映画「単騎、千里を走る。」2005年中国・日本合作
玉龍雪山
監督・張芸謀(チャン・イーモウ)、(日本のシーンは降旗康男)、出演・高倉健、寺島しのぶ、中井貴一(声のみ)、邱林(チュー・リン)、李加民、楊楊(ヤンヤン)他。
こんな映画を観たら中国人は高倉健のファンになるだろう。
東北の漁村暮らしをしている高田剛一(高倉健)は、長い間不仲であった息子(中井貴一・声だけの出演)が病で入院したとの知らせを受けて、久しぶりに東京へ駆けつける。しかし息子は面会を拒絶。剛一はやむなく帰る。
そのときに渡された一本のビデオテープがきっかけで剛一は中国の雲南省へ出かける決心をする。
息子のやり残した仕事の仕上げをするためであった。それをすることが息子との絆を取り戻すきっかけになりはしないか、息子という人間がどう云う人間だか分かりはしないか、という強い思いから、人付き合いを嫌い、口べたな男が、全く言葉の分からない地で奔走する。
早朝の麗江故城
雲南省の省都昆明に着き、そこで直ちに麗江へ、そして麗江から小さな村へ、ある俳優を訪ねていく。息子はその俳優に再びやってきて録り残した「単騎、千里を走る。」という演劇を撮影することを約束していたのだ。
ところがその俳優・李加民は傷害事件を起こし、三年の実刑判決を受けて服役中であった。その事件を起こしたのは、李加民のまだ見ぬ息子のことが原因だった。
通訳を介して刑務所まで行って撮影したい、と希望を述べるが、それはガイドの任ではない、と断られてしまう。当然である。息子がその村にいたときの通訳・邱林が安請け合いをするのにすがって、強引に村に残ってガイドに教えてもらった手続きを開始する。しかしこの邱林の日本語はたどたどしくてほとんど通訳の用をなさない。
当然当局はそんな面倒なことには関わりたくないから申し入れを断る。万事休すの状態になっても必死で嘆願する剛一。そしてその理由を説明し、ついにその気持ちが相手に伝わったとき、扉は開かれた。
そして刑務所に意が通じて撮影の準備も整え、李加民が登場するのだが・・・。
沿道風景
ここからさらに話が展開し、剛一は李加民の息子・楊楊に逢うため、秘境のような山間の村・石頭村に向かうことになる。孤児の楊楊は村が全体で養育していた。村長は李加民が楊楊の父親であることは事実であるから認めるが、李加民は楊楊の面倒を見ていないことも事実である、という。
剛一には村長の言う言葉の意味が瞬時に分かった。自分と息子との関係を強く思うからだ。その剛一の「分かった」という言葉はそのまま村長たち、村の人々にも伝わり、やがて楊楊が連れてこられる。楊楊は父親に会いに行くことになり、村では剛一の歓迎の宴会が開かれる。この村人総出の、露路にしつらえられた延々と長い宴席は圧巻である。そこに息子が癌で余命いくばくもないという知らせが入る。
春に外す吊り橋
ここから先まで全て書いてしまうと映画を見る楽しみがなくなってしまう(もうかなり書きすぎている)。
刑務所のシーンで一緒に李加民の演技を見る受刑者たちの頬に涙が落ちるのが感動的だ。中国人の面倒くささも描かれながら、心が通じればどんどん人のために動いてくれる暖かさも感じさせてくれる。
繰り返すけれど、口数の少ない高倉健にこそまごころがあることが中国人にも伝わったから、中国でも彼の人気は絶大なのだ。
この映画が理由ではないけれど、数年前に退職してすぐ雲南省を旅した。昆明や麗江より、少数民族の住む田舎の村々に中国の良さを感じた。そしてそのとき尋ねた石鼓村がこの映画の舞台であったことをガイドから聞いた。ここだけではなくあちこちで高倉健がここで撮影した、と自慢そうに言うのを聞いて、我が事のように嬉しかったことを思い出す。
石鼓村の瓦屋根
映画の石頭村の村の中心部などは石鼓村が舞台として使われている。あの吊り橋も渡った。春に雪解け水の出るときは水位が上がるので橋を取り外すと言っていた。玉龍雪山の姿も懐かしい。
高倉健が歩いた道
とかく中国には腹の立つことも多いけれど、この映画のように心が通じ合うこともあるのではないかと夢想する。だって中国人も高倉健が好きなのだから。
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