きれいごと
広辞苑によれば「きれいごと(綺麗事)」とは、①手際よく美しく仕上げること。②体裁をつくろうこと。また、物事の実態を見ようとしないで、表面だけをとりつくろうこと。③よごれないで済ませられる仕事。とある。普通は②の意味で使うことが多く、良い意味で使われる言葉ではない。
ただ、きれいごとを言う人の言うことは、正しいこと、考慮に値することが多い。だから何となく違和感がありながら反論がしにくい。それがさらに不快感を生むことになることも多い。
分かっている人は、きれいごとを言うのを控えるようにしている。自分がきれいごとを言ってるな、と自覚したときなどは気恥ずかしいものだ。
ところが近頃きれいごとが大声で叫ばれるようになり、叫ぶ人間は気恥ずかしさを感じるどころか昂然としている。
どんなことがきれいごとか具体的に言うと、いまではそのことで顰蹙を買うことになってしまいかねない。正しいことであってきれいごとではない、というわけだ。
その風潮が戦後、戦争のことを論じるのを封じ、フェミニストを暴走させ、朝日新聞が自滅することにつながった。
あえてあげればイルカ、クジラに関する世界からの日本バッシングなどがそれにあたるだろうか。不要な殺戮は非難に値するけれど、かわいそうだ、というだけで非難されるのはかなわない。
わたしは世の中にきれいごとは必要だとも思っているけれど、きれいごとを言うことが権利であり、権力になっている事態は如何なものかと思っている。そして本当に言いたいことはいろいろあるのだけれど、今日はテンションが低いのでこれまで。
« 「毛人の親切」(「子不語1」より) | トップページ | 「美女いじめ」(「子不語1」より) »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 雑感(2026.09.06)
- 天気が好いので(2026.09.05)
- 外は雨(2026.09.04)
- 確かにそうかもしれないけれど(2026.09.03)
- 騒音(2026.09.03)


コメント