苦手なのに次々と
面倒くさいことが大嫌いである。煩わしいことが重なると逃げ出したくなる。だれでもそうだというけれど、自分では格別横着者だと思っている。それでも生きていくのに最低のことは処理していかなければならなかったから、なんとかこなして来た。
だから、それすらやらずにのうのうとしている人を見ると人一倍腹が立つ。親のすねをかじりながらフリーターや引きこもりをしている若者(最近は必ずしも若くなくなってきたようだ)にはつい辛口の気持ちになる。甘ったれるな!
営業だったので、車で地方まわりをすることが多かった。移動の時には車でラジオを聞いている。人生相談も好きな番組の一つで、嫁しゅうとの関係や遺産相続、夫婦関係についての相談と合わせて、教育に関しての相談も多い。とくに子どもが不登校になった、という相談が多かった。
そんなとき教育評論家や教育学者はほとんど口を揃えて、無理に学校に行かせようとしてはいけない、自発的に本人が行く気になるまで黙って見守りなさい、そのまま不登校が永遠に続くことは決してあり得ない、立ち直ります、と回答していた。
多少疑問を感じながらもそんなものかと納得していたし、ひとにもそれを受け売りして言った記憶がある。
いま考えてみれば、不登校の理由はさまざまあったはずで、いじめや教師との相性など、外部的な要因が大きいものはその問題を解決することがまず必要だろう。先生にもひどいのがいるし、生徒にもどうしようのないものがいるのはだれでも知っている事実だ。
内因性のものには、自分で、これではいけない、と立ち直る場合もあるだろう。教育学者や教育評論家はそのような例ばかりを選んで取り上げていたのではないか。
不登校から引きこもりになり、そのまま成人となり、三十を過ぎ、いまでは四十を過ぎてそのまま引きこもっているものもいる。自分のことだけを中心とした世界に住み続けて妄想の世界にはいり、ついに淡路島の男のように人を殺傷することもあるのではないか。
不登校児童、学生がどのような経緯をたどっていくのかきちんと追跡調査したものがあるのだろうか。教育学者や教育評論家は理想論からのご託宣を口から出任せに言うよりも、そういう地道な仕事をしたらどうか。親に対して、見守りなさい、といい、放っておきなさい、としか聞こえない言い方をした彼等には責任がある。
話が逸れたが自分のことだ。ようやく煩わしいことから解放されて自由になった日々を楽しんでいたのに、暗雲がたちこめてきた。老母の介護のことは良い。これは自分で納得出来ている。意にそわないことがそれに被さってのしかかってきそうな可能性が出て来た。それについては説明出来ない。だから何のことか分からないだろうけれど・・・。
私は煩わしいことも面倒くさいことも人一倍嫌いなのに!なんだか胃のあたりがキリキリする。
今日、名古屋で用事ができたので、昨晩千葉から名古屋へ帰った。東名高速の大事故(?)で音羽蒲郡と岡崎のあいだが通行止めになってしまった。音羽蒲郡で国道一号線に降ろされたが、降りるだけで一時間かかった。深夜の国道一号線下りはトラックでぎっしり。家へ帰り着いたのは三時過ぎ、四時のテレビで通行止め解除を報じていた。参った。
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