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2014年5月15日 (木)

労を惜しんで衆を恃む

 昨晩は大阪の夜を楽しんだ。早めに飲み始めたので、いくら飲んでも夜が更けない。飲むほどに気分は高揚し、幸せな気分になる。私の酒はおおむね良い酒で、共に飲む仲間もそういう酒を飲む。

 最後はあのあべのハルカスの19階で、夜景を眺めながら美味しいウイスキーを飲んだ。雨の夜だが、思ったより見通しが良く、あべのハルカスの最上階の60階、地上300メートルにははるか及ばないが、周りのビルを見下ろしながら美しい夜景を楽しんだ。

 曽野綾子の本を読んでいたら「労を惜しんで衆を恃む」という言葉に強く感じるものがあった。

(以下はその内容とは関係なく、私が感じたこと)
 私はデモが嫌いだ。特にあのシュピレヒコールというのが恥ずかしくてたまらない。「何々を何々せよ!」「何々は絶対反対!」などと先頭の人物がわめくのを、後ろで唱和することなど死んでもしたくない。 

 こんなことを言うと顰蹙を買うだろうが、あのセウォル号の沈没事件(事故と云うより事件であるようだ)の高校生たちが自ら撮った船内の様子がいくつか報道されているのを見ても、数を恃んで行動に移さない様子が見て取れる。誰かが「これは危ない、沈没するのではないか、逃げろ!」と叫んだら、雪崩を打って船の外へ出ようとしただろうに、行動に移ることが出来ず、互いが笑い合うことで不安を押し隠している様子が写し撮られていた。

 ああすれば良かった、というのは済んでからだからいえる。その場にいたらなかなか行動に移すことが出来ないこともあるだろう。しかし世の中には身の危険が迫る事態もありうる、そのときは自分で判断しなければならない、という意識を持たないと助かる命も助からない。危険に対するセンサーが劣化している、ないしは失われているような気がする。

 韓国はこのことでセンサーを過剰に働かせているように見えるが、過剰はやがて再びの喪失につながるような気がする。しかも事件の責任を過剰に追及すれば、ますますセンサーに対する感性を取り戻すことがおろそかになるのではないか。日本も、そして私もそれを自戒しないといけない。

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