曽野綾子「酔狂に生きる」(河出書房新社)
読み始めたら、何となくいつものペースで読むことができない。先日読んだ「曽野綾子大批判」が頭に残っているから、内容についてこちらも突っ込みどころを探すような読み方になっていたからだ。
しかしこの本は政治評論的な部分は全くない。単に彼女が自分の生き方を語っている。文章というのはある意味で自己表明でもある。語ることも画も写真も音楽もそうだろう。そこには内容とともに「私はこういうものである」という自己紹介が付随している。というより極論すれば自己表現のために全てがあると言っても良いくらいだ。
だから自分自身だけに向けたものは寂しい。誰かが読んだり見たりすることを期待している。「私はここにいて、こんなことを見て、こんなことを感じ、こんなことを考えているよ」と言いたいのだ。
ブログなんてまさにそういうものだ。だからどれだけの人が見てくれるのかが気になったりする。
それはさておき、この本は彼女の生き方、価値観、いかにそれに忠実に生き、最後を全うしようとしているのかをとても短い文章の繰り返しの中で語っている。何度も聞かされている話が多いのは、書き下ろしではなく、あちこちに掲載されたものをまとめたものだからだ。文章が短いから意が尽くされていないものもある。こちらはいままでたくさん読んでいるから補足して読むことができるので、十分伝わる。
やはり曽野綾子は好いではないか。素直に読めば共感できることだらけである。波長が合わなければ読まなければ良いだけだ。まじめに生きている人なら大抵共感するところがあるような気がするけれどなあ。
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