)、歳をとってからは風吹ジュン)という故人の日記をたまたま読んだことで、彼女の係累をたずね歩き、いろいろな人と出会って人の一生というものを見つめ直す物語である。そしてそれは投げやりに生きてきた孝志自身の再生への物語でもある。

 日記は希和子が中学校に入学するときに母から送られたものが第一冊目。そこには幼い恋物語が記されていた。そして高校に入学、彼女は妊娠、家族の反対を押し切って出産を決意したが死産に終わったところで最後の4冊目の日記は終了している。

 孝志は彼女の生まれ育った金沢に、彼女が世話になったと日記に書かれていた美容院の女性を訪ねる。そこで五年前まで希和子が小松で助産婦をしていたことを知る。彼女の両親が五年前に相次いで死に、それを機に消息を絶ってしまったのだということが分かる。

 この孝志の行動を、たまたま出会ってその話に興味を抱き、エスコートしてくれた京都の女性(菊池亜希子)がとてもきびきびして魅力的だ。こんな女性がいたら嬉しいものだ。彼女の助けを借りて希和子を妊娠させた相手の男(三田村邦彦)にも出会うことが出来るのだが、その結果は空しいものだった。

 彼女の両親の墓をたずね、この墓に希和子の遺骨を納めることを依頼すると住職は快諾する。さらにもしや、という思いで孝志が問いかけた質問に対して住職はある事実を明らかにする。

 この事実こそ5年前に希和子が東京に一人で移り住み、消息を絶った理由でもあった。勘のいい人はその理由が分かるであろう。それを明らかにするとドラマの楽しみを損なうのでここまでとする。

 孝志の投げやりで根暗な態度には大きな理由があったのだが、一連の出会いを経験し、かかえていた大きなトラウマを何とか乗り越えることが出来そうなところでドラマはジ・エンドとなる。孝志の異父妹として剛力彩芽が出ている。可愛い。こんな妹がいたら根暗になんかならないと思うけれどねえ。

 特殊清掃業の会社の社長役の寺脇康文が今回も好い感じだ。

 ドラマ全体として私の評価は○である。気持ちが入ってジンとくるところも多い。それに金沢の風景が懐かしかったし。

WOWOWドラマ「パーフェクト・ブルー」2010年

 監督・下山天、出演・加藤ローサ、中村蒼、津田寬治、甲本雅裕、藤田朋子、石黒賢、宅麻伸、警察犬。

 宮部みゆきの同名小説のドラマ化。

 蓮見探偵事務所の蓮見(宅麻伸)とその娘・加代子(加藤ローサ)のもとへ諸岡三郎(石黒賢)という男から息子の行方を捜し出して家に連れ戻して欲しい、という依頼が入る。諸岡の長男・克彦は甲子園で活躍し、先日も秋季大会でパーフェクトピッチングをした高校野球界のスーパースターだ。依頼されたのはその弟・次男の諸岡進也(中村蒼)の連れ戻しであった。諸岡の自宅での様子から、母親は長男を溺愛し、次男は眼中にないことが見て取れる。

 進也の立ち回る可能性のある先のリストをもとに加代子はもと警察犬のマサとともに進也を探し、ようやく彼を見つけ出す。進也はあっさりと自宅に帰ることを了承、父親に連絡するのだが、不思議なことに夜中の12時まで待って欲しいといわれる。

 仕方なくドライブをして時間をつぶそうとするが、進也から行き先の希望があり、二人はそこへ向かう。向かった先は、前日克彦のユニフォームが盗まれ、燃やされていた現場あった。このことはマスコミにも採りあげられ話題になっていた。その現場に着く直前突然現れた車に危うく衝突しそうになる。その車の運転席のドアにどくろマークが描かれていたことだけが見て取れた。

 二人が気を取り直して目的の場所で見たものは燃えさかる人間だった。それを見た瞬間、進也はそれが自分の兄であることを知り死体に取りすがろうとするが、危うく加代子に引き留められる。

 いろいろな証言から、親子の仲は悪かったが、兄弟の仲は良かったことが明らかになる。そして進也はあることを兄に頼まれていた。それはもと野球部に在籍していた克彦の仲間で、原因不明の病気で握力が衰えてしまって野球が続かなくなり、いまは不良グループに入っている友人(名前を失念)とのつなぎの依頼であった。

 進也は彼がユニフォームを焼いた張本人であろうと考えていた。その自宅を訪ねる加代子が見たものは風呂場の水死体であった。

 ここで場面は突然転換する。三友製薬という大手製薬会社の総務課長・木原が、会社の指示により、会社を恐喝をしている結城(津田寬治)という男と接触し、口止め料を支払う。木原は会社が何をネタに揺すられているのか知らない。

 やがてこの恐喝事件と高校生の殺人事件が関係していることが分かってくる。この製薬会社が何を隠蔽しようとしていたのか、それが次第に明らかになっていくのだが、その魔の手は諸岡に伸び、そして加代子や進也にも危険が迫る。

 最後に明かされる真相は悲痛なものである。

 二時間で全てを語るには内容が多すぎるようだ。だから殺人事件と製薬会社の恐喝事件がなかなかシンクロしないままに終わった気がする。せめて三話くらいに分けた方が良かったかも知れない。いつもは警察のキャリヤの役の多い津田寬治が、今回は恐喝犯になるのが面白かった。

 それと二人の兄弟の母親役の藤田朋子が好演していた。思い込みのきつい母親がついに限界を超えていく姿は寒気を感じさせる。トレンディドラマよりこういう役に実は向いているのかも知れない。

 ドラマとしてはそういうわけでややまとまりを欠いていたのが恨まれる。

支援拒否

 四川省の大地震はさいわい大都市から遠い少数民族の住む人口の少ない地区だったので規模のわりに人的被害は少なかった。李克強首相は早速現地に飛び陣頭指揮に当たっているようだ。新しい指導者はこう云うときこそ点数稼ぎのチャンスだ。

 ところで安倍首相は外務省を通して習近平主席や李克強首相に対し、日本政府の最大限の支援を申し入れた。これに対して「支援は必要ない。今後必要に応じてこちらから連絡する」との回答があった。

 必要がないからそう回答したのだろうけれど、もし他の国の支援は喜んで受け入れたりしているようならずいぶん失礼な話ということになる。どうなのだろう。

 ところで日本が支援を申し入れたことはたぶん中国国民に知らされることはないであろう。東日本大震災で中国が日本を支援したのにこの地震に支援をよこさないとは日本はなんとひどい国だ、と中国国民が思うようなことがないと良いのだが。まさかそれを意図的に狙っているなどというのは考えすぎか。

乱獲

 中国の魚の需要の急増にともない、世界中で中国漁船の乱獲が問題になっている。

 中国当局の統計によると、2000年から2011年までの中国の遠洋魚漁業の漁獲量は年平均36万8000トンであった。

 しかしカナダなどの大学などが共同で調査したところ、中国の遠洋漁業による漁獲量は推計で年平均460万トンであった。なんと12倍もちがう。

 現在中国の遠洋漁業が主に操業しているのは西アフリカ近海で、この海域だけで310万トンの漁獲量が隠されていると推計されている。

 排他的経済水域ぎりぎりのところで、なんと他国の国旗を揚げて偽装工作をしながら操業しているのだという。

 この地域の沿岸諸国の合計漁獲量は380万トンである。

 国連食糧農業機関は中国の遠洋漁業統計は問題がある、と認めているが、調査での12倍の差というのは過大な数字ではないか、とコメントした。

 中国の統計がここでも疑わしいこと(ほとんどでたらめである)が明らかになった。

 また、中国の漁業の問題は目の細かい網を使用し、根こそぎ魚を獲ることである。これにより、漁業資源が枯渇する事態が発生している。日本近海でもこの漁法での違法操業が頻発して甚大な被害が出ている。

 人類は地球の資源を消費しつくし、枯渇に追い込んできたが、中国は一国でそれを一気に加速させているようだ。しかし中国にはその自覚がないのが恐ろしい。何せ中国は無謬の国だから。

2013年4月20日 (土)

映画「笑う警官」2009年東映

 監督・角川春樹、出演・大森南朋、松雪泰子、宮迫博之。

 原作は佐々木譲の「笑う警官」(もともとの題は「うたう警官」、わかりにくいので「笑う警官」に改題された)が原作。裏金問題で北海道警察がほとんど組織崩壊にまで追い込まれ、地元に精通したベテラン刑事がいなくなったと言われる実際の事件があったが、それを背景にして原作は書かれている。

 このあと同じ登場人物で続編がいくつも書かれている。全部面白い。佐々木譲の警察小説は映像的なので全て映画になると思う。

 ところで「笑う警官」というのはスウェーデンの作家、マイ・シューブァル、ペール・ヴァールー夫妻のマルティン・ベックシリーズという警察小説の第4巻「笑う警官」と同名だ。これは意識してのものだという。(マルティン・ベックシリーズは全部で10作翻訳されている。実は10作しか書かれなかった。ご主人が急死してしまったからだ。全て傑作、映画化されたものもいくつかある。ミステリー好き、警察小説好きなら絶対おすすめだ。エド・マクベインの「87分署シリーズ」以上に面白いと云えば分かるだろう)。

 配役は原作のイメージと外れておらず、問題ないのだが、何となく全員の台詞回しがしっくりしない。間が微妙に悪いのだ。誰か一人ではないのでこれはたぶん監督のせいなのだと思う。まずこれがマイナス。

 さらに原作とストーリーが少しちがう。その違いは主人公の佐伯(大森南朋)のキャラクターに影響を与えており、見ている方の主人公に対する感情移入を妨げる。どうしてわざわざここまで屈折させたのか分からない。脚本も角川春樹である。この人のためにせっかくの原作の面白さが映画で生きていないのは残念だ。この一作を観ただけでこの人の底の浅さが見えた気がする。

 道警の裏金問題が内部告発された。その内部告発を疑われた警官が「自分がうたった(密告)のではない」と書かれた遺書を残して拳銃自殺をする。さらに百条委員会が新たな証言者を招請する、という。

 そんな騒ぎの中、家具のほとんど置いていない部屋で若い女性の絞殺死体が発見される。手には手錠がかけられており、その手錠は本物の警察官が使用するものであった。しかも殺されていたのは二年前のミス道警だった。

 彼女と交際していた津久井(宮迫博之)という警官に容疑がかかる。なんと道警本部は津久井が拳銃を所持しているおそれがあるとして発見次第わずかでも抵抗したら射殺して良い、という指令を出す。

 組織の指示に従うのが警官だが、この司令に疑問を抱く人たちもいた。そのとき佐伯は何人かの刑事達を秘かに招集して殺された女性警官の真犯人の裏捜査をはじめようとする。戸惑う刑事達だが、やがて次第にその捜査に意思がまとまりだす。期限は翌日、百条委員会までの約15時間。実は呼ばれていたのは津久井だったのだ。真犯人を見つけ、彼の無実を晴らして百条委員会で証言をさせなければならない。

 裏操作はやがて実を結びはじめ、事件の真相が明らかになっていくのだが、捜査に参加している小島百合(松雪泰子)はあまりにもスムーズに捜査が進展することに疑問を抱く。

 そう、彼女の疑念の通り、この捜査もある筋書きによるものであった。彼等は事件の真相を暴き、真犯人を見つけて、津久井を武装警官が待ち構えている百条委員会に無事送り届けることが出来るか。

 そしてクライマックスがやってくる。

 そう、物語はとても面白いのだ。それなのにちょっと原作以上にひねりを加えたためにとても嘘くさくなってしまった。残念な映画である。本だけ読む方が良い。

 誰か原作に忠実に映画を作り直してくれ!

