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2015年7月

2015年7月31日 (金)

原発事故の責任

 福島第一原発の事故について、当時の東京電力経営者に責任がある、との告発がされながら、罪に問われないでいた。こんかい、あらためてその責任が問われたことは当然であると私は考える。

 東京電力は震災前に大きな津波が襲来する恐れがあることを想定して対策案を検討していた。そのときに問題になったのは、電源喪失対策であった。そのために必要な予算は数十億円か。多分もっとはるかに少ない予算で十分な対策が可能であったろう。それを誰かが一蹴して対策不要と決めつけた。

 これがすべての原点である。たかが数億円か数十億円をけちったために数兆円、いや数十兆円の損失を生んだ。金の問題だけではもちろんない。それ以上に多くの人が被害を受け、高齢者は次々に犬死にした。

 この人災に責任者がないなどと云うことがあろうか。万死に値する過ちを犯しておきながらその責任が問われないなどと云うことがあって良いわけがない。故意であったかどうかが問題ではない。大きな事故に回避の可能性があったのにそれを怠ったという厳然たる責任は経営者が引き受けるのが当然である。

 これまでのいきさつから見て、今回の裁判でも無罪になる可能性は大きい。それでは太平洋戦争のA級戦犯ですら責任がなかったというのに等しい。責任者は責任をとるために権限と高給が与えられる。それなのに責任が回避されては理不尽ではないか。責任をとるのが世の中の正しい理(ことわり)というものだ。

「墓の中の娘」(幽明録から)

 漢の時代の末の大乱のときに、頴川(えいせん・河南省)の人が他の郡へ避難しようとした。ところが七、八歳になる娘がいて、遠方まで歩かせることができず、避難か娘かどちらかを犠牲にするほかなくなった。たまたま道ばたに古い墓があり、こわれて穴があいていたので、娘に縄をくくりつけ、そのなかにおろしておいた。

 一年あまりたって、父親は郷里へ帰り、墓へ娘をさがしに行った。あらためて葬式をしようと思ったのである。ところが見れば娘はまだ生きている。おどろいて、どうして生きのびることができたのかとたずねると、
「お墓の中に何かいて、朝晩ゆったり首をのばして深呼吸するの。ためしにまねをしてみたら、わたしもおなかがすいたのを感じなかったわ」
 と言った。

 家族が墓のなかをさぐってみると、それは大きな亀であった。


Dsc_0116こういうウミガメではないだろう


 亀は何も食べずに長期間生き続けられるけれど、人間も真似ができるのだろうか。それにしても娘を置いていく親も親だ。娘は親を怨むだろう。このあと却って恐ろしいことになりそうな気がする。

 こういう話は「あり得ない、ばかばかしい」と思って読んだら面白くない。「もしかしたら本当かも知れない」「世の中何があるかわからないし」と思ってたのしんだ方が好い。

真実とはイヤなもの

 山本夏彦流に言えば、真実とはイヤなものである。

 兵隊は指揮官をのぞけば壮健な若者だ。精力の有り余る若い男たちの集団が、そのあふれるようなホルモンの働きのはけ口を求めるのは生物として当然のことである。

 古来軍隊はこれにいろいろ対処してきた。対処しない、という対処法もある。その場合、戦地では暴行強姦は黙認される。多分大昔はそれが当たり前の行為だっただろう。しかし戦地の人々の怨嗟を受けることになる。戦場で勝利しても民意を失い、結果的に敗退につながることが多い。だから賢い司令官は軍律を厳しくしてそのような行動を制限した。それは正義に似て実は功利的なものである。

 しからばこの精力あふれる若者たちにどう対処するか。売春業者を黙認するのが普通である。需要のあるところに必ずそれにこたえるものがあらわれる。ただ野放図にすれば性病などの蔓延で弊害が大きいから管理のごときものが行われる。

 このようなことがなかった軍隊などなかった。どんな国家も戦時に自国がなにをしていたのか承知しているけれど、決してそれを認めることはあり得ない。国家というものはそんなものである。だから真実というのはイヤなものなのである。

 ところが為政者でありながらこれを認めた政治家がいる。河野洋平であり、宮沢喜一である。彼らはパンドラの箱を開けてしまった。正義の名のもとに認めたようにいっているが、なんのことはない、迫られて意気地がないから云わされただけのことである。世界の為政者はその意気地のないことをあざ笑いながら、同時に困ったことになったと思っただろう。

 売春が善いことか悪いことか、という問題に還元すれば、悪いことであるという答えしかありえない。意に染まない行為を強要される、ということは否定できないからだ。

 売春が悪い、戦争が悪い、差別が悪いと云うことは誰でも承知している。しからばなぜそれが続くのか。どうしたら良いのか。

 悪い、悪いの大合唱をしてデモ行進すればなくなるのか。

 そんなもの答えなどない。人間の性(さが)みたいなものなのだから。

 それが現に存在することを前提にどうするか考えるしかないではないか。

 「あってはならないこと」といいながらすでに起こったことを正義の名のもとに弾劾しても過去は変えられない。勘ぐれば賠償という名目の「金をくれ」に乗せられているように見えてしまう。だからいくら謝罪しようが、満足のいく金を支払わなければ謝罪はないことにされてしまう。しかもその金は青天井である。正義には果てしがない。

 安保法制論議にしても、「戦争はあってはならないこと」の是非を論じるような話にされてしまって、何のことやらわけがわからなくなっている。中国は喜んでいることだろう。

2015年7月30日 (木)

前野直彬他訳「幽明録・遊仙窟他」(東洋文庫)

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中国に魏晉南北朝という時代があったことをご存じだろうか。

 漢の時代は前半と後半に別れている。それは一時王莽という人物に簒奪されて、新という短期王朝が存在したからだ。そのあと再興された後漢は脆弱な王朝で、それが三国志の時代につながっていることはご存じであろう。

 その三国の一つ最強の曹操の魏が魏晋南北朝の魏である。この魏が蜀と呉を滅ぼして一時的に統一王朝らしきものを打ち立てたが、たちまち家臣であった司馬氏に簒奪される。あの「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の司馬懿(仲達)の司馬氏である。それが魏のあとの晉。それも長く続かず、中国は四分五裂、北方異民族のうち立てた北朝と、晉の末裔が変遷しながら形を変えた南朝とに別れた時代が続く。たとえば北朝は五胡十六国と通称されるように五つの民族、十六の国家(数え方で数はいろいろある)がある時は併存し、ある時は滅ぼしあっていた。

 ようやく再び隋という統一王朝が出来て魏晋南北朝は終わりを告げる。この北朝の流れをもつ隋の王朝は北方異民族の出身であると云われる。聖徳太子が送ったあの遣隋使はこの時代のことである。しかしこの隋も短期王朝で、隋の臣下で身内でもあった李氏に取って代わられる。唐王朝である。つまり唐の皇帝たちも漢民族と云うよりも北方民族の血筋である。

120 敦煌・莫高窟

 この全国麻の如く乱れた魏晋南北朝の時代が、不思議なことに文化としては非常に豊かな時代でもあった。仏教が中国で盛んになったのはこの時代である。またあの書聖・王羲之もこの時代のひとである。敦煌の莫高窟というすばらしい洞窟壁画や彫刻はこの魏晋南北朝の遺跡なのだ。不思議なことに一番遅れて唐の時代につくられたものは文化的、芸術的にレベルが低い。

121 敦煌・莫高窟

 これがこの本の前置き。

 この本にはこの魏晋南北朝時代に表された数多くの話が収められている。表題の「幽明録」のほか、「列異伝」、「博物志」、「神仙伝」、「志怪」、「捜神後記」、「異苑」、「妬記」、「斉諧記」、「冥祥記」、「述異記」、「続斉諧記」、「小説」、「録異伝」、「旌異記」それに「遊仙窟」である。ただし「遊仙窟」だけは唐の時代になってからのもの。

 それぞれの作者や作成された時代の詳しいことを書くとあまりにも長くなるので省く。それぞれ、完全な形で残されているものは殆どない。何巻もあった話の一部が断片的に残されていたり、後代に書写されたものから再現されたものばかりだ。

 一部だけあげれば、この中の「列異伝」は曹丕の作と伝えられている。曹丕は曹操の息子、初代の魏の皇帝である。また「捜神後記」は陶潜、つまり陶淵明の作である。当然そのなかに『桃花源』も収められている。

64 敦煌の街の中心部の天女像・背中で月琴を弾く

 先般「幽明録」から話を引き写したが、短くて取り上げやすい話が多いので、今後も折に触れて埋め草に紹介するつもりだ。

ぼんやりとする

 昨晩遅く千葉の実家から名古屋の自宅に帰宅。帰り着いて、長時間の運転で疲労していることでもあり、すぐ寝るつもりが気が昂ぶっていて眠れない。

 持ち帰ったパソコンをセットし直したらインターネットとつながらない。モバイルルーターを認識してくれないのだ。試行錯誤しているうちに何とかつながったけれどなんだか本調子ではない。

 イライラしながらネットニュースなどをチェックしているうちに、気がついたら寝汗をかいてうたた寝していたので、あわてて布団を敷いてきちんと寝た。

 朝ゆっくり目覚めたものの相変わらずぼんやりとしていて何もする気が起きない。少し熱めの風呂にゆっくり入り、全身を良く洗ってさっぱりしたらだいぶマシになった。

 だらだらと小学生の日記のようなことを書いているのは、ブログの埋め草のためである。せっかく見てくれた人にたいへん申し訳ない。もう少ししたらエンジンが始動してややマシなことが書けるだろう。

 ところでこのところの猛暑で、熱中症で亡くなった方が何人かあったようだ。独り暮らしのお年寄りが亡くなって発見される例が多い。熱中症で亡くなる時と云うのは苦しむのだろうか。

 不謹慎な考えだけれど、あまり苦しまずに死ぬことが出来るのならば、自死としては案外楽な方法かな、などと妄想した。自然死か自死か、わからない場合もあるのではないか。具合が悪くても、もういいや、という気持ちになってしまえば死はすぐそこにあるとも言える。

 そんなに簡単に死ねるものではないのだろうけれど・・・。

 イヤイヤ別にそんなつもりはまったくありませんよ、今のところは。

2015年7月29日 (水)

うなり声

 妹と妹の娘、義妹(弟の嫁さん)をつれて病院へ母の様子を見に行く。

 私たちの顔を見るなり母がうなり声を立てた。それほど大きな声ではないが、間断なくうなり続けている。眉間に皺も寄っている。どこかが痛いのか、気持ちが悪いのかしているのだろうか。なにかを訴えたいのだろうけれど、わからない。入院してから初めてのことである。

 担当の医師から経過の説明があった。「胃の出血を止め、輸血をしたのに血中のヘモグロビンの量がなかなか回復しない。他にも出血しているとしか考えられないので、再度内視鏡で検査をした。十二指腸にも出血が見られたのでクリップで留めた。胃の他の部分にも出血しかかっているところが見られた。このような多発性の出血は珍しい症例で、消化器系の出血の1%程度の頻度のものだ。ヘモグロビンの濃度回復のためにさらに輸血をすることにします」とのこと。
 
 むくみはさらにひどくなっている。点滴の栄養を吸収できないでいるからではないかという。

 妹の娘(つまり姪)は看護師なので医師の言っていることの意味が即座に理解できているようであった。

 あとで、「あまりはっきりと言わない先生なのでわかりにくいけれど、だいぶ難しい状態だと思う」とぽつりと言った。

 病室に戻ったが、母はまだうなり続けている。

 出血が止まれば良いのだが・・・。

 今晩一度名古屋へ帰り、状況を見て来週再度こちらへ引き返すことになりそうだ。容体が悪化するようなら叔父(母の弟)にも連絡しておかなければならない。一度引き揚げるのも、弟の嫁さんをつかの間だけれど休養させるためだ。私が滞在していては休養にならない。とにかく母の様子に一番ショックを受けているのは弟の嫁さんであることは間違いない。

藤沢周平「雲奔る 小説・雲井龍雄」(文春文庫)

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 学生生活を山形で一年、米沢で三年送ったので、米沢は第二の故郷の一つである。秋の芋煮会、雪にとざされた長い冬がなつかしい。とにかくホルモンを喰らい(米沢は米沢牛の産地である)、酒をよく飲んだ。

1208_123米沢松が岬公園(上杉公園)

1208_127直江兼続と上杉景勝

 その米沢といえば、もともと上杉藩の家老・直江兼続の領地であったが、関ヶ原で上杉が西軍についた形となったため、上杉藩はこの直江兼続の領地のみの三分の一に減封された。それなのに家臣をほとんど減らさず(残留希望者の決意が固く減らせなかった)、ためにずっと財政難にあえぎ続けた。

1208_115上杉鷹山公

 上杉鷹山がたたえられるのも、そんななかで赤字財政を改善するために努力したからだ。

 赤穂浪士が主君の復讐のため吉良上野介を暗殺した。そのときの上杉藩の藩主は跡継ぎがいないために吉良家から来た養子である。つまり藩主の父が吉良上野介と云うことで、暗殺阻止に藩をあげて取り組んだが、藩兵を出すなどの直接的な介入は幕府に遠慮して行わなかった。

