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2013年10月

2013年10月31日 (木)

和田竜「村上海賊の娘」上巻、下巻(新潮社)

 和田竜の小説、「のぼうの城」でその痛快さを思い切り楽しんだが、この「村上海賊の娘」はそれに勝るとも劣らない痛快な話だ。上下巻併せて千ページ近いけれど、昨日と今日とで一気に読了した。それだけおもしろい。

 瀬戸内海に拠点を置く村上水軍はしばしば物語の中に登場するが、戦国時代末期のその姿を初めて詳しく知った。巻末にも述べられているが、この物語で語られている大坂本願寺と信長との戦いの中の木津川の合戦のあと、水軍は衰退し、霧消していく。

 大坂本願寺の支援要請を受けた毛利家は村上水軍を味方に引き入れて、周りを織田勢に取り囲まれて兵糧攻めにされている大坂本願寺の救援に向かう。迎え撃つのは泉州の水軍。水軍というよりもともに海賊といった方がいい荒くれ男どもである。

 その村上水軍は三島(さんとう)村上と言って能島村上、来島村上、因島村上の三家であった。そして主人公は能島村上家の姫君である景(きょう)という女性である。当時の基準としては桁外れの女性で、そのために悍婦で醜女と見なされていた。男勝りでなりふり構わず、腕力でも男に引けをとらない。

 描写されるその姿はすさまじいが、それが次第に魅力的なものに感じられてくる。目鼻立ちがはっきりしてスラリとした姿態は現代なら美女である。

 その彼女がある已むに已まれぬ思いから堺を目指して出奔することで織田方、大坂本願寺方の双方と関わりを持つことになる。そしてすさまじい戦いを目の当たりにした中で、自分の甘さと自分が女であることを痛烈に思い知らされ、逃げ帰ることになる。

 それが前半である。そこから一皮むけて再生した景がふたたび水軍どおしの激烈な戦いの中に身を投じ、燃焼し尽くす後半は本を手放せなくなってしまう。 

 一癖も二癖もある男たちや想像を絶する怪物のような男が戦いの場では生き生きとしてとても魅力的な人物に変貌する。それぞれが映像的に、そして実感をもってイメージづけられる。

 男は戦いが好きなのかもしれない。いや、好きに違いない。そのように生まれついているのだ。戦いはないにこしたことはないが、避けるわけにはいかない、いざというときがしばしば人生にもある。そのときの血の高まりというのは快感でもある。

 この本ではそのような血のたぎりを思い切り堪能させてくれる。

貧富の差が拡大する

 アメリカのビジネスウィーク誌は「アベノミクスの影響で日本の貧富の差はより拡大するだろう」という記事を掲載した。

 景気の停滞、低落から回復へ転換するための政策がアベノミクスだろう。経済が回復するときには最初にまず高所得者がその恩恵を受け、低所得者にその恩恵が及ぶのは一番最後になる。良いとか悪いとかという問題ではなく冷厳な事実だ。

 そもそも今までこの世界でみんなが平等に貧しい、という国はあったけれど、みんなが平等に金持ちの国などあったためしはない。

 国家が利害の異なる人々の集まりである以上どんな政策にも問題点は必ずある。不平等や格差を厳しく糾弾する人々がしばしばアベノミクスを全面否定するけれど今までの沈滞して閉塞していた「失われた二十年」のままの方が良かったと思う人は少数だろう。

 私から見ても民主党政権時代と比べて日本は明るくなったし、自信も少しだけ取り戻しつつあるように見える。アベノミクスが奏功するかどうかはこれからの結果で判断するしかないが、全く出口が見えなかったときよりは曙光が差していることだけでもアベノミクスは評価していいと思う。

 当然のことだが、問題は富の再配分をどうするかであろう。その点についての可能な施策を提言することが政治の要諦だろう。

 アメリカの共和党の一部、ティーパーティなどがすべてが「自己責任」という主張をして、小さな政府、つまり政府の介入は極小にすべしとしていたが、これはまさに「富の再配分など全く必要がない」という主張そのものなのだと思う。

 金持ちは自分の努力で金持ちになったのだからそこから高い税金を取るなどもってのほか、貧乏人は自分のせいで貧乏なのだから努力して這い上がれ、それを救う必要などない、というのがその主張に聞こえる。それはそのままアメリカに集まる富はアメリカが独占すれば良いので、アメリカは海外にかかずらわって役割を果たす必要などない、と言いたいのだろう。極端な資本主義思想と言うべきか。

 その対極が共産主義で、結果の全員平等を理想とするものだろう。だから中国民衆の一部にはあの文化大革命時代に全員が貧しかったことを懐かしみ、毛沢東の肖像を掲げて反日デモをする人々がいるのだ。

 話を戻せば、経済が伸長するときには金持ちから恩恵を受ける。貧しい人が最後になるから貧富の差は拡大する。そのことをしたり顔で記事として掲載し、あたかもその点こそがアベノミクスの問題であるかのように言うことにどのような意図があるのだろうか。

 当たり前のことをまことしやかに言うのは、ただ単に日本の景気が回復しそうなことをねたみ、こき下ろしたいためだけの言説ではないか。

ターゲット変更

 韓国のエンターテインメント会社が韓流のターゲットを日本から中国に転換しようとしている。

 円安により韓流の主力市場である日本では収益が減少して行くとみており、業績が好調で今後さらに拡大が期待できる中国市場へターゲットを転換しようというのだ。

 衛星放送ばかりでなく、民放やNHKまでもが韓流ドラマを放映している。中にはおもしろいものもあるが、とにかく回数が多くてドラマ展開に無理筋が多く、見続けるのは骨が折れる。熱心に見ているのは忍耐強く、なおかつ時間がふんだんに余っている人だろう。

 元々昼のメロドラマの代わりに安価な韓流ドラマが放映されたのがはじまりではないか。最近の視聴率はどうなのか。CM料をとるためだけに放送時間を埋めるようなことばかりしているとますますテレビ離れする人が増えるのではないだろうか。

 幸い中国には日本の10倍の人口がいて、暇な人もそれなりに数多くいるから日本よりずっと視聴者を獲得することが出来る。中国人も荒唐無稽な反日ドラマよりも韓流ドラマの方を楽しんでくれるかもしれない。そして中国の意向に迎合してドラマの中でも反日的なシーンを増やすかもしれない。そうするとますます日本には売りにくくなるだろう。そのときには、日本の放送局は多少高くてもできのいい欧米のドラマを放映すればテレビ離れも食い止められるのではないだろうか。

 日本の韓流ブームが去れば韓国へ旅行に出かける人もさらに減ることだろう。韓国に親和性を感じる人がそれだけ減っていくことになる。これは韓国自らが招いていることでもあるが、これが間違っていた、と感じてもらえるためには日本も経済を立て直して魅力ある国になってほしいものだ。

 韓国は国を挙げて中国になびいているように見える。互いに海外から厳しい目で見られることの多い国だ。仲良くしたらよろしい。それにつけても日本にそこまでなびいてくれる国がないのは寂しくないこともない。がんばれ日本。

2013年10月30日 (水)

働くのが当たり前

 老母の面倒を見てくれている弟のところ(つまり実家)へ来ている。老母の衰えを目の当たりにするのはつらいが、いかんともなしがたい。

 弟も来年が60歳で定年だが、延長して働くようだ。ついこの間まで、辞める、といっていたし、本音は元気なうちに楽しみたいことがいろいろあるようだが、世の中は元気なうちは働くのが当たり前、が定着しだしたということらしい。

 それはいいことなのかどうか。いろいろ考えさせてくれる。私は楽しむのが当たり前、と思っているし、蓄えたものを使い切って世の中から上手に退場出来たらこれほど幸せなことはない、と考えている。

 先ほどまでそんな話をしながらおいしい酒を飲んだ。兄弟でもこれから先、何回こんな機会があることだろう、などと考えた。

医師への信頼

 中国では医療機関内で暴力事件が頻発しているという。中国国家衛生・計画出産委員会の統計では2012年に暴行を受けて死亡した医療関係者は7人、負傷者も28人に上る。加害者は診療や治療に不満を持った患者やその家族だという。

 当局は事態を重く見て、公安部と協議、医療機関の安全対策システムを強化するよう指導していくそうだ。

 メディアの報道では中国の医療機関は診療費が高い一方で十分な医療サービスが受けられなかったり、医療関係者の態度に問題があるのが原因だと分析している。

 日本でも医師の手術結果が期待通りでなかったとして医師を恨んで加害行動に出るという事件が時々ある。

 医師も万能ではない。治療すればどんな病気でも必ず直るというものではない。それが期待通りではなかったと言って恨む人というのは、ある意味では医者に対して深い信頼を寄せている人だと言うことなのだろう。その信頼を裏切られた、といって怒っているに違いない。犯人はそれだけたやすく他人を信頼するいい人たちなのかもしれない。

 それとも金を払ったら絶対に直すべきだ、と思い込んでいるのか。医療機関側もその防衛のためか、手術でもしようものなら簡単なものでも何枚も書類を書かされて煩わしいことこの上ない。

 患者は医師を信頼し、病院は医師が失敗する可能性を前提としている。

男女平等ランキング

 世界経済フォーラムの調査による男女平等ランキングで、日本は調査を行った136国中の105位であった。

 上位ランキングは北欧諸国が多く、大国ではドイツが10位、イギリスが18位、アメリカが23位、フランスが45位の結果だった。

 この結果は、私の実感では意外ではない。

 ただし、日本では女性の方がずっと上位で、男女平等ではない、という意味で(なんだか日本の女性に袋だたきに遭いそうだが)。

かわいそうなバカ息子

 みのもんたが、窃盗の容疑で逮捕された息子を繰り返し「バカ息子」と呼んでいた。息子を訪ねたけれども息子の謝罪に対して無言で帰ってきた、と言っていた。

 この世の不正を舌鋒鋭く断罪することで(私から見れば)巨額の報酬を受けてきたのに、自分の息子が断罪されるようなことをしでかしたからそのようなパフォーマンスはとりにくくなってしまった。メディアとしても使いにくいだろう。

 社会的地位も収入も大きく損なわれてしまったと言っていい。

 どうも「バカ息子!」という言葉には自分の立場の失墜をもたらした息子に対する恨み辛みがこもっているように見える。だから息子の謝罪に対しても言葉をかけなかったのではないか。

 もちろん世間に対してのパフォーマンスとしてあえて息子を罵倒したのかもしれない。

 しかし子供にとって孤立無援の状況の中、唯一すがる存在が親だろう。その親に切って捨てられたように見えるこの息子が哀れなような気もする。なまじ親が有名人だと、いいこともたくさんあったかもしれないけれど、究極的には不幸なことのようだ。

2013年10月29日 (火)

内田百閒「鶴」(旺文社文庫)

 表題の「鶴」は三頁足らずの短文。細部が異様にクリアに詳細に描かれて、かえって現実を超越した不気味な、そして幻想的な雰囲気がある。これが内田百閒の文章の特徴でもある。

 この本にはその特徴のある、研ぎ澄まされた、そして不思議な文章がふんだんに盛り込まれている。 

 独自の感性で、しかも自分の感性に忠実な内田百閒は、当然他人に迎合することに対して極めて潔癖だった。だから時に人と相容れず、無用の摩擦を起こし、人生を生きにくく暮らしていた。

 そのことがさらに彼の感受性を研ぎ澄ませることにつながったのだろう。夏目漱石門下として兄弟弟子の芥川龍之介と似ているところもあるが、狷介さでは芥川龍之介より上だったろう。芥川龍之介の方が遙かに世渡りがうまかった。

 この本の中に収録されている「漱石先生臨終記」に内田百閒の感情が珍しくあからさまに、手放しで書かれていて、漱石に対しての百閒の強い想いがうかがえる。

 恥ずかしがり屋で人見知りが激しく、それなのに我(が)が人一倍強い。そしてそれを違う自分がもてあまし気味に見ている。誰にも多少はあるが、彼の場合は極端にデフォルメされていることで不思議なユーモアになっているのだ。

 中島敦の「山月記」では李徴を「尊大なる羞恥心」と性格づけていたが、それを思い出した。内田百閒は虎にならなかったが・・・(いや、人間の姿をした虎だったかもしれない)。

べからず集

 中国の国家旅游局が海外へ渡航する中国人旅行客向けのオフィシャルマナーブックを作成した。「礼儀正しい旅行の案内」と題されたガイドブックには具体的な注意事項が列記されている。

 「痰をやたらに吐かない、ゴミをポイ捨てしない」
 「禁煙場所では喫煙しない」
 「ホテルの備品を壊さない」
 「どこにでも大小便をしたり、鼻くそをほじったり、歯くそをとったりしない」

 中国人以外は言われなくても決してすることのないことばかりだ。わざわざ注意しないといけないことにちょっと驚かされる。

 「日本では食事中に自分の衣服を着替えたり、手で髪を直したりしない」
 日本に限らずどこでもそうだろう。

 「ハンガリーではガラスや鏡を割ってはならない。不吉なこととされているから」
 ガラスや鏡を割った例があるのだろう。

 「ネパールでは現地人の者に足で触ってはならない」
 足で人のものに触る人など中国人しかいないだろうな。

 「スペインでは女性がイヤリングをしなくてはならず、そうでなければ服を着ていないのと同様に見なされる」
 本当だろうか。

 「スコットランドでは石で作られた記念品を買ってはならない」
 ではなぜ売っているのだろう。

 このガイドブックを書いたひとは多分海外にあまり言ったことがないに違いない。

 中国の観光客も少しずつ良くなっていくことだろうが、自分が正しくて相手が間違っている、と言い張ることの多い国民性だから、日本人よりはマナーを身につけるのに時間がかかりそうだ。

誤表示か偽装か

 有名ホテルが、レストランの料理のメニューに書かれた食材と実際の食材が異なっていたことについて糾弾されている。

 専門家によると、偽装だということになると刑事罰になるらしく、「誤表示」などという通常使われることのない言葉を持ち出して偽装ではないと弁明している。

 昨晩の社長の緊急会見(!)では「偽装の意図は全くないが、お客様にとっては偽装ととられても仕方がない」と答えている。

 お客様にとって偽装したことがまさに「偽装」なのだから偽装を認めたということに違いなく、ただ社員に対する刑事罰は勘弁して欲しい、と言うことなのだろう。

 後は法律的な解釈にゆだねればいいことだ。すでに社会的な制裁は充分に受けているし、これからさらにこの結果による苦難を受け続けるだろう。

 それにつけてもこのような問題が起きたときの記者たちやテレビのコメンテーターたちの異常なしつこさにはうんざりする。正義の味方を自ら任じてはしゃいでいるとしか思えない。そちらの方にうんざりする。

 問題はこのようなズルをすることがこの世にまかり通っているということだ。分からなければそれが通用してしまう。分からなくても決してそのようなことをしないというのが有名ホテルの信用というものだろう。

 その信用を支えていたのが料理のプロたちや経営者の見識であり、プライドである。そしてそれ以上に目利き(味利き)の客だった。それが劣化している。

 これは日本社会の劣化の象徴ではないだろうか。メディアのコメンテーターが語るべきことはそのことであり、料理の食材の細部を知ったかぶりしてあげつらうことでは無いのではないか、などとえらそうに考えている。

 そうか、メディアの劣化とは社会の劣化の反映だから当たり前か。

2013年10月28日 (月)

玉入れ

 運動会の玉入れの話である。

 玉入れは「始め」の合図で始めて、「終わり」の合図で終了する。誰もが知っているルールである。

 たまたま投げる動作に入ろうとしていたから「終わり」の合図を二三秒オーバーしたあとに玉が投げられるのはご愛敬だ。

 それが五秒も十秒も過ぎているのにうれしそうに投げ続ける子供がいる。放って措いたらそれにつられてさらに投げる子供が出てきたりする。「終わり」の合図を無視できるのならルールのないゲームになってしまって競技にならない。

 たかが子供の玉入れの話だけれど、このようにルールに鈍感だったり、些細なことだから、と無視したりする人が増えてくると、世の中はちょっとくらいズルをしないと損してしまう、と考える人がはびこり出す。

 何となく不快な気分になって、ちっとも小ずるそうな顔をしていない二人ほどいたその子供の顔をじっと見つめてしまった(気づかれたらこわがられたかもしれない)。親の顔までは探さなかったけれど。

黒田勝弘「韓国 反日感情の正体」(角川oneテーマ21)

 世界一反日で、しかも世界一親日の国「韓国」の、その反日の理由がわかりやすく、しかも納得できるように書かれている。同様のことを書いた本はいくつか読んである程度理解していたつもりだが、この本でほぼ得心した。

 著者は30年以上韓国のソウルに駐在している産経新聞のソウル支局長で論説委員。産経新聞は韓国や中国では時に極右と言われて激しい非難を浴びることがしばしばあるが、著者はその矢面に立ちながらマスコミの取材を受け、言うべきことを言い続けてきた。

 時に理不尽な攻撃を受けながら、著者はそれをおもしろがっている。自分でも認めているように心から韓国が好きなのだ。

 韓国のマスコミの狂気に近い反日プロパガンダはとても受け入れがたいが、では反日で日本人が傷つけられたり、日本企業が襲撃を受けたりしているか、と言うと個別に例外的なものはあるものの、中国のようなあんな暴動は確かに全く無いのだ。

 韓国メディアのあの報道で韓国国民がエキサイトしているのであれば、韓国で日本人が危害を加えられるようなことがそこら中で起こってもおかしくないのだがそんなことはない。多分観光に出かけても多少不愉快なことに出くわすことがあるかもしれないが、たいていの韓国人はお節介なくらい親切なはずだ。

 では韓国の反日とは何か。それはこの本を読んでもらいたい。まとめてしまうと著者の意図をうまく伝えられないような気がする。

 韓国は「ハン」の国だと言われる。ハンとは「恨」のことで日本人は単純に恨むことと受け取るが(わたしもそう理解していた)、著者によれば恨みの心に+αがあり、それは「夢や希望、期待・・・など、本来そうありたい、そうあるべき、そういうはずだったと思ってきた自分の思いが、いろいろな事情でかなわなかったことから生じる、やるせない気持ち」が込められているのだという。

 韓国は日本の太平洋戦争の敗戦により、結果的に独立出来た。自分の力で日本の植民地から独立したのではない。しかし彼らは自らの力で独立したかった、と言う強い思いを抱いている。韓国の異常とも思える「竹島問題」をめぐるケンカ腰は「対日疑似独立戦争」としての「独島戦争」へのあこがれであり、幻想なのだ。日本が何も物理的行動を起こしていないのに先日も警察と軍隊共同で、日本が侵攻してきた場合の撃退訓練を行っていた。韓国は観念で独立戦争としての日韓開戦を望んでいる。あくまで観念だけだけれど。

