オーバーアチーブ
お金に細かい人というのがいて、わずか十円のことにもこだわる。お金は粗末にしてはいけないことは分かっているけれど、そういう人にはあまり好感を持たない。割り勘の最後のところはファジーでかまわないし、それで損をしたなどと思わない。
会社に勤めているとき、仕事があまり得意ではない方だったので、いただく給料が自分の成果に対していつも過剰のような気がしていた。だから何とかそれに見合う仕事をしなければ、と云う気持ちを持っていた(なかなか出来なかったけれど)。
ところが自分の仕事に対してもらう給料が見合っていない、と考える人もいることに驚いたものだ。確かにそういう人はよく仕事をする。良い査定をするとさらに頑張る。そして出世欲が強い。ただ、不思議なことにそういう人はたいていほかの人との協調性に欠けることが多く、人と自分の仕事の責任のけじめに極めてうるさい。
グローバリズムが求める人材はこのような人のような気がする。仕事の報酬は成果に見合うものであることを求め、その代わり仕事は一所懸命にする。だから査定が意に染まないときは非情に反発して不満を言う。
そのときの様子が、お金に細かくこだわっているときによく似ている。
海外では知らないけれど、日本の会社で仕事をするとき、たった一人で成果を上げると言うことはほとんどない。成果は多くの人のバックアップがあってのものだと考える。それぞれの人の仕事に境目がないのが普通だ。旨く回っている職場は互いのカバーするものが重なり合っている。
ところが成果主義で個人の評価を重んじると互いの責任範囲は重なり合わなくなる。どちらともつかない部分というのは仕事にはつきものだけれど、互いに自分の責任とは考えなくなるような隙間が出来ることになる。
問題は必ずその隙間で発生する。誰も引き受けないところで起きた問題は、誰も片付けようとしないから放置され、先送りされ、蓄積される。
韓国のセウォル号の事件と日本の失われた年金記録問題とはある意味では同根なのだ。そんな事例は無数にある。これこそグローバリズムの最大の弊害だろう。
誰のものでもない隙間の仕事を黙って引き受けることを内田樹先生はオーバーアチーブという。誰の責任でもない仕事をする人がいる組織は問題を起こさない。問題がないだけで成果には見えないので評価もされないけれど、このような組織は強く、そして生き残っていく。
日本の組織はそのような要素を持つが故に競争力を持っていた。今オーバーアチーブする者よりも、評価と成果を等価に考える者をかき集めている企業が多い。大学に企業が求めているのも即戦力と称する人材だ。
能力が高くて、そして金に細かい人の多い職場は、如何にも強力そうだけれど、働きたいと思わない(もう働かないけど)。
(この項は内田樹先生の本を読んで考えたものなのでほとんど受け売りです)
« 坂東眞砂子「鬼神の狂乱」(幻冬舎) | トップページ | 映画「未来警察」1984年アメリカ »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 天気が好いので(2026.09.05)
- 外は雨(2026.09.04)
- 確かにそうかもしれないけれど(2026.09.03)
- 騒音(2026.09.03)
- 体力が衰えている(2026.09.02)


コメント