前川惠司「朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実」(小学館)
帯には「朝日が訂正記事を出せなかった本当の理由」とある。
まず基本的なところから私の考えを言えば、「慰安婦」というものそのものについて善悪を言えば、あるべきことではないに決まっていると考える。存在悪である。しかし戦地で全くその存在を許さなければ、兵士の中には一般市民婦女を強姦するものが必ず出てくるのは古来からの事実である。そのために、需要に対しての供給として慰安所が置かれるのは世界での常識である。橋下徹大阪市長が言ったのはそのことである。
そしてその慰安婦の徴用を軍が命令して行ったかどうかが大きな論点であった。もしそうなら国として責任が生ずる、と言うことだろう。
朝日新聞の誤報は「女子挺身隊」の名前で軍が徴用を行い、「従軍慰安婦」にした、と報道したことにある。そもそも「挺身隊」とは勤労動員のことである。中学生以上の男子女子の学徒学生が学業ではなく銃後の勤労にかり出されたそのことを言う。だから「挺身隊」を「慰安婦」と混同するなどと言うことはそもそも間違ってはならないとんでもない誤解を招く報道であった。
韓国の慰安婦問題を追及する団体の名称は、「韓国挺身隊問題対策協議会」である。
今回の朝日新聞の誤報についての謝罪報道には「挺身隊」という文言を間違えて使用した、と言う言葉が明記されているが、釈明として、当時はそれが混用されるような状況であった、という意味不明の言い訳がされている。
もし挺身隊がそのように受け取られるような混用があるなら、つまり勤労動員された国内の婦女子は慰安婦であったのか?まさか。朝日新聞は言い訳として通用しないことを言い訳としている。断じて混用されることはあり得ない。
その結果として何が起こったのか。「挺身隊」として韓国で徴用、つまり勤労動員された十四歳以上の婦女子が2~4万人、と言う事実は事実である。それが朝日新聞の間違いのまま、「慰安婦」として徴用されたのが2~4万人、として一人歩きした。
それが膨らみに膨らんでいまは20万人ということになっている。韓国は20万人の婦女子、それも十四歳の年輪も行かない少女を「慰安婦」にした、として、慰安婦の少女像をソウルの日本大使館前にすえ、あろうことかアメリカの各地に設置している。
以上のことが私の「従軍慰安婦」についての基本認識である。
慰安婦が是か非か、と言う質問に是である、と公然と答えるものはいない。だから「従軍慰安婦」は悪である、と言う決めつけには「従軍慰安婦」というものが既成事実であることを含んでしまう。
繰り返し言うが「慰安婦」は善か悪かと問われれば悪でしかない。そして慰安婦が日本軍の傍に存在したこと、そこに韓国の女性の慰安婦がいたことは事実であろう。
堂々巡りのようになるのでやめておくけれど、世の中はきれい事だけではない。だからきたないことを認めろ、とは言わないけれど、それを言う本人はそれほどきれいなのか、と問われれば黙るのが普通の人間だ。イエス・キリストが「自らにやましいものがないものだけが石を持ってこの女を打て」と言ったときに誰もその女を打つものがいなくなったというけれど、いまは平気で石を投げる時代になったらしい。
この本は朝日新聞に籍を置いて当時ソウルにいた記者が、真摯に当時の状況を含めて検証したものである。著者が検証したのは今年になってからで、その前から違和感を感じていたけれど、そこまで突き詰めて考えていなかった、と正直に語っている。
だから読んでいて歯がゆいぐらいのところがあるけれど、それがじつは正直な著者の気持ちなのであろう。当たり前のことだ。手のひらを返して正義の味方を演じられたら鼻白むだけだ。この人はすでに朝日新聞を離れているけれど、在籍の朝日新聞の心ある記者たちは多分同様の気持ちに違いない。その人たちがこれから今回のことをどう受け止めてくれるのか、良い方に向かうことを期待するばかりだ。
題名のイメージよりも内容はまじめな著者の検証に終始している。物足りないくらいだが、だから評価したい。
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