無為のはずが
無為に過ごすはずが、いつのまにかごそごそと動き回っていた。しかし読書や映画鑑賞などの精神活動は今のところ停止中。
近くに住んでいた娘のドン姫が、ちょっと離れた岐阜へ引っ越してしまった。いままでもそうたびたび帰ってこなかったけれど、これでますます帰らなくなるだろう。ちょっと寂しい。
その引っ越しの際に出たゴミの量がすごかった。新しい住処では、一人暮らしから友だちとの共同生活になるから荷物の大半を処分しなければならないのだ。ドン姫はもともと不必要にしか思えないものを買い込むところがある。そしてまた、ものを捨てるとなるとあまり執着しないで、ばっさり捨てる潔いところもある。
それを驚きとともに眺めて、私もものを少し捨てようと思い、あちこちかき回し始めたというわけだ。
タンスなどの大きな家具を一部屋に集中して一部屋に置き、納戸としている。ここに何でも抛りこんでいるので足の踏み場のない物置と化している。タンスの上にもやたらにものが乗っている。まずここから手をつけた。ほんのちょっとの作業で可燃ゴミ三袋、不燃ゴミ一袋が満杯となった。
最初に手をつけたのは釣り道具など。相棒もいなくなった(近場から遠くへ引っ越した)し、もう船釣りはしないだろう。防波堤の小もの釣りだけすることに決めて、それ用のもの以外の仕掛けやリールなどを思い切って捨てた。使えるものもあるけれど、手入れしていないから人にさし上げるわけにも行かない。もったいない、などと極力考えないように目をつぶる。
昨日午後から夜までかけて、ほんの少し片付いた。今後の計画手順を簡単に作成。計画が好きなのだ。今日もいそがしい。
何が無為だ。つくづく貧乏性だと思う。
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