 幕府は常に上杉藩の壊滅を画策し続けていたともいう。

 これがこの物語の背景である。

 学生時代、雲井龍雄の事跡の書かれた看板を見た。名前は聞いたことがあるけれど、米沢のひとであることをそのときに初めて知った。明治維新以後、各地で新政府に対する反乱が起きたり画策されたけれど、雲井龍雄もその反乱首謀者のひとりとして歴史に名を残している。

 しかしいったいどのような人物だったのか。それが詳しく書かれているのがこの小説である。

 雲井龍雄は草莽の志士たちとのつながりを持ち、尊皇の思想を持ちながらそれほど凝り固まった攘夷思想の持ち主ではなく、また倒幕ではなく公武合体を推進した。武力による政権交代はすべきでない、それは列強の介入を生み、日本を危うくすると考えていたようだ。

 東北各藩は京都からあまりにも遠い。雲井龍雄からの情報がもたらされても、世の中の動きが理解できない固陋な執政者たちはまったくその動きに対応できなかった。あまりにも長い時間が経過したために、上杉の長所は失われ、右往左往し、米沢は奥越列藩同盟に与しながら一番最初に奥羽鎮撫軍に寝返り、会津攻撃隊に加わった。

 このとき雲井龍雄はどのような立ち位置にいたのか。

 反薩摩、打倒薩摩という不思議な主張をもとに駆け回っていた。このまま薩摩が主導権を持ち続けて新政府ができれば、国を危うくする、というのが彼の確信だったのだ。その視点に立てば会津攻撃はするべきではない。東北の各藩は一致団結して鎮撫軍の北進を阻止すべきである、ということになる。

 彼のそのような主義主張と行動は勤王か佐幕かという二元論に立てばきわめてわかりにくい。藤沢周平のこの本を読んでようやく多少わかったような気がする。

 維新後、多くの不平士族たちが雲井龍雄の元を訪れた。反薩摩をかかげていた雲井龍雄を常に監視する目がある。そして関わった不平士族のなかには急進的なものもいる。何も画策せず、何も行動していないのに、ついに雲井龍雄はその首謀者として逮捕。斬首されて梟首された。

 西郷隆盛が維新後、どんな気持ちでいたのか。雲井龍雄とまったく正反対の立場でありながら、その心境はあるいは共通するものがあったのではないか。

 そう考えるのも、江戸薩摩藩邸による謀略的な狼藉の数々に、ついに幕府が堪忍袋の緒を切って、庄内藩の求めにに応じて薩摩藩邸を攻撃させたことが、鳥羽伏見の戦いの名目となったからだ。つまりテロを起こし相手に攻撃させて、それを戦争開始の口実にするというやり方の卑劣さだ。これに西郷隆盛が関与していないはずがない。これは彼らにとって正義の戦いなのだから。

 しかしその正義は本当に正義か。

 再三話題にしている長谷川伸の「相楽総三とその同志」には、このとき薩摩藩邸にいた草莽の志士たちのその後の悲惨な運命が詳細に記されている。ほとんどが汚名のまま朽ちていった。その恨みを一身に感じていたのが西郷隆盛ではなかったか。西南戦争での投げやりな行動は、その抜け殻となった西郷隆盛の死に場所を求めてのものだったと考えるのはあまりに美学的見方に過ぎるか。

 日清、日露、そして日中戦争から太平洋戦争へと突き進んで日本を泥沼に追い込んだのはまさにその維新の際のテロリズムの結果であったのではないか。雲井龍雄にはそれが見えていた、というのは言いすぎか。

2015年7月28日 (火)

目の当たりにすると言葉を失う

 母の入院している病院へ行った。

 母のベッドの位置が変わっている。そしてもといたベッドをカーテンが囲っている。そこにいる患者のおむつの交換でもしているのかと思ったら、看護婦さんたちが何だが慌ただしい。しかもそのカーテンで囲ったベッドに次々にひとが訪れている。

 その人たちがひそひそと話している。声が低いから何を話しているのかまったく聞こえないけれど、何があったのかいやでもわかる。

 やがて看護婦がその人たちを別室へ連れて行き、そのベッドで何やらやっている。しばらくして新しいシーツにくるまれ、頭まで薄い布団をかぶってストレッチャーが出て行った。

 母の枕もとからはそれがよく見えない位置になってはいるものの、何が進行しているのか気配で感じているだろう。母はのぞき込んでいる私の顔をじっと見つめ返した。

 母は今日三回目の輸血を受けたようだ。顔色は昨日より少し良い。ただ全身のあちこちにむくみが出ている。しかも両手首はそれぞれベッドにくくりつけられている。いろいろつながれているものを勝手に取り外してしまうから仕方がないという。

 むくんでいる手首や足を撫でたけれど、その感触はあまり気持ちの良いものではない。それがとても悲しかった。

 医師からは二週間程度の入院の予定です、と聞いている。本当にまた自宅に帰れるのだろうか。

 明日は妹が来て一緒に見舞いに行く。

武帝のおでき(幽明録から)

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 漢の武帝が甘泉宮にいると、仙女が降臨しては帝と碁を囲んで遊んだ。仙女の容姿端麗なのを見て、帝は心中ひそかに思いを寄せ、力ずくで従わせようとした。仙女は帝の顔に唾を吐きかけて逃げたが、唾のあとはそのままおできになってしまった。
 そこで帝はあわてて跪き、非礼をわびたので、仙女は温水で洗ってやった。『漢書』に「甘泉宮へ避暑に行った」とあるのは、そのときである。

 註によれば、甘泉宮は秦の離宮だったが、漢の武帝が増築してしばしば行幸した。『漢書』には行幸したとの記述はあるが、避暑に行ったとは書かれていないという。

 『幽明録』には仙女が一般人と男女の仲になる話もあるところから見ると、仙女だから思いが遂げられなかったのではなく、単に武帝が振られたと云うことのようだ。

 暴力的に迫ればどんな女性でも相手を拒絶したくなるだろう。ただ拒みきれないのは女性にその力がないからで、仙女にはもちろんその力がある。そもそも相手を選ぶのは本来女性なのだ。

森まゆみ「読書休日」(晶文社)

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 著者は「谷中・根津・千駄木」という地域雑誌の編集発行人のひとり。この雑誌は一時良く取り上げられていたので知っている人も多いだろう。

 人並み外れて本好きで、幼少期から読み続けた本の中から、著者が選りすぐった本を紹介する本の本だ。

 ところで私は男だからわからないが、女性は女であることを常に意識しているらしく思われる。この本を読んで本の内容とは関係なく、まず感じたのはそのことだ。私が思うに、男はそんなに自分が男であることをいつも意識したりしない(最近は知らない)。

 それこそ社会が男を基準にした社会であることの現れだとフェミニストなら言うだろう。そうかも知れない。では女が常に女であることを意識しないで済む社会を目指すべきなのか?それとも男も女同様男であることを意識するようになる社会を目指すべきなのか?

 同性同士の婚姻を社会的に認知するのが当然、というのがいまの流れのようだ。これも同性愛を常に意識せざるを得ない社会を、あまり意識せずに普通のこととすることを目指しているようで、実は無意識に当然としていた異性愛を同性愛と同様のものとして意識することを目指しているようにも見える。なにせ異性愛者のほうが今のところだいぶ多いはずなのだから。少なくとも種の保存という生物学的な本能にもかなっていると思うし・・・。

 とりあげた本とだいぶ離れてしまったが、無関係ではない。青鞜社を再三取り上げるなど、女権の獲得に関する本がけっこう選ばれているし、そうでなくてもその視点から本が論じられているものも見受けられるからだ。

 確かに優れた女性は多い。知性と教養と常識の足らない救いがたい男が、ただ男であるだけで社会的に優位にあるならそれはおかしいのであって、女性がその能力に応じて社会的に評価されていくことは、男にとっても大いに望ましいことである。本の内容に及ばなくなった。 

2015年7月27日 (月)

首を失った太守(幽明録から)

 (また不思議な話をしばらく続けます。幽明録については後で説明することがあるでしょう)。

 豫章(江西省)の太守賈雍(かよう)は神通力をもっており、国ざかいを越えて賊の討伐に出かけたが、賊に殺されて首を失った。しかし馬を走らせて陣中に帰ると、胸の中から声を出して言った。

「戦い利あらず、賊にやられて負傷した。諸君の見るところでは、首のあるほうがよいかね、それともないほうがよいかね」

 部下は泣きながら言った。
「首があるほうがよろしいです」

 雍は、
「そんなことはない。首のないのもよいものだ」
と言い終わると死んだ。

えっ、これで終わり?

(首を失ったのを負傷した、と言うこの太守はやはり神通力の持ち主であろう。いったい胸のどこから声を出したのか。首がないまま生きる自信があったのか。賈雍は本当に死んだのか)。

吉原敦子「本に逢いたい」(時事通信社)

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 副題に「私の偏愛作家インタビュー」とあるように、文藝春秋の月刊誌「潮」に連載していた、話題の本の作家に直接インタビューして書いた文章をまとめたもの。

 ノンフィクション、小説、自伝・評伝、エッセイ、歴史・古典、言葉・技術・サイエンスの5つのジャンルに分類し直し、一話三ページきっちりのなかに本の内容、作家の紹介、インタビューが手際よく収められている。

 ここにあげられている本の中に、自分も読んで高評価だったものも散見されて嬉しい。また、幾冊か捜してでも読みたい本もあった。

 沢木耕太郎の本・複数。
 
 石川好「ストロベリー・ロード」
 
 川本三郎「マイ・バック・ページ」

  辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」

 西木正明「ルーズベルトの刺客」

 三浦哲郎「白夜を旅する人々」

 林真理子「テネシー・ワルツ」

 伊集院静「海峡」

 久世光彦「怖い絵」

 生島治郎「片翼だけの青春」

 木村尚三郎「粋な時間にしひがし」

 林望「ホルムヘットの謎」

きりがないので以下略。

 それぞれの本の著者に対して、この本の著者である吉原敦子さんがきちんと敬意を払っているのが、当たり前でありながら好感が持てる。

 この本は1994年に出版された本で再読。だから紹介されている本もちょっと古い。

クリップで留めました

 祭りの間に母の入院している病院に行った。吐血の原因が胃にあるらしいと云うが、胃カメラは飲めたのだろうか。

 病室に母を見舞うと、じっとこちらを見たが、しばらく見つめた後にそっぽを向いた。話しかけるとまたこちらを見るけれど、元気なのかそうでないのか、機嫌が良いのか悪いのかよく分からない。額をさわった感じでは続いていた発熱はおさまっているようだ。

 病室前のナースステーションに行く。さいわいミーティングが一段落したばかりというところで、話が聞けた。胃カメラは飲めたのか、飲めたのならその結果はどうだったのか。

 問題なく胃カメラは挿入できたそうだ。「胃の湾曲部に胃潰瘍が発見されました」とカルテに貼った写真を見せてくれた。「おそらくそこから出血したと思われます。クリップで留めておきました」。

 胃潰瘍に対する治療が開始されたそうだ。いままでの原因不明の発熱はそれが理由だったということだろうか。「クリップで留めておく」という治療の仕方があるのか。なんだか漏れているところを洗濯ばさみでつまんでおきました、という感じでおかしかった。それを看護師さんたちも感じたのだろう笑っていた。

 とにかく原因の見当がつき、治療が始まったというのは安心なことである。しかし胃潰瘍の原因は何なのだろう。ストレスなのだろうか。発語障害という、言葉がしゃべれない状態なので、意思の疎通が手による「イエス、ノー」のサインだけとなっている。自分の気持ちを伝えられないもどかしさから胃潰瘍になったのだろうか。胃潰瘍に訊くわけにも行かないし、本人はもちろん答えられないし。

 もう一度母に声をかけて病院を後にした。


 白鵬が優勝した。強い相撲取りは好きだ。大鵬も北の湖も好きだった。優勝インタビューで、名指しこそしなかったものの、白鵬の強さも衰え始めたのではないか、と解説で語った舞の海に一言いっていた(つまり嫌みだ)ことが話題になっている。

 舞の海はその言葉におどろいた後に、自分の不明であったと述べた。しかし舞の海がそう言ったときの白鵬の相撲を見ていたが、私も全く同感であった。白鵬もピークを過ぎた、と見えたのだ。

 ペースをつかむまでの前半の危なっかしさはこのところ毎場所続いていることで、そのことを白鵬が自覚していないはずはない。舞の海に対する嫌みは単に一言多かったということではなく、自分の衰えについて、自覚の上での強がりだったのでは無いか。

 強がりは自分の退路を断つことにつながる。もし次の場所でみっともない負け方をすれば「それ見たことか」といわれることになるからだ。そこまで考えたかどうか知らないが、そういう横綱としてのプライドのいわせた言葉であったと思いたい。同時に舞の海の言葉も解説者として見たままを述べた当然の言葉であった。

 バカなマスコミが両方をたきつけるだろう。そういう意味では白鵬の言葉は不要の一言だった。

2015年7月26日 (日)

夏祭り

 母の容態悪化で千葉の実家に滞在している。実家には弟夫婦が母と同居している。

 弟は町内会の自治会長を三年、その前に副会長などで足かけ五年務めて、今年ようやく引き継いでくれるひとがあってバトンタッチができた。今日はその町内会主催の夏祭り。会長は退いても昨日今日とかり出されて飛び回っている。

 その祭りもあるので弟の子どもたちとその子どもたち、つまり弟の孫たちも総勢やってきたので今日は賑やかだ。昼には庭でバーベキューをたのしんだ。いまおチビさんたちはビニールのプールで歓声を上げている。