映画「さまよう刃」2009年東映

 監督・益子昌一、出演・寺尾聰、竹野内豊、伊東四朗。

 東野圭吾の同名の小説の映画化。ヒットした映画なので見たひとも多いだろう。私はどう云うわけか東野圭吾の小説を読んだことがないし、読まない。会社の新入社員と話したときに、愛読書が東野圭吾の本だと聞いた。たぶん面白いに違いない。だがこの人にはまるとほかの本を読む時間がなくなるような気がして読まないことにしている。

 今野敏や堂場舜一にはまってそればかり読んでいた時期があった。面白すぎる上に多作なのでほかの本を読む時間がなくなるのだ。そうして読まないことにしている作家やシリーズがほかにもたくさんある。

 長峰重樹(寺尾聰)は56歳の建築士。二年前に妻を癌で亡くし、中学生の娘と二人暮らしをしている。その娘が死体で発見される。

 薬物を注射され、輪姦され、薬をうたれすぎて死んでしまい川に捨てられていたのだ。しかし警察からは、殺されたという事実しか告げられない。

 警察が捜査を開始したその頃、長峰のところに匿名の留守電が入る。犯人二人の名前と、その内の一人の住所と合い鍵の隠し場所が伝えられる。半信半疑の長峰が告げられた住所をたずね、部屋に入る。そこには電話で告げられた通りビデオがあり、それを見た長峰は絶句する。犯行の様子がビデオに撮られており、娘の無残な姿が写されていたのだ。

 夜になって部屋の持ち主が帰ってくる。潜んでいた長峰はその男、伴崎を刃物で刺し、もがく伴崎からもう一人の男、菅野の情報を手に入れる。

 商女の殺人事件を追う警察は犯行に使われた車両が古いセダンであったことを手がかりに、しらみつぶしに車の持ち主を当たっていく。やがてその車両が特定され、その持ち主の息子が事情聴取を受ける。そんな矢先に伴崎の死体が発見され、ビデオの存在も見つかって少女の殺人事件との関わりが明らかになる。

 事情聴取を受けたのは中井誠という少年で、伴崎と菅野の使い走りをさせられていたこと、二人に常にいいようにされていたことを恨んでいたことが分かってくる。また、伴崎を刺した凶器の刃物からは長峰の指紋が検出される。

 少女を殺した二人は少年であった。検挙されても少年法によって軽微な処罰しか受けないであろうことはいままでの前例の通りである。長峰が菅野も殺そうとしていることは間違いない。

 そして舞台は長野県の菅平に移る。菅野がこの辺りの閉鎖されたペンションに潜んでいることを長峰は聞き出していた。しらみつぶしに一人で菅野を捜す長峰。やがて警察も菅野の目撃情報をもとに軽井沢から菅平周辺の捜索を開始する。

 長峰を追う刑事二人、老練な真野(伊東四朗)、若手の織部(竹野内豊)も管平らに急行する。真野は淡々と刑事としてやるべきことを法に則って行っていくのだが、織部は長峰の心情を忖度して迷っている。

 菅野の潜んでいるとみられるペンションが警察に急襲される。それを外から見つめる長峰。長峰は滞在先のペンションのオーナーの猟銃を奪って持参していた。

 ここからさらに物語は二転三転するのだが、そこまでストーリーを話してしまっては観る楽しみを損なってしまう。

 長峰の復讐の情念が、それを観ている私にカタルシスを与えることを期待したところで、さて物語がどうあいなりますことか。ここが最大の見せ場であります。

馬鹿老人

 夜中に不快感を感じて飛び起きた。トイレで吐き下してしまった。食べたものを吐くなどというのは二十年ぶりのことだ。若い頃は鉄の胃腸を誇り、暴飲暴食してもびくともしなかったのに。

 熱は特に高くないようだ。つまり食あたりではなく、単なる食べ過ぎ飲み過ぎらしい。

 人の三倍食べていたのがこの頃は食べる量も減り、人並みよりも少ないくらいになっている。胃腸もたぶんそれに合わせた状態になっていたことだろう。

 昨晩は料理の本からレシピをいくつかセレクトして、つまみをいくつも作ってみた。満足するにはやや出来は良くなかったが、それなりに食える。たくさん作ったつまみに合わせていつもより酒をたくさん飲んでしまった。いつもなら燗をするのに、面倒になって冷や酒を飲んでいたらとても気分が良くなった。

 自分の気分と自分の身体がミスマッチしているらしい、と突然感じた。慌てて打ち切りにしたのだが、腹が張って苦しいことに気が付いた。テーブルを片付けて寝ることにした。だいたい寝れば何とかなる。

 そうして夜中に起こされたのだ。起こしたのは私の胃腸であった。

 「いい加減にしろよ!」と怒っているのが感じられた。

 「はい、反省します」と答えてキャベジンを飲んだ。

 反省して本日は柔らかいもの、暖かいものを少量だけいただいておとなしくしていよう。それに食欲もないし・・・。

 歳を考えないただの馬鹿老人だ。

2013年4月19日 (金)

ドライブ、のち病院で検診

 

130419_2岐阜県・根尾のウスズミ桜。

 

130419_5樹齢1600年といわれる。

 

朝早く起きたら天気がいいので、ドライブに出かけることにした。午後の病院の検診まで時間もある。有名なウスズミ桜を見に行った。もちろん桜はもう散っている。幹の太さは尋常ではない。

 

130419_7ふり返れば遠くに雪山が見える。白山だろうか。

 

時間があるので板取川に沿って北上してみた。源流の方なら桜も残っているかも知れない。

 

130419_23板取川はこのように澄んでいて美しい川だ。

 

130419_29やはり桜が残っていた。満足して引き返す。

 

病院で泌尿器科の検査。血液検査も尿検査も全て問題なし。晴れて膀胱炎完治の太鼓判を押してもらった。検査結果が出るのに時間がかかってだいぶ待たされた。ドライブのまま病院に行ったのでうっかりして本を持たずであった。

何も読むものがないので、もだえ苦しむ活字中毒者となった。

 

とにかく今夜も祝杯だ。

高橋義孝「叱言たわごと独り言」(新潮文庫)

 高橋義孝先生、六十歳前後の頃のエッセイ集。だんだん内田百閒に似てくるが、本人もそれを意識している。ただし、内田百閒の生き方は決して真似をすることの出来ないかなり極端なものであるし、義孝先生も物まねをする気はさらさらないから、行動としてではなく、精神の部分、価値観の部分でのシンクロを意識している、ということである。

 この先生のエッセイは短文のものが多く、それを私が絵解きしようとしても元のものの本質をぶちこわしにするだけなので、そのままを一部紹介する。

 内田百閒から教わった太田蜀山人の辞世の歌

「昨日まで、人のことだと思いしが俺が死ぬのかこれはたまらん」

を引き、さらに「伊勢物語」の在原業平の歌

「つゐにゆく道とはかねてききしかどきのふ今日とは思わざりしを」

を引いて、蜀山人の方が優れているという自分の意見を述べた後、

「フロイトはある論文の中で、ローマの軍事文筆家の言葉、『平和を保たんとするものは、戦いの準備をせよ』をもじってこう書いている。『生を全うせんとするものは、死に対する心構えをせよ』。考えてみれば、我々は平素来たるべき自己の死に対して全く無防備である。無防備どころか、それが念頭に浮かび上がってこようとする度ごとに、それを思念の外へ追い払ってしまう。そしてある日、『これはたまらん』と慌てるのである。しかし何が考えにくいといって、自分の死ぬことを考えてみることほど考えにくいことはない。そこで私はこの問題をこんなふうに解釈している。『自分は、死ぬまでは生きている』。当たり前ではないかと云いたまうことなかれ。この言葉、多少曲者でないこともない。」
と結ぶ。

 これがこの本の最後の文章である。これよりいい文章がいくらでもあるが、読み終わったばかりなので最後の文章を採りあげた。

 ちなみに高橋義孝先生はドイツ語の教授で、ドイツ留学をしており、ドイツ文学の翻訳もするくらいだから、フロイトも原文ですらすら読んでいるのだ。先生は心理学や精神分析学についても詳しくて、よく引き合いにだす。

2013年4月18日 (木)

ご褒美

 今日は一日片付けをした。ゴミ袋が全部で五つも一杯になった。六畳の小さな洋室に三点セットの大きなタンスと小さな整理ダンス、かさばるミシンなどを置いて、納戸にしているのだが、何でもこの部屋に抛りこむので足の踏み場もない状態になっていた。だからタンスの引き出しも下の方は開けられない。

 一日がかりで部屋を整理、引き出しを全て開けられるようにした。そしてこれから着る可能性のない衣類を全てぼろ布用としてゴミ袋に詰めてしまった。背広も何着か捨てることにしたが、まだ残しすぎている。もう一度徹底的にやるつもりだ。これだけあれば日常生活で着るものは全て間に合う。もともと流行など気にすることはなかったし、これからはますます何でもかまわなくなる。

 ほこりがすごい。掃除機をかけ、空気清浄機を廻したが、くしゃみと鼻水が止まらない。ほこりのせいか、鼻風邪か。

 これからご褒美に刺身でも買いに行こう。そして風呂に入ってさっぱりして一杯やることにしよう。それに見合うだけ、今日はよく働いた。

 明日は泌尿器科の検査だけれど午後からだからちょっとくらい飲んでも大丈夫だろう。調子もまあ悪くないし。

飛行機二題

 NHKが14日に「仁川発ロサンゼルス行きの大韓航空機が成田空港に緊急着陸した」と報じた。

 これに対して大患航空側が抗議した、と韓国メディアが報じた。大韓航空は「この航空機は通常の手続きを経て成田空港に着陸したもので、緊急着陸ではない」と説明している。

 この航空機は仁川を出発後出入り口付近でゴムの焼けるような異臭がしたために最も近い成田空港に着陸したものだった。

 こう云うのを緊急着陸といわないのが大韓航空の考え方らしい。手続きを踏んで成田に降りたら緊急でないというのなら、大韓航空の緊急着陸というのは本当に手続きをとる間もなく、落ちる危険が迫って空港の状況も無視して強行着陸する場合だけが緊急着陸というのだろう。世界に通用する考え方とは思えない。怖い航空会社だ。

 中国広州の空港で、ドリアンを機内に持ち込もうとした女性が持ち込みを拒否された。当然であろう。厳重に新聞紙で包んでいるのだから大丈夫だと主張したがもちろん通るはずがない。女性は激怒し、ドリアンの一つを床にたたきつけた。

 「持ち込めないのならこの場で食べれば良いんでしょ!」とこの女性はそう叫び、3キロあまりのドリアンを一気に平らげたという。そして食べかすのドリアンの皮をその場に放置したままその場を立ち去ったそうだ。

 自分の意思が通らないと相手が理不尽であると決め付けて激怒する。子供みたいなこんな人間は何処にでもいる。ほんの一握りだけいる国と、それがあちこちにいる国か、でその国の成熟度が分かる。日本でもちらほら見かけるが、正義の仮面をかぶっていることが多い。

理由があるだろう!