 慰安婦問題についても元慰安婦たちを「対日協力者」ではなく「抗日独立運動の闘士」としてよみがえらせ、彼女たちの「ハン」を「浄化」しているのだ。

 韓国の異常なスポーツナショナリズムや「ウリジナル」も根底には「ハン」をハラスという行為なのだと著者はいう。

 韓国のいう「歴史認識」とはあくまで彼らの観念の世界での歴史認識で、事実とは異なる。そしてその観念の歴史認識で歴史そのものをさかのぼって書き換えようという、むなしい主張を繰り返しているのが韓国という国のようだ。それに迎合する必要は全く無い。それこそ彼らの非難する歴史歪曲そのものだからだ。

 何となく韓国という国は哀しい国だと思う。もう戦後70年近く経ったのだ、もういいではないか。仲良くしようよ。

2013年10月27日 (日)

二階堂善弘「中国の神さま」(平凡社新書)

 大学で中国史の講座を受講した。単位は試験ではなくレポート提出で、自分で選んだテーマが中国の神話だった。そのときの種本がいまも大事にしている武内義雄の「中国思想史」だ。思想時代に入る前の神話の部分をベースにレポートを作成した。だからこの「中国の神さま」と言う題には心惹かれた。

 と言いながら、購入して10年近く、読んだつもりで棚に並んでいたままだった。ちょっと調べたいものがあってこの本を開いたら、読んでいなかったことに気がついてすぐ読んだ。

 著者が後書きで書いている。

 「本書では、意識してこれまでの一般的な『中国の神』の紹介とはやり方を変えている面もあります。」  「本書では盤古、伏羲、女媧、蒼頡といった古代の神々についてほとんど触れていません。」

 日本の本では「中国の神」と言えばまずこの辺から書かれているし、それが想定されるが、この本が紹介して説明しているのは中国や台湾で見かけるいろいろな廟に祀られている神である。つまり民間信仰されている神々で、私が知りたいと思ったのもまさにそれである。

 道教の道院ばかりか仏教の寺にさえいろいろな民間信仰の神々が祀られ、熱心に拝んでいる人々を見かける。しかしそれがどんな神でどんないわれがあるのか、中国人にとって常識らしいのに全くいままで知ることがなかった。

 「西遊記」や「封神演義」が漫画などで取り上げられて中国の天界の神々がたくさん登場する。若い人の方がいろいろ名前を知っているかもしれない。この神々と廟に祀られている神に共通するものや関係するものが数多いのだ。もちろん関帝廟の関羽や媽祖廟の媽祖など、そのような物語に登場しないが、有名なのでそこら中に廟があるものもある。

 そのような神々の名前とその由来などを特に代表的なものだけこの本では紹介している。知っているのと全く知らないのではこのような廟を見たときの値打ちがまるで違う。次に行くときには携えていこうと思う。しかしその神様の数の多いこと、しかも名前のややこしいこと、頭が混乱してくる。

 先ほど運動会も無事終了。少しだけだけれど走り回ったので腰が痛くなった。我ながらこの軟弱な身体が情けない。けれどもそれなりに楽しめた。運動会で感じたいいろいろな風景を語りたいけれど、次にする。

 周さん、コメントありがとう。かっこいいけどひとまわりデカイのです。駐車場に入れるのに神経を使うし、多分隣の人はむかついているかもしれない。隣にデカイ車があると腹が立つものです。スムーズにスピードは出るけれど、出しません。ところでこの車、走った後にその走り方の評価が出るのです。昨日100キロほどドライブした後の評価は「ベリーグッド」でありました(エヘン)。満タンだと1000キロくらい走れるかもしれない。ほとんどハイブリッド並みです。明日もちょっと走ってみよう。

旅の相棒

かんちゃん、コメントありがとう。

 旅の相棒は新型のアテンザです。前より一回り大きいのでいままでみたいに狭い峠道は走るのが難しくなります。ただ意地になってつけなかったカーナビを今回は装備したのでバックはし易くなりました。

 前回の事故で点数も付いているので、無事故無違反に努めないといけないと思っています。心配かけて済みません。

 本日はマンションの運動会。準備の担当を拝命しているので早めに会場となっている近くの小学校に集合しなくてはならない。さいわい天気もいいので集まりもいいことだろう。

 晩には娘のドン姫も来て鍋をする予定。何鍋にしようかな。

非を認めない

 先月、柏レイソルが広州恒大という中国のサッカーチームに完敗したというニュースを耳にしたが、広州恒大と言うから広州にある大学のサッカーチームだと思っていた。

 今回ソウルでFCソウルと戦ったニュースで、初めてこのチームが中国のスーパーリーグに属するクラブチームであり、中国スーパーリーグで3連覇している強豪チームであることを知った。

 昨日の試合は2-2のドローだった。今度は広州で第二戦が行われるという。

 問題は試合ではなく、25日に広州恒大のリッピ監督が行った記者会見の話だ。チームがソウルに着いたところ用意されていた事前練習の場所が使えず、選手はやむなくホテル内の廊下を走る練習しか出来なかったというのだ。リッピ監督は「30年間監督をしてきたがこんな仕打ちを受けたことは初めてだ」と怒りをあらわにした。

 韓国ならやりそうなことだと思っていたら、韓国側から反論があった。練習場は用意していたが、夜間照明設備がないので早めに来て昼間練習するよう事前に連絡していた。彼らが来るのが遅くなったから練習できなかったのだ、そうだ。

 韓国側はそれでも何とか夜間照明設備のある練習場を必死で探したけれど確保できなかった、と言い訳している。しかしリッピ監督は事前に夜間照明の設備のある練習場を要請していたらしく、韓国の言い訳は見苦しい(本当に夜間設備のある練習場が確保できなかったのだろうか、まさか!と思う)。

 韓国ではリッピ監督のこの記者会見が非礼であるとして反発が激しかったようだが、試合は平穏に終わったようでめでたいことである。

 韓国は騒げば騒ぐほど国際的にも無様な姿をさらすことになるなるだろう。いつものことだが。

 これが日本のチームの監督の言葉だったら試合会場で何が飛んできたか分からない。

 自分に非があっても決して認めないのに、相手に果てしなく謝罪を要求する国とはどんな国なのだろう。

2013年10月26日 (土)

思っていたよりうれしい

 事故以来、三ヶ月断車(車断ち)していたが、本日めでたく新車を受け取り、その足で久方ぶりのドライブに出かけた。

 正直なところドライブに対する熱気も冷めて、新車の購入に迷いもあったのだけれど、いざ走り始めたら胸がドキドキして心地よい興奮状態になった。

 台風一過、空は青空で風はさわやか、快適なことこの上ない。このままどこまでも走りたかったが、用事もあるので二時間ほど走った後帰宅。

 ドライブがこんなに楽しいものだとは。それを感じることが出来て思っていたよりうれしい。

 さあ、またあちこち走り回るぞ!運転には細心の注意を怠らないようにするつもりだ。あたりまえだけど。

椎名誠「さらば新宿赤マント」(文藝春秋)

 「週刊文春」に23年間連載されていた椎名誠のエッセイがついに終了した。もうすぐ70歳を迎えようとしている(!)椎名誠が、あまりにも多くの連載を抱えている現状から一部撤収を計っているのだろう。自ら粗製濫造、と言っているけれど、このスタイルは椎名誠のものでそんなことはない。それでも内容があまりに意に染まないものになるおそれがあれば一部撤収は当然のことだ。

 年をとると瞬間的なパフォーマンス力が低下するのは哀しいことだがしかたがない。椎名誠がパフォーマンスで書いているとは言わないが。

 この本はほとんど二冊分のボリュームがある。二分冊にするにはやや足りないので思い切って一冊にしたのだろう。値段は少々高いだけなので読者としてはとてもうれしい。

 体力的には若いときに鍛え倒し、いまも鍛錬を怠らないから、ほとんど衰えていないけれど、精神の強靱さはいささか衰えたかもしれない。だがそれはいろいろなことへ繊細に感じる心につながっていることでもあるのではないか。つまり闘争的だったのが優しくなったと言うことだ。繊細さ、と言うか弱さのように見えるものは過去を振り返り、思い出を懐かしむ文章が多くなったことからうかがえる。

 いつも同じ引用で済まないが

    ふるさとへ廻る六部は気の弱り

 同じような年齢の友人ばかりではなく、年の若い友人たちがいつも周りにいる。ひとりで居る夜は寂しいが、友に会う時には大いに楽しめる。

 理想的な初老の男の生き様を感じさせてくれる。うらやましいぜぇ。

映画「HELL」2011年ドイツ・スイス合作

 監督ティム・フェームバウム、出演ハンナー・ヘルシュブルンク、ラース・アイディンガー、スタイプ・エルツェッグ、アンゲラ・ビンクラー。

 近未来のサバイバル映画というところか。平均気温が突然4年間で10℃も上昇し、世界は崩壊した。太陽は殺人的にぎらつき、素肌で炎天下にいると短時間にひどいやけどをしてしまう。画面は建物の中以外の外界を映すときは超ハイキーでほとんどハレーション寸前にしてその過酷さを表している。以下の文章には少しストーリーを書き込みすぎているところがあるので見るつもりのひとは承知して欲しい。

 当座の食料と水や荷物を積んだ車に、ひとりの男と姉妹が乗って山へ向かっている。会話から、男の車に姉妹が拾われて、ともに水があると思われる山間部を目指していることが分かる。姉は成人しているが妹はまだ少女だ。その車のガソリンももうすぐ尽きようとしている。

 窓外には全く人影がない。地面は乾ききって風に砂埃が舞うばかりだ。ガソリンスタンドに立ち寄るがもちろん荒れ果てて誰の姿もなく、タンクの底にひとすくいの燃料をかろうじて取ることが出来ただけだった。そこで彼らはひとりの男に襲われる。襲った男も生きるのに必死の行為で悪人ではなく、彼はわずかだがガソリンを持っていると言い、それを提供することで彼も同行することになる。

 やがて車は峠にさしかかると、そこに車を止めるガードが立ちはだかっている。それを必死で取り除こうとする四人。ようやくそれに成功した後、崖下に別の車が転落していることに気づく。食料やガソリンがあるかもしれない。姉と男たちが崖下に降りると、予想どおりタンクに多くのガソリンがあった。それをとるのに夢中になっていたとき、車に残してきた妹の悲鳴が聞こえる。

 駆け戻ったけれど車も妹の姿もない。実はこれは罠だったのだ。妹はもちろん、車を取り戻さなければならない。  

 探し続けてようやく山中に立ち上る煙を頼りに、とらわれている人々と怪しい男たちを発見する。策を講じて男たちを引き離し、車を奪い返すことに成功するのだが、妹を救うことは出来ず、男のひとりも捕らわれてしまう。しかも逃げることに成功した姉と行動を共にした男は、足を負傷してしまう。男はこのまま逃げようとするが姉は妹の救出に向かう。

 男は足の負傷が悪化してついに身動きがとれなくなり、ひとりでさらに歩き回った姉が疲労困憊した末にたどり着いた教会で意識を失って倒れていると、それを助けたのが初老の女性であった。水も食料もあるから家に来いという。残してきた男の居場所を告げて救出を頼み、彼女に従う。

 家にともなわれ、久しぶりにベッドでぐっすり眠った彼女が、目覚めてから遮蔽された窓の隙間から目にしたものは・・・。

 ここから題名の「HELL」の意味が明らかになるシーンが続くのだが、バイオレンス映画ではないので、あからさまな残虐シーンはない。想像すればおぞましい話なのだが、それに気づかないと、単に妹の救出成功までの物語でしかない。

 ラストに恐怖のどんでん返しは・・・ないのでご安心を。

 ちょっと評価の難しい映画だった。

2013年10月25日 (金)

映画「アリラン」2011年・韓国映画

 監督・脚本・主演キム・ギドク。

 正直途中で何度も見るのをやめようと思った。それを最後まで見たのは、いまに何かある、と思わせ続けた監督の力業だろう。

 キム・ギドク自身がラストに「自分が医者と患者の両方を演じた」「自分にとっていちばんつらい時期にこの映画を撮ることで自分を癒やすことが出来た」「あなたもつらいことがあったらこうして癒やしたらどうか」と語りかける。

 映画に登場するのはキム・ギドクのみ。山に近い一軒家にこもり、部屋の中のストーブの前にテントを設営して、ひとりで暮らしている様子を自分で撮影していく。カメラに向かって自分の思いを語り、「アリラン」の歌を歌い、感極まって絶叫し、泣く。そしてその自分の姿を映像で眺めて自分自身をあざ笑う。

 実際にキム・ギドクは世界的にも認知されている映画監督で、ベルリン映画祭やベネツィア映画祭の監督賞などを受賞している。しかし2008年に突如映画界を去り、山ごもり生活を始めたのは実話である。映画では山にこもって三年目、と言っている。

 ドキュメンタリーということだが、ラストの部分はちょっとドラマ仕立てになっている(そこだけ一息つける)。この映画はカンヌ映画祭で「ある視点」部門の賞を取った。このあと通常の映画を撮る監督として復帰、2012年には映画「ピエタ」で、やはりベネツィア映画祭の金獅子賞を受賞している。

 彼が何に悩み、どのように克服したのか、この映画にさらけ出されているが、しかしそれも計算された演技かもしれず、何が真実か分からない。そもそも人の内面など他人には分かるはずがないのだ。堂々巡りのような映画の後、何かが分かるようになったか、といえばそんなことはなく、かえってワケが分からなくなった。

 ひとり暮らしをしている身としては、彼の山ごもり生活(特に食生活)に何となくシンクロした部分が無いことはない。

不可解な話

 もと朝鮮総連の土地と建物が競売に付され、モンゴルの企業が落札した。ところがNHKの取材によるとこの企業はモンゴル政府に登録はされているものの資本金六万円、税金の納入の記録は一切なく、登記の住所は一般の公営住宅で、住人はこの会社と無関係のようである。この会社の電話番号に直接電話すると、誰も出ない。いわゆる幽霊会社のようである。

 というようなわけで落札はしたけれども正式の契約は現在ペンディングとなっている。

 このたびこの会社の社長という人物がウランバートルで記者会見をしたらしい。この人物は朝青龍の兄の義兄であると名乗り、ちゃんとした人物だと主張している。朝青龍もその兄もモンゴルでは名士である。しかし今回の朝鮮総連の土地と建物の売買には彼らは関与していないそうだ。

 落札価格の五〇億円あまりについては「外国の投資ファンドを通じて用意する」と説明したらしい。いま現に支払う金があるのかないのか曖昧だ。多分ないのではないか。

 この総連の競売については前回鹿児島の宗教法人が落札したが、結局金が用意できなくてご破算になった。今回も同様になる可能性があり、ペンディングされているのだろう。

 しかし前回といい今回といいどうしてこんな不可解なことになるのだろう。まともな企業ではこのような曰く付きの土地建物に関わるのを敬遠するから、いかがわしい連中が登場することになるのだろうか。

 単純に嫌がらせか時間引き延ばしにも見えるが、そうすることにどのような目的があるのかが今ひとつ分からない。

観光会社への補助金

 日本からの海外旅行者は景気の回復気分に伴い増加している。さらに円安の影響で海外から日本を訪れる観光客も増えている。

 ところが中国も韓国も海外からの観光客が減少している。これは日本からの観光客が大幅に減少していることも大きいが、それだけではなく日本以外からの観光客もおしなべて減っている。

 日本では昨年の反日の様子が報じられて以来、中国旅行を敬遠するようになった。中国旅行は、日本から近いことが魅力だったが、どういうわけか近い割に他の国よりも費用が割高だった。しかも以前は観光地でゆったり出来たのに、いまは中国人の観光客の混雑と喧噪に耐えなければならない。円安と反日と観光地での煩わしさが敬遠されて中国に行きたいという人が減っているのだと思う。旅行会社のツアーも激減していることはパンフレットの棚を見れば一目瞭然だ。

 これは韓国も一緒だ。中国ほどではないが、今年第三四半期までの日本人観光客数は前年に比べ25%以上減少している。昨年まで韓国を訪れる外国人は日本人が最も多かったが今年は中国人がトップになっている。日本人の代わりに中国人が急増しているならかまわないようだが、しかし日本人が減った以上にはるかに中国人が増えているのに、全体は減少しているのだ。つまり中国人以外の外国人観光客も日本と同様減っている。

 これは反日、ウオン高、中国人観光客の殺到が影響しているのだと思う。

 韓国の観光業者は日本人の激減で経営が成り立たず、営業を継続できなくなりそうなところが出てきており、政府に救済を求めた。これに対し、韓国文化体育観光部は日本人観光客を主要顧客としている業者に援助をすることを決めたことが報じられた。

 韓国観光業協会は「観光業界が再度日本人観光客を呼び込み、国内観光業に活力を与えられるよう期待している」という。

 客を呼ぶためには客が行きたくなるようにしなければ客は来ない。

 先日友人たちとベトナムへ行ってきた。フレンドリーでしかも物価が安い。だから飲み食いに贅沢しても支払いは驚くほど安いことに感激する。しかしここにも中国観光客の急増の気配が見える。観光客が増えれば客あしらいもぞんざいになり、物価は上がり、感激は薄れていくだろう。東南アジアも今のうちかもしれない。

 中国については行く場所を選んで行くつもりは大いにあるけれど、韓国の観光協会の意に反していまのところ韓国には行きたい気がしない。

驚きのダイエット薬

 韓国メディアが報じたところによると、韓国の市場に流通している中国のダイエット薬に人肉成分が含まれていた。

 これは中国人留学生がダイエット薬や毒素を取り除くという薬のカプセルを、中国のショッピングモールサイトで購入して、インターネット上で販売していたものだ。韓国当局は密輸されたものと断じて捜査し、内容の分析を行っていた。

 分析により、人間の塩基配列と100%一致したという。つまり人肉が使用されていたと言うことだ。さらに韓国で販売が禁止されている化学物質も含まれていた。

 留学生は学費を稼ぐためにやった、といっているが、当局は組織的な背景がないかどうか調査中だ。

 それにしても中国由来の薬は何が入っているか分からない、とあらためて知らされた。個人輸入で手に入れるED薬やダイエット薬はおおかたが著名なブランド薬によく似せたにせもので、ほとんど中国製であるともいう。効果が無いことはないけれど、それよりも薬に含まれる不純物や配合されているおかしな化学薬品による副作用がこわい。

 危険な鉱物を回春薬や延命の薬として皇帝自らが服用し、かえって命を縮めてきた歴史を持つ中国のことだから怪しげなものには手を出さないに限る。

 人肉を入れる、という発想自体が日本人には想像を絶するものだ。

2013年10月24日 (木)

井波律子「水滸縦横談」(潮出版社)

