谷沢永一「人間の見分け方」(H&I)
人は見かけによらぬもの、「人間通」を自認する筆者ですらどれほど人の見かけで騙されたことがあるか。そして功成り名を遂げた人、そして鳴かず飛ばずである人の違い、友にするにたりる人、つき合うべき人、決して近づいてはいけない人、など、自らの経験はもちろん、友人知人有名人、さらに豊富な読書の中から数々の実例を添えて詳細にあげて自分の考えを記している。
人は関係の中で生きている。そして関係する人が全て人格者だったり、良い人であるとは限らない。そして人格者であってもつき合って好きになれる人であるかどうかは分からない。また、人はある人には悪い人でも、ある人にとってかけがえのない友であったりもする。
そう考えると無数の場合が考えられて、マニュアルのようなものを作ることは不可能のように思えるが、それでもものの考え方にはある程度のパターンがあるようで、この本にあげられたものの中には自分の出会った人たちとのいろいろな想い出がよみがえってくるものなどもある。
もともと脳天気なので、私が感じた本当にイヤなやつ、というのはほんの一握りしかいなかった。肌合いの合わない人はそれよりも多いけれど、大半は私自身の方に理由があったような気がする。
仕事を離れてからはたくさんの人と出会い、相手がどんな人であるか見る機会はあまりなくなった。だからこの本を買って、なるほどと感心したとき(2005年)と、再読したいまはずいぶん違う思いがした。
ほんの一例だが、信用してはならない人、の項に、ケチな人とつき合うな、高慢な人につき合うな、などとある。大望があり、そのために出費を惜しむ人の中にはあとで大化けする人もあるかも知れないが、自分がつき合いの中で当然支払うべきものをひたすら回避しようとする人がいる。また、わずかな出費の差にいつまでもこだわる人がいる。そのさもしさはそれ以外の美点を全て失わせるほどにみっともない。高慢な人とは「世間が自分をまだ認めてくれない」、あるいは少々の実績を「もっと大きく認めてくれ」と常に考えている人である。世間は自分が思っているようには自分を評価などしてくれない。それが見えない人は常に不平不満を言う。つき合うとその毒がこちらに回る気がする。
ともに思い当たる誰彼の姿があって今となっては笑うことができる。私がまさに敬して遠ざけていた人たちだからだ。
この本を読んで人を見分ける一助にする、というのもいいけれど、では自分は人にどう見られているのだろうか、という鏡にすればもっと良かった、少しは自分の欠点が見えてもう少しましになっていたかも知れない、などと今頃気がついた。
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