真実は実はいやなものである
俗に真実々々とありがたいように言うが真実は実はいやなものである。それを言うには隠して面白おかしくして言わなければならない。面白がって読むうちは敵は本能寺にあって真実は徐々にあらわれる。その面白いところが「小説」で面白いところだけ読んで作者が言いたいところを読まない人がある。読んでくれる人は稀で、それはやむをえない。(薄氷をふむ思いでいる、より)
事実をいくら積み重ねても真実があらわれるわけではない。事実は常に選択されて提示されるから。ひとは見たいものだけしか見ない。そして真実とは見たくないもののなかにある。
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