 水滸伝について三つの章にまとめてある。それぞれの豪傑について性格、武器、特技、役割などが描かれた章、そして梁山泊そのものについての成り立ちとその戦いの章、最後に水滸伝そのものの魅力について考察した章である。

 一度でも水滸伝を読んだことのある人ならばこの本を楽しく読むことが出来るだろう。それぞれの豪傑たちが整理されたかたちで明快に説明されている。

 さらに水滸伝という物語のそもそもの成り立ち、そしてその背景となっている物語は何か、そして白話が語られた時代背景も説明される。
 
 水滸伝を読むと希代の豪傑たちが案外な相手に苦戦したりすることに不思議な思いをするだろう。そして梁山泊軍はついに方臘軍との戦いで多くの仲間を失い、勝利はするものの実質的には崩壊してしまう。

 官軍に帰属する、という道を選ぶ宋江に対して歯がゆい思いをしないものはないだろう。そもそも官に抵抗するという梁山泊軍の成り立ちを自ら否定することなのだから。

 宋江がこの道をとり、皆が従ったのは、伏線に伏線が積み重ねられ、豪傑たちがあざなえる縄のごとく関わり合いながら展開していくこの物語を作者が収束させるためだったのだろう、と著者は言う。

 そもそも百八人の豪傑たちは地底に封じられていた魔王たちが転生したものだ。だから再び魔王に転じ、いつの日か違うかたちで立ち現れるのかもしれない。

 水滸伝を思い出すときの虎の巻としてこの本は役に立つ。

潮匡人「司馬史観と太平洋戦争」(PHP新書)

 日清戦争から太平洋戦争までの戦争について、現代史にいささかでも興味のある人の多くが司馬史観に影響されている。NHKが「坂の上の雲」をドラマ化したことで、明治の軍人たちの日本という国を思う気持ちが多くの日本人に再認識されたことは悪いことではない。

 しかしそのことが相対的に太平洋戦争が著しく愚かな戦争であり、一方的に日本が悪い、という考え方を事実として認定することにつがってしまった。

 そもそも戦争は一国が行うものではなく、相手があり、本来はそれぞれに正義の論理がある。そして勝利したものが正義である、とされるのが古来からの歴史である。だから日本が太平洋戦争の戦争の責任を問われるのはしかたがない。正義とは常に一方的なものだ。

 しかし戦争を遂行していた当時、その責任者たちに、東京裁判で裁かれたような、そしていま断罪されているような罪の意識があったかどうかは、著者の言うように疑わしい。

 日本側から見れば、太平洋戦争が欧米列強の意図により日本を追い詰め、窮鼠猫をかむ、という状態に追い込んだことは否定出来ない歴史的事実である。私は太平洋戦争への最も大きな原因を作ったのは近衛文麿だ、と思っているが、著者も同意見のようだ。それはマスコミがあげて国民を煽り、それに無策で迎合した責任である。
 
 司馬遼太郎が、自分が陸軍の戦車隊に属して実感した日本軍の愚かしさは日本だけの、そして太平洋戦争だけのものではないことは幾百の記録や小説、映画で描かれているとおりだ。

 著者の視点はリベラルの対極にあるように見えるので、読み方によっては反発を感じるかもしれないが、最後まで著者の言い分を読み、冷静に考えてみることも意味があるのではないだろうか。

 人はいろいろな言説に影響されて自分の考えを形成していく。自分の考えだと思って語っていることも、ほとんどは誰かが言ったり書いたりしたことであることに思い当たる(もちろん私も)。

 そんなとき、大きく違和感を感じる意見にあえて耳を傾けることで、思ってもみなかった視点を獲得することが出来ることもある。

 その意見に賛同する必要はない。思い込みに自分が曇らされていないか、と懐疑するだけで世界が少し違って見えることもある。

 そういう意味でこの本は前半は違和感のために読みにくいと感じるかもしれないが、著者の意見をとりあえず聞き入れた上で後半を読むと思わぬ収穫があると思う。

 私はこの本を読んだからといって司馬史観を否定するものではない。ただ、自虐史観と司馬史観の類似性を初めて感じたし、司馬遼太郎の意図しないことだっただろうが、自虐史観の裏付けに司馬史観が利用されている面もあるらしいことに気がついた。

 いまは亡き谷沢栄一が知ったら怒るだろうけれど。

韓流の人気

 先日幕張メッセで韓流スターたちが出席する「韓流10周年大賞」の授賞式が行われた。ペ・ヨンジュンやキム・ヒョンジュンなどが出席してファンの熱烈な声援を受けたという。

 このことが韓国の朝鮮日報に取り上げられた。記事では「反韓の影響を受けず、韓流は依然として日本を席巻」していると報じた。

 韓国は「文武」で言えば「文」の国である。その「文も」合理的、現実的なものではなく観念的な「文」だという。その観念的な「文」を担ってきたのが士大夫階級だった。韓国の過去の歴史が政争に明け暮れていたのはこの士大夫たちの観念的な争いが原因だったとも言う。

 いまその士大夫はかたちを変えて政治家やジャーナリスト、教育者として韓国の言論を支配している。彼らが韓国の反日を煽っている。彼らの見る日本は現実の日本ではなく、彼らが考える観念的な「日本」だ。

 だから日本人は、韓国のマスコミがあおり、日本のマスコミが伝える、非難されている「日本」に対して首を傾げることが多い。

 今回の朝鮮日報の記事には、韓国が日本より優位にある、という優越感を強調したいという意図が見える気がする。それは日本のタレントよりも韓流タレントの方が一部の女性にとっては魅力的だ、ということについて私も否定するものではないのでかまわない。別に韓流タレントが絶大な人気を博そうが、日本が韓国に劣っていることを表す何物でもないのだから。

 しかし韓国の、士大夫階級(いまはそんなものはないけれど、そういう意識でいる人々)たちではない普通の国民はこの記事を単純に喜ぶだろう。そして韓国では日本のタレントが活躍でもしようものならマスコミに酷評されるだろうな、と感じることだろう。日本のタレントのファンであることをおおっぴらに言いにくい韓国に対して、日本はそんなことがないのだ、ということをうらやましく思うに違いない。

 問題は実はもっと深刻で、日本人は韓流タレントには反感を持たないけれど、韓国に対しては次第に不快感を感じて反韓が表に出ないかたちで深まっているだろうことだ。

 韓国の士大夫たちは韓国国民に反日を呼びかけながら、それ以上に日本国民の「反韓」意識を高めている。このことは韓国にとって百害あって一利無し、と思える。

2013年10月23日 (水)

映画「アカシアの通る道」2011年アルゼンチン・スペイン

 監督パブロ・ジョルジェーリ、出演ヘルマン・デ・シルバ、ヘーベ・デュアルテ。

 木材運搬の孤独な運転手が、上司の個人的な依頼を引き受けてパラグアイからアルゼンチンのブエノスアイレスまで若い女を乗せる。

 話に聞いていなかったのに女は赤ん坊を連れていた。

 映画はこの子連れの女をブエノスアイレスまで送り届けるまでを坦々と映していく。台詞は極端に少ない。運転手も女も道中では寡黙だ。だから互いのことは映画の最後までわずかしか分からないし説明もない。

 そのことがこの映画に緊張感を与えていて、観客である私はただひたすらわずかな会話の手がかりから推測するしかない。

 映画を見ていて思い続けた(心から心配していた)のは、このように坦々と進む映画ならどこかで思わぬ事故なりトラブルが起こるに違いない、ということだ。それが起こるのかどうか、映画を見て欲しい。

 この映画はカンヌ映画祭でカメラドールを受賞したという。運転手から見た女や赤ん坊、そしてその背後のウインドウから見えるぼやけた背景としての景色にとてもリアリティがある。特に湖や川が向こうに見えているはずなのにクリアに景色を見せずにぼやけた背景としか映さないというテクニックには唸った。

 こんな映画は劇場で公開されることはないだろう。WOWOWがあえてこれを放映してくれたことに感謝。

 エンターテインメント映画では決してないのでそれを期待して見ないように。

 あえて苦言を言えば「アカシアが通る道」というのはどういう意味だろう。アカシアは道を通ったりしない。映画を見た後でもこの題名は意味不明だ。そもそも日本語になっていないような気がする。

映画「4:44 地球最期の日」2011年アメリカ・スイス・フランス合作

 監督アベル・フェラーラ、出演ウィレム・デフォー、シャニン・リー。

 オゾン層が想像以上に薄く脆弱だったことが分かり、それが完全に破綻する日時が明らかになる。そうなるとほとんど瞬時に人類は滅亡する。それをあと14時間あまり後に迎えるという世界を、ふたりの男女の姿に託して映像化していく。

 主人公はウィレム・デフォー、若い芸術家らしき愛人と高層アパートで暮らしている。黒人の妻と愛する娘とは別れて何年かになるらしい。

 世界の日常は予想外に平穏である。電気も失われることなく、街には車が行き交って、テレビは普通に放送されている。

 なぜこうなったのか、という説明のためのビデオやこの事態に対する受け止め方などを諭すインドの賢人の言葉が繰り返し画面に現れる。

 タイムリミットは翌早朝の4:44。やがて夜がくる。平静に受け止めようとしながらも感情は波立つ。スカイプでそれぞれが自分の友達や身内と連絡することでのやりとり、許しとののしりあい、それが主人公と愛人にも激しく影響していく。主人公は諍いに嫌気して部屋を飛び出し、友人のもとを訪ねる。久しぶりの再会を口にした後、主人公は長居することなく愛人のもとへ帰り、彼女を優しく慰める。

 気がつくと空一面にはオーロラが見える。美しい、というよりも禍々しい。ふたりがあらためてすべてを受け入れて抱き合った頃、そのときがおとずれる。

 この映画は酷評されるだろう。確かに面白いところは全く無い。何のための映画なのかもわかりにくい。不条理映画と言うには芸術的な部分があまりない。

 ただ、愛人の芸術家が大きな紙に絵の具をぶちまけるようにして色を重ねながら画を描き続けるのだが、最初はアブストラクトでしかなかったその画が次第に具象的なものになっていき、その上でふたりが抱き合ってラストを迎える、というところが何となく気に入った。

 人類は絶滅が明らかにされたときに、その最期をどのように迎えるのだろうか。この年になると、私は全く問題なく平静に迎えられるような気がする。

京須偕充「圓生の録音室」(ちくま文庫)

 落語家の中では最も圓生が好きだ。これは子供の時からだ。圓生の「鹿政談」を聞いて感動したりしていた。大好きな噺だ。当時はラジオで聞いていた。

 「子は鎹」、「小言幸兵衛」、「百川」、「淀五郎」、「髪結新三」など好きな噺をあげていけば切りがない。勉強家の圓生は、ネタの多さでは斯界随一の噺家だった。わたしも「NHK落語名人選」の三遊亭円生(NHKは円生としている)の分のCDを機会あるごとに買い集めてある。さらにソニーの出している「圓生百席」のうちの一部を揃えている。

 この本には、当時ソニーに在籍していて、その「圓生百席」の企画を立てた著者が圓生に交渉に出かけるところから、すべての収録を終え、圓生の訃報を聞くまでの話が綴られている。

 三遊亭圓生は狷介で妥協を知らない人だった。曖昧なことが嫌いだから人に誤解されることが多かったが、自ら招いたことで人と不仲になることも多かったようだ。これが晩年の落語家協会との決裂を招くことになった。

 賛同してともに決裂した一門の多くの噺家も圓生について行けず、ついには圓生とその弟子たちだけが孤立する事態を招いてしまったことは知る人ぞ知る話だ。あの圓生の一番弟子「星の王子様」こと先代の円楽が苦労を重ねてついに病に倒れ、討ち死にしたのもそれが大きく影響していると思う。

 圓生が狷介であったのはその性格によるところが大きいが、人一倍苦労したのに世に受け入れられず、かなりの年齢になるまで売れなかったことも大きい。しかしその苦労と努力、精進が圓生を大きく育てた。

 その圓生の精華をこの世に留めるために著者が「圓生百席」を企画したことは、落語好きにとってはたいへんありがたいことであった。この企画がさいわい当たったことで、ほかの落語家にも機会がめぐった。しかし残念ながら圓生と並ぶ名人と言われた志ん生、文楽にはそれがないのが惜しまれる。残されているのは高座の録音から起こされた音質の悪いものばかりで、本物とはほど遠い。

 その本物とはほど遠いという意味がこの本に書かれている。スタジオ録音と高座との違いとは何か、その「違い」と圓生と著者たちは格闘した。その苦労はこの本を読むとよく分かる。

 コレクションしてあるCDを時々寝そびれた夜などに聞く。だから何回も聞いた話ばかりなのだが、唯一「通し」で聞いていない話がある。それが「真景累ヶ淵」だ。全八話で構成されていてCD八枚に及ぶ。この第四話までしかまだ聞いていない。残りは怖くて聞けないのだ。

 この話を録音することが特に著者の願いでもあった。圓生はあの明治の名人、三遊亭圓朝の孫筋に当たる。圓朝の残した多くの噺のうち、この「真景累ヶ淵」を得意としていた圓生でも、全編を連続したものとして語ったことはなかっただろう。スタジオ録音だから出来たことだ。

 さてその精魂込めたこの噺をわたしは死ぬまでに聞けるだろうか。本当にわたしは恐がりなので。

2013年10月22日 (火)

どうしたリュック・ベッソン

 本日はリュック・ベッソンの「ノーリミット」全六話を一気に見た。一話正味一時間。計六時間。正直言って期待外れ。こういう連続していくドラマの場合、サイドストーリーが必ずあるのだが、この「ノーリミット」のサイドストーリーは陳腐でだらだらしていて全体をぶちこわしにしている。

 フランスの秘密情報機関が舞台なのだが、主人公は元軍の特殊工作員。能力は極めて高いのだが脳腫瘍により半年の命と宣告されている。延命のための実験的な治療を受ける代わりにこの情報機関で命がけの任務をこなす、という設定になっている・・・のだが。

 ほとんど現場で働いているのは主人公だけでフォローがほとんどない。007ではあるまいし、この組織、どう見てもへんてこである。いままで見てきたアメリカドラマやイギリスドラマと比べると台詞のテンポも遅いし間も悪くていらいらする。おそらく脚本がお粗末なのだろう。

 要するにリアリティに欠けるのだ。六話が終了した時点で一応完結したが、次のシーズンにつながるらしきものがラストに予告されている。だけど続編が放映されても見る気が起きない。残念なドラマであった。

 どうしたリュック・ベッソン。

ドラマ三昧

 ハノイ旅行の前に続き、ハノイ旅行から帰ったあともドラマ三昧の日々が続いている。「ボディ・オブ・プルーフ」第三シーズン・全13話、「ストライクバック 極秘ミッション」全10話を一気に見た。

 「ボディ・オブ・プルーフ」は第二シーズンの衝撃的なラストから主人公のミーガン・ハントが三ヶ月の休養を余儀なくされ、ようやく検死官に復帰した、という想定で開始される。チームを組んでいた警察側は責任をとらされてすべて交代。新しいチームとなる。その相手はミーガンが20年前に恋仲であった刑事だった。この刑事がニューヨークからミーガンのいるフィラディルフィアにやってきたのだ。

 このドラマは回を追うごとにシリアスさを増していったが、この第三シーズンは一層緊張感にあふれるものになっている。ミーガンはもともとまわりとは一切妥協しない性格だからぶつかることばかりだが、第三シーズンではそれがやや過剰であり、第一シーズンからの流れを知らないとなんといやな女だ、と思うかもしれない。しかしそれがこの第三シーズンのラストに向けての伏線になっていることを全部見終わったときに気づくことになる。

 多分このドラマはこれで終わりだと思うが、人気が高いそうだから続かないとは限らない。終わりにした方がいいと思うけれど(面白くないという意味ではなく、一応区切りが付いたと思うから)。

 「ストライクバック」の方はテロとの戦いに活躍するイギリスの極秘のセクションのふたりの男が主人公だ。二話ずつで一つの物語が完結する。だから10話で合計五つの物語だが、第一話で取り逃がしたパキスタンのテロリストが全編に関わっている、という構成になっている。ラストのシーンは衝撃的。

 セックスシーンや戦闘シーン、殺戮シーンなどが映画並みかそれ以上なのでかなりきわどい。見終わったあとの印象も映画以上だ。こちらは来年第二シーズンが放映されると予告されていた。楽しみだ。

 「ボディ・オブ・プルーフ」はアメリカもの、「ストライクバック」はイギリスもの。多分、ともに一時間番組としてCM入りで放映されていたのだろう。それがWOWOWだとCMがないから「ボディ・オブ・プルーフ」はタイトルバックや予告編などを入れても45分前後、「ストライクバック」は49分くらい。この差がアメリカとイギリスの差だ。イギリスの方が節度があるように思う。日本のドラマだったらどうか。CMのあとにその前のシーンを再びかぶせるようなごまかしをしているから40分ちょっとにしかならないのではないか。異常としか思えない。

 ドラマを録画してCMを飛ばしてみるという人が増えている、というがよく分かるような気がする。これで視聴率の調査が正確ではなくなる、などと言っているけれど、いまのCMの過剰さではますますそうする人が増えることは間違いないだろう。私は面倒だからそんなことはしないけれど、その代わり面白そうでも民放のドラマはふつう見なくなってしまった。

 まだまだ録り溜めたドラマがある。さらにNHKBSの「雲霧仁左右衛門」、WOWOWの「リゾーリ&アイルズ」第三シーズンも放映中でとりあえず録画し、こちらはほとんどリアルタイムに近いかたちで逐次見ている。

 気合いを入れて見ているから疲れるけれど、とても楽しめている。

 次はリュック・ベッソンの「ノーリミット」全六話だ。

葉室麟「さわらびの譜」(角川書店)

 乗せられるものか、と思っていてもついにラストでは感動でうるうるとしてしまう。以前コメントをいただいた方に「ハムリンワールド」という言葉を教えてもらったが、まさにそのハムリンワールドにどっぷりと嵌まった。 

 武家社会という厳しい掟に縛られた世界にあってそれを踏む外すことなく自分の生き様を貫くというのは、尋常な覚悟で出来ることではない。ただ単に命をかければいいなどと言う投げやりなものでは周囲の人に迷惑をかけるだけに終わってしまう。

 今回描かれるのは弓術という武術である。弓術・日置流雪荷派(へきりゅうせっかは)を代々伝えてきた扇野藩の有川家。当主の将左衛門は藩の重臣で、伊也と初音というふたりの娘がある。流派を伝えるため、伊也に幼い頃から弓術を仕込み、藩でも有数の腕前となる。

 藩の弓術指南役は大和流の磯貝八十郎であり、その高弟の樋口清四郎が藩随一の腕前とされていた。弓比べのやりとりの中で伊也と清四郎は互いを意識し合うのだが、その樋口清四郎と初音に縁談の話が持ち上がる。親どおしの決めた縁談に異を称えることなど考えられない時代であった。

