見識
川崎で殺された中学一年生の村上君の事件について、現在までに分かった事実をテレビで詳しく報道していた。この凄惨な事件の背景と、実際の犯行の現場の様子が断片的ながら分かった。あまりこのような事件について詳しく知りたいと思わないが、ある理由があってその事件を報道するマスコミとコメンテーターたちの語り口に興味があった。
事件があってまだ詳細が分かっていなかったころ、BSフジのプライムニュース(平日夜8時から2時間毎日放映)にコメンテーターとして呼ばれていたデービッド・アトキンソン氏(「イギリス人アナリスト日本の国宝を守る」の著者)が、この事件についてのコメントを求められた際に、顔を背けながら「語る言葉がありません」と言ってコメントをしなかった。彼はその日の番組で、経済的な問題について語るために呼ばれていると認識していた。それは彼の専門である。しかし事件については詳細な背景を知らない彼が、それについて語るのを拒否したのは彼の見識である。司会者から再び違う観点からコメントを求められても、まったく同じ態度で再び「語る言葉がありません」とだけ言った。
各局でこのニュースを詳細に報じ、アナウンサーやコメンテーターたちがしばしば「おとなの責任」や「学校や警察のまずさ」を問題として語るのを見た。もちろん問題がないなどとはだれも思わない。思わないけれど、そういう問題にしてしまうとだれも答えようがない。ではどうする、と聞かれてもコメンテーターには答えられない。結局事件を騒ぎとして騒ぐだけで、問題を減らすための具体的な提案なしにまた再び事件が起こるだけだ。
殺された少年がいたグループのようなグループは日本中に、いや世界中にごまんとあるだろう。それを一般化して賢しらげにコメンテーターたちは語る。では今回のような殺人事件はそこら中で起きているか?事件はそれぞれ個別のものであり、犯人はその事件に固有の犯人だ。事件を起こさない他の人たちとその犯人がどう違うのか、そこを説明してくれないとなぜ事件が起きたのか分からない。それを一般論で語るな!
そんなことを言っていたらそもそもコメンテーターなどたいてい存在意味がなくなるけれど。
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