悔し涙
イスラム国に拘束された後藤健二さんたちの解放交渉を現地で行ってきた中山外務副大臣が涙を見せながら会見していた。力及ばず最悪の事態になったことに対しての悔し涙なのだろう。その心情が伝わってことらもグッときた。「男は涙を見せないもの」と教えられて育ったけれど、このような悔し涙は別だろう。
涙と言えば、すぐ思い出してしまうのは国会での海江田民主党代表(当時)の涙だ(私はしつこいのだ)。あれも言われ放題の目に遭っての悔し涙といえないことはない。でも全く美しくない、いささか醜いものだった。あれを見た瞬間に、この人はだめだ、と思った。
悔し涙といえるかどうか分からないが、昨年の兵庫県議員(名前を忘れた、と言うより覚えていない)の噴飯物の記者会見でのわめき泣きの涙を思い出す。本当に泣いたのか嘘泣きなのか分からないが、ご当人にとっては悔し涙なのだろう。
同じ悔し涙だけれどどう違うのか。自分のために泣いているのか、人のために泣いているのか、ということかと思う。自分のために泣いているのは醜いのだ。中山副大臣も自分のために泣いているではないか、などという人は勝手にしてくれ。
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