 その有川家には新納左近(にいなさこん)という若い武士が寄寓している。

 この新納左近をめぐって藩内の暗部が大きくあぶり出されることになり、伊也の意地を通すための行動から伊也と清四郎はその矢面に立たされることになる。

 これは有川家全体を巻き込む事件に発展し、やがて日置雪荷流と大和流の弓術の戦いにも発展していく。

 弓術という普段なじみのない武術の奥深さとすばらしさをこの本で知ることが出来た。コンセントレーションの重要性を人生の要諦としている私としては、矢を射る瞬間の無念無想への集中力に強く共感したのだ。


 
 葉室麟の小説は読み出したら止められない。読み終わるのが惜しいと思いながら頁をめくり続けてしまう。それほど面白い小説である。

2013年10月21日 (月)

宮本輝「幻の光」(新潮文庫)

 初期の短編の作品集。表題の「幻の光」を含めて四編が収められている。宮本輝の、「川」三部作を読んだあと、三十年以上前にこの短編集を読んだ。

 文章から湧くイメージが鮮やかで、しかも細部まで明晰なことは信じられないほどである。高校生くらいの頃に文章を書く職業を夢見たこともあったけれど、自らの才能の乏しいことに早くに気がついたので恥をかかずに済んだ。宮本輝の文章を読むとその才能との懸隔にため息が出る。

 もちろん才能だけではなくたいへんな努力も重ねたことは承知しているけれど、ない才能を飾り立てても何も生み出せない。

 「幻の光」は後に「錦繍」という長編小説に発展している。宮本輝の作品の中でも大好きなものの一つが「錦繍」だ。すべてが手紙文というかたちで綴られたこの小説は読後に強い印象を残す名作だと思う。この「錦繍」の単行本を大事にとっておいたはずなのに見当たらない。華やかな装丁ごと、本そのものも好きだったのに。

 「幻の光」では、能登半島の曽々木海岸を始め周辺の風景が描かれている。その寂しい風景の中に、ほのかに希望の光を感じさせるやさしさが胸に響く。

 人生は厳しく容赦がない。自殺者は残された人に癒やすことの出来ない傷を負わせてこの世界を退場してしまう。その自殺の訳をいくら問いかけても答えてもらえない苦しさは永遠に癒やされることがない。しかしなおそこに、残されたものが生き続けるための何かがあるはずだ、と海の彼方の「幻の光」を手がかりにそっと気づかせてくれているようだ。

天野祐吉氏の訃報に接して

 最近「今朝の秋」「ながらえば」という1980年代のNHKドラマを久しぶりに見ることが出来たのは、天野祐吉氏が過去放送されたNHKの番組からこれらを選んでくれたからだった。

 天野祐吉氏を詳しく知るわけではないが、何冊か本も読み、テレビのコメンテーターとしてその話も聞いている。自分の実感として感じたことのみを自分の言葉で静かに語るその姿に共感と尊敬を感じていた。 

 他人の言葉の受け売りや、意見の違う相手にレッテル張りすることの巧妙なコメンテーターばかりのマスコミの中で、極めて例外的に真摯なひとであったように思う。彼はまず相手を受け入れ、しかる後に自分の意見を述べていた。出来そうで出来ないことである。

 このような良識のある人を失ったことはマスコミにとって大きな損失であると思う。「広告批評」という雑誌を主宰したくらいだからCMにたいしても確固たる考えを持っていた。その理想とはほど遠い現状に対してどのように思っていたのだろう。永遠に聞く機会を失ってしまったことが残念だ。

慰安婦の記録

 韓国の議員が国会の委員会で慰安婦の記録をユネスコ世界記録遺産に登録されるよう文化財庁が積極的に推進すべきだと発言したという。これに対して文化財庁長官は「必ずそうする」として推進を約束した。

 この議員は慰安婦で被害を受けた東南アジアの国々にも呼びかけて共同で申請したい、と語っているそうだ。

 慰安婦の問題は戦争に必ずついて回る。いろいろな理由で慰安婦にならざるを得なかった女性の悲劇は察するにあまりある。従軍した兵士が命を犠牲にしたように、女性の尊厳も犠牲にされた。

 日本も敗戦後、生活のためとはいえ、自分の意志に反して慰安婦にならざるを得なかった女性たちが数多かった。多くの国民は彼女たちから目を背けてみて見ぬふりをした。彼女たちの存在が戦争に負けたことの屈辱の象徴でもあったのだ。

 だから日本人は慰安婦については語らない。自分が慰安婦だったなどと自分から名乗り出る女性は普通はいない。それが知られることを恐れる気持ちは誰にでも分かることだろう。

 彼女たちを、日本人は、日本の男たちは護ることが出来なかった。

 韓国が問題にしているのは「従軍」慰安婦の問題だから別だ、という論もあろう。国が慰安婦を自ら徴用したのかどうかが問われているのだという。今のところその証拠は抹消されているからかどうか、見つかっていない。

 自らその軍の指示で徴用に当たっていたと証言した人物は実はそれが虚言であったことが後に明らかになった。そしてその人物が韓国で慰安婦を尋ねたという村にもそれを裏付ける証言はなかった。このような正義の名の下に虚偽を語る人物は常に現れる。マスコミはその裏付けをとる義務を課せられているが、その義務を果たしていないようだ。

 その真偽はともかく、私が感じるのは自らの国の女性の屈辱の歴史を白日に引きずり出す行為に対する違和感だ。韓国の国民は「従軍」かどうか別にして慰安婦とならざるを得なかった女性を護ることが出来なかった。

 国を護ると言うことの意味の一つがそういうものを護る、ということだろう。どちらに非があるかどうかはともかく、冷たくひどい言い方だが、韓国国民は慰安婦と呼ばれる人たちを護れなかった。

 いま自分が慰安婦だったというひとを白昼に連れ出し、正義の象徴としてもてはやしているけれど、やがて時が経てば彼女たちは弊履の如く捨て去られるだろう。残るのは汚名だけだ。

 以前にも同じような言い方をしたけれど、慰安婦問題を声高に叫ぶことを韓国のマスコミは正義と考えているようだが、私にはその感覚が理解できない。韓国が日本の植民地とされたことに対する怒りと恨みはもっともだと思い、それを日本は甘んじて受けざるを得ないと思うが、その象徴が慰安婦問題だということがおかしいと感じている。

 ユネスコの世界遺産に登録をしてまで慰安婦問題を世界の人々に訴えて日本に非をならす、という手法は世界の共感を得ることが難しく、韓国にとっては得策だと思えないのだが。

2013年10月20日 (日)

ハノイ・最後のハプニング

ハノイ旧市街の風景をいくつか。

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道端で将棋をするひと、食事をするひとなど様々。

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再びホアンキエム湖。

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ハノイの最後の夜はこの「ハー・ホイ」でディナー。通りを少し入ったところにあるのでわかりにくいが、とてもリーズナブルなのにおいしい店だった。係の男性は流ちょうな日本語を話す。日本人の観光客も多いのだろう。

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この男性が仕切ってくれた。とても愛想が良い。店長ではないと思うけれど。名前を聞いていない。

さようなら、「ハー・ホイ」。さようならハノイ。

このあと夜中の便で飛ぶことになっていたので夜の10時にノイバイ空港に着いたのだが、なんということか、台風26号のせいで関西空港便は翌朝の7時に延期とのこと(成田便は9時に延期だった。空港で仮眠した人もたくさんいたようだ)。

旅行会社が急遽ホテルを手配、ハノイへ引き返した。泊まっていたホテルは満室とのことでちょっと寝るだけなので安いホテルを頼んで宿泊。なにせ朝4時に迎えの車が来るのだ。

そのホテルでもいろいろあったのだがその話はここでは措いておく。

その晩変な寝汗をかいたのがきっかけだろうか。帰りの飛行機で喉が馬鹿に痛む。ビールで流したけれど収まらず、不調。おかげで帰ってから二日ほど風邪気味だった。変な病気でももらったのかと心配したが、さいわい熱もほとんど出ず、今はほぼ回復した。

ながながと北ベトナム旅行の報告におつきあいいただいてありがとうございました。





ハノイ・ドンスアン市場

旧市街のいちばん北側にあるドンスアン市場はハノイ最大の市場である。歩いてみると雑貨が主体でそのほか衣料品、食料品が売られている。海外へ行くと市場を覗くのが楽しい。人がひしめいて活気にあふれている。特に魚や肉の市場が現地の生活を直接感じることが出来るので好きだ。

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市場は露天だったものを新しく大きな建物の中に移した。入り口付近は明るくこざっぱりしているのだが、中は小さな店が縦横無尽に並び、通り抜けるのもたいへんだ。これではスリでもいたらひとたまりもない。

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市場の中央には広場がある。二階は衣料品の店が並ぶ。

食料品の売り場を探すためにひとをかき分けていったん外に出る。

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市場周辺のアパート。このあたりで働く人が暮らすのだろうか。搬入のトラックや買い物に来る人で周辺もごった返している。

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小鳥を売っている店もある。あちこちの露地の店で、小鳥を籠に入れて店先に置いているところをよく見かける。

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ようやく魚介類を売っているコーナーを見つけた。

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ウナギに雷魚(らしい)。

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おばさんが雷魚をさばいている。鮮度は抜群だ。

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雷魚が跳び出して転がったがおばさんは笑っているだけ。どこにも行きようがないから慌てる必要がないのだ。

このあと旧市街を歩いてホアンキエム湖へ戻る。途中にガイドブックにある白馬祠と旧家保存館に立ち寄ろうと思ったのだが道を間違えてしまい、倍ぐらい歩くことになった。しかもなんということか、どちらも工事中で、はいることが出来なかった。ハノイに行くときは気をつけて欲しい。ガイドなら知っているだろうけど。

2013年10月19日 (土)

ハノイ・大教会とホアンキエム湖

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ハノイの大教会はハノイのランドマークでこの大教会から徒歩何分、とか車で何分という目印になのところだ。正面からは日曜日以外普通入れないようだ。

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教会の裏手に大きな銅板のレリーフがあり、聖書のいろいろな物語が描かれている。これは最後の晩餐。

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どこの国でも子供はかわいい。おばあさんと散歩。

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大教会からホアンキエム湖は近い。しかし歩道はご覧の通り。ひととバイクであふれて通れない。手前の若い人たちは小さな椅子に座って食べ物だか飲み物かを待っている。

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湖へ出る大通り。今は北向き。この建物の左右に北上する路があり、左手は旧市街にいたる。ちょっとユニークな建物。

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分かりますか。お母さんの後ろに子供がふたり、そしてよく見ればお母さんの前にもひとり、そう、四人乗り。ベトナムのお母さんはたくましい。

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ホアンキエム湖にでた。花が咲いているこの囲いは水面に浮いている。

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もう夕方。みんな涼みにこの湖の周辺にやってくる。

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歩き疲れたので合歓の木みたいなこの木の陰のベンチでしばらく休んだ。

このあとホテルへ戻り、「ワイルドライス」というベトナム料理の店へ夕食を食べに行った。ここも結構でした。部屋へ戻ってからもまた飲んだのでちょっと飲み過ぎた。

明日は市場から旧市街を歩く。

ハノイ・玉山祠など

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オペラハウスの近くの乗り場からシクロに乗ってホアンキエム湖の北側、旧市街を走り、玉山祠に言った。

オペラハウスは1911年にフランス人が建てた。この中に「ninteen11」という洒落たフランス料理の店がある。前の晩はそこで夕食を摂った。ちょっと高級だけれどベトナムの食事は安い。今のうちならお薦めだ。

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向こうに見えるのがホアンキエム湖。街の中心部にあり、湖の北側は旧市街でとても賑やかだ。湖は一周しても30分くらいと小さい。周辺には大きな樹と広い散策路、そしてベンチがしつらえられていて市民の憩いの場所となっている。このあと旧市街をシクロで走るけれど、旧市街についてはあとで紹介する。

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玉山祠の門。ここをくぐると小さな赤い橋があり、それを渡ると玉山祠。玉山祠は小さな島になっている。

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島へ渡る橋。お坊さんもいる。ベトナムは80%が仏教徒だそうだ。

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本堂の中。この後ろにも廻ることが出来る。王様が祈ったところなどが見物できる。

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世界最大の淡水に棲む亀。1.2mほどある。もちろん剥製。現在生きているのは世界に四頭しかいないそうだ。ベトナムではこのホアンキエム湖に一頭だけ棲息しているが滅多に姿を見ることが出来ない。亀は長生きだと言ってもいつかは絶滅するだろう。

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境内の風景。ハノイの名所はどこもこぢんまりとしていてあまり歩き回る必要がない。水辺だから蒸し暑いけれどもしのぎやすい。
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このあと「オーラックハウス」というフレンチ式のベトナム料理の店で昼食を摂った。ここもおしゃれで料理もうまかった。写真は入り口に置かれた薔薇の花。

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店の雰囲気を知るために窓辺の様子を一枚。洒落ているでしょう?

ハノイ・ホーチミン廟と一柱寺

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ベトナムの国旗は赤字に黄色い星一つ。白地に赤い丸の日本の旗とシンプルなところが似ている。

 

写真はホーチミン廟。ベトナムの父と国民に慕われ、フランス、アメリカとの戦いに勝利してベトナムの統一を果たしたホーチミンの遺体が保存されている。本人は火葬を希望していたらしいが、当時の後援国であったソビエトがスターリンなどと同じように遺体を保存するようにアドバイスしてその資金的な援助により作られた。

 

通常はその遺体を見ることが出来るが、毎年メンテナンスのために2~3ヶ月閉鎖され、ちょうどその時期に当たるために見ることが出来ないという。別に見たくないけど。

 

折から中国の李克強首相がハノイに来ていて(ASEAN会議のついでだろう)このホーチミン廟を訪れており、周囲は閉鎖されていて我々が入るまで一時間以上待たされた。

 

多分通常以上の厳戒態勢だったのだろう。何せベトナムは中国に反感を持っているひとが多い。フランス、アメリカに続いてベトナムが戦ったのは中国だった。今も国境を接していているうえに南沙諸島の問題などで中国の覇権主義に苦しめられているのだ。

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ホーチミン廟の前には衛兵が立っている。30分交替だという。

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ホーチミン廟から道路を渡り、すぐ近くの一柱寺に行く。画面右手が一柱寺。

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一柱寺は水面の上に柱一本で立っている小さな寺だ。階段を上がってお参りする。家族の幸福が叶うそうだ。今はコンクリート製の柱だが元々は石造りだったらしい。

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境内の木の根元に仏像があり、きれいな花が手向けられていた。百合の花の香りが漂う。

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境内のベンチで若い女の子たちが屈託なく笑いさざめいていた。昔のベトナム戦争の影は全く無い。すでに40年ほど過ぎたのだから当たり前なのだが・・・

2013年10月18日 (金)

ハノイ・文廟

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ハノイの文廟は孔子廟のことである。足利学校がもともと孔子廟で、日本最古の大学だったように、この文廟もベトナム最古の大学だ。庭園でモデルを使った撮影をしていたので横から撮らせてもらった。

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文廟の正門。むかし中央の門は王様しか通れず、臣下や平民は左右の門から入った。我々はもちろん・・・真ん中から入らせてもらった。

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庭園内は花が咲いて美しい。

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中門。これがベトナムの10万ドンの紙幣の絵柄になっている。

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庭園の両面には亀の背中に乗った石碑がこのように並んでいる。優秀な成績でこの大学に入学できた人たちの名前が刻まれている。中国の科挙のようなものなのだろう。いわゆる虎榜である。

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孔子廟。孔子とその弟子たちが祀られている。

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屋根の上の龍。瓦が特徴的。

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東南アジアや中国はとにかく派手である。

ハノイの朝とタイ湖・鎮国寺

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鎮国寺の塔の下部。12階だったと思うが自信がない。

ハノイの朝を迎えた。今日はハノイの市内の名所をいくつか回る。その前に朝の散歩をした。

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ホテルの部屋からの眺め。右遙か向こう数キロのところにタイ湖がうっすら見えている。

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望遠でアップ。空は霞んでいる。連日朝はこんな天気だった。晴れると暑い。

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大きな通りは歩道も広い。ただし横路の歩道には店がはみ出し、バイクが並ぶのでほとんどふさがって通れない。

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朝の通勤風景。バンコクでもホーチミンでも見た風景だ。ベトナムはマスクが特徴。排気ガス対策と言うより日よけのためかもしれない。

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車に乗ってまずタイ湖の鎮国寺に向かう。緑が多くとても美しい。

鎮国寺はむかしホン川(紅川)のほとりにあったが、タイ湖の小島に移されたそうで、タイ湖のシンボルとなっている。タイ湖はハノイでは最大の湖。ハノイには大小の湖がいくつも点在する。

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タイ湖に張り出した小島に鎮国寺はある。

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鎮国寺全景。

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中央の塔のまわりにはベトナムの高僧の仏塔(つまり墓)がたくさん並んでいる。

ハロン湾クルーズ(3)




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ここが鍾乳洞の場所。崖の途中に眼のように見える洞窟が鍾乳洞の出口。

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こんな風になっている。入り口はもう少し下で鍾乳洞の中を少しずつ登りながらぐるりと回ってこの出口にでるようになっている。

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入り江を入り口そばの展望台から見下ろす。

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ぎざぎざに見えるのが龍の子供。親もいるけれどうまくとれなかった。眼のような緑色の光はガイドのペンライト。

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洞内の見所は多いけれどあまり広くない。上から光が差しているのは出口。洞窟は普通涼しいけれどここは外と同じで蒸し暑い。

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出口を見上げる。

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折からの満潮で遊覧船に乗り込む桟橋は水がかぶっている。靴と靴下を脱いで思わぬ海水浴をした。気持ちがいい。

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船に戻って展望台に向かう。展望台はかなり急傾斜の階段を上る、というのでパスして船でのんびりしていた。やがて展望台に出かけた人たちが帰ってきたところで船上のランチ。

写真は水上村で買ったシャコを茹でたもの。大きくて実に美味。ほかの料理も結構であった。ビールだけでなく、ついワインまで頼んでしまった。

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こちらはハロン湾のワンショット。

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よく似ているけれどこれは桂林で撮ったもの。

ハロン湾クルーズを終えてハノイに向かう。ハノイの市街に入るに従いバイクがさらに急増する。

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こんな感じ。

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こんな光景もよく見かけた。お父さんが運転し、お母さんを後ろに乗せて間に子供・・・いやいやよく見るとお父さんの前にももうひとり子供が乗っている。つまり四人乗り。

2013年10月17日 (木)

ハロン湾クルーズ(2)

