理由はどうあれ
本日3月19日は名古屋大空襲の日だそうだ。終戦の年、昭和二十年のこの日未明の空襲で、800人以上が焼夷弾で焼き殺された。そのときの目撃者で、かろうじて生き延びた老人がその体験を語っていた。
防空壕などで蒸し焼きにされた人たちの死骸が鶴舞公園にうずたかく積まれていたのを見たという。「最初ピンクに見えたその山が何を意味するか分からなかった。その山の途中から足が一本にょっきりと突き出しているのを見て、あっと思い、眼を逸らしたが、そのままそれが頭に焼き付いてしまった」そうだ。
だれが戦争を始めたのか、その責任がだれにあるか、それは問われ続けなければならないけれど、一般市民を焼き殺すことだけを目的に空襲を行う行為は人間としておぞましい行為だ。戦勝国とはいえ、それが正義のためであった、という言い訳にはならない。しかしアメリカは原爆についても空襲についても決して謝ることはないだろう。正義とはそうしたものだ。
« 江戸川乱歩「猟奇の果て」 | トップページ | カルタゴの遺書 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 雑感(2026.09.06)
- 天気が好いので(2026.09.05)
- 外は雨(2026.09.04)
- 確かにそうかもしれないけれど(2026.09.03)
- 騒音(2026.09.03)


コメント