 河南省で数日の間に養鶏場の鶏が700羽以上突然死した。

 同じ河南省のほかの場所で豚410頭、犬122匹が突然死んだ。

 当局は、鶏は鳥インフルエンザで死んだのではないことが確認された、と発表した。生き残っている鶏にも病気の症状が見られるという。

 犬と豚の死について、原因と疑われた付近の化学工場の操業を停止させ、大気や飲料水について調査したが異常は見られなかったという。同時に住民達の健康調査を行ったが異常は発見されていないそうだ。

 一匹や二匹の動物の死ではない。いまに原因か明らかにされると思いたいが、こんなにばたばたと動物が死ぬなど聞いたことがない。当然共通の理由があるだろう。そう言えば大量の豚の死骸が投棄された事件もどんな理由で豚が死んだのか、いまだにあいまいだ。

 人間は死んでいないと云うが本当だろうか。いまに人間まで不審死が続発することにならなければいいが。当局は何か隠しているような気がしてならない。気味の悪い話だ。

2013年4月17日 (水)

WOWOWドラマ「再生巨流」2011年

 楡周平の同名小説をドラマ化したもの。

 元有能な商社マンだった吉野公啓(渡部篤郎)は訳あって運輸会社に転職して五年、抜群の営業成績を上げながら上司から反感を持たれて苦闘していた。

 その一人三瀬取締役(陣内孝則)の画策で、新規事業部という実態のない部署の部長になる。そして一年以内に10億円のノルマを与えられ、達成出来なければクビだ、と宣告される。

 与えられた部下は男女二人、ともに元の部署で使い物にならなかったと覚しき人物であった。必死で実績を上げる方法を模索する吉野だったがやがてあるアイデアを思いつく。しかしそれは会社に大きな金額の投資をさせる必要があり、しかもいままでの会社の業務の枠を大きくはみ出すものであった。

 当然三瀬の猛反対でその企画は握りつぶされる。そのとき吉野がとった行動は・・・会社の創業者である曾根崎会長(長門裕之)への直訴であった。必死の懇請で会長の支持を受けた企画はついに社長の承認を得ることになる。しかしこの企画にはある会社との合弁会社設立が必要であった。

 商社時代、上司だった近藤(松重豊)という男は吉野が商社を辞める理由となった男だったが、この近藤は吉野に遺恨を持っており、いまはライバルの大手運輸会社の取締役になっていた。近藤は吉野の企画を妨害ために吉野が合弁を働きかけている会社に触手を伸ばす。

 さいわい吉野の会社の社長が自ら乗り出し、共同会社設立にこぎ着けることが出来る。だが近藤の反撃は露骨で、より激しいものになり、吉野は窮地に立たされる。

 プロジェクトが崩壊することを覚悟した吉野に三瀬から予想外の情報がもたらされる。それは起死回生の情報であった。

 ラストは晴れ晴れとしたハッピーエンドで、気持ちの良いものだった。

 本日はドラマ三昧であった。こんな日もある。ちょっと疲れたけれど。

WOWOWドラマ「レディ・ジョーカー」

 同名の高村薫の小説のドラマ化。渡哲也主演で映画にもなっているが、こちらは全7話、総時間約5時間、これを朝から一気に見た。

 いまだに真相は謎のまま、というグリコ・森永事件から着想を得た物語だ。さいわい原作を読んでいないので、展開は全て先入観なしで見ることができた。

 ストーリーを説明してしまうとこれから見るひとにとって迷惑をかけるので書かない。出演者達が全て素晴らしく、5時間を全く飽きさせずに最後まで引っ張ってくれた。

 高村薫原作のWOWOWのドラマとして「マークスの山」に続くものになる。あの「マークスの山」も素晴らしかった。ひとにはそれぞれいろいろな人生があり、その人生に齟齬が生じた人間の哀しみや怒りが、玉突きのようにほかの人間に関わっていく。

 誰が悪い、誰が犯人だ、といったところで取り返しがつかないのがこの世の中だ。社会の仕組みのダーティな部分に対して怒りを覚えても、人は無力なのが悔しい。

 主な出演者・上川隆也(刑事)、柴田恭兵(誘拐されるビール会社社長)、豊原功補(刑事)、山本耕二(新聞記者)、矢田亜希子(社長秘書)、本仮屋ユイカ(社長の姪)、板尾創路(トラック運転手・半身不随の娘をかかえている)、津田寬治(警視庁本庁捜査一課警部補)、光石研(社長の義理の弟・本仮屋ユイカの父親・重役)、手塚理美(本仮屋ユイカの母親)、泉谷しげる(薬品店店主)、金子ノブアキ(旋盤工)、石黒賢(地検特捜部検事)、中村嘉津雄(総会屋顧問)、高橋努(信用金庫職員・在日朝鮮人三世)。その他クセのある俳優がたくさん出ている。

 犯人のレディ・ジョーカーは五人、果たして誰でしょう。豊原功補という俳優はNHKBS時代劇「燃えよ剣」の芹沢鴨の役が素晴らしかった。今回も素晴らしい。とても強い悪人に見えて、実は哀しみをかかえている、という役回りがこの人によく似合う。せせら笑った後にふっと見せる陰が絶妙で、好きな俳優になった。

 映画の「レディ・ジョーカー」も録画してあるが、少し間を措かないといけない。さいわいこの頃物忘れがひどくなっているのでほとぼりが冷めれば初めて見たように楽しめることだろう。

高齢化

 中国の高齢化が急速に進んでいるという。年齢別人口がほぼ同じであれば政策もとりやすく理想的だが、そんな国はない。ましてや中国は1980年代から一人っ子政策をとってきた。国が強制的に出生率を下げようというのだからどこの国よりも高齢者の比率の増加が大きくなるのは当然である。

中国で高齢者という場合、60歳以上を対象としているらしい。現在の高齢者の割合は14.6%だという。そして絶対数はすでに2億人を超えており、年間800万人ずつ増加することが分かっている。

 それに対して15~64歳の労働力人口は2011年からすでに減少に転じている。21世紀の間に増加する可能性はないとみられている。中国では60歳で定年になるのが普通なので、なぜ労働人口を64歳までにしているのか不明だ。これも統計上の都合だろうか。

 子供が親の面倒を見るのが当たり前、という儒教思想はすでに文化大革命以後完全に失われ、「留守老人」と言われる独居老人の数が高齢者の半数を超えてしまったのだそうだ。特に農村での「留守老人」の増加が著しい。つまり日本と同様、今後中国の農業従事者は急激に減少することになるだろう。

 生活能力を失った老人が増えるのに社会福祉は後手に回っている。中国の人口のアドバンテージが急激に失われようとしている。労働力の供給が潤沢でなければ人件費は自動的に上がる。中国の最大の競争力が将来失われることが明白になりつつある。

 それなのに一人っ子政策が見直される見込みは今のところない。その理由は以前述べた。公害についてと同様、利権が絡むと手遅れになるものらしい。

卵かけ御飯

 炊きたてのおいしい御飯に卵をかけて食べるのはシンプルだが御馳走である。水分の多すぎる御飯では決しておいしくない。醤油はもちろんきりっとした生醤油で、たまり醤油など考えられない。

 子供の頃(はるか50数年前)はまだ卵は貴重品で、父は一つ丸ごとだが、母と子供たちは二人で一つだった。うまく分けないと片方は白身だけになり、恨まれる。小学校に上がる前、父の仕事で田舎に住んでいたとき、隣の幼なじみの女の子の家(農家で鶏を何羽も飼っていた)では好きなだけ食べているのを見てうらやましかった。その子がこっそり卵を持ち出して「私は黄身が好き、あなたは白身が好きでしょう」と言って白身だけを分けてもらった。

 中国で鳥インフルエンザが感染拡大している中、日本式の卵かけ御飯が話題になったという。そもそも卵を生で食べるという食習慣がない国だから、当然卵かけ御飯など論外で危険だ、というのが大方の意見だ。私も中国で卵かけ御飯を食べようとは思わない。

 どうも世界で卵かけ御飯を食べているのは日本だけらしい。何の心配もなく生で卵を食べられるというのは有難いことなのかも知れない。安いし。

 思い出したことがもう一つある。ある家で卵かけ御飯を醤油でなくソースで食べたことがある。食卓上に全く同じかたちで黄色の注ぎ口の瓶と赤い注ぎ口の瓶があり、迷うことなく赤い方の液体を卵に注いだのだ。

 普通ソースが黄色、赤が醤油だろう!よその家なので捨てるわけにも行かず、黙って食べた。そのまずいこと、いま思い出しても吐き気がする。

2013年4月16日 (火)

映画「デス・レース2000年」1975年アメリカ映画

 監督ポール・バーデル、出演デヴィッド・キャラダイン、シルヴェスター・スタローン。

 見始めて、なんたるふざけた映画だ、と思っていたらそのむちゃくちゃな設定とそのあまりに強烈な台詞の毒にあっけにとられて最後まで見てしまった。カルト映画ここにあり、である。

 シルヴェスター・スタローンが自らの脚本により「ロッキー」で世に出たのが1976年だから、その前の年にこの映画に出演したことになる。この映画では主人公の敵役である。

 ストーリーはあってなきがごとし。五台の猛烈マシーンがドライバーとナビゲーターの二人を乗せてアメリカの東海岸から西へ突っ走るというレースの物語である。

 映画が作られたときから見れば2000年は近未来である。その時代のアメリカはおかしな国になっていて、大統領の独裁国家らしい。国民の不満を逸らすためにこのデス・レースを政府が主催しているのだ。

 ルールはもちろん早いほうが好いのだが、それに加えて人をはね殺すとポイントが加算されるという仕組みだ。それも男より女の方がポイントが高い。さらに子供や老人はポイントが高い。

 わざわざこのために路上にいてはね殺されるのを待つ人間がいれば、うっかりして道路の近くにいてはね殺される人間もいる。

 ここに反政府組織がいてこのレースをぶちこわしにしようと罠をしかけて待ち構えている。そして参加者の中には反政府勢力のスパイも交じっているのだ。そしてお互いも命がけのデッドヒートを展開していく。そうしてレーサーとナビゲーターが次々に死んでいく。

 レースの様子もチャチだし、やたらに裸の男や女が出て来たり、無意味なラブシーンがあり、しかもお互いが疑心暗鬼にいがみ合い、本当にはちゃめちゃだ。

 「アメリカの精神は人を殺すことにある」と実況アナウンサーが(本当のことを)絶叫する。この実況をしたりインタヴューをする連中がとにかくえげつない奴ばかりで(実は現実のインタヴュアーのカリカチュアされたものである)、本当に監督が描きたかったのはこちらだとしか思えない。

 いやあ、二度と見たくないけどすごい映画があったものだ。おすすめはしない。

多国籍偽カルビ

 子供の頃は焼き肉などとは縁がなかった。ホルモンを生まれて初めて食べたのは大学の新入寮生歓迎コンパの二次会だった。大学(工学部)があった米沢には学生相手の安いホルモン屋が沢山あった。米沢は米沢牛で有名なところである。新入寮生は私同様初めてホルモンに出会ったものが多かった。

 湯がいていないズルズルのホルモンを、すのこになった鉄板の上で焼く。見た目から敬遠するものや、すでに一次会でほとんど限界に達した連中はほとんど箸が出ない。しかし私は初めての食い物に躊躇するような人間ではない。せっせと食べ始めたら、先輩に「食べたことがあるのか」と聞かれた。生まれて初めて食べる、と答えたら大笑いされた。

 実は開高健の「日本アパッチ族」という小説でホルモンを食べるシーンがリアルに描かれている。それがとてもうまそうに感じられて記憶に残っていた。だから興味津々だったし、実際食べたらこんなうまいものがあるか、というほどうまかった。

 働くようになって、ロースやカルビを好きなだけ食べられるようになったときはものすごくしあわせを感じた。特にカルビは脂が甘く感じられて何人前でも食べられる。

 韓国メディアの報じたところによれば、スペイン産の牛骨に米国産の肉を接着して、韓国産の骨付きカルビとして販売していた業者が摘発されたそうだ。そのほかドイツ産の肉が使われているものもあったという。

 そもそも韓国産のカルビの肉の生産量よりも韓国で流通している国産骨付きカルビの方がかなり多いのだという。

 ところが韓国の法律では、原産地を偽ったことについて摘発は出来るが、肉を接着している接着剤が食品添加物として認可されたものであれば、このような行為を処罰する法律はないのだという。

 消費者は政府に対し早急に対策するよう求めているのだそうだ。

 韓国に行ってソウルでガイドに教えてもらった店に焼き肉を食べに行った。骨付きカルビやロースなどをたくさん頼んだ。あの韓国得意のハサミでチョキチョキ肉を切ってもらいながら食べたのだが・・・期待が大きすぎたのか、その店が観光客相手で手抜きをしていたのか(ガイドへの手数料がかなり高いのか)、残念ながらちっともうまくなかった。

 焼き肉を食べてうまくなかったのは生まれて初めてであった。安い肉を食べさせる日本の食べ放題の店の方がうまいくらいだ。

 韓国の焼き肉が全てあれほどまずい、ということはまさかないだろう。しかし接着肉が横行して、摘発されるまで分からない、ということは、韓国の焼き肉はたいしたことがないと言うことかも知れない。