 其の家の前を祭りの神輿が大勢の子どもたちに曳かれて通った。神輿を曳く、というのも変なのだが、かつぐのは無理なのだろう、台車に乗せて綱で引っ張っているのだ。日盛りの炎天下、たいへんな暑さだが子どもたちは元気だ。子どもが元気な祭りは祭りらしくて好い。

 私はその賑やかなざわめきのなかからはみ出して、ぼんやりと眺めているばかりだ。

 

  おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉

思い出した

 本について書いた本を読むのは楽しい。書いているのは本が好きな人に決まっているから多少の見解の違いは気にならない。

 そんな本の中に、吉村昭の「東京の下町」という本の紹介を兼ねたインタビューがあった。

 吉村さんは十五年前、明治・昭和と二度にわたって三陸海岸を襲った大津波の惨状を『海の壁』にまとめた。
 それぞれ死者1859名、911名を数えた津波の教訓を生かして、田老町では高さ十メートルを越す防潮堤を作り防災にそなえたはずだった。
 現に、そのお陰で昭和三十五年のチリ地震津波の際にも被害を最小限におさえることができたのである。
  ところが、その後、田老町を訪れた吉村さんが目にしたのは、防潮堤の外、海寄りに建てられた民家の群れだった。
『人間っていうのは、意外と逃げられないんだねぇ、そこからね。知らず知らずのうちに身についちゃってるんですね、その場所って感覚が。防潮堤の意味はわかっていても、以前の場所へとひかれていくんでしょう」

 このインタビューが1985年なので、十五年前というのは1970年のことであろう。昭和三十五年は1960年である。

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 まさかあの堤防を越える津波が来ようとは田老町の人々も思わなかっただろう。あの東日本大震災による津波はその堤防をひとのみにして田老町を壊滅させた。

 私は吉村昭のいう、「堤防の外、海寄り」の民宿に、あの大津波の前の年に泊まっている。震災の一年後、田老町を訪ねて、そこに見たのは一部破壊された堤防と、壊滅した田老町の街と、跡形もなくなった堤防の外側の家々だった。

1208_188左手に家々があったと想像できるだろうか
  
 吉村昭の『海の壁』には、今回の大津波のことなのかと思うような遭難者の様子が生々しく描かれている。

井本農一「芭蕉入門」(講談社学術文庫)

Dsc_4760この絵も芭蕉のもの

 初版が1977年、私が買ったのは2012年版で第42刷だからずいぶんよく読まれている本だとわかる。著者はこの本を書いた当時は実践女子大学の学長で、お茶の水女子大の名誉教授。昭和50年(1975年)にNHKのラジオ講座で「俳諧師芭蕉」という題で行った放送24回分をベースにして本にした。

 ジュンク堂や三省堂などの本屋を散策するのが大好きだ。気がつくとあっという間に時が過ぎている。どこに何がならべられているのかほとんど頭に入っているので、模様替えでレイアウトを変えられたりすると、戸惑う。

 講談社学術文庫は毎月新刊が出ると必ずチェックしている。この本もいつか読もうと思って購入していた。先日蕪村を手がかりに俳句に興味を持ちだしたところなので、基礎の基礎としてこの「芭蕉入門」という本を読んだ。

 芭蕉の出生地である伊賀上野を散策したことは一度ならずあるし、東北の芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地を二、三訪ねたこともある。けれども芭蕉の考える俳句というものがどのように変化し、彼の旅がそれとどう関わっているのかなどと言うことはまったく知らなかった。

 この本はとてもわかりやすく、易しく、芭蕉像の全体を時系列でそのときどきの俳句とともに語らっていく。俳諧というものを芸術にまで高め、確立したのが芭蕉であることをあらためて教えられた。 


  この道や 行く人なしに 秋の暮れ

 

  この句の意味をより深く実感した。

 芭蕉の旅した場所を自分も歩きたくなる。そのような人は数多くいたし、まさにいまもそのように歩いている人がいるだろう。

2015年7月25日 (土)

ありがとうございます

 母の入院の顛末をブログに載せたら何人もの方から丁重なコメントをいただいた。まことにありがとうございます。

 先ほど見舞いに行った様子では、微熱は続いているものの比較的に元気であった。昨日はなかった酸素マスクがつけられているのに、口もとから外れているので看護婦さんに訊いたら、自分で外してしまうし、酸素濃度は低くないので、このままで良いでしょう、けっこう動きも活発で元気ですよ、と笑っていたので一安心。

 朝、輸血をしたそうだ。さらに追加するかどうか様子を見ているところだという。胃の様子を詳しく調べたい(胃からの出血の可能性が高い)のだが、本人の負担になることでもあり、医師も迷っているそうだ。今日夕方、胃カメラを飲むかどうか、医師と打ち合わせに再度夕方病院へ行くことになった。

 今は鼻からなので本人の負担も以前よりは少なくなっていると言うけれど、リスクはある。しかし原因がはっきりしないと今後の治療もやりにくいのでお願いするしかないだろう。病院はすべて患者とその家族の意志による、という前提でしか治療をしてくれない。

 これも後になってクレームをつけるケースが頻発しているからだろう。確かに医師に問題があるケースも少なからずあるかもしれないが、後知恵をつけられて金のためのおかしなクレームをつけるケースも多いという。病院も防衛をせざるを得ないのだろう。わずらわしいことである。

減速

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 韓国の自動車輸出が減少し、輸入車は増え続けている。また、世界一だと自慢する造船業界も大手が軒並み巨額の赤字を出している。無理な受注をするために採算を度外視したり、納期対応の遅れに違約金を支払わなければならないことによる。

 当てにしていた中国向けの輸出も、中国の減速によって頭打ちとなっている。中国も経済成長重視から安定成長への転換を図り、いまは内需の増進を目指している。当然輸入から自国での生産へと力を入れるから、韓国は最大の輸出先である中国向けの輸出が二重の意味で減少せざるを得ない。

 昨年はセウォル号事件、今年はMERSという不幸な事態が韓国経済の足を引っ張ったが、それぞれに対する朴槿恵政権の対応は、日本の民主党の東日本大震災の時の対応以上にお粗末であったという酷評が定まりつつある。与野党が責任のなすりあいをしてばかりで、いまだにどうすれば良かったのか、今後どう対応するかについての実のある総括が出てこない。

 すでに誰もが知っていることをあらためてここに書くのは、韓国の減速が一時的なものではなく、かなり深刻なものらしいことが明らかになったことが、不謹慎ながらちょっと嬉しく感じられているからだ。

 中国の反日と韓国の反日を比較すると、中国の反日の方がいざとなると先年の暴動のように激しいが、なんとなく韓国の反日の方に不快感を強く感じてしまう。

 本音のところで中国びいきの気持ちが働くからか、中国の反日には多少の納得も感じられるのに対して、その理不尽さは韓国の方がひどい気がしている。韓国の普通の人たちには申し訳ないけれど結果的に韓国の経済の失速がちょっと嬉しく感じられてしまうのだ。韓国の反日パフォーマンスのひどさと、日本を貶めるような、国を挙げての礼節に欠ける言動には辟易する。

 人を呪わば穴二つ、ということわざの通りだなあ、と思うではないか。

 他を貶めても、自らは上がることはなく、落ちる。少なくとも人はかならず低く見る。

2015年7月24日 (金)

パニック寸前

 早朝名古屋を発ち、東名の出口から首都高の大渋滞に巻き込まれて、7時間近くかけて昼前千葉の実家に到着。顔なじみの訪問看護師と弟の嫁さんと三人で打ち合わせた結果、大学病院の病室が空くのを待たずに、空いている病院へ入院させた方が良いだろうということになった。

 訪問看護師からかかりつけの医師に状況を連絡し、急ぎ病院を決めて受け入れを依頼してもらった。いつもは介護タクシーを使うが、医師は救急車を頼みなさいという。それだけ切迫していると判断したのだろう。

 救急車を依頼したらさすがに早い。電話して五分もしないのに到着。状況を口頭で説明。老母の様子から救急車を要請する患者として適切かどうか首をかしげているように見えた。

 ところが乗り込んでまもなく母が吐血した。付添は一人しか乗れないので弟の嫁さんが乗り、私は自分の車で病院へ行くことにしたので吐血したことは知らずにいた。

 病院について老母がどこにいるのか訊いたら検査室にいるという。看護婦がばたばたと慌ただしい様子で、何事かと思って覗いたら、母が鼻にチューブを入れられた状態で困ったような顔をしている。そのチューブが血だらけだ。よく見ると肩口のあたりも一面に血だらけであった。

 看護婦に吐血したことを聞いてびっくりした。
                                                
 義妹が医師のところで説明を聞いている。あわてて一緒に説明を聞く。原因は検査結果を見ないとわからないが、消化器系からの出血ではないかと思われる、という。

 詳しいことは検査結果の出る明日以降になるとのことだ。

 この病院には、母は一度短期入院したことがある。担当の医師は日本人ではないがフレンドリーな人で、必要以上に饒舌な点を除けば感じは悪くない。

 しばらく様子を見て安定しているようなのでお任せして先ほど帰宅した。例によって入院に伴うたくさんの書類をおみやげにして。

 本当に滑り込みセーフであった。これが在宅で吐血したらみなパニックになっていたところだ。救急車も完璧に役に立ったわけであり、有り難いことであった。

2015年7月23日 (木)

母の入院

 在宅介護の老母と同居している弟から連絡があって、母の体温が安定せず、かかりつけの医師はその原因がつかめないという。発語障害で数年前からまったく話せないし、中心静脈への点滴のみで寝たきりの状態が続いており、訪問看護婦も容体の急変を危惧しているらしい。

 ふだんならかかりつけの医師が院長の、老人を主に扱う病院に入院するのだが、原因がわからないのであずかれないという。医師から大学病院を紹介してもらうことになったが、今月末にならないと入院ができないらしい。その大学病院は発語障害の原因を調べるために脳スキャンを何度か頼んだり、泌尿器科の診断もしてもらったのでよく知っている。

 介護の手伝いに毎月10日あまり実家に行っているが、弟の嫁さんが幼稚園の先生で、夏休みになったのでしばらく行かないで良いかと思っていた矢先のことである。その義妹が、この一週間が心配だと言う。弟は大丈夫だよと言っているが、嫁さんも独りで老母を見ているのは確かに不安だろう。

 何にもできないけれど、とりあえず本日片付けるべき用事をすべて処理して明日実家に向かうことにした。

身分制度に等しい

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 中国の実態を書いた阿古智子「貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告」(新潮選書)からの引用。

 フェアな競争を実現するためには、すべての人に平等に教育を受ける機会が与えられるべきである。しかし中国では、出身の地域や家庭によって、受けられる教育の内容や質が大きく異なる。身分制度に等しいとも言える中国の戸籍制度では、子どもの戸籍は親の戸籍によって決まる。貧困地域の戸籍を持つ子どもが通う学校と、経済発展の著しい大都市の戸籍を持つ子供が通う学校では、教師の水準も、準備されたカリキュラムにも相当な差が見られる。

 筆者が中学校の学費を支援していた寧夏回族自治区の貧困家庭の子どもは、高校受験に失敗し、志望していた地域で最もレベルの高い第一高校に入ることができなかった。その一つ下のレベルの高校に入るのだろうと思っていたが、第一高校に入るために二年間浪人すると伝えてきた。「私は大学に入りたいのです」彼女からの手紙にはそう書かれていた。

 彼女にとってみれば、大学には入れなければ高校に行く意味はない。この地域で大学進学の道が開かれているのは、第一高校ぐらいである。両親のように身体に鞭うって、儲からない農業を続けたくはないし、農民工として渡り鳥のような生活を送るのもいやだ。自分の境遇を変えるためには、都会の大学に行くしかないと思い込んでいるようだった。

 しかし、現実はそう甘くはない。農村部の生徒は大学入試において数多くの差別を受けるからだ。また、大学を卒業しても、簡単に就職先が見つかるとは限らない。国営シンクタンクの中国社会科学院は、2008年の新卒大学生のうち、150万人が未就職であるとの試算を出している。2009年は金融危機の影響もあり、大学生はさらに深刻な就職難に見舞われている。農村戸籍保持者は一般に使えるコネも少なく、優秀でなければ都市に残るのは難しい。二年の浪人生活の後、第一高校に入学できたとしても、彼女にはその先乗り越えなければならない高いハードルが、いくつも待ち構えている。しかし、必死に目標に立ち向かっている彼女に、そんなことは言えなかった。

 中国各地方、特に農村部などを長年フィールドワークしてきた著者の本が出版されたのは2009年、それを加筆して新潮選書からあらたに2014年に再出版されたのが、私の読んでいるこの本。

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 中国はこの身分制度とも言える戸籍制度により極端な格差社会となっている。日本の格差社会などとは比較にならないひどいものだ。その弊害があまりにひどいので、近年その戸籍制度の一部改善を始めているが、その実効はまだほとんど見られない。

 大学生の就職難はさらに深刻さを増しており、昨年の未就職大学新卒者は400万人とも500万人とも言われている。本文中にあるとおり、就職には共産党員などのコネが幅を利かしており、優秀であっても就職できないことが多いという。

 志をもって努力してきたこのような若い人たちが、不条理な社会にいだく不満のエネルギーは、日本人には想像できないほど強烈であると思われる。まだ読んでいる最中だが、読みながら怒りで本をもつ手が震えてくる。