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ようやく霞が薄れてきた。こういう狭い水路を行くのでどちらを向いているのかだんだん分からなくなってくる。

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こういう大型の船は宿泊施設がある。一泊乃至二泊するクルーズがあり、西洋人には任期だそうだ。

 

ハロン湾のすべての島を丁寧に廻ると一週間近くかかるという。私など半日で飽きる。

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こんな変わった船も浮かんでいる。こんな帆が航行に役に立つのだろうか。

 

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島に人の姿は全く見られない。船を着けることも出来ないのだろう。

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このあたりを右手に曲がると鍾乳洞への港がある。

ハロン湾クルーズ(1)

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ハロン湾クルーズはこんな船に乗っていく。湾内は入り組んでいるので、波が静かで湖のようだ。中でシーフードのランチが食べられる。

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たいていの船の舳先にはこんな龍の彫像がある。この階段からオープンになった二階の展望台に上がることが出来る。風が吹いて気持ちいいが日に焼ける。

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最初はこのように霞んでいて島々はシルエットにしか見えなかった。さいわい昼前後から少し晴れてきた。

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湾内のあちこちにこのような水上村がある。100人から数百人、数十家族が暮らしているという。ここにいけすがあり、船を接岸して魚、貝や蟹、シャコなどを購入できる。

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我々はシャコを購入。ごらんのようにとても大きい。シャコを手に持っているのはガイドのヨゥさん。あとでこれを茹でたものをランチに加えてもらう。

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客の姿をめざとく見つけるとたちまちこのように果物などを満載した船が売りによって来る。うっかりすると古いものを売りつけられるから注意が必要だそうだ。

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我々の船のあとに接岸した船上にベトナム美人を見かけた。

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ハロン湾のシンボル、雌鶏と雄鶏。右が雌鶏だそうだ。

ハロン湾に浮かぶ島々とその絶景はこの一帯が石灰岩で出来ており、長い年月で雨水が浸食したことによるものだ。

中国の桂林に様子が似ている。あちらも石灰岩で出来ている。そして桂林と同様、このハロン湾も鍾乳洞があちこちにあるという。このあとその鍾乳洞を見に行く。

ハロン湾・朝の散策

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ホテルの前の道を渡り海岸に出た。朝日に小さな漁船がシルエットになって風情がある。遠方にハロン湾独特の風景が霞んでいる。

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漁師の老夫婦だろうか。籠上の網を次々に揚げているのだけれど、ほとんど魚の姿を見ない。今日は不漁の日か。

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小さな桟橋からビーチを見る。ハロン湾はホテルの建設ラッシュのようだ。ハノイからの道路は急ピッチで整備されている。今後観光客が急増することだろう。あのやかましい中国人観光客も遠からず大挙して押し寄せることになる。

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岸辺には小さなシーフードレストランが点在する。夜ここで食事するのもいいかもしれない。奥の方に見えているのが宿泊したホテル。

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早朝なので交通量も少なく、道路を渡るのにストレスはない。荷物を満載した自転車やバイクを時々見かける。このおばさん(本当は若いかもしれない)は荷物が少ない。すでに蒸し暑いが、このように女性は完全武装が普通である。

さあ朝食を食べたら今回の旅のハイライト、ハロン湾クルーズだ。

ベトナムの街道風景

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ベトナムで感じるのは女性が皆色白であることだ。ほとんど日本人と変わらない。若いひとが多く、きびきびしている。

バイクがとにかく多い。そのバイクに乗っている女性の姿を見て分かるように日よけには万全を期している。顔には大きなマスクもしている。気温は三十度を超えているのだが日焼けしないことを優先するようだ。日よけを意識しない女性はいない。

女性の包みから白くぶら下がっているのはアヒルである。もちろん生きている。時々頭をもたげて辺りを見回し、「参ったなあ」という顔をしている。帰って料理して食べるのだろう。

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市街地の沿道はこのような町並みが続く。下が商店で上が住居だ。必ずしも商店主の住居ではないようで、上に住む住人が下を貸していることも多い。

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ベトナムは右側通行である。バイクとトラックが多い。当然追い越すときは反対車線にはみ出す。上はこちらの車線に大きくはみ出した中型のワゴン車。ほとんどすれすれの状態ですれ違う。思わず声が出る。

下はトラックを追い越すためにこちらの車が反対車線を走っているところ。片側二車線ではない。今走っているのは反対車線だ。追い越されるトラックも決して譲るためによけたりしないからこのように反対車線の真ん中を走ることになる。下手によけると横を走るバイクが危ないからしかたがないのだ。

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わかりにくいがこれは牛である。そこら中の田んぼにいる。時々水牛も見かける。

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稲刈り作業中。稲刈りはほとんど人力で行う。日盛りはたいへんなので夕方少し涼しくなってから稲刈りする。ベトナムは三毛作だ、とガイドは言っていたが、米ばかりだから三期作だろう。

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トイレ休憩に立ち寄った蓮のお茶などを売る土産物屋。ドライバーの休憩が法律で定められている、ということで三十分以上ここに留められた。観光客がガイドに土産物屋に連れて行かれるのを嫌うことから、名目がトイレ休憩とドライバーの休憩と言うことになっているようだ。毎日このドライバー休憩があった。

2013年10月16日 (水)

ベトナム・ハロン湾の夜

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ベトナム北部に行ってきた。写真はハロン湾のホテルの部屋から見た夜景。

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これは同じところを翌朝うすぐらいときに撮ったもの。(ズームの倍率が違いますが)

午前中に関西空港からハノイのノイバイ空港へ飛び、そのままハロン湾へ直行した。その晩はハロン湾のホテルに宿泊し、翌日ハロン湾クルーズ

当日が土曜日で、ちょうど宿泊していたホテルのサタデイイブニングビュッフェの日に当たり、海鮮料理のバイキングを楽しんだ。

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写真のひとは当方とは無関係。

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後ろがホテル。風が心地よい。

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心地よいライブ演奏も流れている。西洋人が多かった。

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私が一回目に取った皿。マテ貝、ハマグリみたいな貝、ワタリガニ、イカなどが乗っているのだが、雑に撮ったのでよく分からない。でもとにかくおいしかった。

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ホテルの窓から見たハロン湾の遠景。このあと朝の散策に出かけた。

2013年10月11日 (金)

行ってきます

 アメリカ国務長官ケリー氏が、11~12日のフィリピン訪問を中止した。理由は台風。日本には関係ないので報道されないが、フィリピンの東側から台風が西に向かって進んでいる。

 その台風の進路予想ではフィリピンを東から西に横切り、さらに東南アジアに向かうようだ。最悪13~14日頃ベトナムに上陸するかもしれない。なんてことだ。ちょうど雨季も明けて、いい時期に入りつつあるベトナムなのにもしかして雨にたたられるかもしれない。

 本日は大阪入り。友人から電話があり、天王寺で飲むことになった。結局こうなる。明日は寝過ごさないようにしなければ。

 これから支度の最後のチェックをしてゆっくり出かける。大阪にはのんびりと高速バスで行く。では行ってきます。

嫌いな国

 韓国の学習塾が小学生の子供たちを対象に、嫌いな国についてのアンケートを採った。

 最も嫌いな国はもちろん日本、86%が嫌いという。第二位が中国で9%、三位がロシアで2%、次いでアメリカだった。ほとんどが日本が嫌いだと答えたことになる。

 嫌いな理由については「独島(竹島)を日本領だと主張する」「日帝時代(日本統治時代)の蛮行」「歴史を歪曲し、間違いを認めない」からだという。

 たいへんよく出来ました。普段からマスコミを始め国を挙げて教え込んでいることをそのままちゃんと答えている。多分この学習塾も熱心に教育しているのだろう。

 学習塾によると、このアンケートを通じて小学生が国を愛していることがよく分かったそうだ。しかし嫌いな国を教え込むと愛国になるとはどういう理屈なのだろう。子供たちがかわいそうな気がする。

 ところで我が日本でも日本を嫌いにする教育に熱心な先生達がいた(今もいるかもしれない)。その教育をそのまま正しく身につけた人たちが一部メディアにはびこっているように見えるのは私だけだろうか。ただし韓国と違って国を愛することは否定する。

 自分の国が嫌いなら愛することは出来ないから当たり前か。

 教育の成果だ。

2013年10月10日 (木)

小林純子「チャイナ・ルール」(双葉新書)

 著者は元TBSの報道とスポーツ担当のディレクター。フリーになり、縁があって中国に在住していくつかの日本独資の会社のマネージメント業務をしている。

 現地で中国人に日々接し、中国人と交渉し、いろいろ経験を積んだ上での中国人のものの見方、考え方について書かれた本である。

 中国人は日本人とは全く違うということがこの本を読んであらためてよく分かる。いままでにも類似の本で再三知らされてきたことなのだが、何度聞かされてもなかなか日本人的な発想から抜け出せないものだ。

 この本を読んでいると、中国に出向して仕事をするようなことがなくて本当に良かったと思える。もう退社したから今後とも決してそのようなことがないのだと思うととても安心する。

 中国に合うひと、合わないひとというのがあるという。自分では本音のところでは中国が嫌いではないので、合う方かもしれないと思っていたけれど、この本を読んで考え違いだと知った。

 この本で次々に例としてあげられている中国での著者の経験、中国人の言動は唖然とするものばかりだ。しかしそれだからこそ違いを違いとして認識し、それを乗り越えたとき、互いに利のある関係が築けると著者は言う。

 読んでいるうちに気がついたことだが、著者のように多少のこと(多少ではないか)にはめげずに前向きに生きるひとにとって日本にいるよりも中国の方が生きやすいのかもしれない。

 むかし、ちまちました日本は狭すぎるとして世界に雄飛した若者達がいた。いまもたくさんいるに違いない。彼らにはこのチャイナ・ルールという本は、教科書とは言わないけれど副読本くらいにはなるかもしれない。

 自分ではなく、ひとの苦労は楽しく読めるものだ。人ごとだから。

責任逃れ

 韓国の第一号国宝である崇礼門は、2008年に放火で焼失した。国を挙げて修復に取り組み、5年をかけて今年復元したばかりだが、色絵の部分が亀裂を生じたり剥落しているという。

 元々の崇礼門ではこんなことは起きなかったのに工事のずさんさに非難が浴びせられている。

 これに対する言い訳として、接着剤に使用した膠が日本からの輸入品だったことが原因だという話が浮上している。担当者は日本の接着剤は使うべきではないと反対していたそうだ。ほかにもいろいろ理由があるという専門家の意見もあるのだが、どうも日本の膠が犯人と決めつけられそうな気配である。

 韓国では何でも日本が悪い、というと責任逃れが出来るものらしい。こうして真の原因の追及はされずに終わるだろう。

支度

 ベトナムへ行く。南ベトナムには以前行ったので、今回は北ベトナムへ行く。前に行ったときのベトナムは活気にあふれていた。若者が元気にあふれていて圧倒された。そして日本に帰ってきたら日本の若者の多くが魚の腐ったような目をしているように見えた。

 南ベトナムよりも北ベトナムの方が静からしいが、ベトナム人の向上心と勤勉さは同じだろうと思う。その元気を浴びてきたい。

 中国に初めて行ったのは1992年。そのときにも中国の活気に圧倒された。文化大革命、天安門事件の傷も癒えて経済の急成長がようやく始まりだしたときであり、まだみんなが貧しく、外国人に対して斜めに見上げるような目をしていた。あふれる自転車と喧噪、そして活気があふれていた。

 豊かになると格差が生じて情が薄れるのだろうか。いまの中国は図々しい方が得をする社会に見える。そんな社会はゆがんでいる。ベトナムもそうなってしまうのだろうか。今回の数年ぶりの訪問で、もし見届けられれば見てきたい。

 12日の午前中の出発なのだが、関空からのフライトだ。当日朝早く名古屋を出れば間に合うけれど、何があるか分からないので前日のうちに大阪に入ることにした。11日の夜、友人と会食するかどうか迷っている。

 これから手荷物の確認と支度をするつもりだ。明日でもいいけれど焦って忘れ物をしそうなので念を入れることにする。それでなくてもこの頃うっかりすることが多い。年齢のせいでしかたがないが気にし出すと不安でしかたがなくなる。こんなこと今までなかったのに。

 手荷物を最小限にするため、やはりパソコンは置いていこうと考えている。今回も友人たちとの四人旅だ。ベトナムに触れ、ベトナムを食べ、ベトナムを飲むのに忙しいだろうからブログをゆっくり打ち込んでいる時間は多分ない。だから明日の朝まではブログを書くが、その後は16日の夜になると思う。娘のドン姫にはこの旅行のことは話してあるが、念のため留守中のことを頼んでおこう。

 さあ荷物を詰めてみることにしよう。

陰謀

 これは根拠のない妄言として述べるので笑っていただきたい。

 世界の富を集めて、アメリカはひたすら消費を行ってきた。ドルが基軸通貨であることで、アメリカ国債を担保にしてドルを刷ればアメリカはいくらでも富を自ら生み出すことが出来る。

 そしてアメリカはその国債の信用を失うかどうかの瀬戸際にあると言われている。しかし国債を抱えているのは多くは海外、特に中国や日本である。国債が暴落して損をするのはアメリカ以上にアメリカ国債を引き受けている国である。

 過去アメリカが原因で世界はたびたび巨額の損失を被った。世界が損失を被ったのなら利益を上げたのは誰だ。日本でバブルがはじけたとき、みんなが損した、というが、誰かが得をしたに違いないと私は思う。

 それはアメリカだろうと思っている。

 中小の新興国の通貨を思い切り売り買いして操作し、その国の富を吸い上げたのもアメリカだ。リーマンショックと言うけれど、海外が大きな損失を被ったのならアメリカも一部は損をしたとはいえ、それ以上に利益を上げたものが必ずいるはずだ。

 いまアメリカは国家予算不成立に続き、負債枠を引き上げないとデフォルトに陥る、と懸念されている。そうなるとアメリカ国債が暴落し、世界中が損失を被るそうだ。では誰が利益を上げるのか。

 アメリカ政府自身はアメリカという国家の信用を失墜させるつもりなどない。ほとんどの国民や議員もそうだろう。しかし巨額の利益が上がると見込んだ誰かが共和党の議員をそそのかして裏で画策しているのかもしれない。テレビで見ていると国がどうなろうと自分の主張を通すためにはかまわないと言わんばかりの様子にも見える。

 アメリカの信用はすでに失墜しているとも言える。それならデフォルトして借金帳消しを狙うというのも手だ。

 まさかデフォルトはしないと思うが、最もアメリカにとって利益の上がるタイミングを、実は対立しているように見えるアメリカ議会とオバマ大統領はこっそり相談しているのかもしれない。オバマ大統領がAPECに来ないのもそのシナリオを検討しているから、というのは考えすぎか。

 繰り返しますが、冗談ですからね。

警官隊の発砲

 8日、亡命チベット人向けのラジオ局「チベットの声」は中国当局の「愛国主義教育運動」に抗議していたチベット住民に対し警官隊が発砲して3人が射殺されたと伝えた。

 6日にも警官隊がチベット族住民に警官隊が発砲し、少なくとも60人以上が負傷したとの情報もある。

 チベットの情報を中国は隠すことが多く、隠しきれなくなるとチベットへの外国人の渡航を禁止する措置を執ることもしばしばある。それなのにこのようなニュースが続けて伝えられるのはチベット自治区での混乱が相当激しい状態だと言うことが推測される。

 チベット族について中国は徹底した管理体制で臨んでいるのでチベット族が武器を持っているとは考えにくい。その抗議行動は暴力的ではないだろう。それに対して警官隊が発砲するというのは一方的に過ぎる。

 警官隊がチベット族に対しての発砲について罪悪感も問題意識もなさそうであることがおそろしい。

 「愛国主義教育運動」というのはチベット語での教育を禁止し、中国語での教育のみを強制するというものだ。チベットではチベット仏教すら徹底した管理下にあり、チベットの文化そのものが失われることを危惧しての抗議行動なのだ。

 ある意味では日本が韓国を併合した後、教育を日本語のみに制限したのに酷似している。

 中国は、劣っている民族であるチベット族を中国並みに教化していくのだ、という奢った意識があるのだろう。それが警官隊の罪悪感のない発砲につながっているのだと思う。

 アメリカが、従わないインディアンを蒙昧な世界から救うためと信じてむやみやたらと銃で教化しようとしたのは西部劇を見ればよく分かる。その流れがいまのアメリカの銃社会の病理だろうし、人種差別が背景にあるのは明らかだ。

 中国はもともと中華思想という選民意識が強い国だ。その中国が列強、そして日本の侵略を受けるという屈辱の歴史を経験した。そしていま中国はアメリカに対抗する国力を持ちつつある。過去の反動からその屈辱の歴史というエネルギーはすべて日本への反発として現れているようにも見える。これは共産党という党の成り立ちから意図的になされたものではあるが、中国人の根底にある中華思想という選民意識に根ざしているとも言える。ネットでの過激な論調に色濃くその選民意識が反映していると見るのはうがち過ぎだろうか。 

 チベット族は中国にとってのインディアンであり、日本も多分インディアンなのだろう。発砲には中国の正義がある。ことほど左様に覇権国家の正義というのはおぞましいものだ。

2013年10月 9日 (水)

平木英人「慢性疼痛」(ちくま新書)

 痛みというのは他人には分からない。昔の医学では痛みは疾患の徴候を現す身体の信号だとして無理に取り除くべきでは無いなどと考えていた。痛みを取り除いてしまうと病気の状況が見えにくくなるとされていたのだ。医者のなかには痛いのは生きている証拠だ、などと無責任なことを言うものもいた。

 いまは身体の状況を調べる機器や分析法が確立され、痛みを手がかりにしなければならないなどと言うことはなくなったが、未だに古い考え方から抜けられない医者もいる。検査法が発達し、良い薬が出来たことで患者本人を見ないで治療を行おうとする若い医師も増えていると聞く。

 さいわい痛みは取り除くべきであるという考え方が少しずつ主流になりつつあるという。痛みは患者の苦痛である。苦痛は身体だけでなく心も損なう。治療の一環として痛みを取り除くことが計られるようになったことは慶賀すべきことだ。

 この本で取り上げている「慢性疼痛」というのは心因性の疼痛のことである。あらゆる検査を行ったのに器質的な障害がどうしても見つからないが、患者は痛みを訴え続けるものだ。この慢性疼痛というのはいわゆる痛み止めが効きにくいか全く効かないことが多い。

 NHKの特集でも見たし、この本でも言及されているけれど、たとえば腰痛を訴える患者で実際に身体に明らかな原因が見つかっているのは15%だという。原因が分かれば治療も奏功する。原因不明のものにも見逃されている疾患がある場合もあるだろう。しかしあらゆる検査をしても見つからないものの方が実は多いのだ。