 焼き肉は日本で食べるにかぎるのかもしれない。ただしあのサンチェやエゴマの葉っぱは韓国にかぎる。あの野菜で包んで食べる、という食文化は好い。

GDP成長率

 速報によると、中国の第Ⅰ四半期のGDP成長率は7.7%だったという。前年同期と比べて0.4%、前期の昨年第4四半期と比べると0.2%マイナスだった。

 これを中国経済の伸びの鈍化と見るか、それよりも思ったより善戦しているとみるか。ニュースによると、海外からも含めての投資の伸びが鈍化しているが、個人の消費が伸びているために全体としては好調を持続している、という評価のようだ。

 中国当局は7.5%を目標にしている。そして目安を7.2~7.9%の間に置いているのだという。ぴたりとそれにはまっている結果であり、習近平新政権としては順調な船出と言うことなのだろう。

 しかし日本の対日投資、貿易総額は大きく低下している。そして海外からの投資も減少しているという。さらにバブル抑制のために不動産の規制が強化され、中国国民の投資も大きく冷え込んでいる。最近、中国の株も下がっている。太陽光発電のEU向けも激減し、最大手のサンテックが破綻に追い込まれた。

 以上のことから考えてみればGDPの伸びが7.7%だったと云うのはいささか解せないような気がする。私は中国の統計数字は信用出来ないと思っている。中国の発表する統計数字は事実がこうであった、という数字ではなく、こうであるべきだ、と共産党が考えた数字が発表されているような気がしてならない。

 だから発表される数字は常に予測値の範囲内である。こうして中国共産党は無謬であり続ける。

デフレの弊害

 デフレが企業にとって地獄の苦しみをもたらしていることを観念的に知っていても、家庭の主婦やマスコミは本音のところでは、ものが安くなることだから個人には利益になる状況だ、と思っていただろう。

 もちろん企業が苦しめば回り回って個人の収入も下がっていく。下がっていくどころか就業の機会を失って収入を丸ごと失いかねない。そういう事態だということがようやく分かりかけてきてデフレ脱却に対して賛意を表す世論が大勢となってきたようだ。

 だがデフレの弊害はそんな経済的なことだけではなく、国民の心性そのものを損なうという大きな弊害を生んでしまったように思う。

 ものには価値がある。そしてものがつくられるときには、材料代、人件費をはじめとしてコストがかかる。かかったコストに適正な利潤を加えて価格が決められるというのが経済の原則だ。

 デフレはそのコストを考慮に入れない、市場原理に価格をゆだねることを余儀なくされた。売れる価格にするために流通経費を極限まで減らし、材料費を削り、人件費を削減していった。そしてついにはコスト割れしてでも売り、それに追いかけて削れるものを削っていくという状況になった。

 どういうことが起こるか。手抜き、材料の悪化、そして製品の低品質化が起こる。安かろう、悪かろう、が定常化する。

 良いものを求めていた世界から逆行し、品質が悪くても使えれば良い、という戦時下のような世界を招来してしまった。品物の品質が低下しただけですむわけがない。

 よりよいものを求めようとしないという世界は、人間の品質低下ももたらしてしまったように見える。向上心を持った若者の割合が減っているように見える。海外に雄飛しようとする若者が激減しているという。

 テレビを見ていてもそれがよく分かる。たぶんCM料金がデフレ化しているのだろう。やたらにCMが入り、経費のかからない番組のオンパレードだ。独自性を打ち出そうなどとはつゆほども思わず、ちょっと当たった企画があればみなそれを猿まねする。

 とにかくつまらない番組、仕方なく時間を埋めている番組が多い。

 良いものを正当な価格で購入する、という当たり前の生き方を取り戻さないと、自分自身がデフレ化して低品質化してしまう、と感じている。

2013年4月15日 (月)

本屋の減少

 本屋が減っている、という実感は十年くらい前からあった。ただ、その頃は、小さな本屋で、置いている本に何の工夫もなく、よれよれになった雑誌を平気で置いているような本屋が閉店しているという印象だったので、当然だろう、と思っていた。駅前一等地のシャッター街と同様の現象だと感じていた。

 小売店がさびれ、スーパーのような大型店に集約されていくように、本屋も大型で郊外に駐車場を持つチェーン店になっていくようであった。

 ところがその郊外のチェーン店が採算が合わないせいか、次々に閉店している。これは本大好き人間の私にとってゆゆしき事態である。

 音楽CDがネットの配信音楽により、売れなくなってレコード屋が縮小、廃業に追い込まれているように、デジタルブックの普及により、本の売れ行きが落ちているのが理由だという。

 確かにその側面はあるのかも知れないが、どうも本質は違うような気がする。

 駅前の雑誌とベストセラーだけを置いていたような店が採算が合わなかったのは、工夫のなさと同時に万引きによる被害が大きいという。売り上げの5%以上が万引きされると利益が出なくなる。ひどいところは7%も万引きされていたという。ほとんどが中学生、高校生の仕業だ。

 これは犯罪として摘発すべき事柄だが、いじめ問題と同様、学校がからむと余程のことがないと捕まえても無罪放免となって、いたちごっこになるという。

 犯罪を犯す方は犯罪だという意識がなく、犯された方は生活が成り立たなくなる。その万引きを子供の遊びのように言ってかばう人間は犯罪を助長しているのであり、社会的に断罪されなければならないが、テレビで平然と笑いながら自分もやった、といっているのを見ることがある。日本も落ちたものだ。

 しかし本屋の凋落はそれが理由ではない。

 そもそも本が多すぎるのではないか。そして出版社も多すぎるのではないか。よくよく吟味された本が出版されるなら良いが、いまは低レベルの駄本がやたらに出版される。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、とばかりに、試しに出版してみる、というような本が多すぎる。編集者に目利きがいなくなったのではないだろうか。

 本の数が多いから本屋も大型化した。だから小規模の本屋はやっていけなくなった。もちろん良い本をそろえたい、という店主もいた。ところがここに日本の本の流通を牛耳っている取次業者というのがからんでおり、本屋が自分で欲しい本だけを店頭に置く、ということが出来ない。

 取次業者は本屋が売りたい本ではなく、取次業者が売りたい本を置かせようとする。その取次業者にはさらに本の目利きがいない。そもそも本が好きでは本のビジネスが出来ないシステムではないか、と首をかしげるようなシステムだという。

 もちろんこれは読者が安く本を購入出来るように、しかも本屋に在庫の負担を持たせないように再販制度という仕組みがあるからだ。

 農業が農協によりスポイルされたように、本屋もこの再販制度に護られて凋落した。自助努力を怠り、保護される産業はついには自滅する。

 しかし問題はどうであれ、本をじかに手にとって眺めてさわってから購入したい私のような人間にとって、本屋が本当になくなってしまっては大変だ。

 本屋に行くと一通り自分の興味のある本のコーナーを一巡する。新書のコーナーの平棚を見たら文庫本のコーナー、そして新刊の棚をひと渡り眺め、次に人文の歴史と思想のコーナーを見る。さらに中国関連の棚を一通りチェックする。

 そうすると本の方から「私を読んで!」「私を買って!」と声がかかる。それを手にとって中を確認する。その作業を一通り済ますとだいたい十冊から二十冊の本が候補として選び出される。そして予算と相談して、優先順位に従ってその選ばれた本をかかえてレジに並ぶのだ。買われなかった本の怨みのまなざしを背に感じながら。

 若いときは本屋へ行くと興奮してトイレが近くなった。物理的に読み切れないことが分かっていても、お金があまりなくでも本にかかる金はちっとも惜しいと思わない。

 たぶん本当の本好きの人はほとんど同じ気持ちではないだろうか。

 だからそのような人は決してデジタルブックに転じてしまうことはない。デジタルブックの利便性はよく分かるが、本を中身だけで読む人と違い、本を丸ごと愛する人は本屋が絶対必要だ。

 駄本は全てデジタルブックにしたらいい。そうしたら本屋の棚が空く。本が高くなってもかまわない。良い本を置く本屋こそ残って欲しい。

環境大臣の責任

 中国の大気汚染や河川や海の汚染、農地の過剰な農薬や肥料の投入による汚染が深刻な状況であることは内外に知られていることだ。国民の健康被害が次第に増加しているとみられており、このまま放置すればその数と深刻度は急激に増大するのではないだろうか。

 中国にも環境を管理する部署・環境保護省があり、周生賢という人物が10年間大臣として在任している。

 最近の深刻な環境汚染の責任を問われて3月の全人代(中国の形式的な国会)で退任すると誰もが考えていた。

 ところが習近平新主席、李克強新首相は周生賢の環境保護大臣の続投をきめた。このことには国民のほとんどが唖然とした。

 このたび、北京市、上海市やいくつかの省の全人代の代表、そして中国史人民政治協商会議の委員達が連名で周生賢の罷免を求める書簡と署名簿を習近平主席達に送りつけた。

 この書簡によれば「周生賢は本来ならば環境汚染企業や工場を摘発すべきだったのに、企業から賄賂をもらい、うやむやにしてきた。この10年間で環境を悪化させた張本人である。罷免を要求する」とされている。

 北京の大気汚染の状況について、国際的に指標となりつつあったPM2.5について頑なにその指標の導入とその測定を拒否し続け、たまりかねたアメリカ大使館が独自にPM2.5の測定を行ってそれを公表したことは記憶に新しい。

 あろうことかこの周生賢という大臣は「勝手なことをするな」、とアメリカ大使館に噛みついた。

 環境大臣というのは中国では巨大な利権のかたまりらしい(これは中国にかぎらないことで、そもそも社会の静脈部分に巨大な利権の闇があることは知っている人は知っている。大阪市でもその部分に手を入れるのは命がけだった。橋下市長は本当に勇気がある)。

 一説には温家宝のファミリー企業もこの周生賢に多大な恩恵を受けていたようだ。というより持ちつ持たれつだったのだろう。

 汚職撲滅を唱いながら習近平はこの深刻な環境汚染の事態でも周生賢を交代させることが出来なかった。それだけ彼につながる巨大な利権の構造が中国共産党に深く根を張っていることの表れだろう。

 しかし中国国民の突き上げはさらに強くなることは必至である。その民意と共産党とのせめぎ合いに、果たして習近平はどう判断するのか。

 共産党という巨大な利権構造がかかえる矛盾は、共産党という党が存続する限り解消することはあり得ない。そもそもこのようなチェックの働かない社会構造には自浄作用意外には矛盾による悪化を食い止めることはあり得ないのだが、古来このような社会構造で自浄作用が働いたという例を見ることは無かった。

 習近平は自浄を推進する、という困難な課題に取り組もうとしているように見えるが、この環境大臣を存続させた。

 思いとはちがって、自浄より自壊に近づいているのかも知れない。

生物兵器

 中国空軍大佐が「このたびの鳥インフルエンザは中国を混乱に陥れようとするために使用されたM国の生物兵器だ」とネットで語った。

 「どうせ数人しか死なない。交通事故死者の1000分の1程度のことだ」と続けて語ったために批判が殺到し、当局により後半部分だけが削除された。

 この現役の中国軍の高官は国防大学の教授でもある。もちろんM国というのはアメリカのことである(美国の中国読みのイニシャルはM)。

 この高官はSARSのときにもM国の陰謀だ、と語っていたそうだ。

 このことについて石平氏は「軍の高官の言動は原則として政府によって管理されている。後半部分だけが削除されて前半が削除されないということは国が了解しているのか、または国の意思が働いているということだろう」と解説している。

 確かに日本で自衛隊の高官や政府の管理職がこのような発言をしたら、即刻進退を問われる話で、日本以上に管理の徹底した中国がこのような言動を許した、ということに美国の陰謀、というより中国の陰謀を感じてしまう。

 それに美国の陰謀なら決して分からないようにやるだろう。

2013年4月14日 (日)

追いかけてくる

 ちょっと体調を崩す前に、部屋の片付けを思いつくままにはじめていた。片付けや掃除というものは体調が万全でないとなかなかやる気にならないものだが、昨日からごそごそとその片付けを再開した。体調が良いのだろう。