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稲田孝「聊斎志異」(講談社選書メチエ)

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 「聊斎志異」は清の時代に蒲松齢(ほしょうれい)が書いた志怪小説。先日とりあげた瞿佑(くゆう)の「剪燈新話」より後代の作品で、最も完成された志怪小説とも言われる。このあと紀昀(きいん)の「閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)」などの名作もあるが、一つ一つの話の完成度は「聊斉志異」が最も高い。

 今回読んだ本はその「聊斎志異」のなかの作品をいくつか取り上げて、その表向きのストーリーの裏に、作者の蒲松齢の隠された思いが秘められていることを明らかにしたものだ。

 「聊斎志異」には妖狐の話が多い。もちろん妖狐と人間との関わりの話である。その狐とはなにを象徴しているのか。狐はこの世の汚濁とあの世の至高の清純を同時に表すもので、厭世家である蒲松齢が狐に託して人間世界を外側からシニカルに眺めてたのしんでいるというのだ。

 写真ではこの本とならべて、本来の蒲松齢の「聊斎志異」の翻訳本を写している。中国の本にしては珍しく、ほとんどすべてが残されているので、翻訳されたものも大部である。これも一部しかまだ読んでいないので後日完読したいと思っている。

 今回読んだ本ではそのうちの二十八話が抄訳して紹介されている。「聊斎志異」の全体を読むのはたいへんなので、どんな本なのか知るためにはこの本が最適であろう。いつか短めで面白そうなものを紹介する機会があるかもしれない。

2015年7月22日 (水)

若干の屈託

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若干の屈託があり、本日は無為に過ごす。

夕方からビールに続いて菊正宗を飲み続けている。すでにいささか酩酊。

話し相手がいれば好いのだが、残念ながら独り。やや寂しい。

梨木香歩「丹生都比売(におつひめ)」(新潮社)

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 梨木香歩の短編集。表題の「丹生都比売」のみ、やや長い中編。

 著者のあとがきにもあるが、無理に揃えていないので雰囲気の異なる話がならべられているが、梨木香歩独特の不思議な世界を長編以上に強く味わうことができる。

 何のことだ、とまったく受け付けない人もあるだろうし、この不思議世界に浸りきって至福を感じる人もあるだろう。さいわい私は後者だ。

 幻想的であることは他の話と同じだが、「丹生都比売」は天武天皇の皇子である草壁皇子(母はのちの持統天皇)を主人公とする、壬申の乱の前後の話である。

 「他者の事情をなんとなく察して、それと意識せぬまま自ら受難の道を選びとっていく子どもたち」という著者の言葉が残されている。

 吉野から伊勢、桑名から関ヶ原にかけて大海人皇子(のちの天武天皇)が行軍した史跡が残されていて、壬申の乱について断片的に知っているのだが、天智天皇や大友皇子、大津皇子、忍壁皇子や持統天皇の関係が何度聞いてもこんがらがってわからなかった。今回系統図をもとにこの話を読んでようやく理解した(すぐ忘れるけれど)。

 梨木香歩の世界が楽しめる人には是非一読をお勧めしたい。

2015年7月21日 (火)

東芝と旧日本軍

 売り上げ目標と利益をかかげ、それを達成することが経営方針である、と思っている経営者がいる。

 戦争に勝ってこい、と兵隊に強要するのが戦略だと思っていた指揮者がいた日本軍と変わらない。精神力で勝て、などと命令した。

 戦いには人員と装備と補給が必要で、それをどの戦線にもすべて十分に満たすことなどできない。どこにどれだけ配備し、どこを優先させ、何を重要と考えるのか、それが戦略だ。

 少し前に、東芝は自滅したとブログに書いたけれど、そのときに考えた以上の徹底的な経営陣の自滅状態になったようだ。問題は東芝の体質がどこまで劣化しているのかだ。ほとんど中国の国営企業みたいだ。ただ経営陣は私腹を肥やすようなことはしていないのが救いだが。

 経営陣のみならず中堅までいままでの会社の体質が染みついているとしたら深刻だろう。多分何が悪いのかよく分かっていない人間が多いのではないか。田中社長の記者との質疑応答でも、本質的なことに自覚があるように見受けられなかった。

 東芝はあまりにもひどかったけれど、これは東芝だけの問題なのか。日本の企業の長い低迷の原因がこのような戦略のない、売り上げを上げろ、利益を上げろ、というだけの経営者がはびこったことに一因があったのではないかとは、密かに囁かれてきたことだ。

 こういう経営者は取り巻きに具体的な戦略を語る人間を置こうとしない。正しいことを言われるのがわずらわしいからだ。しばしば自分に異を唱えている、として叱責したりする。そして徹底的な管理主義に走る。管理さえしていれば仕事をしていると満足する。こうして愚者の集団が出来上がる。

 こんなことでは海外の企業との競争に勝てるはずがない。日本のために各企業は東芝の轍を踏まないようにして欲しいが、自覚のある経営者はすでに正しく戦略を立てて努力し、自覚のない経営者はニュースを見ても人ごととしか考えないだろう。

 ところで「中国の小咄」へのいいね!をたくさんいただいた。たいへん有り難い。皆さん「一流」らしい。

中国の小咄

 さる病院に盲腸の手術を要する患者が入った。あいにく看護婦が忙しかったので「雉髪令」は看護夫がとり行った。終わって室外に出ると看護婦が通りかかった。「世の中いろいろある、妙なところに彫り物があった」「まさか」「ほんとだ、『一流』という文字が彫ってあった」。看護婦は早速見物に行ってきた。「確かに彫り物はあったけど、貴方の見間違えよ、『一江春水向東流』と彫ってあったわ』。

 『不文集』という小咄集からの孫引き。この話が瞬時にわかる人は「一流」だそうです。

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看護「婦」という言葉が使えないとこの話は成り立たない。不便なことである。

永田龍太郎「蕪村秀句」(永田書房)

 おなじ永田なのでもしやと思って奥付を見たら、著者はこの本の出版社である永田書房の社長であった。蕪村についての評釈の本などたくさんの俳句の本を書いている。この本は平成三年(1991年)に出版されている。私淑する森本哲郎の「詩人 与謝蕪村の世界」(講談社学術文庫)という本を読んで蕪村に思い入れをもったので、与謝蕪村について他に本がないか探してたまたま見つけた本だ。拾い読み程度しかしていなかったが、今回は通読した。

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 森本哲郎の本でイメージする蕪村と、この本の蕪村では多少違う。それを論じるほどこちらは知識も素養もないので、違うと感じたということしか言えない。

 この本では取り上げた一句一句について詳しい説明がついている。その説明は俳句の師匠が弟子に講釈を垂れるというような上から目線ではなく、自らがその句からイメージした世界を「どうだろうか」と提示して見せてくれている、という感じである。しかしそれをイメージするためには然るべき素養が必要で、それがなければほとんど意味不明の句も多いから、やはりこちらにとって先生であることに変わりはない。

 正岡子規は芭蕉よりも蕪村を高く評価していたらしい。子規といえば万葉集を評価し、古今、新古今をこき下ろす人だから、先人のイメージを下敷きにして歌や句を作ることをきらい、真の創造こそ芸術だと考えたのだろうか。でも正岡子規が考えた与謝蕪村と森本哲郎が考えた与謝蕪村はだいぶ違う。この本の著者は正岡子規に近いかも知れない。

 萩原朔太郎が与謝蕪村に傾倒していたらしいことを初めて知った。今度前橋の萩原朔太郎の記念館に行ってみようか。

気にいった句をいくつか


  肘白き僧のかり寝や宵の春
(修行の合間に肘枕してうたた寝する若い僧のすがた・何を夢見るのか)

  春雨やものがたりゆく蓑と笠
(春雨の中を、誰かしらないが笠をかぶった人と蓑を着た人が語り合いながら行く。まるで蓑と笠が語り合っているように)

  春の夕たえなむとする香をつぐ
(春の夕刻、ぼんやりともの思いしながら聴いていた香をつぎ足す)

  菜の花や月は東に日は西に
(天空全体を十七文字に詠み込む)

  山蟻のあからさま也白牡丹
(白い牡丹に黒くて大きい山蟻が這う様がくっきりと見える・写真のような句)

  鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半の月
(友人が鮎釣りの帰りにたくさん釣れた鮎をお裾分けにおいていったが、もう遅いから、といって誘っても上がらずに帰ってしまった)

  夕風や水青鷺の脛(はぎ)をうつ
(水の中に立つ青鷺の足元が夕風に波立つ。先日の津和野の鷺を思いだした)

  さみだれや大河を前に家二軒
(梅雨の大雨で川が増水して激しく流れている。対岸に二軒の家が心細げに雨に煙って見えている)

  かけ香や唖の娘のひととなり
(ハンディをもっている娘も年頃になって人並みに美しくなった。その娘から匂い袋でも潜めているのかかすかに好い香りがする)

  四五人に月落ちかかるおどり哉
(賑やかだった盆踊りも夜が更けて、疲れた人から次々に去って行く。最後まで踊り続けている四五人に、傾いた月の明かりが射している)

  門を出れば我も行人秋のくれ
(芭蕉の この道や行く人なしに秋の暮 を下地にしているという。「我も」という言葉に世界観の違いが際立つ)

  客僧の二階下り来る野分哉
(小さな宿の二階に一人泊まった僧が、夜半、吹き荒れる嵐で心細くなって下の階に寝させてくれと下りてきたのだろう)

 他にもたくさんあるけれど、比較的イメージしやすい句を選んだ。下の注釈は本文そのままではなく、私の受けたイメージである。

2015年7月20日 (月)

櫻井よしこ・花田紀凱他「『正義』の嘘」(産経セレクト)

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 この本を読み終えて、それでも朝日新聞の購読を止めない読者がどれだけいるだろうか。昨年八月に朝日新聞が突然自社記事の誤報の謝罪を掲載したことは記憶に新しい。奇しくも同じ吉田という名前の二人の人物の記事が誤報であったことを認めた。片やあの福島第一原発の大震災当時の所長・吉田氏の証言についての誤報。もう片方は韓国・済州島で婦女子を強制連行して慰安婦にしたという吉田清治氏の虚偽証言についての誤報。

 あの誤報謝罪以後、朝日新聞は激しくバッシングされ、朝日新聞は外部委員による第三者委員会を立ち上げて経緯の検証を行った。

 国民は忘れやすい。この誤報の経緯の検証に基づく朝日新聞の謝罪は十分であったのか。朝日新聞は変わったのか。この本ではそこをとことん追求した人々が自分の取材に基づいて語り合っている。

 結論は朝日新聞はまったく反省していない、ということである。つまり自分たちがどれほど読者のみならず日本国民ぜんたいに迷惑を掛けたのか、という自覚がほとんど感じられないという。

 なぜそう言えるのかについて、次々に具体的な記事や取材事実が提示されていく。これを読んでも朝日新聞を購読するというのは信じ難いことだが、そもそもそのような人はこういう本を読まない。

 自分が正しければ手段に問題があっても仕方がない、という傲慢な姿勢が朝日新聞の社風であるならば、朝日新聞は遠からず消滅するだろう。

 子供の時からずっと朝日新聞を読み続けて育った。なぜ太平洋戦争のような無謀な戦争に日本は突入したのか、それを知ることを自分のテーマの一つとしてきた。そこでマスコミがどれほど戦意昂揚に寄与してきたかを知った。そのマスコミの代表である朝日新聞は戦後、平和を標榜する新聞社とかわり、自衛隊違憲を唱え、安保反対を叫び、文化大革命を礼賛し、北朝鮮を理想国家とつたえ、南京事件を糾合し、教科書問題を取り上げて韓国・中国にご注進申し上げ、慰安婦問題を宮沢首相が韓国を訪問する直前を狙って報じ、ソウルで再三の謝罪をせざるを得ないように追い込み、等々。

 しかし太平洋戦争時代に自分たちがしたことをはっきりと謝罪したことがあるのか寡聞にして知らない。私の読んだ多くの識者の本が謝罪反省をしていない、と書いているので多分していないのだろうと思っている。

 何事にも間違いはある。間違ったら間違えましたと言って訂正するのが本来の「正義」である。今回の朝日新聞の謝罪記事やその後の論調を見ていると、間違いには理由があった、という釈明に終始しているようにしか読めない。

 そういう自分の実感に合致する意見が裏付けを伴って書かれているのがこの本だ。

 ところで新安保法制の採決で安倍政権の支持率が暴落したと、朝日新聞などが嬉々としてかき立てている。その結果、来年の参議院選挙で自民党が大敗するか?