 著者は心療内科を長期間実践的に治療し続けてきた。そして治療に成果を上げた例も数多く経験している。心療内科は今でこそ知名度も上がり認知されているが、著者が初めて治療を開始した頃は正式の科として認可されず、心療内科の看板を掛けることすら出来なかったという。

 いくら検査しても原因が分からず治療が困難な慢性疼痛の多くは心因性のものだと著者は言う。だからそれにのっとった治療をしなければならない。そして適切に治療すれば時間はかかるが治癒することも可能だと説く。

 海外ではこの心療内科の認知度と評価は高い。しかし日本ではまだまだだ。それは心因性というレッテルを貼られると、たちまち気のせいだ、とか大げさだとか、ひどいときには詐病だと勘違いされる風潮があるからに他ならない。日本の心因性の疾患に対しての冷たさはそれこそ病的だ。

 この本を読んだきっかけは、自分の肩痛だ。二年以上痛み続け整形外科で治療してもほとんど改善しなかった。レントゲンを撮って肩の筋が一部石化している、という診断だったが、どうもその部分とは関係ないところが痛い。いまは痛みと折り合いをつけて痛いなりに生活に支障が無い。あきらめた頃から痛みが我慢できるようになった気がする。

 それと母の腰痛だ。腰が痛い、膝が痛いと会うたびに繰り返し言う。二回も三回も言い、仕舞いにはうんざりしておざなりに対応しているとさらに痛みがひどくなったように言う。ついには発語障害になってしまった。

 心因性の慢性疼痛なら周りの人間は何遍でもその痛みの話を聞いてあげることが痛みを軽減することにつながることが多いそうだ。私の母はついには訴えることをあきらめて発語障害になったのでは無いか、とこの本を読んで考えたりした。 

 慢性疼痛を抱えているひとは想像以上に多いのではないか。そしてその治療は安易な痛み止めなどの投薬でおざなりになされているような気がする。そして著者の実践しているような手間のかかる治療法では保険の適用もわずかで病院も経営が成り立たない。この本がきっかけで少しでも真の心療内科による慢性疼痛の治療が増えること(つまり公的医療費の補助がなされること)を期待したいが、残念ながらその見込みは薄そうだ。

対等であって欲しい

 中国新聞社の記事によると、日本の現職野党議員などが続々と訪中を予定しているという。

 民主党の党首・海江田万里氏はもともと中国通として知られるが、自分の名前が万里の長城にちなんでいることを強調しながら習近平国家主席との会談を求めているらしい。

 安倍首相が首脳会談が出来ずにいることから、もしこの会談が実現すれば、日本国内向けに大きなアピールになる、と民主党関係者は期待しているそうだ。

 思い出すのは民主党の代表として小沢一郎氏が五十人もの代議士たちを引き連れて中国を表敬訪問し、臣下がかしずくがごとき卑屈な態度と言動に終始した(ように見えた)無様な姿を思い出す。

 どこの国でもそうだが、中国は特に格を重んじる。だから一野党の党首が国家主席と会談することは通常あり得ない。もしそれが実現するとしたら、何らかの中国の思惑があると考えていい。

 どちらにしても日中関係に何らかの進展があるのなら無意味では無いかもしれないが、もし小沢一郎的な卑屈な訪問に終わるとすれば、日本にとって百害あって一利なしとなりかねない。矜恃を持って対等であって欲しい。計算尽くで相手を喜ばせるというなら別だけれど、あの人にそんな芸当が出来るようにはとても思えない。

 村山富市元首相や民主党の江田五月元参議院議長も訪中するそうだ。社民党はすでに泡沫党に成り下がった。村山氏も元首相の肩書きを静かに抱えてじっとしていて欲しいところだが、鳩山由紀夫氏のように中国の広告塔の役割を担わされるようなことだけはしないで欲しいところだ。これは日本国民のほとんどが感じていることだろう。

2013年10月 8日 (火)

反発されてもね

 専門家の調査によると、富士山頂の大気・1立方メートルあたり2.8ナノグラムの水銀が検出された。汚染源が周辺には存在しないことから、中国からの越境汚染と見られる。

 先日NHKの特集で、水俣病を取り上げていた。水銀汚染による慢性的な身体への異常の恐怖をあらためて認識したところだ。そのとき、中国の大気に信じられないほど多量の水銀が含まれていることが明らかにされていた。その多くは石炭に含まれていてその燃焼によって大気中に水銀が含まれることになったという。中国で大量に使用されている石炭には他の国で使用されている石炭よりもずっと不純物が多く、水銀も多いのだという。

 中国の大気汚染はPM2.5だけではないのだ。しかし2.8ナノグラムというのはさいわいまだ微量だ。

 この調査結果が中国のネットで取り上げられた。その反応こそ問題だ。

 「富士山頂の大気汚染に関する研究は、釣魚島(尖閣諸島)問題をめぐる日中間の対立を緩和することに何の役にも立たない」などというものがあった。日本は中国に大気汚染のことについて謝れ!などと一言も言っていない(本当は言われなくても謝るべきだと思うけれど)。そしてその事実をもって尖閣問題と絡めて何かを要求しようなどと誰も考えていない。そもそも全く別の話だからだ。日本は中国みたいに別の話を絡めて無茶を言ったりするほど愚かではない。

 「なぜわが国からの汚染だと分かるのか?」とか「大気に身分証明書でも付いていたのか」というものもあった。

 なかなか鋭いのは「福島は世界の海を汚染しているのに!」などと放射能汚染を引き合いに出して反発しているものも多い。

 問題は中国の大気汚染をどうして減らすか、ということだ。大気や水が汚染されている事態は、日本に対して反発したからなくなる、というものではない。事実は事実だ。

 その辺が分からない限り中国の大気汚染は無くなることはないだろう。そうして対策が遅れれば遅れるほど中国の国民の健康はむしばまれていく。

 むかし毛沢東が中国の核兵器の開発を止めようとしたアメリカの大統領だったか国務長官に対して、「もし中国に対して核攻撃するならしたらいい、二億や三億死んでも中国には六億の民がいる」とうそぶいたというのは有名な話だ。

 どうやら相変わらず二億や三億死のうが健康を損なおうが、どうと言うことはない、という基本姿勢は変わらないらしい。その政府の考えにネットのコメンテーターたちは賛同しているのだろう。

 中国新聞社は、中国疾病予防コントロールセンターが開いた大気汚染に関する研修会で、今年の中国国内の大気汚染で6億人の国民が影響を受けている、と発表したことを報じた。

 同センターは今後5年以内に全国の「汚染霧」健康被害モニタリングネットワークを構築するのだそうだ。共産主義の国らしく、ずいぶん迅速な対応だ。

長山靖生「不勉強が身にしみる」(光文社新書)

 副題「学力・思考力・社会力とは何か」。

 示唆に富む文章が至る所にあって自分なりに考えさせられることが多かった。この本が出たばかりの時(2005年)に一度読んでいるのだが、思い立って読み直した。そして読み直しは無駄では無かった。

 出来れば多くの人に読んで欲しいので、各章の目次をあげる。

序 章 不勉強社会ニッポンの現実
第一章 そのお勉強でいいの?
第二章 読書のすすめ、もしくは戒め
第三章 倫理は教えられるか、学べるか
第四章 「正しい歴史」は存在するか
第五章 自然科学と論理的思考力
第六章 「好きなら伸びる」は本当か

 どうです、とても興味を引くものばかりでしょう。取り上げられている実例や引用にはやや難しいものもあるけれど、著者の文章はとてもわかりやすくて丁寧、しかも決して上から目線の本では無い。自分も不勉強であった、という立ち位置からのお勉強のすすめが書かれている。現代社会の仕組みを理解するにはお勉強が必要である。マスコミや詐欺師にだまされないためにもお勉強は必須なのだ。

 そう、人生は一生お勉強だ。させられる勉強ではなく、自分でする勉強は実は楽しい。私はちょっと気がつくのが遅かったけれど・・・  

 昨日の「ゆとり教育」についてのブログはこの本から自分なりに考えたもの。同じような文章がたくさん書けるような気がする。いい本はひとを励起させてくれる。

クラゲキラーロボット

 韓国がクラゲキラーロボットを発明したそうだ。

 世界的にクラゲが急増しているらしい。日本でもエチゼンクラゲなどが原子力発電所の取水口のあたりに押し寄せて詰まったりする被害が起きていることはだいぶ前から報道されていた。エチゼンクラゲの異常発生は温暖化によるものとも中国の汚染水が原因だとも言われている。
漁業でも重さが百キロを超えるクラゲによって網が上がらなくなる被害も増えていた。

 今回発明されたクラゲキラーロボットは高速で回転する刃により、クラゲを粉々に粉砕するもので一時間に1トンのクラゲを処理できるという。

 これがクラゲ対策に有効であれば歓迎すべきことであるが、どれほどの大きさの機械なのだろう。それに一時間に1トンの処理能力ではエチゼンクラゲの大群にどれほど威力が発揮できるのか、お手並み拝見としよう。

 粉砕されたクラゲの破片はどれほどの大きさなのか。二次汚染につながらないのか。そんなことを考えると私はちょっと悲観的なのだけれど。

あらすじ

 映画やドラマを紹介するものには簡単なストーリーがつけられていることが多い。その映画やドラマが題名以外なにも分からなければ興味を引かないから必要なものだと思う。

 中には必要以上に詳しいあらすじも見られる。ストーリーが分かってしまうことが興味を削ぐようなものであったら本末転倒だ。親切も度を過ぎてはいけない。

 鑑賞の際にはまず初めて出会うストーリーを楽しみ、そして細部に自分だけの発見をして楽しむ。そのストーリーを楽しむ楽しみを削いではいけない。

 あらすじは粗筋、または荒筋と書く。辞書で見ると梗概のことだとある。そういえば梗概本というのがある。有名な小説についてちょっと詳しいあらすじをプロがまとめたものだ。大部だったり、少し歯ごたえがあるようなものだとなかなか読む気がしないが、どんなものかだけ知りたいという場合にこの梗概本を読む。

 たとえばドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読むのはなかなかたいへんだから梗概本で知識を得ようとすると言うことである。

 この場合のあらすじの意味は映画の場合と大きく違う。映画のあらすじは映画に興味を持たせて映画を見る気にさせるもの、小説の梗概本は読んだつもりにさせて本を読まなくさせるものだ。

 もちろん梗概本でその本を実際に読んでみたくなることも大いにあり得るが、一般に梗概本は必要以上に詳しい。

 多くの場合はそのような小説が話題に出たときに知識として知っている、という状態に自分を置きたいために梗概本を読む。知ったかぶりをしたい、というと言い過ぎだろうか。

 ブログで、映画や本を見たり読んだりしたあとの感想が書かれているものをしばしば拝見する。わたしもよく書く。あらすじについてはその辺のことを考慮して、節制して書いてあるものにとても好感を持つ。だからわたしもその辺に気をつけることにしよう。

2013年10月 7日 (月)

ゆとり教育

 死んだ父が教師だったので間違っても教師になるまいと思っていた。けれども教育問題については人一倍関心があった。これは屈折した父親への気持ちの表れでもあったのだろう。

 いま読みかけの本、長山靖生「不勉強が身にしみる」の冒頭近くに、ゆとり教育についての著者のとらえ方が書いてある。その受け売りでは無いのだが(うすうす感じていたことだが)、そういうことか、と気がついた。以下は私が考えたことである。

 ゆとり教育が検討され始めた頃というのは、日本が週休二日制に移行する頃であった。企業が月一度か二度の週休二日制から土曜日がすべて休みになり出した頃だ。アメリカの学校などは、すべて週休二日である。

 労働者である教師たち、そしてそれを束ねる日教組は、一般企業が週休二日ならば教師も当然週休二日にすべきだ、と考えたようだ。

 しかし学校には春休みや夏休み、そして冬休みという長い休みがある。一般企業のように週休二日にすると、年間休日の日数が多くなってしまう。

 しかもそうして授業時間が減れば学習すべき事柄が教えきれないことになってしまう。といって一日の授業時間を増やすことなど日教組が認めるはずが無い。そこで編み出されたレトリックが「ゆとり教育」だったのでは無いか。

 受験偏重、学歴偏重を是正し、子供の個性を活かす教育をしよう、という大義名分を掲げて始まったゆとり教育というのは、何のことは無い、労働者である教師の労働時間短縮を目的をしたものでは無かったか。

 ゆとり教育を主張した頃、ゆとりをもっと欲しかった団塊の世代はすでに大学を卒業してしまい、ほとんど高校全入に近い時代になっていた。大学も選り好みしなければどこかに入ることが可能になりつつあった。きつい言い方をすればそれでも大学に受からないような者はそもそも大学に行く意味のない者だ。

 受験戦争だの灰色の青春だのと言うのは幻想だと言うことを多くの人が承知していたのでは無いか。確かに受験というハードルを越えるのは若者にとってささやかではあっても試練であることは間違いない。当事者はそこから逃げる言い訳をいろいろする。それに迎合したマスコミが例によって弱者の味方(つまり正義の味方)を演じたのだ。

 それに当時の文部省も迎合した。文部省のお役人になるくらいのひとは強制されなくても勉強した(勉強という努力をしなければ落ちこぼれる、ということを誰よりも知っていた)エリートたちばかりだから、ゆとり教育でも問題ないと楽観したのだろう。しかし世の中はきちんと教育されなければ自発的に勉強などしないひとが多いのだ。

 かくして日本の子供たちの学力はもののみごとに低落した。そして先生は週休二日に加えて長い休みも謳歌している。まことにゆとり教育とは教師のためにあったのだと言うことにようやく気がついたというわけだ。

 こうしてゆとり教育、個性尊重という大義名分の元に勉強することから逃避することが格好のいいことのようにもてはやされた。いわゆる自分探しの旅に出る若者達である。しかし本当に賢い若者はきちんと自分を磨くための勉強をした。

 そして日本とアメリカだけが豊かだった時代の恩恵で若者達はゆとりのある生活を送ることが出来た。しかし世界の貧しい国が台頭して豊かになり始めれば、その分日本の国の豊かさは減っていくのは当然である。

 デフレ社会というのは豊かな国と貧しい国のアンバランスがゆっくり紙幣純化することに他ならない。そのときに豊かな暮らしを続けられるのは努力をした者だけだ。セミやキリギリスは冬を迎えれば飢えと寒さに震えることになる。

 ゆとり教育という名の下に怠けたツケは過酷なかたちで払わざるを得なくなっている。そのとき弱者という立場での救済を期待しても社会そのものにすでに「ゆとり」が無くなっているのだ。

 これが過酷な現実なのでは無いか。生きにくい時代だし、これから老後を生きるのはつらいけれども、ゆとりのツケを払わなければならないのは実はこれからなのだろう。夢の時代はもう来ない。

アメリカドラマを見る

 昨年からWOWOWで放映されていた「ボディ・オブ・プルーフ 死体の証言」は先日第三シーズンが完了した。すべて撮りためていたのだが、ようやく第一シーズンから見始めて、昨日と今日で第一話から第九話までの第一シーズンを一気に見終わった。

 アメリカのドラマには、検死官や鑑識官が、主人公か重要な役割を担うものが多い。具体的な物証で事件を解決していくのに、残された死体は最も重要な手がかりとなる。

 このドラマでも犯人の犯行動機はあまり詳しく追求されない。主に被害者と被害者にまつわる物語が、死体や現場に残されていた証拠から明らかにされていく。その過程がメインでドラマは進んでいく。物質主義のアメリカらしい。

 主人公のミーガン・ハントはフィラディルフィアの女性検死官。優秀な脳外科医だったがある事故がきっかけで脳外科医をやめざるを得ないことになり、いまは検死官となっている。彼女は離婚して愛する娘とも別れてひとりで暮らしている。

 番組のはじめや途中にフィラディルフィアの景色が挿入されるのだが、それが物語にリアリティを与えている。さらにリアリティを与えているのはミーガン・ハント自身の、娘との関係修復など、私生活が断片的に挿入されていることだ。仕事一筋で家庭を顧みず、かたくなだった彼女が愛する娘との関係修復に悩み、その中で学んだことがきっかけで職場での人間関係の改善につなげていく姿がとても共感を呼ぶ。彼女に独りでに感情移入していくのだ。

 これは「リゾーリ&アイルズ」シリーズでも同様だ。リゾーリの家族を描くことで彼女たちにリアリティが与えられる。このシリーズではアイルズはボストンの検死官である。現在第三シリーズ放映中でこれはずっとリアルタイムで見ている。

 この二つのシリーズにはすっかりはまってしまった。とにかく面白い。脇役のキャラクターもフレンドリーで好感が持てる。

 アメリカばかりでなく、イギリスやデンマーク、スウェーデンの刑事ドラマなどを楽しみに撮りためて集中的に見ている。実に出来が良くて楽しめる。一頃韓国のドラマの中にも優れたものがあったが、最近馬鹿みたいに長いものが増えて、長くなった分無理矢理話を引き延ばしたあらが目立つようになり、見るのをやめた。

 日本のドラマにも面白いものがあるのだろうが、CMが耐えられない。ダカラWOWOWドラマかNHKBSのドラマで面白そうなものだけ見るようにしている。「相棒」シリーズなど、CM無しでWOWOWで放送してくれれば見たいと思うけれど。

遠くなる中国

 中国のゴールデンウイーク、国慶節に続く大型連休で中国各地の観光地は賑わっているようだ。その様子を伝える写真や動画を見ると、賑わっているという状態を越えて混雑、いや通勤時のラッシュアワーみたいな状態だ。

 北京から近い八達嶺の万里の長城の様子を見るとほとんど人間があふれかえって城壁の上からこぼれ落ちそうである。ここは上へ登ったら下へ降りてこなければならない。あんなにひしめいていたら往復にどのくらい時間がかかるだろうか。

 それよりも北京から高速道路でやってきて、高速出口から八達嶺までの道はバスや乗用車で数珠つなぎになっていることだろう。しかも八達嶺の駐車場の収容台数は限られているから、あの混雑からみて駐車場に入るまでどのくらい待つことになるか考えるとおそろしい。

 一度は行きたいと思っていた九寨溝も入場制限をしていると言のに、正月の浅草寺の初詣でみたいに混んでいた。そのほかの有名な観光地も同様だろう。 

 中国のいろいろな観光地を訪ねたけれど、まだ行っていないところがたくさんある。いつかまた機会があれば、と思っていたがこんな様子ではあきらめるしかなさそうだ。どの観光地も日本の観光地よりも広いけれど、何せ日本の10倍以上の人口の国だから、人が押し寄せたらたちまちあふれかえってしまうのだろう。

