顔のある世界とない世界

国立民族学博物館には世界の文化物が展示されている。原始的、呪術的なものから宗教的なもの、日常世界で使用する道具まで多様なものがたくさん並べられていて見飽きないのだが、ていねいに見ていると時間がいくらあっても足りない。それに足と腰が持たない。そのため休むための椅子がそこら中にあるのは有難い。
漫然と見るよりもテーマを決めて見た方が良いと感じていたので今回は「顔」をテーマとした。
各地域別に眺めていて、その顔があふれている世界と、全くと云って良いほど顔のない世界があることに気が付いた。アジアやインド、アフリカは顔があふれている。それに対してイスラム世界には顔は皆無である。そしてヨーロッパは・・・古代には顔があり、中世以後は顔が激減する。もちろん宗教的な絵などに顔はあるけれど、生命エネルギーに欠ける。
そう、実感したのは顔の多少こそ生命エネルギーの多少に他ならないのではないか、と言うことだった。そんなことを思うのは、私自身がアジア人であるからだろうか。
イスラム世界はいま混沌としていて、たやすく生命が喪われている。自分の価値観と異なる者を決して受け入れない世界は、世界の多様性を拒否し、創造的世界というより破壊的世界への道をひた走っているように見える。これこそ生命エネルギーの衰退だと私は感じてしまう。
イスラムなどの絶対的な一神教の信奉に未来はあるのだろうか。彼等は偶像を絶対的に排除する。偶像にこそ顔がある。偶像排除は顔の喪失だ。顔を喪失した世界は生命力も喪失している、と見るのは考えすぎか。
そういう意味では中国の展示物に意外と顔が少ないのに気が付く。実際に中国を訪ねれば、昔の英雄豪傑や偉人の像は多数見ることができるから、必ずしも顔がないわけではないが、現代中国には顔があまりない。目につくのは宗教画のような中国の支配者の巨大な顔ばかりだ。
中国の展示物で特に印象的だったのは下の写真。
韓国は整形があたりまえになり、美人があふれているが、次第に同じような顔になっていくように見える。これは顔を作ることで顔を喪失しているということではないのか。
バリ島には顔があふれていた。では日本は?
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