もとのもくあみ
昨晩は節制していた酒食を解禁した。テーブルに食べ物を食べきれないほどたくさん並べてビールと日本酒をゆっくり飲んだ。
定期検診に合わせて節制した効果で血液検査は全て正常値だったけれど、こんな風にしっかり食べてしっかり飲んでいたら、もとのもくあみである。
アルコールを控えていたので喉は渇いているし、空腹だったから格段にうまい。満足感というのは、満たされない状態を経過しないと得られないものだと言うことをあたらめて実感した。
貧しいときになけなしの金でものを買うとその喜びは大きく、幸福感が持続した。金が十分あって楽に買ったときの喜びは本当に当座だけだ。
世の中は豊かになって何でも買える時代になり、あまり欲しくないものまで心理学を応用して購買欲を刺激させられ、気がついたら家にはものがあふれていた。
そこへ景気の停滞が続くのだから、ものが売れないのは当然なのだ。買えないのではなく、買う必要がないから買わないだけなのに、マスコミは世の中に貧しい人が増えたからものが売れない、という。
タンスの中や家の中にあふれているものを捨てないかぎり、人は本当に必要なものしか買わないし、それはそれで当たり前のことではないかと思う。
年金暮らしで使う金が限られてくると、ものに対する愛着が多少戻ってきた。無理して高価なものを買ったときの喜びも大きい。少なくとも私は必要な金だけ有れば良くて、余分な金がない方が幸せな気がする。
人生の最後は無一文に近くて構わないのだ。もとのもくあみ、それで良いではないか。
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