 中国人もゆとりが出てきたと言うことでめでたいけれど、私から見れば中国は遠くなってしまった。しかも北京を始め大都市の大気汚染は最悪の状態が続いている。ますます中国は遠い。

 ということで、中国大好き人間(嫌いでもある)なのだけれど年に一度か二度の海外旅行については、当分の間は東南アジアや台湾を訪ねることにしようと思う。というわけで今週末からベトナムへ出かける予定だ。小型のパソコンを持って行くかどうか(ネットをするかどうか)いま迷っている。中型のリュックひとつしか荷物を持たないつもりだからパソコンが入りきらない可能性が大きい。入らなければ置いていくだけだ。最近は手荷物を預けたことが無い。気楽でスムーズ、快適そのものだ。土産もほとんど買わないし。

2013年10月 6日 (日)

曽野綾子「想定外の老年」(WAC)

 副題・「納得できる人生とは」。

 東日本大震災で被災した人たちが口々に「今までに見たことも経験したことも無く、想像したこともないような地震と津波だった」と語っている。これを想定外というのだ。

 しかしマスコミや市民運動家は「想定外」を言い訳にすることは許されない、と息巻いている。想定外だったことは想定外なのである。問題はその想定外の事態が起きたあとに出来ることをしたのか、最善が尽くされたか、ということだろう。「想定外」を認めない、という立場に立つとかえって責任の所在が曖昧になってしまう。

 ところで高齢化社会は想定外のことか。ひとが老年になることは想定外のことか。人は死ななければ年をとる。出生数が少ない事態が継続的に続き、成人の人口が多ければ年数とともに社会が高齢化することは曲げられない事実だ。そしてくどいようだが自分が年とともに老人になることも避けられない。

 表題の「想定外の老年」には、そういうことに思いが至らない(想定できることが想定できない)現代社会の多くの人に対する皮肉が込められているのだと思う。

 「自分の生き方」そして「自分の死に方」は自分で決めるほかは無い。誰にもその責任を負わせることが出来ないのに、日本はいつの間にか当たり前のように誰かに頼ろうとする甘えた世の中になってしまった。

 この本では、望むと望まざるとに関わらず、自分の生き方は自分で決めて生きなければならない、ということを繰り返し語っている。

 しかし弱者は切り捨てて良い、などとは決して言っているわけではない。それは著者が数十年続けてきた活動が証明している。ひとは自分に出来ることをすればいいのだ。

 全体が18章の短い文にまとめられている。とても読みやすいし何度も読んだことのあるような逸話が新しい視点で語られていて飽きない。

役割決まる

 嫌いな運動会の裏方の役割が用具係ということになった。良かった。力仕事ならまだ何とか人並みにこなせる。

 心なしか帰り道のキンモクセイの香りが特にかぐわしい(それほどほっとしたのだ。応援団や子供集め係にならなくて良かった)。

 ところで集会などで無意味としか思えない発言を極めて論理的に発言する人がいる。あれもひとつの自己顕示欲の表れなのだろうか。見るからに賢そうでノーブルに見える紳士然とした(みんな同じような意味か)おじさんが集会の終わる時間をただ遅らせる結果にしか成っていないことに気がつかないらしい。このようにいままでも生きてきて、これからもこうして生きていくのだろう(拓郎か!)。

 サイレントマジョリティでは無いけれど、どうでもいいことは沈黙する。どうでもいいわけでは無いことでもたいしたことで無ければ沈黙する、という生き方をしてきた当方としては腹も減るし、ややむっとしてしまう。心が狭いと思うがひとの時間を無駄にするな、とも思う。

 どうもそのどうでもいいことを書き連ねてしまった。反省。でもブログってそういう面もあっていい(でしょ?)。

運動会嫌い

 運動会が嫌いである。理屈抜きで嫌いだからしかたがない。運動会の好きな人もいることは承知しているし、運動会が好きな人が嫌い、ということはもちろん無い。

 子供の時、とてつもなく運動が苦手だった。だから運動会というのは屈辱の日だった。中学生時代以降はスポーツの部活に入り、それなりに体力をつけたのでその後は人並みになったけれど、小学生までのトラウマは未だに解消していない。

 今月マンションの運動会がある。二千人以上が住むマンションなのですぐ近くの小学校の校庭を借りてほぼ丸一日プログラムが組まれる本格的な運動会が行われる。今年の組長を仰せつかっているので夏祭りに続いて運動会の仕事をしなければならず、本日これからその打ち合わせがある。

 たいていのことは引き受けるつもりだが、運動会の役はしたくない。それなのに前回の組長の時はなんと応援団長などというものを引き受けさせられた。思い出したくも無い記憶だ。

 運動会の主役はやはり子供たちだ。子供というのは勝手なもので(大人もそうだが)、集めて並ばせるだけでも大仕事だ。怒られないのを見越してわざとふざけるやつばかりである。

 サボりたいけれど、そういうわけにもいかず、楽な仕事に当たらないかなと期待しているが、多分割り当てられるのはろくなものでは無いだろう。嫌いだからしようが無い。

2013年10月 5日 (土)

続・ドキュメントを見る

 NHKBSで9月の29日と30日の二日間にわたって優れたドキュメントとして各賞を受賞したものを放映した。先日一日目の分を見て報告したが、今日は二日目の分を見た。何しろ4本取り上げられていて約5時間の長さである。そのうちの一本目に当たる「死刑弁護人」については申し訳ないがパスした。

 残りは「メルトダウン 連鎖の深層」「メルトダウン 原子炉冷却の死角」「追跡 復興予算19兆円」の三本である。

 「メルトダウン」二本は、福島第一原発の事故についてNHKが独自にあの原発の現場にいた人たちに直接取材して、政府事故調などの報告書に記載されていない事実を明らかにしたものである。

 「連鎖の深層」では主に第二号機のメルトダウンに至る経緯が詳しく再現される。電源喪失により、原子炉格納容器内の冷却のための注水を行うことが出来なくなったのだが、外部から水を入れるためには内部の圧力を下げなければならない。そのための弁が何カ所もあるのにどれひとつとして開けられないで手をこまねいているうちにメルトダウンが起きてしまった。このときに電源を補助するためのバッテリーがあれば少なくとももう少し時間を稼げたことは報道の通り。

 あのとき必要だったバッテリーは12ボルトのもの、ところが緊急要請で届けられたものは2ボルトのものばかりで使えなかった。そして12ボルトのバッテリーが大量にかき集められたのだが20キロだか30キロ圏の外側で足止めとなり、ついに届けられることが無かった。

 間に合わなかったのでは無い。防護体制のある輸送手段が無かったのだ。事故発生の場合の物資の輸送が想定されていないという驚くべき事実が明らかになる。

 「原子炉冷却の死角」では主に一号機と三号機について詳細に報告される。一号機については、冷却システムは電源を喪失しても稼働するシステムとなっていた。だから最も安全であると皆確信していたし、東京電力から政府にもそのように報告されていた。

 そのICというシステムが実は遮断されたままであったことが明らかにされる。このシステムのスイッチを入れると原子炉に負荷が大きいということで、入れたり切ったりしながら安定化を図っていたのだが、その最中に津波に襲われ、管制室の電源がすべて落ちてしまった。ICシステムが稼働しているかどうか、確認するすべが無くなったのだ。皆は入っているものと盲信し、しかも別の方法で確認したとされたものが全くの勘違いであったことがあとで分かる。何せ一号機がいちばん早く水素爆発を起こしたのだから、冷却が出来ていなかったのは間違いない。

 そして三号機の状況にも死角があった。消防車のポンプにより原子炉に注水するという方法で冷却を計ったのだ。そして注入量から考えて原子炉内の水の量は十分なはずだったのだが・・・結果的に炉内の水面はどんどん下がり続け、炉心がむき出しになり、ついにはこの三号機も水素爆発を起こす。

 何が死角だったのか。実は消防ポンプからのパイプに小さなバイパス路があった。このバイパスは復水機という装置のポンプにつながっている。そして装置が稼働していればポンプから復水器への道へ流れることは無い。しかし電源が喪失しているからポンプは死んでいた。そのためにポンプを通して半分以上が復水器に送り込まれていたのだ。これはあとで復水器に無いはずの水が大量に存在していたことで確認されている。必要な水に足らず、ここも炉心がむき出しとなってメルトダウンし、水素爆発した。

 どの事態も、もしそのときにこうしたら、とか、ここに気がついていたらと思われるものばかりだ。人為的なミスと言われてもしかたがない。

 比較としてアメリカの状況が報告された。アメリカではどんなに万全を期しても事故は起こりえる、という考え方だ。だから事故が起きたらどうする、という点で過剰なまでの対策を講じている。たとえばICという装置が稼働するとどのようなことになるのか確認するために四年に一度装置を稼働させる。稼働の有無は誰が見ても一目瞭然で勘違いはあり得ないという。ところが日本では40年間装置を動かしたことが無いのだという。また事故対応の物資の備蓄、防護服と防護車による輸送についても過剰なまでの準備があった。

 事故は起きるものだ、として起きた場合に対して万全を期すアメリカと、事故が起きないために万全を期したから事故は決して起きない、という日本。安全神話というのはこういうものだろう。安全神話を語らないと原発を作ることが出来ない日本。そして安全神話を語るうちに最もその神話を信じてしまったのが専門家であり東京電力だった。

 日本人の国民性の中にこの安全神話を醸成する素地があるような気がする。

 「追跡 復興予算19兆円」はやはりNHKが昨年放映したもので、わたしもリアルタイムで見た。だから二回目である。復興予算といいながら沖縄の道路建設やシーシェパード対策など、考えられないところに予算が割り振られた。NHKのスタッフや専門家がそのうちの9.5兆円についてチェックし、2兆円以上が明らかに被災地と無関係としか思えないところに予算を配分していた。この番組のあと国会でも追及されたので記憶されている方も多いだろう。

 しかも被災地の人たちのグループでの仕事の再建案に対しての予算は60%が却下された。予算が限られているから優先順位があり、やむを得ないのだという。

 実はこの番組を見て民主党に対する堪忍袋の緒が切れた。

 復興予算を明らかに理屈の合わない名目で予算をぶんどった各省庁の課長に対してNHKがインタビューしている。まともな神経なら恥じ入らないといけないと私などは思うが、恬淡として何の後ろめたさも感じている気配が無いことに驚いた。

 蓮舫議員が予算を精査して無駄をなくす、と鳴り物入りで吠えていたが、それならこのような理不尽な予算は徹底的に糾弾するのが当時与党だった民主党政府の役割だろう。

 ところが国会でこのことを追及されると自らの不明を恥じるどころか官僚を擁護し、いいわけに終始していたのだ。これが自民党の無駄遣いをなくすと公言して政権を執った民主党の正体か、と怒りを覚えたのだ。

 とにかく一気にこれだけ中身の濃いドキュメントを見ると疲れる。少しハイテンションになってしまったのでアルコールで散らすことにしよう。長文を読んでいただいてご苦労様です。

内田樹・釈徹宗「聖地巡礼」(東京書籍)

 土地には感性の鋭いひとに霊性を感じさせる場所がある。それを聖地と呼ぶのだろう。それは長い時代と多くの人々によって意識されて、または時に無意識のうちに認知されていく。

 そのような聖地を釈徹宗老師が選定し、内田樹先生と巡礼部の面々とともに訪ねる。聖地を廻りながら老師が歴史的、宗教的な背景をうんちくを傾けて語り、先生が全く違う切り口の視点から感じた共感と私感を語る。最後に老師の講話があり、ひとつの聖地の訪問が完結する。

 この本では3つの聖地を歩いている。「大阪・上町台地」「京都・蓮台野と鳥辺野」「奈良・飛鳥地方」の三カ所である。それぞれの聖地の現在のたたずまいは全く異なる。その理由についても思いをはせ、人間の営みについても考えさせられることになる。

 それにつけても現代のその霊性についての感度の鈍化は甚だしい。本来の日本人はそうではなかったはずなので、何がそこまで人間の感性を劣化させたのかはよく考える必要がある。そういう意味ではここで取り上げられた聖地を歩くというのは意味があることなのでは無いか。いわゆるパワースポットと騒がれている場所を訪ねる若い女性が増えているのは理由のないことでは無いのかもしれない。

 老師と先生について歩く巡礼部の面々というのは先生の自宅でもあり道場でもある「凱風館」の「部活」のひとつに参加している人々だ。

 わたしも神社や仏閣を訪ねることが好きだ。そこで何かを感ずることもあり、何も感じないこともある。その場所にまつわるいろいろな知識があると自分のアンテナの指向性が働いてもう少し感度が上がるのかもしれない。

 この本に書かれている場所は十分に予備知識を得ることが出来たから機会があれば訪ねてみたいと思った。

 これから老師と先生と巡礼部は全国の聖地を訪ねるつもりのようだから続編が出ることだろう。それも楽しみだ。それにしても老師と先生の該博な知識とそれを想像力豊かに膨らませて思考を遊ばせる才能に感心した。

2013年10月 4日 (金)

ボリュームがうれしい時代もあった

 学生時代に米沢で暮らした。米沢は米沢牛の街で、精肉は手が出ないけれど内臓はホルモン焼き屋で安くふんだんに食べることが出来た。

 九十九里に近いところに育ったので魚を食べて大きくなった。その頃の米沢に売られている海の魚は決して手が出るような代物では無かった(鮮度も値段も)。魚といえばドジョウか鯉だった。

 それよりも若いから肉に飢えている。ホルモンとはいえ肉である。それが一人前100円台で食べられる店があったから腹一杯食べた。10人前くらい平気で食べた。

 学生では無くなったのに焼き肉といえば下を向けなくなるほど腹一杯食べるものだと身体に刷り込まれていたので食べに食べた。学生の時には金に限度があったが働いていれば収入があるから心置きなく食べた。

 こうしてボリュームこそ命、という生活を続け、気がついたらおそろしいほどからだが膨らんでいた。

 話はそのことではない。本が好きで、活字を読むことが好きだ。内容がどうであれ同じ値段で厚くて字が細かい本ほどうれしかった。読み応えがあって一日で読みきれないような本に出会うと感激した。

 ところが情けないことに年齢とともにパワーが低下した。

 いまマイケル・コックスという作家の「夜の真義を」という本を読み始めたところだ。二段組でしかも小さな字で600頁を超える本だ。文庫本なら一時間で100頁くらいは読めるのに、この本ではようやく50頁であった。

 くたびれたので酒のつまみを買い出しに行き、酒を飲み始めた。続きは明日だ。今日の目玉は稚鮎。それも5センチ以下の小さなもの。パックで百匹を超えるのを二パック買って少し辛い目に味付けした。酒に合う。

 話は戻るが「夜の真義を」はウンベルト・エーコの「薔薇の名前」以来のボリューム感のある本だ。頁を繰るのが楽しくてしかたがない面白い本なのだが、このボリュームがうれしいようなため息が出るような気持ちである。衰えたり。

偽の日本酒

 上海で日本製食品を偽造している場所が摘発を受けた。

 そこには日本酒や日本の酢のラベルをつけたビンが並んでいたという。日本酒の銘柄は「日本盛」「菊正宗」「久保田」「男山」「月桂冠」など多種類に及んでいた。

 これらは高級輸入酒として日本料理店や高級ホテルに販売されていた。中身は・・・老酒や白酒を水で割ったり混ぜたりしたものらしい。

 日本酒をたしなむ人間なら一口飲めば分かりそうなものだが、それが商売になっていたところを見れば中国にはよほどの味音痴が多いのか。
 
 多数の日本料理店が被害に遭ったというから日本人もずいぶん飲んだと思われる。我慢して飲んだのかやっぱり分からずに飲んだのか。

 日本酒なんてこんなまずいものか、と中国人に思われたのがなにより悔しい。

土屋賢二「哲学者にならない方法」(東京書籍)

 気がついたら土屋賢二センセーの本が二十冊以上たまっていた。いままでは本を読んだだけでは、センセーがお茶の水女子大の哲学教授だ(いまは退官して名誉教授なので、だった)というのが信じられなかったけれど、この本を読んで初めてそうらしいと得心した。

 センセーの本が普通のエッセーの棚に列んでいたら多分もっとたくさん売れていただろう。多くの人が「なんだこれは!」と思うような不思議な本を書き続け、一部のファン(とても限られていることとは思うが)をしっかりと獲得しているに違いないが、もっとたくさん出会いがあればもっともっとファンが増えるだろう。わたしのような。

 哲学者の書いたユーモアエッセーなどというから、敬遠するか素通りされてしまう。読んだら麻薬的に面白いのに(ただし専門書を除く)。

 そう、センセーの本は麻薬的である。読んだからといって人生観が変わるわけではなく、学問に目覚めるわけでもなく、元気が出るわけでもない。それどころか笑っているうちにあっという間に(本当にあっという間だ)読み終わってしまって、さて何が書いてあったのだろう、と思い返しても何もない、という不思議な本なのだ。それなのに新刊を見つけると(思想・哲学のコーナーを探さないとならない)やめようと思ってもつい手に取りレジに持参してしまうのだ。これを麻薬的といわずになんといおう。しかし幸いなことに禁断症状が出るほど強い副作用はないのでそこは安心だ。

 本題に戻ろう。この本はその土屋賢二センセーが、若者が哲学者などという「親も望まないもの」に成らないため、という目的で書いた本、という触れ込みで書き出しているのだが、実はこっそりと若者を(若者ばかりでなくあなたも)哲学者にするための本である。

 この本は土屋賢二センセー初の自伝的エッセーと銘打たれている。確かにかなり詳細な自伝になっているけれど、こんな風に風になびく柳のように生きていても哲学者になら楽に成れる、と錯覚する若者が必ずいるに違いない。

 後半はセンセーにしては少しシリアスな語り口になっている。精神の限界まで哲学の難問に取り組む様子はウソでは無いらしいが、もしかするとこんなに脳天気なセンセーがこんなに夢中になれる「哲学」って案外面白いのかも、と若者を勘違いさせるしれない。ゆめゆめ油断をしてはいけない。

 ひとはセンセーのような哲学者などというものにならないでまっとうに生きなければならないのだ。 

 でも限界まで無い頭を絞るってどんなに面白いのだろうと思わないこともない。

2013年10月 3日 (木)

内田樹・名越康文・橋口いくよ(対談)「価値観再生道場 本当の大人の作法」(メディア・ファクトリー)

 言葉は本来攻撃的な性格を有している、という。考えてみるとなるほど、と思う。ひとはその攻撃性を表さないのを作法としてきた。ところが匿名という立場に立つとその作法の必要性が不要であるかのように錯覚する。 

 インターネット上の揚げ足取りやエスカレートした個人攻撃が氾濫する現代に、あらためて大人の作法について考える。

 巻末に橋口いくよが「枠」があることの自由について語っている。対話の中で対話相手と共通の枠を想定することで得られる自由というものにとても感心するとともに、そういう相手が得られた彼女の喜びをうらやんだ。