 私は再び勝利するだろうと思っている。あの三十数万人のデモ隊が国会議事堂を包囲し、岸内閣が退陣を余儀なくされた60年安保騒動のあとの選挙で、自民党は大勝した。

 民主党は安倍首相の支持率の低下を党勢挽回のチャンスと考えている。党利党略優先で、国民のためなどあまり考えていないことはすでに誰もが知っている。

 自民党もおおむね党利党略の徒が多いから、保身のために安倍首相に何も言えない。一人国民のことを最優先に考えているのが安倍晋三という人だ。だから恐いのだ、ということに誰も思いが到っていない。党利党略や保身を捨てている政治家は最も恐いのだ。実は国民はそれを知らず知らずに感じているのではないか。だから安倍首相の支持率は回復するだろう。

銀山温泉

 NHKBSの番組でお気に入りのもの、「世界ふれあい街歩き」「桃源紀行 君住む街で」「新日本風土記」など。すでに行ったことのある場所や行ってみたいところ、知りたいところが出てくるものに限って見ている。それぞれに思い入れがあるのでそれを誰かに語りたい気持ちになることがある。

 今回見た「桃源紀行 君住む街で」は山形県の銀山温泉。ここは二、三年前に訪れてブログにも写真を載せた。それ以前、大学生の時に友だちと二人で訪れたことがある。実は両親の新婚旅行先がこの銀山温泉だと聞かされていて、一度どんなところか行きたかったので友人を誘ったのだ。

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 番組では銀山の旅館の女将さん(七十過ぎというが、きびきびして若々しい)をメインガイドとして、銀山温泉の日々の生活が紹介されていく。だから観光地としての銀山温泉の紹介番組というのとは違う。この温泉のフレンドリーな雰囲気が良く描かれていた。

 銀山温泉の旅館は十数軒しかない。人口も百人ほどだそうだ。だからみな顔なじみばかり。人気があるから宿の予約を取るのはなかなかたいへんだ。川沿いの狭いところにあるので、車で旅館街に入ることはできない。日帰り湯に入る場合は街のだいぶ手前で車をおいて歩かなければいけない。バスもそうだ。

 両親が新婚旅行に来たのは昭和24年。尾花沢からバスで来たというが、バス停から遠くて荷物を持ってだいぶ歩いたという。当時は旅館に泊まるにはお米を持参しなければならなかったから、荷物も重かっただろう。数日滞在したそうだ。いまは寝たきりの老母にもそういうときがあったのだ。だから子供に銀山温泉の話を懐かしそうに話したのだろう。

 学生時代に私が初めて訪ねた時は、奥羽本線の大石田駅から尾花沢へバスで行き、そこで乗り継いで銀山温泉に入った。少し前までは、大石田から尾花沢まで大石田線という軽便鉄道のような路線があったらしいが、すでに廃線になっていた。

 銀山温泉というとドラマ「おしん」や青い目の女将・ジニーさんを連想するが、その騒ぎも去り、いまは元の静かな温泉街に戻っているようだ。

 また行きたい!

2015年7月19日 (日)

高い

 4月、5月と固定資産税や自動車税、市民税など、立て続けに支払いがあって、年金(のみ)生活者としてはうんざりしていたのに、介護保険の支払い請求の案内が来た。すぐに支払わなければならないわけではないが、その請求額の多さにおどろいた。

 昨年もこんなに多かったのかどうか記憶にない。今年65才になったから高額になったのだろうか。確かに介護には公的に大きな補助があることは自分の母親の介護を通して良く承知しているが、それにしても請求されるとおりに払っていたら、年金の他にかなりのゆとりがないと暮らしていけない。

 そんなことが気持ちにズシリとこたえる。定年をこれから迎えて年金生活をする人は、そのための準備と覚悟をする必要がある。老婆心ながらご忠告申し上げる。

中畑続投?

 DeNAが何と首位で前半を折り返した。奇跡ともいうべき事態に、早くも中畑監督の続投が取りざたされているらしい。

 もと野球選手には無意味にハイテンションの人がいる。つまりやかましい人だ。無意味にやかましい人は苦手だ。はっきり言ってきらいだ。そういう人がテレビ番組に出てくるとチャンネルを替える。CMに出て来ても替える。

 中畑は確か福島県の郡山の出身ではなかったか。西田敏行もそうだ。私の兄貴分の人にも郡山出身の人がいるが、同じように声が大きくテンションが高い。

 中畑は野球選手で、しかも郡山出身だからダブルでやかましい。それなのにどことなく暗さを感じてしまうのは私の思い違いだろうか。なにかそれを隠すために無理をしている気がしてしまうのだ。

 DeNAは巨人の銀行だといわれてきた。巨人が貯金を貯めるのに格好のカモだからだ。中畑DeNAはその貯金に今まで以上に貢献してきた。これではリーグ下位に低迷するのは当然ではないか。アンチジャイアンツである私としては腹立たしいこと限り無い。

 何のことはない、そのジャイアンツに勝っているから今年の好成績があるのは誰もが認めることだろう。

 中畑も首のまわりが涼しくなったので、巨人に勝ちに出たということだろう。ということはいままでは巨人にだけは負けても好いという采配をしていたのか?多分意識的とまではいわないけれど無意識にはそうだったのではないか。

 とにかく各球団は、ジャイアンツにだけは負けないよう全力で戦って欲しい。原監督のすました顔が苦渋に歪む顔を見たい。

 アンチジャイアンツファンの妄想である。ジャイアンツファンの方、ごめんなさい。

2015年7月18日 (土)

体質

 長谷川慶太郎が株について書いた本の中で、東芝の株は決して買うな、とあった。技術的、設備的にはすばらしいが、経営陣が一掃されなければ期待できないというのだ。

 東芝の体質に問題があることは以前から漏れ聞いていたが、このたび粉飾が明るみに出ることで一気に顕在化した。一部の役員の問題ではなく、企業体質として組織ぐるみであったことも判明している。これを機に膿がすべて出切れば却って東芝にとってさいわいかも知れない。

 個人的なことだが、以前東芝製品(ビデオなど一品にとどまらない)を購入して不具合があったので東芝のサービスセンターに問い合わせしたが、その木で鼻をくくる応対にきわめて不快な思いをしたことがある。たまたま私に応対した人物の問題かと思ったが、雑誌などで、この東芝のサービスセンターの対応のひどさがたびたび取り上げられていたので、会社の体質であることを知った。実はこの不快なやりとりの経験は一度ではなく、それを機に電機製品を買う時の選択肢に東芝製品を加えないことを心に誓ったし、友人知人にもそのように勧めてきた。東芝のサービスセンターは日本中にそのような人を作り出してきたのではないか。

 本質的に東芝は重電の会社であり、弱電部門が下に見られてきたと言われる。それがサービスセンターなどにひがみとして反映されていたのではないか。その結果はどうか。いま東芝製品は電機製品の量販店で最も値引きが大きいことがそれを表しているのではないか。価格を低くしないと売れないのではないか、と推察している。

 同じ重電でも日立は体質改善が進んでいるらしい。それは業績の改善につながっている。東芝は体質改善をせず、役員たちは保身のために業績を粉飾した。自滅したのだ。

 とはいえそのような経営陣がちゃんとした後継者を育ててきたのかというと、こころもとない。一時的に外部の経営者を頼む必要があるかもしれない。生え抜きのなかにこれではいけない、と切歯扼腕し、こころざしをもっていた人がかならずいたはずであり、そのような人が今後経営者として起用されることを期待したい。すでに長い時間が経過している。待ちくたびれて会社を替わってしまった人のなかに優れた人がいたような気がするのが残念だ。

 重厚長大の産業が見直され、日本経済の牽引車となっているなかで、東芝は重電の雄である。東芝が生まれ変わることは日本にとっても必要なことだろう。

下呂・温泉寺の佇まい

温泉寺の境内はこぢんまりしているけれど好い佇まいをしている。

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女性が休んでいるすがたも好い。車ではなく、温泉から長い階段を登ってきたのかも知れない。

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観音像の背景から温泉寺の高さがわかると良いのだが。

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足元には桔梗。

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鐘撞き堂の横にはお地蔵様。赤ん坊を抱いており、足元にも二人がしがみついている。ほほえましいけれど、多分これは三途の川のあたりでのすがたであろう。間引きされた赤ん坊かも知れない。かれらはそれでも母を慕い、三途の川原で石を積むという。それを救うのがお地蔵様なのだ。

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寺の横手に古い絵馬がある。右手の絵馬は文政五年。

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こちらは年がわからないが、松本城の絵。

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これは明治四十一年。それでも百年以上昔のものだ。ほかにもいくつかあるが、読み取るのが難しい。

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観音様に挨拶して寺をあとにした。

これで今回の小旅行は終わり。

2015年7月17日 (金)

下呂の温泉寺・石仏

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昨日の朝、平湯バスセンター付近から穂高連峰を見る。
このあと「ひらゆの森」という温泉に入ってゆっくりする。とても好い湯で宿泊もできるらしい。今度はここに泊まろう。

時間を調整して下呂に向かう。下呂に温泉寺という寺があるという。下呂温泉はもともと山の上にあったが、湯が涸れてしまった。すると白鷺があらわれて新しい湯元に案内してくれたという。それが今の下呂温泉の始まりだと言うが、それにゆかりのあるのが温泉寺だそうだ。

この寺は山の中腹にある。寺の上の駐車場に車をおいて参道を下る道ばたにたくさんの小さな石仏が並んでいる。

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みんな好い顔をしている。

2015年7月16日 (木)

下呂夕景

奥飛騨温泉でも、わが家からなら日帰りできる。下呂ならその中間だからもちろんである。


今晩はその下呂温泉に宿泊。心配なのは台風だが、地元のテレビの天気予報では、明日の午後からが心配なのだというが、明日にならないとわからない。

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下呂温泉が黄昏れる。

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ついに日が落ちた。

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宿に着いたばかりの時には目の前の飛騨川で鮎釣りをする人がいたのだが。

今晩の宿はホテル形式だが部屋は畳敷きの和室。

客は数件あったらしいがみなキャンセルで、結局私だけになったという。それはそうだろう。

夕飯は、それだからと言うわけではないだろうがお婆さんがつききりで給仕してくれる。この人がここの御主人らしい。品がよく、話し好きなのは好いのだが、いろいろと細かいことに口うるさい。自分の母親が給仕してくれているみたいだ。

有り難いようなうっとうしいような。それでもいろいろ話をしているうちに飲んでいる酒も回ったせいか好い気持ちになって、そしてなんとなくしんみりした。こういう話を母親とどれほどしてきただろうか。


平湯大滝

福地温泉から平湯まですぐ近い。昨年娘のどん姫と行ったことのある平湯大滝をもう一度見に行った。

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落差64メートル、幅6メートル、日本の滝100選の一つ。

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滝の落下口。

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全体。滝壺の近くに行くことはできないが、それでもしぶきが飛んでくる。お陰でひんやりと涼しい。冬は一部凍結し、夜間はライトアップするそうだ。

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滝への登り口。ここは近いから有り難い。

福地温泉夕景

焼岳が見える、という福地温泉の宿で目覚めた。

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上高地側の荒々しい活火山のすがたと違う、裏側から見た焼岳が部屋の窓から真正面に見える。噴気が見えるというが雲でよくわからない。

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日が暮れて焼岳が闇に沈みだし、宿に灯りがともる。

泊まっているのは小さな民宿で、部屋にトイレもなく、何となくわびしい気がしたが、料理は美味しかった。

昨晩は雨の音がすると思って夜中に目が覚めたが、近くの小さな渓流の音であった。背後は福地山という山で(福知山みたいだ)、その登山口は宿から近い。そこから渓流が流れ落ちているのが雨のように聞こえたのだが、今朝は本当に雨であった。

今日はどうしよう。

2015年7月15日 (水)

41号線を北上

 昨日の晩、急に思い立って温泉に行くことにした。

片付けなければいけないことが少し先延びになったので、何となく空白時間ができたのだ。家でじっとしていれば金はかからないけれど、ストレスがたまる。

問題は天候だ。

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見よ、この晴天。本日の行く先は奥飛騨温泉郷のなかの福地温泉。朝早く出たので時間がたっぷりある。そこで41号線を高山からさらに北上し、神岡に寄ってから、ぐるりと廻って福地温泉に入ることにした。

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カモシカも歓迎。

高山から北上するのは久しぶり。そのまま行けば富山へ行ってしまう。道路がよくなって新しいトンネルもできてとてもスムーズに走れるようになった。高山の北、飛騨国府、飛騨古川を過ぎて左手の山のほうへはいると宇津江四十八滝がある。子どもたちが小さいころはここのキャンプ場に毎年来ていたからなつかしい。

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神岡城。こじんまりとした三階建て。入場券を買うと、お城と鉱山資料館、旧松葉家(古民家)の三つが見学できる。

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例によって石を見始めると夢中になる。

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神岡鉱山あとを利用して神岡スーパーゾンデになっていることは御承知の通り。

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光量子の増幅管。これは古いタイプの方だろう。

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お城から神岡の町を見下ろす。右手奥が神岡の精錬所。実際の精錬所は山陰になっている。

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古民家の三階。

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おまけ。

小林秀雄「私の人生観」(角川文庫)

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 薄い本ですがようやく読み終わりました。書いてあることを理解しようとして繰り返し読み直したからですが、分かりにくいわけではありません。感度のわるいぼんくら頭が、得心するのに手間がかかっただけのことです。

 解説を河上徹太郎と亀井勝一郎が書いています。その中の亀井勝一郎の文章の一部を引用します。

 本書に収められた文章の根柢にあるのは、病者の自覚だ。それは「近代」に対する懐疑、抵抗であり、さらに一種の快癒の祈念であるといってよい。進歩主義、観念の空転、心理のもてあそび、解釈の氾濫、すべて近代病だが、小林秀雄は自他においてこれを殲滅しようとした。私の最も尊いと思うのは、ここに現れた自己放棄力である。感傷の抹殺である。それは宗教的、特に全的と言っていいものだ。あらゆる惑わし、まやかしを摘発して、ものそのものをじかに凝視せんとする、観ることと考えることを一如たらしめようという境地がそこにうかがわれるであろう。たとえば古美術を、五分間眺めつくすことに、現代人の成人が耐えられるだろうか。十分間みつめたら卒倒するほどの、これはもう肉体労働であるが、この種の肉体労働こそ真の頭脳労働ではないか。現代人は一分も眺めず、しかも解釈だけは無限につづけて行く。恐るべき病気だ。これが彼の怒りである。

