長生き
長生きは目的ではなく、結果だと思う。だれだって長生きしたい。秦の始皇帝のように永遠の命は求めないけれど、せめて平均寿命くらいは生き続けたいと思う。
けれどもどんな状態であっても生き続けたい、というわけではない。最近そう思うようになった。自分がほとんど自分ではない状態で、ただ生きている、というのが本当の長生きといえるのか。生物としての体は本能的に生き続けようとするだろうけれど、人間は生きる意味を意識して生きるものだ。そうでない人もいるかも知れないけれど、私はそうだ。
だからその生きる意味が希薄になればそろそろお迎えが来てもあきらめもつくし、人生に満足もできる。そういう意味ではいまはおまけの人生を生きているような気がしている。連日そこそこ楽しんで生きている。いまさら誰かのためにせっせと励む、というつもりもない。その体力も気力もない。したいことはするけれど、したくないことはなるべくしない。役立たずは退場せよ、というなら退場することにやぶさかでない。
願わくば、人の世話にならないで自分のことは自分でできる状態がなるべく長く続いて欲しい。
いま、人は長く生きすぎるようになった。
*別に、鬱状態ではない。本音である。この頃ずっとそう思っている。しかしそれも健康を損なえば気持ちがどう変わるか自信はない。
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