 内田樹先生や名越康文の語っていることは、分かるひとには打てば響くように即座に分かるが、分からないひとにはさっぱり分からないかもしれない。

 出来れば大多数のひとが彼らの言葉を即座に理解できるようになることが望まれるが、それはその方が世の中が生きやすくなるだろうと思うからだ。しかし現実はそうではない。それだけ生きにくい世の中だし、これからますます生きにくくなるかもしれない。

 世の中を少しだけでも生きやすくするために、志のある人にとって自明のことが書かれているけれども、この本を読んでみて欲しい。もやもやしていたものが少し晴れるはずだ。

曾野綾子「曾野綾子の人生相談」(いきいき)

 著者は人生相談など個別の問題に答えるのは控えていたという。それは個人の問題を解決するのはその個人しかないのだと考えていたからで、あえて相談するなら最も親しい人に相談するくらいしかないだろうと思っていたからだ。そうでないとその人の事情が本当には分からないからだ。

 しかし著者自身が高齢になって、相談者本人とは最も遠いところに立つ人間として出来ることがあるかもしれないと考え直して、あえて相談に答えることにしたのだという。

 曾野綾子の本をずいぶん読んでいるし、考え方もそれなりに承知している。いろいろな相談に対しての彼女の回答は、やはりそうだろうな、というものであった。もちろん読んだあとにそう感じるのだけれど。

 この本で取り上げられている相談者はほとんど五十代以上である。むしろその相談者たちの質問というのに興味を持った。相続や親類との関係、友人問題、家族の問題、配偶者、子供たち、兄弟親子についての悩みが語られる。

 女性が多いようで、相談者自身が空回りしているものもあるが、本当に深刻なものが多い。介護の問題などはその立場に自分が立ったらと思ったら人ごとではない。これは介護する立場としても、介護される立場に立ったとしても切実だ。

 回答で簡単に救われるとは思えないけれども、相談者は自分を少し突き放して考え、自分をもう少し大事にしてもいいのだと開き直ることで楽になるものも多い。悩むひとにとって自分を悩ませているものが悩みの元と思いがちだけれど、実は悩みの元は自分自身であることも多いようだ。

 昔営業の仕事で走り回っているときに、ラジオの人生相談を聞くのが楽しみだった。他人の人生を垣間見る密かな喜びというやつか。回答者の巧みな回答には感心し、お粗末なものには怒りを覚えた。

 そしてやはり悩みを解決するのは自分自身しかないのだということも教えられた。他人は決して代わりに解決などしてくれない。

 朝起きたらメガネが見当たらない。考えられるところをくりかえし念入りに探しているのに見つからない。消滅したか寝ている間に誰かが家に侵入して持ち去ったかなどとあり得ないことまで考えた。

 汗までかいて三十分以上探したあと、まさかというところから出てきた。なぜそこにあったのか理由は分かっているが、いささか自分に自信を失った。せめてもう十年くらいは(出来れば二十年)神様も意地悪をしないで欲しいと心から思った。神様本当にお願いです。

2013年10月 2日 (水)

韓国の高齢者福祉

 国連の人口基金などが10月1日の国際高齢者デーに各国の高齢者福祉の水準を数値化して発表した。

 その韓国の評価が世界の67位という低水準だったことが韓国内で話題になっている。ちなみに日本は10位で中国は35位だった。

 韓国は中国以上に儒教的な生き方の国で、長幼の序は世界で最も徹底している国だった。目上の人の前ではたばこも吸わないというほど徹底した国だったのだ。もちろんどこの国よりも高齢者を大事にしてきたし、家族全体が高齢者の生活を支えてきた。

 思うにそうやって各家族が高齢者を支えてきたために、社会による保護が不要であり、社会的なシステムが遅れていても問題がなかったのだろう。

 ところが韓国も核家族化が一気に進み、儒教的な伝統が若者に伝えられなくなった。そうなると高齢者を支える社会的なシステムの遅れが一気に顕在化したのが今回の評価結果につながったのではないか。

 韓国の良き伝統が失われたことを感じた。

 韓国経済は右肩上がりの経済が終焉に入りつつあるともいわれる。国家の歳入も苦しい事態に追い込まれそうだ。そんなとき、いままでよりも福祉に予算を割くことはなかなか困難だろう。国債を発行して補填するにしても日本のように国民ではなく、海外に依存しなければならない可能性が高い。

 そのときにいまのように中国ばかりに頼っていて良いのだろうか。

 そろそろ日本と仲直りする潮時だと思うがどうか。

内田百閒「無弦琴」(旺文社文庫)

 谷中安規画伯(内田百閒名付けて風船画伯)が描くところの「百鬼園先生撫箏之図」にまつわる話が巻頭に揚げられた「弾琴図」という小文である。

 この画はこの旺文社文庫の内田百閒全集では「続百鬼園随筆」に収められている。

 法政大学の争議で失職し、定職を失った内田百閒はそれをさいわい誰にも会わず、髪も切らず髭も剃らずに日々を過ごしていた。本を出版するに当たり、風船画伯が佐藤春夫の紹介で内田百閒の肖像画を描きにやって来るのだが、その姿に絶句する。

 内田百閒は琴を本格的に勉強してきた。小さいときから琴の師匠の元に通い、練習も欠かしていない。当時の琴の先生は盲人が多く、先生の多くも盲人であった。後年、宮城道雄にも師事し、親交も結んでいる。

 この画が書かれたときには収入が途絶えていたために琴の糸を買う金すらなく、糸の切れた琴を前にして蓬髪、髭ぼうぼうの姿で呆然と座っていた。これが「無弦琴」の題につながっている。

 画を描いているそばで無聊を託ち、話しかけたりあちこちきょろきょろすると画伯から「動かないで!」と叱責される。

 一日かけて風船画伯が下描きをした。翌日仕上げに訪れた画伯は再び絶句する。

 百鬼園先生、床屋で髪を切り、髭を剃ってさっぱりとしていたのだ。

 芥川龍之介との交友、その自死についての文章や、不気味な小説「白猫」などが収められている。

映画「Virginia ヴァージニア」2011年アメリカ

 監督フランシス・フォード・コッポラ、出演ヴァル・キルマー、エル・ファニング、ブルース・ダーン。

 やや前衛的なスリラー映画と言ったらいいだろうか。作家である主人公(ヴァル・キルマー)の見る、現実か夢か分からないシーンではモノクロ(一部だけ原色の赤や黄色で着色していたりする)である。

 全体の解釈がまとめにくかったのでウィキペディアを参照してみたら、おそろしくシンプルなストーリーにまとめられていた。ラストシーンからこんな解釈もありかもしれないが、もう少し複雑に受け止めた方が面白い。

 ほとんどアル中の主人公が小説を書き始めると、いつの間にか妄想の世界に入る。目覚めると現実に戻るのだが、彼の小説世界は徐々に進展しているらしい。夢想世界に現れる美少女(エル・ファニング)の存在意味は、この怪しげな街の死体置き場に置かれた少女の死体と言う事実と主人公の空想とをつなぐものなのだろうか。

 この少女の死体の顔を主人公はラストシーンまで見ようとしない。彼にとってこの死体は主人公の事故死した娘であり、しかも吸血鬼の少女でもある(もちろん実際には違うけれど)。ラストシーンでこの少女の顔を正視したとき、彼は真に覚醒したのだろうか。

 劇中でエドガー・アラン・ポーが登場し、主人公にいろいろな絵解きをして見せる。そしてあの美少女とポーとの関わりをつぶやくが、その意味は何か。そして時計台の時計たちはどうして同じ時を示さないのか。

 解釈しようとするから意味がすり抜けると言うことだろうか。分かったようで分からない映画だった。

 ヴァル・キルマーがアル中作家を演じるためにぶよぶよの中年男として登場する。別人かと思った。

用心棒死す

 ジュリアーノ・ジェンマが死んだ。自家用車の運転をしていて対向車と正面衝突をして事故死した。

 大学一年生の頃、映画は見たいのに金があまりなくて、安い映画館の三本立てをよく見た。ジュリアーノ・ジェンマの用心棒シリーズなどのほとんどをここで見た。四本立てのこともあった。朝一番に小屋に入ってラストまで二回も三回も見ると、筋が重なって何がなにやら分からなくなった。

 マカロニウエスタンではないけれど、「バスタード」という現代物の映画が特に強く記憶に残っている。母親と息子たちがすべて犯罪者で、一番下の息子であるジュリアーノ・ジェンマだけがその家族に違和感を抱いている(それには理由がある)。その映画のヒロイン役の女優の唇がとてもセクシーだった。

 ジェンマ享年75歳。75歳で車を運転するのはやはり危ないのだろうか。

最後のあがきか?

 アメリカの新年度の国家予算が成立せずに政府機関の一部が閉鎖に追い込まれた。共和党、特に中心になっているティーパーティの議員50人ほどが強硬なために全く折り合いがつく気配が見えない。

 ティーパーティは自己責任の社会、小さな政府を求めているという。その精神の部分では共和党全体が賛同するところなのだろう。

 しかし本音のところではどうなのだろう。黒人であるオバマが大統領であること自体が許せない、というのがちらちら見え隠れする。しかもそのオバマ大統領が黒人やヒスパニックの多い貧困層の救済のために国民皆保険を推進しようとすることなど許しがたい、と考えている。

 アメリカ式の弱肉強食の論理はプロテスタントの先祖の時代から心身に染みついた思想だろう。

 つまり国を開き、経済を興し、アメリカをここまでしてきたのは彼ら白人たちだったという気持ちがあるのではないか。その白人の努力の成果である金を、努力もしない貧困層に分配するなどもってのほか、というのが彼らの本音ではないのか。

 差別化の進む社会では富の再分配を適正に行う必要があることは自明のことである。それが不十分だと社会は必ず不安定化する。

 しかしティーパーティはそんなことはお構いなしだ。

 これからアメリカは今月15日の国債発行枠の拡大の是非という問題に直面する。いまの国家予算の不成立の状況のまま妥協なしにその事態に直面すれば最悪アメリカはデフォルトの危機という滝を落下する事態になりかねない。

 しかし世界も、もちろんアメリカ国民もそんなことは望んでいない。そして万一の時には犯人を指さすなら共和党を指すに違いない。共和党は民主党が妥協することを期待しているようだが非難されるのは共和党だと思う。

 これから二週間、マスコミ主導の論調が共和党非難に傾き、共和党の大勢がティーパーティを押さえて民主党に妥協することを期待するしかないようだ。

 人口的にも有色人種が優勢になりつつあるアメリカの白人たちの最後のあがきが見えるような気がする。どちらにしてもオバマの勝ちで終わるしかアメリカには道がないと思うのだが。

2013年10月 1日 (火)

ドキュメンタリーを見る

 NHKBSでベストテレビ2013として昨年からの一年間に放映されたドキュメンタリー番組(NHKと民放を併せたもの)の、特に優秀なものをまとめて放送していた。今日は土曜日に放映されたものから。

 「仰げば尊し」は読売テレビの制作。定時制高校の体育教師で柔道部の顧問の先生(ほとんどその筋のひとにしか見えない)の話だ。赴任したときには三人しかいなかった柔道部を、なんと三年で、全国大会で優勝するチームに育てあげた。部員には問題児も多い。中学生時代に学校から見放された子供を自ら引き取り、たたき直していく。問題児というのはほとんど矯正不能だろう、と私などはつい考えるけれど、その不可能を可能にする物語だ。もちろん暴力は振るわないけれど、言葉はきついから、これをいじめと騒ぎ立てるマスコミもありそうだ。

 その熱い心と無尽蔵にわき出すエネルギーはすばらしい。エネルギーがなければ問題児には向き合えないだろうとしみじみ思う。そういえばむかしはこんな先生が結構いたような気がする。この番組を見たゲストが「問題児というのは、世の中は努力すれば道が開けるものだし、努力することには意味がある、と言うことを知らない。それを初めて子供たちが知った意味は大きい」と感心していた。この言葉にはとても共感した。機会があればその意味を詳しく語りたい。

 次が「イナサがまた吹く日」。仙台市の郊外、荒浜が舞台。NHKは七年前にこの集落を番組で取り上げていた。その荒浜は津波で壊滅的な打撃を受けた。七年前に取材したひとと津波のあとの同じ人々とを描くことで失われたものと引き継がれたものが見えてくる。取材側が画面に極力出ないように細心の注意が払われることで、こちらが荒浜の人たちの気持ちにシンクロしてくる。しかも被災者の涙が極めて抑制されていることで、その深い悲しみと東北の人々の芯の強さがかえって鮮やかに浮かび上がる。

 七年前に小学生だった娘が被災後には高校生として登場する。この娘がちょっとケバい化粧をしているが、実は漁師の祖父に対して、そして家族に対して深い愛情を抱いていることが次第に分かってきてつい涙ぐんでしまった。自分の娘、ドン姫にオーバーラップさせてしまったのだ。この作品が特に良かった。

 もう一つ、最後はALSの女性が主人公だ。これはフジテレビの製作。筋萎縮症という難病で全身の筋肉が次第に衰えて立ち上がることが出来なくなり、ついには呼吸すら出来なくなることで死に至る。いまは人工呼吸器をつけることで延命が可能なのだが彼女は人工呼吸器をつけることで会話が出来なくなることからそれを拒否する。

 彼女は若いときにアメリカ人の男性と結婚、ニューヨークに移り住んだがまもなく破局、しばらくひとり暮らしをしたあとに帰国して外資系の会社に勤めていた。

 突然の発病、しかも病の進行は彼女の場合特に早かった。さいわい友人に恵まれ、友人や親類の支えで何とか自宅で暮らしているのだが、次第に最期が目前に見えてくる。そして彼女は死ぬまでに元の夫に会いたい、と望む。元の夫は新しい家庭を持ち、子供もいて幸せな暮らしをしている。

 しかし彼は快く彼女に会うことを承知する。彼女をニューヨークに連れて行き、彼のエスコートで昔ふたりで歩いた場所へ行き、訪れたレストランで食事をする。いい男だ。

 彼女は日本へ帰り、ますます病勢が悪化、ついには帰らぬ人となる。

 死ぬと言うことを普通の人はいつのことだか分からない状態で迎える。しかし彼女は常に眼前にそれを見ながら日々を送る。そしてカメラは淡々とそれを追い続ける。最初はそのクールさが少し不快だったが長期間彼女を追い続ける側の苦しみというものに思い至って見方が大きく変わった。人の死は重いものだと当たり前のことにあらためて気づかされた。 

 こんないい作品が放映されているのだ。テレビ局もがんばっていることを知ってうれしい。いいものをこれからも作ってつまらない番組を少しだけでも駆逐して欲しいものだ。これは見る側の問題も大きいのだろうなあ、と思ったりした。

北京の大気汚染

 収まっているかと思った北京の大気汚染が再び深刻な事態になっている、とニュースで報じていた。高速道路が走れないほどの霞んだ大気はいかにも身体に悪そうだ。

 そういえばその前にちょっと気になるニュースがあったのを思い出した。

 北京市の発展改革委員会は、2011年からの五カ年計画(第12次)の中間報告を行った。この計画には25の項目について目標が設けられていたが、そのうちの4つが目標に達していないという。

 一つは住民の収入増加目標である。2011年、2012年とも目標に達していない。これは低収入層が増えているからだという。

 次は再生水の利用率の向上。目標は75%だが、2010年が60%で2012年は61%と1%しか向上していない。ほとんど達成は不可能だろう。

 次は耕地の減少の歯止め。現在も減少に歯止めがかからず、最低ラインまであとわずかとなっている。

 さらに大気汚染の目標も定められていたのだが・・・。この目標は撤回されたので未達成との評価もされないことになったそうだ。都合が悪くなると撤回できるものらしい。

 しかし委員会は「大気の質は明らかに好転している」と報告している。それによると2級および2級以上の良好な日の割合は、64%から78%に増加しているそうだ。

 さらに北京市政府の広報が中国版ツイッターに開いている公式アカウントで、「北京市の空気は14年連続して改善している」と伝えた。北京市の空気中の汚染物質は2012年には全面的に減少し、二酸化硫黄や二酸化窒素濃度は国家基準に適合している。吸入性粉じん濃度も基準内に収まった、と記載したからたちまち非難の書き込みが殺到した。

 中国では事実でない「つぶやき」がリツイートされると懲役三年の罰則が科せられるという法律が適用されることになった(デマの防止を名目に取り締まりを強化するためだろう)。

 そうなるとこの北京市の広報も罰せられることにならないのだろうか、ともっぱらの話題だそうだ。

内田百閒「続百鬼園随筆」(旺文社文庫)

 内田百閒の文章はやはり旧仮名、旧漢字使いでないとその味わいが伝わりにくいのではないか。この旺文社版はその点原文そのままなのがいい。

 解説によると内田百閒は自分の文章が「随筆」と呼ばれることを嫌っていたようだ。確かに随筆と称する物は世の中に凡百あるがそういう物の多くと内田百閒の文章とは同列に見ることが出来ない。

 内田百閒が凝視する世界は顕微鏡のように細部に及び詳細を極める。そこで表現されるものは現実を越えてしまう。だから写生というよりほとんど創作だ。随筆と小説の間にあるもので、両者を超越している。

 現実を越えると言うことは見えないものまで見ると言うことか。他の人には見えないものを見てそれを表現するからときに不気味な世界がそこに現出する。

 この本には彼が上京する前の若いとき(十八歳頃以前)に「文章世界」という文章指導雑誌(主筆・田山花袋)に投稿して採用された文章なども収録されている。それを読むと彼の才能がよく分かる。

 夏目漱石の門下生に加わりながら芥川龍之介などのように流行作家になることもなく書きたいときに書きたいものしか書かなかった。他人とは違う価値観に基づくダンディズムを貫き通したために常に借金取りに追われ同僚などから借財に借財を重ねて暮らした。

 その自嘲的な自分を突き放したような文章はときに諧謔味を帯びる。たくまざるユーモアはそこから出るのであって本人はユーモアなどかけらも意識して書いているつもりはなかったに違いない。

 この本は初期の作品と法政大学争議に絡んで退任する頃までの作品が集められている。これに「無弦琴」という次の巻が内容的にもつながっているので引き続き読もうと思っている。

 内田百閒は内田百閒の文章を読んでもらわなければその文章の味わいは伝えられない。そして不思議なことに大好きになるひとと何が書いてあるのかさっぱり分からないひととに別れてしまうらしい。

 そういえば山本夏彦もそういう文章を書くひとだった。

 内田百閒や山本夏彦の文章を「いいね」というひとならお友達になれそうな気がする。

(わざと読点なしにして見た。内田百閒が読点を打たないというわけではない。)

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