 しかしこの片付けや掃除というのはまことに不思議で、片付けた後から何かが追いかけてくるように片付ける前より収拾がつかなくなる。

 片付ける、ということは整理して収納するのではない、捨てることだ、ということを教えてもらったので、迷ったものは捨てるように心がけている。それなのに何だか全体としてのものの数はちっとも減っていかないように見える。

 細かいものを含めれば何万、いや何十万とものがあると承知しているが、しかし無限にあるわけではないから、この一つを捨てることは全体としては片付く方向に向かっているのだ、と信じてせっせと励んでいる。ところがものが減っている実感がないどころか、誰かがこっそり後ろから新たにものを散らかして廻っているような気がする。

 すっきり片付いた部屋でゆっくりと杯を傾けたいと願いながらいつまで経ってもその願いが叶わない。出るのはため息ばかりである。

息切れ

 韓国の朴槿恵大統領が、北朝鮮に対して対話の用意がある、という姿勢を見せた。北朝鮮の勝利であろう。

 強硬な姿勢を崩さなかった朴槿恵大統領がこのような態度の変更を行ったことについて、当初最後通牒の意味がある、という見方をする向きもあったが、どうも韓国自身が経済的に息切れしてしまったことが理由である、という観測が大勢になったようだ。

 二月以来韓国の株式は下がり続けており、たった二ヶ月で20%も下落したそうだ。海外からの投資も減少し始めているという。観光客も減り始め、台湾は韓国への渡航自粛をきめている。日本からの観光客もウオン高もあって大きく減っているようで、いまは中国人観光客だけが頼りらしい。また開城工業団地の閉鎖は韓国の中小企業に大きなダメージとなっており、その悲鳴にともなう韓国国内の突き上げに朴槿恵大統領も態度を軟化せざるを得ないということのようだ。

 しかしそれよりも日本人である私から見れば、何もしていない日本に対してあれほど感情的で非理性的な韓国世論が、北朝鮮の恫喝と実力行使に対して極めて静かであることが不思議に見える。

 もちろん韓国民があげて北朝鮮に対して熱く燃え上がり、戦争の危機に自ら近づくようなことのないのはさいわいであるのだが。

 いまの韓国の冷静な様子を見ていると、北朝鮮はそもそも同胞である、という意識が大きいと云う事ももちろんあるだろうが、韓国民は普段日本のマスコミが騒ぎ立てているような人たちでないことがよく分かってきた。

 マスコミによって反日で騒ぎ立てる人ばかりが報道されて、国民のほとんどが強烈な反日の国、と思わされていたが、どうも日本の国旗を焼いたりして騒ぎ立てているのはほんの一部の異常者だけなのではないか、と思えてきた。今回は煽る人が自粛しているのであろう。それに煽ってもたたかれるだけで得るものがない。

 北朝鮮という、同胞の住む国でありながら、その言動の異常な指導者に領導(北朝鮮の言い方)されている国と隣接し、中国というやはり自己中心的な国家に迎合しなければならない地政学的な場所にある韓国という国の苦難をあらためて感じた。

2013年4月13日 (土)

映画「サロゲート」2009年アメリカ

 監督ジョナサン・モストウ、出演ブルース・ウィリス、ラダ・ミッチェル、ロザムンド・パイク。

 フィリップ・K・ディックの世界みたいだが、原作はディックではない。サロゲートというのは身代わりロボットのことで、ほとんどの人は自宅に引きこもり、身代わりロボットがかわりに全ての社会生活を営むという近未来の世界の出来事が描かれる。ヴァーチャル世界の極致みたいな世界だ。もちろんサロゲートの経験していることはヴァーチャルなかたちで全て人間も同時に経験している。

 もしサロゲートに何か事故があってもそれをナビゲートしているオペレーターと呼ばれる人間は無傷である、はずであった。

 それがサロゲートともどもオペレーターも命を失ってしまうという事件が立て続けに起きる。FBIのトム・グリアー(ブルース・ウィリス)は相棒のジェニファーとともに捜査に乗り出す。もちろん実際に行動するのは彼等のサロゲートである。ブルース・ウィリスが若くて髪がふさふさしているので笑える。もちろんサロゲートだからだ。

 やがて事件の実行者を突き止めて犯人を追い詰めるのだが、犯人が逃げ込んだのはサロゲートを拒否するカルト集団のゲットーだった。トム・グリアーのサロゲートは彼等に襲われてしまい、しかもゲットーへの違法侵入をとがめられて彼は休職を余儀なくされてしまう。

 サロゲートとオペレーターを同時に抹殺する武器はそもそも存在が否定されているものであり、簡単に手に入るものでもない。事件の裏には陰謀が隠されており、サロゲートの開発者である博士の息子も犠牲になってしまう。

 サロゲートしかいない街を生身の身体で駆け回るトム・グリアー。やがて事態は人類全体の危機にまで及びそうになっていく。

 こう云う物語は大好きだ。録画していたのだが、しまいなくしていた。ようやく見ることができた。映画を見るのも久しぶりだ。「12モンキーズ」を思い出した。

保阪正康・半藤一利「『昭和』を点検する」(講談社現代新書)

 太平洋戦争はなぜ、そしてどのようにして始まったのか。これが大学に入学してすぐに自分で勉強しようとしたことだった。

 左翼的な一方的な断罪の本も読んだし、戦記物も読んだし、アメリカ情報部の秘史も読んだ。そして日本は太平洋戦争に突入する前に中国と戦争していたことの意味を考えた。だからそこから日中間の関係について遡って本を読んでいったら明治維新に突き当たり、さらに欧米列強による中国の簒奪について学ぶことになった。

 中国とはどんな国なのか、文化大革命という不思議な事件を含めて知的興味が中国に向いたのもそういう流れからだった。

 しかしこの本は昭和についてである。太平洋戦争に誰が日本の国を導いたのか。どう云う目算があったのか。直接的な責任者は誰なのか。

 この本では五つのキーワードで日本の政治と軍部、政府の行動を読み解いていく。「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それはおまえの仕事だろう」「しかたなかった」という五つの言葉であの戦争がいかに無責任に進められていったのか、そして指揮官がいかに無責任であったのかが、これでもか、というように明らかにされていく。しかしこの二人は紳士だから「暴き立てる」というようなことをしない。

 読んでいるうちに同じ日本人として情けなくなってくる。そしてその体質はいまも全く変わらないことに虚脱感すら感じてしまう。

 この本はいちど読んでいるけれども機会があれば日本人である自分自身を見直すために毎年でも読み直したいと思っている。

 たぶん左翼思考の人はこの二人の名前を見ただけで、戦争賛美の本、と断定するだろう。しかし戦争賛美とは最も遠いところにある本なのだ。いかに愚かな人々が日本を支配していたのか、戦争を、特に先の大戦へのその愚かな道のりを辿ってみることで戦争を起こさないための学習を行わなければ日本は再び同じ轍を踏むことになるだろう。

 戦争を直視することから逃げ、非難だけして学ぶことのない人々は、いったんことがあるともっとも戦争推進者になることは歴史が教えていることである。

高橋義孝「蝶ネクタイとオムレツ」(講談社文庫)

 含羞を含みながら自分をさらけ出す、という芸当は、やりようによっては目を背けるようなものになりかねない。しかし高橋義孝には一種凄味のようなものが潜んでいて、人にとやかく言わせない力がある。

 自分の利を考えながらしか生きられない凡人とはちがって、後先を考えない無茶な生き方を貫くことは誰にでも出来ることではない。そんな生き方をしたら、誰でも人生の邪悪な方へ転落してしまうのが落ちだ。高橋義孝のすごいところはそこに人間としての筋というものを厳然と持っていて決してそれを外さないことだ。

 このような人の筋というものが内田百閒、高橋義孝、山口瞳と続く人生の達人の系譜に一本貫かれている。

 この随筆では前半に「こしかた」と題して、彼の生い立ちから若い頃のエピソードが思い出すままに書き連ねられている。いや思い出すまま、と見えて、実は計算され尽くした構成になっていることは文章を読み進むと分かる。

 そこに投げたされたようにあげられるエピソードは露悪的に見えて、しかしとても哀しい。人間の情の動きが突き放したような文章から強烈に伝わってくる。人間は愚かで哀しい生き物なのだということが、月の光と青葉木菟(あおはずく)の声とともに心に染みる。

 ただ先生には、先生の意に沿って生きることを自分の生きる道と疑うことなく生きて一生連れ添った夫人がいたことがうらやましい。現代はこのような女性の存在を許さなくなった。

2013年4月12日 (金)

久しぶりの酒盛り

 ちょっと体調が良いのでお酒を飲んでいる。

 つまみ。大根の薄切り・桃屋の梅ごのみをつけて。スパゲッティサラダ。卯の花。エシャロット・もろみ味噌をつけて。大根の葉っぱの炒め物。茄子を蒸して生姜醤油で。

 けっこうヘルシーに楽しんでます。しあわせ。

周さん、ほぼ復活しました。

人には間違いがつきもの、で良いのか

 中国や韓国のメディアが、日本で立て続けに「北朝鮮のミサイル発射」の誤報があったことをあざ笑っている。

 試験的に用意した警報をうっかりして流してしまった、と報じられているが、間違いですむ話だろうか。

 韓国も中国も日本が北朝鮮におびえているのがよく分かる、としてその意気地のなさを笑っているのだ。

 このような人間が、戦場で制止を振り切って最初に発砲してしまう。何も戦争をしかけるつもりがないのに戦争の引き金を引くのはこのような愚かでしかも粗忽な人間だ。

 人間には間違いがつきものだ、などととすましていられる話ではない。人間としてこのような立場に立つ資格のない、非常に危険な人間だ。可哀想だが、何の責任もない仕事をしていただくようにするべきであろう。

 まともな人間は決してこのようなときにこのような間違いをしない。

様子を見ましょう

 尿検査をして、パンツをほとんど丸見えに近いまで下げられて(今更恥ずかしがる歳でもないが)のエコー検査の結果、泌尿器科の診断は、ほぼ膀胱炎及びその周辺の炎症は治まっているとのこと。ただ尿に濁りが残っているので、あと5日間だけ抗生物質を飲んで様子を見ましょう、一週間後に再検査し、何も出なければ無罪放免です、と云うことになった。

 これで完璧だ。やはり風邪を引いたことがきっかけの発病らしい。今後は注意することにしよう。歳なのだから自信過剰は禁物だ。

 生活の品位を戻さなければ、と思った。

 分不相応なことを考えているわけではない。ただ、年金生活の金銭的不安から、少し生活レベルを下げすぎてしまったために、生活全体が貧相になっていることに気が付いたのだ。

 午前中に固定資産税の納入をしたあと、寝具店に行って新しい寝具を頼んだ。183センチの身長に合わせて特注だ。いまは母親特製の古い布団に寝ているが、もう新しいのを頼むわけにはいかない。ほこりが出やすいし、もう日に干してもすぐ堅くなる。誰にも見せるものではないが、新調すれば気分も変わるし、ほこりも少しは減るだろう。

 食事の品数をもっと増やすことにした。野菜を主体にするのは医者の指導通り。マンネリ化している献立を少し見直す。さいわい料理の本は普通の人よりたくさん持っている。読み物として楽しむだけで役立てていないのだ。

 本日午後から病院に診察に行く。泌尿器科で精密検査して、菌が撲滅されているかどうか見てもらう。太鼓判をもらえばよし、そうでなければ薬を処方してもらうだけのことだ。さいわい今日は平熱で、元気。医者に行かなくても良いくらいだが、慢性化しないためにも万全を期したい。

 明日から部屋の片付けや不要物の処分などに手をつけるつもりだ。体調が戻るといろいろなことにやる気が出て来た。こうでなければいけない。ごろごろしながらため息をついているなんて自分に似合わない。だいいち時間がもったいない。

地球は人類のもの

 中国の大気汚染対策に対して、日本が過去の経験と技術を提供する申し入れをしていることはご承知のことと思う。このことをあまり中国は積極的に報道していなかったが、日本の申し入れを受け入れる方向に動いていることを受けてメディアも報道し始めた。

