年年歳歳
有名な漢詩に「年年歳歳 花相い似たり 歳歳年年 人同じからず」というのがある。歳をとるほどにそのことがしみじみと感じられるようになってきた。
日本人はただ「花」と云えば桜の花を想うけれど、この詩で云う花は桃と李(すもも)だ。中国や韓国で「李」という姓の人が多いのはそれだけ李が愛されていたからだろうか。
そんなことを想うのも、もうすぐ父の丸三年の命日が来るからで、しばらく前までは知人の親の訃報をしばしば聞いたのにその頻度が減り、本人たちの訃報がぽつりぽつりと聞かれるようになった。
母も今年の桜の花はテレビでしか見られなかった。私が撮った今年の各地の桜の花の写真を見せても、あまり心が動いていないようなのが哀しい。
花は再生するけれど、人間は死ねば終わり、という無常観のようなものを感じる詩と云うことになっているけれど、そもそも桜の花は散る。特にソメイヨシノは、花は実を結ばず、再生をともなわない空しい開花を繰り返しているのだ、と知ると無常感が増す。
この歌を詠んだ劉廷芝には、日本人の感じるような、桜の花の散る潔さについての美意識など全くないだろうから、同じ詩でも中国人と日本人では受け取り方がずいぶん違うのかも知れない。
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