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2014年11月23日 (日)

映画「冬の華」1978年

 「私の」高倉健追悼映画鑑賞、三作目。

 監督・降旗康男、脚本・倉本聰、出演・高倉健、北大路欣也、池上季実子、田中邦衛、三浦洋一、小池朝雄、夏八木勲、小林亜星、山本麟一、峰岸徹、寺田農、今井健二、天津敏、小林稔侍、藤田進、曽根晴美、岡田眞澄、小沢昭一、倍賞美津子、池部良他。

 ヤクザ映画そのものなのだが、倉本聰の脚本だから、少しテイストが違う。子供のときから時代劇の大ファンだったけれど、その流れから任侠映画やヤクザ映画好きになってしまった。それがちょっと今まで見てきたのと違うこの映画を観てしびれてしまった。

 冒頭の台詞とラストの台詞が同じ、というところがしゃれている。音楽はチャイコフスキーのピアノコンツェルトかクロード・チアリのギターのソロのみ。

 冒頭に関西系の組織と組むことを画策して、組うちの裏切り者の立場に立った池部良を高倉健がドスで刺し殺す。池部良の幼い娘が何も知らずに砂浜ではしゃいでいる。そしてタイトルバック。

 殺人の刑に服して15年後、高倉健が出所してくる。15年経てば世間は変わる。しかし変わらないものもあった。15年前の抗争の理由と同じ事態が再び起こりつつあった。人間そのものは進歩しないのだ。

 あの幼かった娘・池上季実子も17歳になっていた。孤児になった彼女を秘かに援助していたのは「ブラジルのおじさん」こと高倉健だった。この映画が和製「あしながおじさん」と云われる所以である。かげながら彼女の様子をうかがいながら対面をためらう高倉健。

 出来れば足を洗いたいと考えながら、抗争の中に次第に引きずり込まれていく。そして悲劇のラストへ。

 ラストは高倉健の顔がストップモーションで映し出され、それがモノクロとなり、過去の映像がそれにかぶさり・・・、それでジ・エンドだと思っていたら、再びカラーにもどってからジ・エンドであった。記憶なんで好い加減なものだ。それに初めて見たときはこのモノクロの高倉健の顔が鶴田浩二に似ているように見えたのに、今回観たらそんな事はなかった。どうしてなのだろう。不思議だ。

 池上季実子がものすごく可愛い。若いというのはいい。相手役の三浦洋一はこのあと良い仕事をしていたのに、若くして死んでしまったのはとても残念だ。

 正義とか悪とは違う価値観の男の世界、これが分かるかどうかがこの映画の評価を分けるのかも知れない。極論を言えば自己犠牲をいとわないかどうか、という世界のことだ。なかなか出来ないことだから、そこに美学を感じるのかも知れない。高倉健はそれを演じられる希有な俳優だったのだ。

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