 そして最後に一言付け加える。

 私はときどき、ふしぎに思うことがある。小林秀雄の愛読者、あるいは注釈者、模倣者といった人に出会うと、彼らは例外なく難解で深刻で、何が何やらさっぱりわからぬことを口走る。たとえば本集の文章を読んで、そんなことが起こりうるだろうか。

(中略)

 今私が眼前にみる小林秀雄は、思想の武士である。端然とした精神のたたずまいを紙背にみることこそ肝要ではなかろうか。私はそこに道徳をみる。熟練工にのみあらわれるその道の徳を。それは正確にものを見つめ、簡潔に表現することをわれわれに教えるはずで、難解そうなもって廻った言説とはおよそ無縁のものである。「私の人生観」とは知性の武士の観法だ。剣法は詩法と化す。鋭いと言われるのは、頭がよいということよりも気魄の問題である。異常な才能とみられるのは、異常心をもっているからではなく、平常心をもっているからである。虚心に本集を読めば、ちゃんとした、まともな人間になるはずだ。

 あまり好い解説とは言えませんが、私がコメントを書くよりはるかにマシでしょう。

 最後に小林秀雄自身の「私の人生観」本文の末尾を引用します。

 思想が混乱して、誰も彼もが迷っていると言われます。そういうときには、また、人間らしからぬ行為が合理的な実践力と見えたり、簡単すぎる観念が、信念を語るように思われたりする。けれども、ジャアナリズムを過信しますまい。ジャアナリズムは、しばしば現実の文化に巧まれた一種の戯画である。思想のモデルを、決して外部に求めまいと自分自身に誓った人。平和というような空漠たる観念のために働くのではない、働くことが平和なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信した人。そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道だと悟った人。そういうひとびとは隠れているが到るところにいるにちがいない。私はそれを信じます。

 これは昭和二十三年に行われた講演を元にした文章の結びです。時代の背景は現代と違いますが、本質は変わらないのだと思います。これでこだわった小林秀雄についてひとまず終わります。

2015年7月14日 (火)

ドラマ「エクスタント」

Dsc_47701965.6.20の日曜版の写真

 スピルバーグ制作・総指揮のアメリカSFドラマ、「エクスタント」全13話を観た。例によって録画したものを二日間がかりで一気に観た。

 主演はハル・ベリー、彼女は宇宙飛行士で、13ヶ月の単独での宇宙ステーション勤務を終了し、無事家族のもとへ帰還する。ところが受けたメディカルチェックで信じられないことが判明した。何と彼女は妊娠していたのだ。あり得ないことなのだが、実は宇宙船のなかで不可解なことに遭遇したことを彼女は思い出していた。

 あまりに異常なことなので、自分の幻覚だと思って報告せず隠していたことなのだが・・・。

 彼女の夫は生命工学の天才で、ほとんど人間と見分けのつかないロボットを作り上げていた。まったく人間と同じようなアンドロイドを作り上げるため、人間との関係のなかで成長していくようにプログラムを組み込んだ。それが夫婦の男の子として育てられている。その子がドラマに深く関わっていく。男の子、つまりアンドロイドが、あるきっかけで意外な変貌をとげていく。

 彼女は十年前、恋人との間で妊娠し、臨月に近い時に事故で恋人を失い、子供も失って治療に努めたが不妊となっていた。その彼女が妊娠したのだ。その胎児はだれの子か。

 その謎を巡って暗躍する組織。その目的はなにか。だれがそれに関わっているのか。その組織の黒幕を真田広之が演じている。

 時代は現代よりは少し先の近未来。現実にはあり得ない話だし、それにリアリティを持たすのはかなりの力業が必要だ。ハル・ベリーはそれにふさわしい。しかし細部では粗雑なところが見受けられた。楽しめたけれど。

 最後にこれで終わりか、とホッとしたところで、来年続編が出ることを知らされた。うーん、気になるから観たいような、もうけっこうというような気持ち。

迷惑メール

 知らない女性からしばしばお誘いのメールが届く。どこかの掲示板で見た、というのだが、誰かのいたずらだろう。自動的に迷惑メールに振り分けられているのだが、最近<no address>というアドレスのおかしなメールが送られてくるようになった。こちらも縁のないことの勧誘などで、もちろん迷惑メールに振り分けられている。

 ところが今朝そのおかしなメールがついに迷惑メールの設定をすり抜けて普通のメールに送られてきた。面倒だが受け取り拒否の設定をし直した。niftyの迷惑メール設定サービス(有料)をしているのになんたることか。最悪の場合は今のメールアドレスを破棄して新しいものを作り直さなければならないかも知れない。

 どうしてすり抜けたのか?明らかに迷惑メールなのに。niftyは少し抜けているのではないか、などと腹が立つが、こういう悪さをする連中はそういうことに悪知恵が働くからいたちごっこなのだろう。

 過剰な個人情報保護の風潮に異常なものを感じていたけれど、こんなことではその風潮も当然か、などと思う。

2015年7月13日 (月)

しばらくこだわります

 数日控えていたので、アルコールでふやけて伸びきっていた頭の襞(ただの皺か)が少しだけ復元されたのだろうか、今まで素通りしていた言葉が何となく理解できたような(錯覚か?)気がしている。今晩飲んだら「もとのもくあみ」かも知れないが。

 小林秀雄のことである。引き続きこだわって別のところを引用してみる。

 わたしがここで、特に言いたいことは、科学とはきわめて厳格に構成された学問であり、仮説と検証とのことを非情な忍耐力をもって、往ったり来たりする勤労であって、今日の文化人が何かにつけて口にしたがる科学的なものの見方とか考え方とかいうものとは関係がないということです。そんなものは単なる言葉に過ぎませぬ。実際には、さまざまな種類の科学があり、見る対象に従い、見る人の気質に従い、異なったさまざまな見方があるだけです。対象も持たず気質も持たぬ精神は、科学的見方というような漠然たる観念を振り廻すよりほかに能がない。

 別の文章

 政治的イデオロギイというような思想ともつかず、術策ともつかぬ、わけの分からぬ代物を過信する要はない。さようなものは、政治組織の円滑な運転のための油だと思えばよい。油の成分など簡単なほどよいのである。政治家は、社会の物質的生活の調整をもっぱら目的とする技術家である、精神生活の深いところなどに干渉する技能も権限もないことを悟るべきだ。政治的イデオロギイすなわち人間の世界観であるというような思い上がった妄想からは、独裁専制しか生まれますまい。
 あらゆることにおいて自分は正しいと思い込んだ人間、これは野心や支配欲がいつも狙っている大きな獲物であります。

 こういう文章を読んで、あああの国のことか、と分かる人には分かることでしょう。ここではソ連だったけれど、今は中国か。そして旧社会党や共産党の度しがたい人々。

おおむね良好

 あれだけ節制したのに血中糖度だけがわずかに基準をオーバーしていた。それでもhA1C(ヘモグロビンエイワンシー)が余裕を持って基準内なので、今日の女医さんはにこやかだった(怒るとすこしこわいし、数字がわるいと哀しそうな顔をする)。「薬を減らしましょう」という。やった!ところが減らすのは血圧の薬だけだった。なかなか糖尿病の薬は減らしてもらえない。

 夏場の水分補給が足りないとの指摘。自分ではずいぶん水分を摂っているつもりだが、最低2リットル以上飲みなさいといわれた(確認しなかったが、ビールは別らしい。それなら足りないかも知れない)。わたしが汗かきで、しかも体格が大きいから夏場はそれくらい飲まないといけないとのこと。
 病院の待ち時間で小林秀雄の続きを読む。読みながらいろいろ考えていたらほとんど読み進めず。

今日読んだところの抜粋(少し長くなりますが、我慢してください)

 アラン(フランス生まれの作家で詩人のアラン・フルニエだと思われる・引用者註)が、ある著名な歴史家の書いたトルストイ伝を論じたものを、いつか読みまして、今でもよく覚えておりますが、ほぼこういう意味のことを書いていた。
 ここに書かれていた事柄は、一つ一つ取り上げてみれば、どれも疑いようのない事実である。ところが全体としてみると、どうしてこう嘘らしい臭いがして来るか。三途の川をうろついているようなトルストイが現れるのか。
 いや、確かにアランは、三途の川と書いておりました。なぜ、確かな事実を描いたはずなのに影しか描けておらぬのか。トルストイの生涯は、実に激しく長い生涯であった。まず、己の情熱の赴くがままに生きた。次に、すべてを自分の家庭に捧げて生きた。次には、公衆のために、最後には福音のために。これらの花や実や収穫は、ことごとく私たちの糧である。私たちが食い尽くすことのできない糧である。しかし、彼自身は食い尽くしたのである。彼自身は、花は萎れ、実は落ちるのを見たのだ。彼の命は、もはや取り返しのつかぬ里程標を一つ一つたどったのだ。
 思い出の裡にある十年とは何か。そんなものはない。十年は諸君の現在の裡に隠れているだろう。かつて抱いていたが、もはや知らぬ思想とは、いったい何ものか。時間は、自分の歩く足を決して見せやせぬ。ところが、歴史家というものはおかしなことをする。時間のやり直しをする。時間を逆に歩こうとする。「復活」から「アンナ・カレニナ」に還って来る。「コサック」を書きながら、「クロイチェル・ソナタ」を予見している。トルストイには決っして起こらなかった思想のさまざまな組み合わせが、歴史家の頭では、苦もなく起こっている。
 トルストイも私たちと同様、常に未来を望んで掛け替えのないその日その日を前進したのだ。なぜ歴史家というものは、私たちが現に生きる生き方で古人と共に生きてみようとしないか。
 
 そういうことをアランは書いておりました。そういうことになるのです。歴史の見方が発達して来ますと、過去の時間を知的に再構成するということに頭を奪われ、言わば時間そのものを見失うといったようなことになりがちなのである。私たちが、少年の日の楽しい思い出に耽る時、少年の日の希望は蘇り、私たちは未来を目指して生きる。老人は思い出に生きるという。だが、彼が賭けているものは、彼の余命という未来である。
 かくのごときが、時間というものの不思議であります。このような場合、私たちは、過去を作り直していないとは言わぬ。過ぎた時間の再構成はかならず行われているのであるが、それは、まことに微妙な、それと気づかぬおのずからなる創作であります。

 また、西行流に言ってみれば、時間そのもののごとき心において過去の風情を色どる、そういうことが行われるのである。私たちの思い出という心の動きの裡に、深く隠れている、このような演技が、歴史家たちに、過去にあった他人たちを思い出す時に、応用できぬわけがありますまい。
 しかし、今日のような批評時代になりますと、人々は自分の思い出さえ、批評意識によって、滅茶滅茶にしているのであります。戦い(先の大戦・引用者註)に破れたことが、うまく思い出せないのである。その代わり、過去の批判だとか精算だとかいうことが、盛んに言われる。これは思い出すことではない。批判とか精算とかの名のもとに要するに過去は別様であり得たであろうという風に過去を扱っているのです。凡庸な歴史家なみに掛け替えのなかった過去を玩弄するのである。戦いの日の自分は、今日の平和時の同じ自分だ。二度と生きてみることは、決してできぬ命の持続があるはずである。

 無知は、知ってみれば幻であったか。誤りは、正してみれば無意味であったか。実に子供らしい考えである。軽薄な進歩主義を生むかような考えは、私たちがその日その日を取り返しがつかず生きているということに関する、大事なある内的感覚の欠如から来ているのであります。

 「わたしの人生観」という講演のための長い文章のほんの一部を抜き出して、勝手に段落をつけました。本では引用したこの全体にまったく段落がありません。

 この文章が唯物論的な歴史観というものを批判していることは明らかで、このあとに直接そこに言及していき、とても面白いのですが、ものすごく長いので入り口だけ紹介しました。こういうことを言うから彼は保守派の論客のような言われ方をしたのでしょう。しかしこれだけでもこちらの思いと波長がシンクロする気がします。

 昔ならちっとも分からなかったことが、ようやく少しだけ分かるようなったのも年の功でしょうか。お陰で病院の待ち時間がちっとも苦になりませんでした。

寝床の本

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 本日は病院の定期検診日。体重、血糖値、肝機能、尿酸値、コレステロール、中性脂肪、血圧の検査をして、医師の診察を受ける。朝一番に並んで早めに血液検査を受けると二時間ほどで結果が出る。結果が出次第医師が呼んでくれるので、そのあと処方箋に基づいてすぐそばの薬局で薬を貰うまで、半日で終了する。

 以前はそのあと(当然午後になる)に生活指導(何も不良行為はしていないけれど)を受診すると一日仕事だったから少し楽になった。この生活指導の先生が厳しくて、いうとおりにしたら酒も飲めない。人生の楽しみを我慢して健康だけを考えて生きなければならない。そんなことをして、ただ長生きしても意味がないではないか。

