この世に真の友はいない(by山本夏彦)
友の幸運は嬉しいものである。けれども二度も三度もかさなるといやな気がする。また友の不運は同情に耐えないものである。けれどもその友を見舞う足どりは我にもあらず勇むのである。
俗に金銭の貸借は友を失うという、だからしないと断る友がある。なに貸したくないのである。真の友なら貸す。そして貸したことを忘れる。借りたほうも忘れる。形勢が逆転してこんどは貸してくれたほうが借りにくると、以前借りた友は貸し手に回れたことを喜んで貸し、そして共に忘れる。かくの如きが真の友ならこの世に真の友はない。
お話変わって中年の妻の五割以上が夫と別れたがっていると、新聞で読むとその気になる妻がいる。夫が退職金を貰うと日ならずして菊池さん又は佐々木さんと妻は夫を姓で呼ぶ。
その声音にぞっとして振り向くと、ながながお世話になりましたが今日かぎりお別れしたいと言う。女はそれが流行となればそそのかされれば何でもする。ひと前でまる裸になるくらいだから、別れもしよう。
けれどもこの世に友はないのである。友のごときものでさえ稀なのである。三十年四十年友に似たものならそれは友なのである。一夫一婦は根本に無理をふくんでいる。けれども人間の考えたもののなかではよく出来たほうだとながめて私は思うのである。(友に似たもの、より)
山本夏彦は心に地獄を持っていた。若いときひとたびふたたび自殺未遂のすえ、死んだまま生き続けた。つまり生きたまま死んでいた。それでも生き続けて友も出来、妻もめとり、子供も作った。
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こんにちは!
お邪魔します!
これは人間だよね~
嬉しいことである、悲しいことである。
それでも生き続けます!
投稿: 幸奈 | 2014年7月 2日 (水) 16時20分