 これに対して中国のネットでの反応はおおむね好意的である。日本の申し入れに悪意を感じさせるようなものが全くないのだから当然のことで、いつものように皮肉交じりも多いもののそんな協力は必要ない、というものは見られないようだ。
 
 ただ、中にこのようなものがあってカチンときた。
「日本の協力は善意からだと勘違いしている人たちへ。地球は全人類のものであり、中国の環境問題は世界の環境問題でもあるのです。中国の環境問題が深刻になれば、日本など周辺諸国に影響が出るのです。つまり、これは善意でも何でもないんです」。

 自ら汚染を振りまいて困っている中国がいうなよ。
 
 地球は全人類のもので中国のものではないのだよ。

 自分では気の利いたことをいっているつもりだろうけれど、ただの馬鹿だ。

2013年4月11日 (木)

韓国起源を否定

 中国科学院が、今回のH7N9型の鳥インフルエンザの遺伝子を解析したところ、中国東部に棲息する鴨と韓国の野鳥の遺伝子が入り交じっている可能性があると発表した。

 これに対して、韓国側は同型のウイルスは中国、モンゴル、日本の野鳥によく見られる型であり、完全に中国起源である、と反論した。

 この反論に対して中国の人々の反応は冷ややかだという。それというのも孔子はもともと韓国人だ、というのをはじめ、漢字も韓国起源、紙も韓国人の発明だ、と明らかに中国起源のものを次々に実は韓国起源だ、と言い続けてあざ笑われてきた韓国が、今回にかぎって即座に韓国起源を否定しているからだ。

 考えてみれば別にウイルスの起源がどこであってもその国の責任など誰も問わないわけで、まして野鳥の生息する場所が中国東部、モンゴル、日本に分布しているなら当然韓国も範囲に入る。それを韓国は関係ない、と言い張るというのもずいぶん大人げない。

 まあそういう国なのだろう。

やっていることが似ている

 北朝鮮があの手この手の威嚇の言葉を繰り返し、明日にも何かをするのではないかと周辺国ははらはらと成り行きを見守っている。もう理性も礼儀もルールも無視した自分勝手な行動に世界中が好い加減うんざりしている。

 中国は三沙市という行政区を、南シナ海に勝手に設置している。三沙市は南シナ海の西沙、中沙、南沙諸島を含み、ベトナム、フィリピン、マレーシアなどと領有権をめぐって対立をしている地域だが、いつの間にか全てに中国の占有を示す建造物を建てて実効支配を着々と進めている。

 中国三沙市政府はこのたびその島巡りツアーの観光を開始する準備中だそうだ。観光客はクルーズ船に寝泊まりしながらそれぞれの島に降りてレジャーを楽しめるように設備を整えていくという。

 この回りの国を無視した自分勝手さ、北朝鮮とよく似ている。自分勝手な人間や国というのは自分が自分勝手だなどとは毛筋ほども思わないようだ。

 尖閣諸島についてもいつ実効行動に出るか虎視眈々というところだろう。今後何十年も気を抜くわけに行かない。疲れることで、困ったことだ。我慢比べは終わりがあるから我慢出来るが、いつ終わるか分からない我慢比べは地獄だ。

いちど帰る

 母の介添えも、昨日のリハビリセンターへの手続きでほぼ一段落した。来週には神経科での追加検査や、リハビリセンターでの発語訓練がある。元気ならどうせ暇なのでこのままずっとこちらに滞在するところなのだが、いかんせん体調が万全ではない。毎晩寝汗をかいて寝衣が濡れる。昼間も微熱が続いてからだがだるい。こんなことはいままで経験したことがない。さいわい排尿痛はなくなっている。

 そこで今日いちど名古屋に帰ることにした。今日は無理だが明日病院に行くつもりだ。再度検査をして何か処方をもらおうと思っている。今日は名古屋へ帰るくらいのことは出来るだろう。

 今回は弟夫婦にかえって迷惑をかけてしまった。弟の嫁は幼稚園の仕事をかかえている(月、火、水だけ)うえに、彼女の姉が癌で生死の境をさまよっているところだ。その介護もほかの姉妹と交代で引き受けている。

 まことに頼りにならないことで申し訳ないと思っている。

予測は外せる

 北朝鮮は10日にミサイルを発射する可能性が高い、とアメリカも韓国も予測していたけれど、ついに何も起こらず、予測は外れた。

 予測は外れることも多い。まして今回の決定の判断は相手にある。回りが予測しているから実施しようとするのも、予測されたから予測を外して実施を先延ばしにするのも相手の思うがままだ。

 むしろ世界が注目していることそのことが嬉しくてしょうがないように見える。無視されることこそあの国にとって恐怖なのだろうとは誰にも分かっているのだが、何をしでかすか分からない国とあっては見て見ぬふりするくらいしか出来ない。

 世界が注目し、しかも予測を外して喜んでいるような国ならその日を外した日に行動を残す可能性は常に存在し続ける。疲れることだが、いい加減にしろ、といってどやしつけるのは、それこそ挑発になってしまって相手をさらに喜ばせるだけだ。

 非常識な存在というのはまことに度しがたい。

2013年4月10日 (水)

何々主義者

 これはそのまま高橋義孝先生の短文の引き写しです。

 何々主義者というのは、精神的不作法者で、自分の神様の前に万人をぬかずかしめようとします。ひとが自分の信じている神様の悪口でもいおうものなら、事の是非はさて措いて、何が何でも自分の神様の絶対的な正しさと偉大さとを弁護しようとします。その様子には何かいじらしいものがあります。しかしいじらしいとこっちが思って、あれでは毎日毎日がさぞかし大変だろうと同情なんかしていると大変なことになる。そんなことをすると、その人も自分の神様の信者になってくれるのかと思われたりするから、何々主義者は敬して遠ざけるにかぎります。そうでないと必ずお賽銭をふんだくられたり、あるいは噛みつかれたりしますから、用心しないといけない。

 しかし何々主義者になると、なかなかいい点もあります。とにかくそんな風に紐つきになってしまうのだから、自分で考えたり行動したり感じたりする苦労は要らない。どう考え、どう行動し、どう感じるかは、ちゃんと神様の方できめてくれるから、その通りにやっていれば、神様の方も御満足であるし、自分の良心も満足である。そのかぎりでは、ほかの人に迷惑をかけるということはない。しかし何々主義者には、異端の神々を奉戴している沢山の人々を、もうてんから仇敵視するという、はなはだ面白くない一面がある。自分の神様が一番えらいんだと思っているところは、自分の父親が一番えらいんだと思っている子供のようなものですが、ただ子供とちがうところは、ほかの人たちをも自分の神様の前に平伏させてやろうとすることと、ちがう神様を信じている人や、また神様なんか真っ平御免だといってどの神様にもお賽銭を上げずにいる人たちを、浅野内匠頭が吉良上野介を憎むように憎んでいて、狂犬のように何が何でも噛みついてやろうといつも身構えているということです。

 それから何々主義者のもう一つ面白い点、はたから眺めていて面白いと思われる点は、神様の指図に催眠術にかかった人のように従順この上なく従って、はたから見ればひどい無駄手間と思われるようなことも一向に厭わないということで、何々主義者はこの点、例の強迫神経症者によく似ています。世の中には、はたから見れば全然無意味だと思われるようなことを「強迫的に」やる人がいる。例えば、手を一日百回以上も洗う人がいる。あれは、しかるべき心理的理由、病的障碍からしてああせずにはいられないのです。

 そこで何々主義者は、第一に子供っぽい頭脳の持ち主であり、第二に強迫神経症者の隣人であり、第三に他人を有無をいわさず自分の神様の前にひざまずかせようとする精神的やくざ、暴力漢だということになります。そしてこの何々主義者のために、この世の中がどんなに不愉快なものになっているか知れたものではありません。しかしいったん何々主義者になってしまったらもう治らないものらしい。

 どうです。高橋義孝先生の痛烈なこと。本当にきらいなんですね。全く同感です。だから先生の文章が好きなのです。ただしこんなに直接的な文章はほとんどありません。酒を飲み過ぎてゲロを吐いた話や、金のない話、女性のちょっとした仕草についての考察など、笑わせてくれるものが多いのです。その中に先生の美意識をちらりと感じさせてくれます。

2013年4月 9日 (火)

お粗末の上塗り

 東京電力福島第一原発の放射能高濃度汚染水貯蔵施設が破損し、汚染水が漏れ出していたことが明らかになったと報じられている。一つかと思ったら別にも漏れ出している施設が見つかったようだ。他も同じ方式なので次々に同じ事態になるかも知れない。

 大きなピットを作り合繊シート(強度は極めて高いもののようだ)で蔽って汚染水をため込むという設備らしいが、合繊シートが浮き上がらないように底面にコンクリート片が沈めてある。また水量を監視するためのモニターが沈められているらしい。それで洩れているかどうかが分かる仕組みだ。

 ところがそのモニターを底面に設置するために合繊シートに穴が開けられており、設置後にその穴を塞ぐようにシールをしてあるのだが、シール部分が何らかの理由でひろげられてシールが効かなくなり洩れたのだとみられる。

 全体としては強度を十分に作りながら、弱い部分を作り、しかももっとも弱い部分にかかる負荷について考慮されていないという、何ともお粗末な設備なのだ。水圧の力は尋常でないことは常識だし、地震が続発している中で、設備の底面は常に大きな力がいろいろな方向にかかっただろう。それが想定されていなかったようだ。

 この施設は産業廃棄物の貯蔵用のものの流用であり、水のような液体を大量にため込むという使用方法はいままでされたことのないものだったという(つまり水量のモニターを取り付ける必要がなかったから本来強度の弱点はない)。経験もデータもなければ万全を期すのが常識だと思うが、設備してしまえば後は何も起こらないはず、ということだったようだ。東京電力の病的な想像力不足を感じるというのは言い過ぎか。

 先般電源を再び喪失する、という事態があった。その原因は結局鼠だった(らしい)ということでそれっきりだ。しかしあのときの発表と原因解明の経過には極めて不審な匂いがする。

 電源が落ちたらいろいろ調べるにしても、まず電源を調査するのは当然だろう。そして外部電源が落ちたことも明らかなのだから、そこをまずあけてみるだろう。あければ黒焦げの小動物がころがっていることは一目で分かるはずだ。

 ところが電源が落ちた、という事態から、その事実の公表までに三時間あまりのタイムラグがあり、その後さらに半日以上経ってから「実は鼠らしきものが」と報告された。誰も当事者以外は現地に立つ事は出来ない。そうだったと云われれば、そうですか、としか云えない。

 ただすぐ分かったはずのことがここまで遅れて発表されたことに不審を感じるだけだ。何かを糊塗して信用を失うまいとしているつもりなのだろうが、すでに信用は失墜している。こうしてさらにさらに信用は失墜し続けているのだが、東京電力にはそれが見えていないようだ。

 事故原発の前の防波堤で囲われた湾にはシルトフェンスという囲いがされており、魚が出入り出来ないようになっている。湾内には高濃度汚染が明らかな魚がいるのでそれが逃げ出さないためのフェンスなのだそうだ。

 これもずいぶん馬鹿な話で、そこまで高濃度汚染されていることが明らかなら、口蹄疫の牛や鳥インフルエンザの鶏のように可哀想だが処分すれば良いことだったろう。高圧の電流を瞬間的に流すなどすれはすぐにも出来たことだ。

 このシルトフェンスがこのたびの大風と大波で破損し、湾内の魚が外部に逃げ出したおそれがあるそうだ。いないものは逃げ出さない。何をしているのだろう。あの強い風や波は想定外だったといいたいらしいが、普通にあり得ることが想定出来ないなら何を想定しているのだろう。

 新しい問題の発生を聞くたびにこの企業のレベルの低さ、緊張感のなさを感じて寒気がする。百歩譲って最初の事故そのものには不可抗力があったかも知れない。しかしその後の対応のまずさに対しては責任は免れないのだが、お役人体質なのだろうか、問題に対する真摯な受け止めより、まず責任逃れを必死に模索しているように見える。