 しかしその先生に受診しないで済むために、目標をクリアする努力をしてどうにか達成できたのだから名医なのかも知れない。いまは受診を免除されている。

 数日前から酒を控え、食事も控えめにして検査にそなえているので、多分今回もすべてクリアするだろうと思っている(検査の意味がないだろうか)。検査が済んだらごちそうをつくって美味いビールを飲むつもりだ。

 押し入れの本をかき回していたら、小林秀雄の文庫本十冊ほどが出て来た。寝しなに読む本の一つにその一冊、「わたしの人生論」というのを加えて読み始めた。

 いまどき小林秀雄の本を読む人はあまりいないかも知れないけれど、読みやすいところを選んで読めばそこそこ面白い。特に選んだ本は、表題と同じ「わたしの人生論」だけが彼の講演をもとに大幅に書き加えたもので長いけれど、それ以外のものは数ページの短いものだ。自身の交遊録、若いときの失敗談などに続き、知人の訃報に接しての文章が集められている。けっこう若いときむちゃくちゃな暮らしをしていたようだ。

 若い人が「自分探し」などという言葉に惑わされているけれど、「青い鳥」は自分自身のなかにいる。もともと自分自身のなかにあるものとの折り合いをつけるために格闘するのが「自分探し」なのに、さまよっていては見つかるはずもない。それこそ「自分を見失って」いるのだ。そんなことを小林秀雄の本を読んで感じた。

 小林秀雄といえば中原中也との関係がすぐ思い出される。中原中也の情人を小林秀雄が奪い、確執を生じたが、のちに交友を復活している。この本にもそのことが記されている。

 詩の良さが分からない。分からないなりに若いときに(若いときほどではないが、いまも)気にいっているのが萩原朔太郎と中原中也だ。イメージが結びやすいと感じるからだ。

 そんなことを思いながら気がついたら朝まで灯りをつけたまま眠っていた。

2015年7月12日 (日)

富坂聡「中国は腹の底で日本をどう思っているのか」(PHP新書)

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 テレビに登場する専門家は玉石混淆で、内容のない聞く値打ちのない人物もしばしば拝見する。常に耳を傾けたいと思う人は限られている。その中で富坂聡氏をわたしはおおむね信用している。

 テレビ番組では専門家の長い解説を聞くことができない。特に最近の司会者は自分の聞きたいことだけを聞き、解説の途中にかぶせてものをしゃべるなど、礼儀知らずが多いので不快極まる。そんな仕打ちを受けても、語りたいことと違う受け取り方をされても、穏やかにそれに耐えている著者の姿は好感が持てる。

 だからその考え方を知るには、この本のような形でまとめられたものを読むしかないのだ。

 前置きが長くなりすぎたが、この本は表題の通り、日本人の視点で中国を論じるのではなく、中国人の視点から世界を、そして日本を見るという試みである。もちろんいくら詳しいといっても著者は中国人ではないし、中国人にもたくさんの視点がある。

 報道されているさまざまなこと、著者が知っている豊富な情報を中国人の視点から読み解く。するとおどろくべき世界観が現れる。それは通常われわれが考えている世界観とはまったく異なるものである。それが正しいとか間違っているということとは違うことを分かってもらえるだろうか。

 こういう見方があることをわたしは(多分ほとんどの日本人が)知らなかった。分かっているつもりのことが視点を変えるとまったく違って見える。そうして中国が日本に対してどうしてこんな対応をするのか少し分かる。日本のメディアがどれほど単眼的に世界を伝えてきたのか。それによって日本人の視界が狭められてきたのか。そのことに気づかされる。

 もちろん中国の視点が正しいといっているわけではない。そういう見方を知った上で中国と、そして東南アジアと、さらに世界と対峙しなければ、日本人は「井の中の蛙」であり続けるであろう。

 長谷川慶太郎の本とはまったく異なるこういう本を読むと、その振れ幅にこのぼんくら頭も多少は活性化する。

 そういえば、中国が安倍首相を戦勝70周年記念式典に招待するという話がある。敗戦国なのに参加するというのは論外だと思っていたけれど、この本を読んだら招待を受けても好いではないか、それくらいのサプライズがあっても好いではないかと思うようになっている。胸を張って参列したら良いのだ。多分アメリカがそれを阻止しようとするだろうけれど。

長谷川慶太郎「中国大減速の末路」(東洋経済新報社)

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 中国の高度成長の時代はすでに終わった。まだ年率7%もの成長をしているではないかといわれるかも知れないが、中国の経済統計は信頼性に欠けていて、実際には3~5%ではないか、ともいわれている。本当のところは中国政府でも分からないのではないか。

 中国経済が減速していることは中国政府も認めていて、それは中国経済が実需によるものよりも不動産などの投資による成長に支えられていた面があり、それが過熱して弊害の方が大きくなったので、意図的に中国政府がブレーキを掛けたものとも言える。

 中国政府は高度成長から安定成長へのソフトランディングをしようとしている。習近平政権は安定成長を「新常態」と名付けている。

 この本はその「新常態」が失敗に終わることを予言している。中国が推進しているAIIBも失敗に終わるだろうと予測している。AIIBは中国の経済政策の失敗の弥縫策だ、というのだ。

 そう決めつける根拠が次々に具体的に明示されていく。そこで特に強調されているのが習近平という人物の独裁志向の強さの問題である。確かに腐敗撲滅をうたいながら次々に敵を倒し続けている。それをソ連の独裁者、スターリンと比較し、時代背景の違いにより、習近平の独裁は破綻するだろうとみる。人権派の弁護士が次々に逮捕監禁されているという報道もある。きしみをたてながら中国でなにかが起ころうとしている気がする。

 現在の米中関係を新しい冷戦とみるのかどうか、それがこれからを読み解くキーワードになるのかも知れない。

 こういう本を読むとき、こうなって欲しい、と思うことが書いてあると面白いけれど、それが現実と違う結果に終わることが多ければあまり読む意味がない。長谷川慶太郎の予測は当たる確率が高いのだ。確率が高いと感じるのも、当たったことばかりに目が行くからかも知れないけれど。

映画「青天の霹靂」2014年(と映画「江ノ島プリズム」)

 監督・劇団ひとり、出演・大泉洋、柴咲コウ、劇団ひとりほか。

 劇団ひとりが、自身の同名小説を映画化したもの。劇団ひとりは映画に詳しいとはいえプロとは言えないし、大泉洋もあまり好きなタレントでもないので、あまり期待せずに見始めたけれど、案外面白かった。

 マジックバーで働くしがないマジシャンの主人公(大泉洋)は人生に投げやりでその日暮らしの何の希望もない生活をしていた。彼の母親は彼が物心ついたときには彼を置いたまま失踪しており、どこでどうしているか分からない。彼の父親は連れ込みホテルの清掃夫をしながら彼を育ててくれたけれど、高校生のときに家を飛び出してからその父親とも会っていない。

 そんな主人公のもとに警察から連絡が入る。ガード下で死んだ浮浪者がいて、それが彼の父親であると判明したというのだ。すでに父親は荼毘に付されていた。

 渡された父親の遺骨を抱いて、父親が死んだという河原のガード下にたたずむ彼に青天の霹靂が襲う。晴れた空から突然落ちた雷に直撃されるのだ。

 それにより彼は時間を超えて過去に飛んでいく。そこで彼が生まれる前の父と母に出会い、深い関わりを持っていく。父は自分の知っているどうしようもない父親そのものであった。信じてもらえるはずもないのでもちろん名乗らない。

 やがて彼は自分の出生に関わる真実を知ることになる。知らなかった自分自身の原点を知ることで彼がどう変わっていくのか。それがこの映画の見所だ。

 なかなかよくできていて、これなら金を出して観るに値する。ただ難点を多少いえば、舞台になる浅草の辺りの景色が違う。昭和48年という設定だが、まさにその頃わたしは浅草界隈をたびたびうろついていたのでリアルな記憶がある。あんなに人混みが多くないし、道路はもっと広い。映画ではボンネットバスが走っていたけれど、そんなもの記憶にない。あれでは昭和三十年代のイメージだ。

 昭和48年はテレビが全盛で、浅草の劇場などはさびれ始めていた。劇団ひとりは当時の浅草をリアルタイムで知らないだろうから仕方がないけれど、それなら時代をもう十年遡った設定の方がよかったかも知れない。

 それと、ラストが明らかに蛇足だ。劇団ひとりはサービス精神旺盛な人なのだろう。若い女性などは(失礼)、あそこまで親切にすると喜ぶだろうと思ったのだろうけれど、ない方がいい。

映画「江ノ島プリズム」2013年
 監督・吉田康弘、出演・福士蒼汰、野村周平、本田翼、未来穂香、吉田羊、西田尚美ほか。

 偶然続けて観たこの映画もタイムワープものであった。こういう偶然がしばしばあり、その頻度は偶然を超えているような気がする(ユングか!)。

 友人の法事(死んで二年というから三回忌か)で友人の遺品として選んだ、雑誌の付録の時間移動ができる腕時計によって友人の死ぬ前の世界にもどった主人公(福士蒼汰)が、何とか友人の死を阻止しようとする物語。もちろんなかなかそれが適わず、気がつくと現在に逆戻りしてしまう。そして再び過去へ。

 結末は切ないけれど、こんなものだろう。変えてはいけない過去を変えようと彼は奮闘するが、この結果で主人公は世界が変わっていると感じているのか、それともそのままだと感じているのか。

 ところで脇役で登場する吉田羊は期待通りに楽しい。こんな女の人とつき合ったら人生楽しいだろう。

 もう一人、時空の囚われ人として登場する「今日子さん」を演じていた未来穂香という女優が可愛い。コマーシャルなどで見たことがあるような気もするが、名前を知ったのは初めて。この映画の収穫は吉田羊と未来穂香、といったら映画に失礼か。

 いわずにおこうと思ったけれど、本田翼はちょっとテンポがわるい。笑顔は可愛いんだけどなあ。

2015年7月11日 (土)

自分に責任はない?

 ニュースを見て、心ある人ならたぶん感じているだろうことをあえて記す。岩手の中学生の自殺についてである。

 いじめがあったこと、それが長期にわたって執拗であったことが分かってきた。直接的にはいじめていた人間がもっとも責任がある。そのことがあまり強く言われていないのはどうしたことか。子供だからか。以前体育のマットで蒸し殺しにした事件もあったが、犯人と思われる少年たちは無罪放免された。殺されても犯人は存在していない。自分でマットにくるまったとでもいうのか。人権主義者の正義などこんなものだ。

 こうしていじめで子供が死んでもいじめた人間が罪に問われないことを敏感に子供は察知している。今回もどうなることかと息を呑んでいる子どもたちがいることだろうが、マスコミの矛先はそこへ向かうことはない。

 担任の女性教師は問題を自分で抱え込んでだれにもそれをつたえなかったことで糾弾されている。とれない責任を抱え込んだということで罪があるが、彼女が無力だったことが少年を絶望させたが、少年を殺したわけではない。

 子供が死んで嘆き悲しんでいる両親の心痛は分かるけれど、彼らの口から出るのも教師に対する非難である。メディアに誘導されてのコメントとはいえ、いじめられていることを連絡さえしてくれていれば、という。いじめられていれば、子供の様子から不審なものを感じるのが親だと思うがこの両親はそう思わないのか。子供はいじめられているのをかくすから分かりにくいけれど、それでも察知してやれなかったことを悔い、自分たちの至らなさを悔いる言葉は聞かれない。

  校長や町の教育委員会の言葉は毎度毎度同じ。知らぬ存ぜぬである。芝居じみて声を震わせ涙ぐんで見せるに到っては醜いものを見せられた不快な心地しかしない。

 真剣にいじめをなくすためにどうするか、などだれも考えていない。担任教師がわるい、という論調があればみなそちらに矛先を向けて責任逃れをする。彼女がなぜ相談せずに問題を抱え込んだのか。もしかしたら校長や同僚に相談していたのではないか。そこで問題を大きくしないために自分で解決するようにアドバイスされて、担任自体が絶望のなかにいた可能性もある。しかしそんな指示はしていない、と彼らはいうだろう。そこまで聞いていないし深刻と思わなかったというだろう。

 そしていじめた生徒たちは口を拭って、命を大切にしましょう、などと校長のいうことをへらへら笑って聞くだろう。その言葉を死んだ少年が自分の命を粗末にしたのだという意味に聞き取ることだろう。まさにそういう意味だから。

 では親はどうしたら良いのか。子供はどうしたら良いのか。

 だれも助けてくれないということ、自分で切り抜けるしかないことを知ることだ。戦うか逃げるかしかない。当たり前のことではないか。

2015年7月10日 (金)

「天国の裁判官になった男」(4)(「剪燈新話」から)

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 大異が帰してくれというと、鬼どもが、
「貴様、ここにきたからには、ただで返すわけにはいかない。俺たちが一つずつおみやげをやろう。というのは娑婆のやつらに、鬼神がちゃんとおいであそばすということを知らせてやるためさ」
「それでは、何をやる?」
 と年とった鬼がいうと、一匹が、
「雲を開く角をやろう」
といって、二本の角を大異のひたいに生やした。角は高くそびえて二本向かい合ったのである。するとまた一匹が、
「俺は風に鳴るくちばしをくれてやろう」
 といって、鉄のくちばしを大異の唇にくっつけたので、からす天狗みたいになった。また一匹が、
「俺は赤毛の髪をくれてやる」
 といって、赤い水で大異の髪を染めると、もじゃもじゃの髪が逆立ち、火のように赤く燃えた。またまた一匹が、
「俺は青光りの目玉をやる」
 といって、青い玉をその目にはめると、水をたたえたような青さである。年とった鬼が最後に送って穴から出してくれて、
「これからは自分を大事にするんだね。いままでみんながひどいことをしたが、まあ忘れることだよ」
 という。

