言うのは簡単だけど
仕事で働いている人にはまことに申し訳ないが、家でごろごろしていてもう夏バテ気味である。汗をほとんどかかない生活はかえって身体に良くないらしい。といって出かければ金はかかるし・・・。
本を読むペースも著しく低下、映画やドラマ、テレビのニュースばかり見ている。それにもあきると数字パズル、いわゆるナンプレ(ナンバープレイスか?)をやる。頭の体操のつもりだけれど、あまり集中するとかえって頭が空っぽになっていくような気がする。
NHKで精神病院の長期入院者の社会復帰をテーマにした番組を見た。長期入院者として四十年も入院していた人が社会復帰をして周りの人と問題なく生活している姿が写されていた。
政府は日本の精神病者の入院期間が世界の平均よりはるかに長いことを問題として、入院期間の短縮のための方策を決めたという。これが患者のためであるならばいいのだが、医療費の削減をめざすのが目的なら問題がある。
病院も入院患者に対する医療費(患者一人あたり年間500万支給される。本当だろうか?)をあてにして経営しているところも多いそうで、精神病院そのものが撤退、縮小に追い込まれたら問題だ。
精神疾患、とくに統合失調症は、どんなに平和な国でも人口に対して一定の割合で出現するという。それなら一定の受け入れ体制の確保は必要だ。
番組を見ていて気になったのは、登場した社会復帰が出来た人というのが、薬のせいか多少舌がもつれ気味な点を除けば全く問題があるように見えないことだ。社会復帰が出来て良かったと思うと同時に、長期入院者は全てこのように、実は普通の社会生活を送るのに問題がない人ばかりだ、と誤解されてしまわないだろうか。入院するには入院する理由があったのではないか。
こんな番組の作り方を見ていると、精神病院というのは健常者を強制的に収監する恐ろしいところだと誤解する人もいるだろうし、精神疾患の人が精神病院に治療を受けに行くことを逡巡することにつながったり、必要な入院を拒否することにつながったりしないか心配だ。
精神医療は見えないものを扱うものだけに、その理論に砂上の楼閣のような面がある。それだけを問題視すれば全てが崩壊しかねないし、あまりにそれに偏すれば、人間の社会逸脱行動の全てを精神医療が取り込もうという不毛の暴走につながりかねない。
それを適正に活用するには、経済的視点ばかりに重きを置くことなく、常識という理性的な座標軸を信じるしか手はないのだが、常識は数値化できないものなので、グローバリズムの世界ではなかなか通用しないようだ。
社会が精神疾患者の社会復帰を受け入れられるような仕組み作りと啓蒙が必要だ、と番組では強調していた。これは言うのは簡単だが難しい。入院患者の多くが、家族が受け入れしきれずに仕方なく入院しているのだ。家族すら難しいことを社会が受け入れられるだろうか。長期入院患者がいきなり社会に放り出される、という事態がやってくるような気がする。
番組が真面目に作られていただけにいろいろ気になることがあったのだが、どうもかんじんのことがうまく書けない。
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