 本当は一生懸命やっている人、必死の思いでがんばっている人がいることを承知で、あえて申し上げた。

デジャヴ

 海外ニュースを見ていたら、アメリカの北朝鮮消息通の意見は、今月10日または15日に北朝鮮が中距離及び短距離ミサイルを海に向けて発射する可能性が高いのではないか、というものであった。

 そしてこのミサイルに対して何らかの迎撃をした場合、単なるミサイル実験に対して攻撃を加えた、といって激しく非難し、何らかの譲歩を引きだそうと画策しているのではないかというのだ。

 どうもおかしな意見だが、そもそも何をするか分からない国のことなので憶測がいろいろ出てくるようだ。とにかく何か言っていたらどれかが当たるかも知れない、という向きもある。当たれば喝采を浴びる可能性もあることだし。特にアメリカは人ごとに感じているのがよく分かる。自分の国が攻撃されることなどあり得ないと思っているのだ。

 みんな予想を立てて見守っているうちに、何かか起きることを期待する気持ちばかり大きくなってくる。いっそ何かやってくれ、と云う気持ちがどんどん高まっているのではないだろうか。

 ところで金正恩がたびたび映像で登場している。まともな頭脳の持ち主なら国民をこんな危険の淵に立てることはしないはずで、彼自身が異常なのか、または軍部に彼を操作している強硬派がいるのか。

 突然この金正恩の姿が消えることもあるのではないか、という気もする。彼がもっとも恐れることでもある。

 北朝鮮が本気で韓国やアメリカに戦争をしかけることはあり得ないと世界中がいう。軍事力の差が分からないはずはないという。

 だがその軍事力の差を知りながら、その軍事力の差は精神力で克服出来る、と本気で思っていた指導者達のもとに、アメリカに追い詰められて戦争をしかけた国があるではないか。いまの北朝鮮兵士達の言葉や市民の勇ましい言葉を聞くとデジャヴを感じてしまう。

2013年4月 8日 (月)

高橋義孝「現代不作法読本」(文春文庫)

 高橋義孝先生は、ドイツ語の大学教授である。トーマス・マンをはじめ多くのドイツ文学の名訳で知られる。それ以上に著名なのは横綱審議会の委員長を長く勤めたことである。1913年生まれ、1995年に物故されている。

 もちろんもっとも私が敬愛しているのは洒脱な中に頑固さのにじみ出るその名随筆の数々による。叔父が大ファンで息子に義孝と名付けてうれしがっていた。

 先生は内田百閒と尾崎士郎を師としている。確かにその随筆には内田百閒の雰囲気がある。

 実家へ帰るのに当たり先生の随筆の中から何冊か持参した。この本はその中では古い方のものだろう。単行本では昭和33年に発刊されている!先生当時45歳、とあとがきにある。

 とにかくユーモアたっぷりな短文が百篇、思わず声を出して笑うようなものが次から次に書き連ねてあって読み出すととまらない。

 辛口ではあるが、内容は実に分かりやすい。試しに一読すればはまること請け合いの名随筆である。必ず次が読みたくなるであろう。

鳥インフルエンザ

 テレビ番組「ひるおび!」を見ていてたら、鳥インフルエンザを取り上げていた。

 インフルエンザウイルスはそもそも水鳥特有のウイルスであること。

 その水鳥の糞から他の鳥を経由して鶏に感染するが、集団飼育されている鶏に感染するまでは非常に弱い毒性しかなく、鳥が死ぬこともない。

 鶏に感染するとウイルスの性質がかわり、感染力と毒性が増す。これはウイルスが、宿主が集団で存在するために宿主を殺しても拡大していくことが可能、と判断しての変異とみられる。

 前回(2003年・東南アジアで発生)発生したH5N1型の鳥インフルエンザウイルスは豚を中間宿主として変異し、人間に感染したことが分かっている。しかも人から人への感染が見られた。

 今回は全ての事例で鳥からの直接感染であり、今のところ豚を経由していないとみられる。

 また、人から人への感染はない。

 過去のスペイン風邪をはじめ、百万人、千万人単位のインフルエンザの変異型による大流行は、今回は心配しなくて良いであろう、というのが専門家の話であった。

 おかげで参考になった。

 心配しすぎはいけないのでとりあえず専門家の云うことを信じることとしよう。

 ところで上海市は鳩を公園で捕獲して隔離した、というが、その公園に沢山の鳩が群れている様子が撮されていた。他から飛んできたのか、隠れていたのか、その鳩から野鳥へ、そしてその野鳥の移動からさらに他の地区へ拡散することがないかどうか気になるところだ。

 ところで司会役の恵俊彰、私はきらいではないのだが、この頃どうしたのかやや躁状態でうるさい。

豚と鳥インフルエンザ

 鳥インフルエンザの変異には豚が介在している、という説がある。豚が鳥インフルエンザに感染し、そこでウイルスが変異するのだという。

 中国で何万頭もの豚の死骸が長江に投棄され、上海を流れる長江の支流である黄浦江にも多数の死骸が流れ着いて騒ぎになった。

 この事件と鳥インフルエンザを結びつけるような話が中国から飛び込んできた。

 すでに四年前に告発された事件が紹介されている。それによると、病死した豚を処理したものをアヒルの飼料に加工して与えていたというのだ。その豚が何で死んだのかはお構いなしであるし、アヒルの飼料にそんなものを使うというのも信じられないことだが、この告発に対して当局は「もちろん違法なので摘発するが、完全に監視することは出来ないことだ」と当時答えていたという。

 この事件はまさに浙江省の出来事であり、鳥インフルエンザの火元である。

 今回の鳥インフルエンザの特徴の一つは鳩への感染が見られることだ。従来鳩へはこのH7N9型は感染しないといわれていた。だから明らかに変異しているのだ。そして変異の多くは豚を介在しているという明らかな事実がある。

 今回の数万頭を超える(もっと多いともいう)豚がなぜ死んだのか本当にきちんと検査したのだろうか。凍死したのだ、というのが最初の報告だったが、病死の豚もいたと言われている。

 その中に鳥インフルエンザで死んだものが交じっており、しかもその一部が鳥の餌に加工されていたとすると、その流れは人災と云う事になる。このような中国の心の荒廃の象徴とも云える事件が、今度の鳥インフルエンザを引き起こした背景にあるのだろうか。そうだとすると同様のことが違うかたちでまた発生しないとは限らない。

 杞憂でなければ良いのだが。

 他人がどんな夢を見ているのか、話に聞くことはあっても実際に見ることは出来ないから自分の夢は自分にしか分からない。

 ここでいう夢は寝ているときに見るあの夢の話である。

 子供の時には毎日よく夢を見た。目覚めが好い方なので目が開いたらたちどころに昼間モードに入る。切り替えが短いから夜モードのときの記憶が消えずに残っているのでその映像を鮮やかに思い出すことが出来た。

 一番鮮やかだったのはまっ青な大空に大きな気球が浮かんでいる夢だ。これを初めて見たのは小学校に上がる前後の頃で、前日に進駐軍の装甲車や軽戦車の行列を見たときの朝だった。当時は九十九里浜で時々演習したりしていたのではないだろうか。その後はもうそんなものを見ることも無くなったが。その日は快晴だったが、気球が浮かんでいた記憶はない。それなのになぜ夢には青空と気球の夢を見たのか分からない。

 そう、私はよくカラーの夢を見た。朝、よく覚えている夢はほとんど色つきだったかも知れない。

 空を飛んでいる夢もよく見た。高いところから跳ぶと、もちろん落ちていくのだが、その落ちるのをもう少し先までと念じると不思議に落ちきらず、いつまでも飛ぶことが出来る。落ちそうで落ちない不思議な飛び方だ。スキーのジャンプの飛び方に似ていると云えようか。

 具合が悪いとき、特に熱を出しているときには、誰にも経験があると思うけれどもいやな夢を見るものだ。小学生のときにはよく高熱で学校を休んだ。

 そのときに決まってみるのは数字の夢だった。他の人に聞くと、具合の悪いときに数字の夢を見る、と云う人は一人もいなかった。数学が苦手なわけではない。得意ではないけれど人並み程度には計算も出来るし、数字に苦しめられるのは悪夢の中だけだ。それがなぜ数字の夢なのかいまだに思い当たることがない。

 今回ずいぶん久しぶりに、高熱で寝込んだ。何だか気味の悪い夢をいくつも見たけれど、数字の夢を見ることは無かった。

2013年4月 7日 (日)

野坂昭如「終末の思想」(NHK出版新書)

 30~40年前に終末論が流行ったとき、人類は滅びに向かっている、と唱える論者の旗頭だったのが、作家の野坂昭如だった(前にも言及したが、表題のような名前の月刊誌を発刊していたが、一年足らずでつぶれた)。大気や河川、海の汚染が日本人の健康を蝕んでいる、これは修復不能だ、と悲観的にいい、放射能汚染や原発事故の危険性を警告していた。

 そもそも人間は自然の寿命に従うべきで、無理な延命がボケ老人を増やしているという。また重篤な障害のある新生児を無理矢理生かすことにも反対している。

 ひどく傲慢な主張をしているようだが、そうともいいきれないところもある。基本的にこの人は焼け跡派での経験から、ごりごりの悲観論者なのだ。

 ただこの本に書かれていることを読んだからといって新たな知見や考え方が得られることはほとんどない。世界や日本に起きているマイナス面を次々に取り上げて、歎いて見せているだけのことだ。

 確かに悲観的になるようなことの多い世の中で、しかもその問題点を解決する役割の人間がその責任を果たしているとは言い難いのも事実だ。

 だがそれでも少しずつがんばって現状を改善してきた人たちがいる。あの悪臭漂う昔の隅田川が、今日のように遊覧船で川風を気持ちよく受けて走れるようになるのだ。

 この本は全ての人間の努力をあざ笑うようなところがある。老人の繰り言にしてはいささか悪意が過ぎるのではないか。

 石原慎太郎といい、野坂昭如といい、往年の文章家が、このような空疎な文言を連ねるようになった。老醜というべきか。

しんどかった

 39度を超える熱などこの二十年経験しないですんできた。久しぶりでかなり参った。

 二日(火曜日)に金沢に行ったのだが、そのとき馬鹿に冷や汗が出るのでヘンだとは思っていた。晩は若い友人たちと楽しく飲み食いした。その最中はどうと云うことはなかったのだが、ホテルに帰って即爆睡したその夜中、突然寒気と腹痛で目が醒めた。強い尿意があったのでトイレに行ったのだが、ほとんど出ない。脂汗だけが出た。

 ちょっとこれは尋常ではないな、と感じた。そして朝が来るまで三十分おきにトイレに行くのだが、状態は変わらない。金沢で医者にかかるかどうか迷ったが、とにかく名古屋へ帰る決心をした。

 東海北陸道で、停まれるパーキングを全て停まって脂汗と別のものをひとしずく流しながら這うように帰宅。しかし家に着いたら気力が尽きていてそのまま寝込んでしまった。夕方目覚めて熱を測ると39度以上ある。病院に電話、症状を話すとすぐ救急外来へ来なさい、といわれる。

 下腹部のCTスキャン、血液検査、尿検査(かろうじて採取)をして医師の診断は「たぶん膀胱炎だと思います」と云う事であった。膀胱炎はたいてい女性がなるものと思っていたが男性もかかるそうだ。抗生物質の処方をもらって夜帰宅。

 「薬を飲めばたぶん三日目までに熱は下がるし症状も軽快するでしょう」という嬉しいご託宣であったので、そのまま寝込んだ。

 四日、38.9度、五日38.5度と三日目になっても熱が少ししか下がらない。ただし排尿痛は軽くなりいちどに出る量も増えてきた。養家には母の病院の介護を引き受けているから七日には千葉へ行かなければならない。

 六日、37.4度、まだ普通ではないけれどひどかったときと比べれば常態と一緒だ。

 そして本日七日、早朝名古屋を出発し、時々休憩しながらなんとか実家に到着。本日出がけの体温、37.1度。

 まだ本調子ではないが、膀胱炎は脱したようだ。

 娘のドン姫に助けてもらった。作ってもらったうどんがおいしかった。

 周さん、心配かけてすみません、たぶん大丈夫です。

2013年4月 3日 (水)

膀胱炎

金沢のホテルで寝ていたら突然下腹に痛みを感じた。寒気もする。そこでトイレに行ったのだけれど小便が出ない。無理矢理排尿するとほんの少しだけ出る。明け方まで20分おきにトイレに行った。

とにかく自宅に帰るしかない。ということで雨の中、東海北陸道を名古屋へ走った。パーキングのたびにちょろちょろと小便をして(尾籠で申し訳ない)ちょっと楽になったらまた走った。

二時過ぎに到着。ふらふらなのでとにかく布団を敷いて休息。熱を測ったら39℃以上ある。たちまち爆睡。

4時過ぎにかかりつけの病院に電話を入れて症状を説明したら救急外来にすぐ来るようにいわれた。

いろいろ検査して7時過ぎに放免。診断はたぶん膀胱炎でしょう、ということだった。抗生物質を5日間くらい飲んだら楽になるはずだそうだ。

ああしんどかった。

金沢は雨

日本全国雨らしいが、金沢も雨。少し市内をうろついてから帰ろうと思っていたが、終日雨、という予報なので出歩くのはやめた。ちょうど一年前の今頃うろついたときの写真を三枚だけ。

120410_12金沢城。

120410_36兼六園。

120410_113近江町市場。

ちょっと風邪気味。それとも花粉症だろうか。昨日おつきあいいただいた諸君、ありがとうございました。

2013年4月 2日 (火)

おまけ

130402_30

御母衣湖は荘川村を呑みこんだ。助け出されたのは人間と村の桜の古木。湖畔に荘川桜が移植されている。

130402_32


まだつぼみも膨らんでいない。

130402_42


満開ならばこのような風景となる。

北へ走る

ただいま金沢で用事を済まして駅前のホテルに到着。今のところまだ雨は降り出していない。途中何枚か写真を撮った。名古屋から長良川沿いに北上、長良川の源流に当たるところに夫婦滝があるのだが、まだ道に雪が積み上げられていて行くことが出来ない。その手前の道路脇にある小さな滝の写真をかわりに。

130402_4普段はこんなに水量がない。

この滝から峠を登り切ると蛭ヶ野の分水嶺だ。

130402_11左が太平洋へ、右が日本海へ流れ下る。道路のすぐそばで分水嶺が見られるのは珍しいらしい。

130402_18_2御母衣湖の荘川側。本当は上まで水があるはず。まだ満水ではない。地面に見えるのは水没前の路である。

130402_27_3御母衣ダムのダム湖、御母衣湖。

130402_44_2

帰雲城(かえりくもじょう)正確にこの場所かどうかは明らかではないのだが、昔、大きな地震による山津波で帰雲城とその城下町が一瞬のうち埋没してしまい、城主以下町民も含めて数百人が犠牲になったという。ここから白川郷まで近い。

130402_46_2白山の裏側が時々見える。白川郷から白山スーパー林道へ行けるのだが、まだ雪があって通行は出来ないはずだ。

五箇山の合掌集落、菅沼と相倉(あいのくら)を見ようと思っていたのだが、約束していたタイヤ交換の時間に間に合わなくなりそうになったのでここまでとした。この道は見所がまだまだ一杯ある。また機会があったら紹介する。

今晩は若い友人たちと酒盛りだ。








良いことだ

 北京市政府は今後三年間で1000億元(1兆5千億円)を費やして大気汚染や下水処理対策を解決するという。

 この計画では汚水処理、ゴミ処理、大気汚染対策、不法建築摘発を強化する予定である。

 このような政策は市民のために利することであるし、それが中国全土に拡がることを願う。そうでないと中国人民の健康に甚大な影響が出てくるのは必至だ。しかもその悪影響はすでに周辺国へも波及しているのだから当然のことだ。

 ただ日本でもそうだけれど、静脈産業は巨大な利権につながるおそれもあることで、そのことにより、この対策の費用対効果が損なわれることが心配だ。腐敗対策を強化してこの分野にも目を光らせて欲しいものだ。

 ところでレアアースやレアメタルの生産は中国がいままで独占的に制してきた。それは当然かかるべき環境対策を行わなかったことでコストが低く抑えられて価格競争力があったからだ。

 それは他の産業にも云えることで、当然かかるべき環境対策費を使わなければそれだけ価格競争力があることになる。

 人件費が上がる上に環境対策コストを織り込むことで、中国はまともな条件で世界と競争していくことになる。これも二重にめでたいことである。

 経済成長を我慢してもコストをかけなければならないことがある。そのことが結果的に中国という国家を正常化することにつながると期待したい(これが民主化へのきっかけになるような気がする)。時間はずいぶんかかるだろうけれど。

2013年4月 1日 (月)

なぜか不快になる

 松本幸四郎(六代目市川染五郎)の生命保険会社のCMを見るとなぜか不快になる。この人、昔はそれほどきらいではなかったけれどこの頃はどうもいけない。なぜだろう。

 言葉遣いは丁寧だし、言っていることはまじめで正しい。それが全て不快に感じてしまう。かといって過去にきらいになる理由があったという記憶はない。

 私だけなのだろうか。もともとまじめで正しい人が嫌いだという私のゆがんだ性格のせいかもしれない。だから相田みつをが大きらいなのだろう。うそくさいのだ。

 息子の七代目市川染五郎ははっきりきらいである。あのにやけた口許を見ていると腹が立つ。人を小馬鹿にしているように見える。これは最初からだ。

 長嶋と松井が国民栄誉賞に選ばれるという。私は千葉県生まれなので、子供のときの郷土の偉人は長嶋だった。だから長嶋が国民栄誉賞をもらうことは喜ばしい。しかしなぜ松井と一緒なのだ。私は松井が余り好きではない。それはちょっと個人的なトラウマによる。

 中学生のときに松井とそっくりの同級生がいた。その同級生はちょっと別格的な腕力の持ち主で暴力のかたまりみたいな男だった。中学生のときから目つきが尋常ではなかった。その同級生と対等に学校生活を送るためにずいぶん神経を使った。いったん妥協すると徹底的にやられるし、張り合えば身の危険がある。

 転校してその男と離れたときはほっとした。新しい中学では転校生として最初いじめを受けたけれど、いじめた連中は、そいつから見たらちっとも怖くないから孤軍奮闘し、ついには一目置かれるようになった。

 いまでもその同級生のことを思い出すと、気持ちがきりきりする。だからファンには申し訳ないが、松井は苦手だしあまり見たくない。

金沢へ

 明日は冬用のタイヤを夏タイヤに交換に金沢に行く。晩は金沢で若い友人たちと会食する。初めての店を予約してくれているそうで、楽しみだ。ただ天気が悪そうなので少し心配だ。この時期はしかし仕方がない。

 そのまま能登にでも行こうと思っていたら、千葉の実家へ行かなければならなくなった。母の病院の検査に付き添いで行かなければならない。前から目が回る、と訴えていたが、どうも小脳に異常がありそうだ、ということで精密検査を行う。一日ではすまず、数回に亘るらしい。状況によってはしばらく実家に滞在しなければならない。ろれつが回らず、話すのが不自由なのもそれが原因かも知れない。原因がはっきりして治療が可能ならよいのだが・・・。

 実家でもブログは出来るが、映画を観るのは不自由だ。暇なときはひたすら読書をすることになる。久しぶりに高橋義孝先生の本や内田百閒の本を読むことにしようと思っている。

怒りの平手打ち

 中国中央テレビによると、上海浦東空港で飛行機がなかなか離陸しないのに腹を立てた乗客が客室乗務員に暴行を働いたという。

 この乗客は女性である。飛行機は滑走路が混んでいたために待機していた。この女性乗客はその場で取り押さえられ、5日間の拘留処分を受けた。

 滑走路が混んでいたら、どう文句をつけたところで飛行機は飛び立てない。こんなことも分からない自己中心的な女性だ、とは思う。中国では乗客がこのような暴行をしたり、集団で騒ぎ立てるという事件がしばしばニュースになる。民度が低いなあ、と思うが、他にも理由があるのかも知れない。

 中国の空港に行けば誰でも経験するけれど、とにかく案内が不十分で遅れていても何がどうなっているのか、その理由がさっぱり分からないことがある。窓口をいつまでも開けなかったり、だらだらとしているうえに仲間どおしでお喋りをしていることも多い。昔からみたらだいぶましとは云え、ヘンなのに当たると腹が立つことになる。

 たぶんこの暴行を働いた女性も何かの都合で急いでいたのだろう。だから何がどうなっているのか質問したに違いない。それに対して木で鼻をくくったような返事をされたら気の短い人ならカッとするだろう。もちろん手を出すのは論外だが、余程のことだったのかも知れない。

鳥インフルエンザ

 上海で「H7N9型」の鳥インフルエンザに感染した患者三人が確認され、うち二人が死亡、一人が重体だという。この型の鳥インフルエンザの人間への感染は今まで例がないそうで、しかも人から人への感染が強く疑われている。

 この事実だけでも衝撃なのだが、この事実が発表されたのが昨日の31日、二人が死亡したのは三月の上旬で、発表は20日以上遅れた。今月15日に三人目の女性の感染が確認され、重体になったことで事態を重く観て発表したとみられる。SARSのときのような隠蔽の意図があったわけではない、と当局とマスコミは強調している。

 2月に貴州省で男女二人の鳥インフルエンザの患者が発生している。そのニュースはこのブログでも取り上げたが、重篤である、とあったのにその後何の発表もない。この二人は鳥との接触が全くなかったことが調べで分かっているので、人から人に感染した可能性が高い。ただし今回の「H7N9型」ではなく、「H5N1型」だと報じられていた。

 これらに因果関係があるのだろうか。人から人への感染が今までなくて、今回のようなことが続けて発生したのはウィルスに何らかの変異が生じている可能性があるのではないだろうか。

 インフルエンザの発生元は中国の香港だという説がある。そしてインフルエンザそのものが鳥や豚などのインフルエンザウィルスが変異して人間に感染するようになったという可能性があるらしい。

 今後このニュースは注意してみる必要がある。まさかパンデミックにならなければ良いが。

嶋中労「座右の山本夏彦」(中公新書ラクレ)

 山本夏彦の文章は、分からないひとには何度読んでも言いたいことがさっぱり分からないが、分かる人には瞬時に分かる。山本夏彦が大好き、という変わり者がいて、なかでも心酔している一人が元編集者でフリーライターの嶋中労である。

 最初に簡単な山本夏彦の紹介がなされ、続いて本分として見開き二頁に一つ、山本夏彦の警句をあげてさらにその文章を引用しながら著者の考えを述べていく。

 山本夏彦の入門書だが、この本も山本夏彦好きの人だけに売れてたぶん初心者に読まれることは少ないのではないか。しかしこの世は広いから変わり者というのはそれなりの数がいる。

 いくつか取り上げられている警句を紹介する。

「ひとたび出来てしまったことは、出来ない昔にもどれない」

「論より証拠と言うより、証拠より論の時代なのである」

「人前で立派なことを言う人なら、たいていうそつきである」

「先方からおしかけてくる芸に、ろくなものはない」
   

「職業に貴賎なしというがうそである」

「話し合いという言葉を、私はきらいだというよりむしろ憎んでいる」

「他を非難ばかりしていると、婦人の人相は変わる。あれは人の顔ではない」

「男が助平なら女も助平に決まっている」

「生きがいは自分と他人を区別することによって生じる。他が低いことによって生じる」

「未熟な子供のなぜはなぜでない」

「ただ生きているだけなら自分にも他人にも迷惑である」

「我が国の悪口を言っている教科書なら、それは悪いに決まっている」

「本を読むということは、死んだ人と話すことである」

「私は国民のケチなのに驚いている」

キリがないので最後に
「人間というものはいやなものだなあ」。

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