 大異は穴から出ることはできたが、しかし雲を開く角をいただき、風に鳴るくちばしをつけ、赤毛の髪をかぶり、青光りの目の玉をはめられて、立派な鬼のすがた。家に帰っても妻子には誰だか分からず、街に出るとみんながたかって、化け物だといって見物する。子供など泣いて逃げ出すという始末。とうとう家を出ずに食事もとらず、悶え苦しんだあげく死んでしまった。臨終の際、家人にこう言い残した。
「おれは鬼どもに苦しめられて、いま死んでゆく。髪と筆を棺の中に入れておいてくれ。おれは天帝に訴えてやる。数日のうちに、蔡州に何か変わったことがあったら、それこそおれが裁判に勝ったときだから、酒を注いで祝ってくれ」

 そう言い終わって死んだのである。三日ほどすると、真っ昼間風雨がしきり、雨が四方をとざして、雷の音が天にとどろき、屋根瓦はすっ飛び、大木がことごとく根こそぎになって、ひと晩たつと晴れ上がった。例の大異が落ちこんだ穴のあたりが陥没して大きな沼となり、広々と一里ばかり、その水はまっ赤であった。たちまち棺の中から声がして、
「訴訟に勝って、鬼どもはすっかりみな殺しだ。天国ではわが輩の正義をよみされ、太虚殿の裁判官という重い官職をあたえられた。もう二度とは人の世にはもどらぬぞ」
 といった。かじんはあつくこれを葬ってやったという。どうも幽明の間には、霊魂というものがありそうである。

 これでおしまい。

 しかし最後の「どうも幽明の間には、霊魂というものがありそうである」というコメントの意味がよく分からない。作者が本当に書いたのか、あとで誰かが付け足したのか。

悲惨な経験は経験として、馮大異は鬼たちに対して過剰な反感を持ちすぎだと思える。もとはといえば彼が鬼に対して大言壮語を吐き、恨みを買うようなことをしたからで、自業自得な面も有るのではないか。鬼どもも余計なおみやげをもたせて、馮大異が人間として生きることができないようにしたために、このような報復を受けた。すんなり帰せばよかったのにね。

汗かいた

 四角い座敷をまるく掃き、という言葉どおりの掃除を続けてきた(それも毎日ではないし)ので、ものを置いてあるあたりが見苦しい。ほこりの飛び方が多くなった気がする。梅雨時で湿度があるから特にいやな感じがする。

 というわけで少し丁寧に掃除をすることにした。一度に家中を片付けるのは無理だ(気力が続かない)。まず玄関周りと納戸にしている部屋、自分の遊び場所の部屋(本来は娘のどん姫の部屋)、トイレから。床に置いてあるもの、積んであるもの(ほとんど本・もちろんトイレにも)をどかし、四角い部屋を四角く掃除した。やるときはやるのだ。

 それだけで汗だくになった。ふだん運動不足なのだ。それにしても本は重い。廊下と台所周辺のフローリングを床用の洗剤で磨きたいと思いながら一息入れている(昼飯だし)。それより風呂と洗面台の掃除を先にしようか。同時にトイレや風呂のマットなどを洗濯。ベランダで風にはためいている。

 大物はリビング。和室をフローリングにして元々のリビングと一体化したので広い。ここにテレビを置き、その前にテーブルとどん姫にもらった肘付きの座椅子を据えて座り込んで本を読み、ときに映画を鑑賞し、目の前にパソコンを置いて気が向くとそれをいじり、ときにころがって居眠りしている。

 当然身の廻りに必要なもの(大量の本、メモ帳、ノート類、薬、筆記道具、リモコン類、映画が録画されたブルーレイ、扇風機等々)がすべて少し手をのばせばとどくようにならべてあるので、すさまじい状態になっている。

 こちらは明日にする。

「天国の裁判官になった男」(3)(「剪燈新話」から)

 赤い髪で二本の角のあるやつ、緑の毛で翼のあるやつ、鳥のくちばしをして、牙をむき出したやつ、牛の頭で、獣の顔をしたやつ、みな身体は藍を染めなしたようで、口からは火を吐き、大異のきたのを見ると、大よろこびで、
「仇のご入来だ」
 といい、鉄紐で首をしばり、革紐で腰をゆわえ、鬼王の前へとひっ立ててゆき、こう報告した。
「こいつは娑婆で鬼神を信じませんで、われらを侮辱しておりました気違いでございます」

 鬼王は怒って大異を叱責した。
「なんじは五体を満足にそなえ、知識もあるくせに、鬼神の徳を聞いたことがないというのか。孔子は聖人でありながら、鬼神を敬してこれを遠ざく、といわれている。易経にも、鬼を一車に載す(意味分からず)、とあり、詩経にも、鬼となり、蜮(よく・水中で砂を吹き出して人に当てるという伝説上の虫)となる、とある。その他左伝に記してある、晉の景公の夢(景公が病気になり、夢のなかで鬼が二人の小人になって会話したという故事)、伯有のこと(鄭の貪欲な太夫だったが、殺されてから幽霊となり人を驚かした)、みな鬼神の話であるのに、なんじはなんたるやつじゃ。鬼神などないとほざく。久しくなんじの侮りをうけているので、今日出あったからには、思う存分にしてくれる」

 そこで鬼どもに命じて、その冠や衣をぬがせ、これを鞭うって血みどろにし、死ぬにも死ねない状態にしてから、鬼王は大異にこういった。
「なんじは、泥をこねて味噌をつくる仕事をしたいか、それとも身のたけ三丈ののっぽになりたいか、どうだ」
 泥がどうして味噌になるだろう、そんな無理な仕事よりはと、身のたけ三丈になることを願った。すると鬼どもが大異を石の床にねかし、粉のだんごを両手でのばすみたいに、大勢で何回も揉むうちに、いつか伸びて長くなった。たすけ起こされてみると、果たして三丈になり、まるで竹竿のよう、みんながこれをあざ笑って、竿のお化けと呼んだ。鬼王はまたいった。

「なんじ、石を煮て汁を作る仕事がしたいか、それとも身のたけ一尺の小人になりたいか」
 大異は長すぎて自分で立っていられない苦しさに、一尺の小人になることを願った。また鬼どもが石の床にひっ立て、うどんをこねるみたいに、力いっぱいおしつけると、骨がポキポキ音を立てて、これを抱き起こすと、はたして一尺の小人になり、まるっこい蟹のよう。みんながまたあざ笑って、蟹のお化けと呼んだ。大異は地べたをよたよたと歩いたが、その苦しさはたとえようがない。そばにいた年とった鬼が、手をうって笑いながら、
「おまえさん、ふだんは鬼神などあるものかといっていなすったのに、今日はまたなんてざまだね」
 そういってからみんなに向かい、
「無礼なやつではあるが、もう十分はずかしめられた。かわいそうだから、許してやろうじゃないか」
 そして両手で大異をぶらさげ、これを振りまわすと、しばらくしてもとどおりになった。

 さあこれで大異は無事に帰れるのであろうか。

2015年7月 9日 (木)

「天国の裁判官になった男」(2)(「剪燈新話」から)

 そのときちょうど一つの古寺があったので、あわててそこに逃げこんだが、そこの東西の渡り廊下はみな傾きくずれ、ただ本堂に仏像が一つ、その格好はいかにも偉そうで、見ると仏像の背中に穴が一つあいていたから、大異は窮余の一策、その穴へはいって、その腹の中にひそんだ。そして、やっとこれで安心だ、と思った。するとにわかに仏像が腹つづみをうって笑い出す。

「夜叉がつかまえようとして逃がしたのを、俺さまはつかまえようとも思わぬのに、自分からやって来おった。今夜は格好な間食が腹にはいったから、食事などは要らぬわい」
 そこでやおら立ち上がって歩き出したが、いかにも重そうな足どり、十歩もいったと思うと、しきいにつまずいて、ばったり倒れ、土や木の骨組みがばらばらにこわれてしまった。

 そこで大異はその腹から出ることができたが、相変わらず大言壮語、
「仏像のやつ、おれ様を翻弄しようとして、あべこべにとんだ災難だ」
 そういって寺を出てゆき、はるかに眺めると、野原のまん中に灯りがついていて、何人か行儀よく座っているのが見えたので、大よろこびでそこへ駆けつけていってみると、その連中には首がない。首のあるものは、片腕だったり、片足だったり。大異はびっくりして、あとも見ずに逃げ出すと、化け物たちは怒って、
「おいらが酒宴を開いてたのしんでいるというのに、あいつは大胆にも邪魔しにやってきやがった。ひっとらえて肉を切って乾し肉にしてやらなきゃあ」

 そういってうなり声を立てて駈け出し、牛の糞をまるめてぶつけたり、人骨をつかんで投げつけたりした。そして首のないのは、首を手にぶらさげて追ってくる。行く手に川が一すじ流れていた。大異はジャブジャブとその川を渡った。化け物たちはその岸まできて、川を越せず、大異が三町ほど走ってふりかえると、まだワアワアと大さわぎをしていた。しばらくすると月が落ちてしまい、道の見分けがつかず、ついに足をすべらして、底なしの穴へと落ちこんだ。これがすなわち鬼谷であって、冷たい砂が目にはいり、陰気が骨にしみて、多くの鬼が群がってきた。

 さあどうなりますことか。

「天国の裁判官になった男」(1)(「剪燈新話」から)

 「剪燈新話」という本を読んでいる。幽霊や化け物の話が書かれている。このなかに日本の怪談、「牡丹灯籠」のもとの話も含まれているが、この本に書かれている美女の幽霊はこの話のように好きになった男(人間)にたたりをなすこともあるが、おおむね優しいものが多く、結末がしみじみして哀れだったりする。

 この本でもっとも化け物の話らしい話をひとつ紹介する。少し長いので何回かに分ける。


 馮大異(ふうだいい)は、本名を奇といい、蘇州のあたりに住む変わり者だった。自分の才にうぬぼれておごりたかぶり、鬼神を信ぜす、およそ草木の精など、世をおどろかす妖怪のたぐいがあれば、かならず腕ずくでぶつかってゆき、出かけていってこれをやっつけずにはおかない。あるいはその祠を焼き、その像を沈め、平気でいるというので、大胆なやつだという評判をとっていた。

 元の至元三年(1337)に、河南省の上蔡というところの東門のあたりに寓居していたが、用事があって近くの村へいった。そのときはちょうど兵乱があったあとで、その辺には住む人もなく、見わたすかぎり黄色い砂と白骨ばかり。まだ目指す村までゆかぬうちに日は沈んでしまい、雲が低く垂れさがってきたが、旅館もないので、どこにも泊まることができなかった。道ばたに古柏(中国の柏というの日本の柏と違い、ひのきなどの常緑樹の総称・引用者註)の林があったので、そこへはいっていって、樹の根もとにしばらくやすんだ。前の方ではふくろうが鳴き、後ろの方では山犬や狐の声がした。

 しばらくすると鴉がたくさんおりてきて、片足で立っては鳴き、両翼をひろげてとびまわり、円陣をつくって気味わるくさわぎたてる。そのあたりには屍体が八つばかりころがっており、いやな風がさっと吹いてくると、にわかに横なぐりの雨になった。突然雷がとどろきわたると、屍体が全部、先を争って起き上がり、大異が樹の根もとにいるのを見て、わっとばかりその方へ走りよってきた。大異があわてて樹にのぼって逃げると、屍体どもはその下に輪になって、どなったり、ののしったり、立っているのも、座っているのもあったが、みんな気負った声で、
「今夜はどうしてもこいつをつかまえなきゃあならない。さもないと、おいらの手落ちになる」
 といっている。

 そのうちに雲が晴れ、雨がやんで、月がさしてきた。見ると夜叉(インドの鬼神。容姿が醜く、すばしこくて威力があり人を害する・引用者註)が向こうからやってくる。頭には角が二本、からだはまっ青。ウォーとほえながら、大股に歩いて、すぐにこの林の半ばまできて、手で屍体をつまみ、その頭をばりばり食い出した。まるで瓜でも食べているみたいである。食べ終わると満腹してねてしまい、そのいびきが地をゆるがすばかり。大異はここに長居をすべきでないと考え、夜叉が熟睡しているすきに、樹をおりて逃げ出すと、百歩も行かないうちに、夜叉がもう後ろに迫ってきたので、懸命になって走ったが、ほとんど追いつかれそうになった。

今回はここまで。

2015年7月 8日 (水)

当たり前と案の定

 ギリシアの国民投票の結果について考えてみれば、緊縮するのが好いか悪いかを国民に訊いたから「嫌だ!」と答えた、というだけのことのようだ。だれだって緊縮で生活が苦しいのは嫌だから、嫌だ、と答えたに過ぎない。しからばどうする、ということは問われているわけではないし、それを考えるのはチプラス政権なのだ。

 それを鬼の首を取ったように手柄顔してギリシア側は交渉に臨もうとしている。しかしこれは民主主義の話ではなくて借金をどうするかという話だ。多数決で反対が多かったからどうこう言う話ではないだろうと思うがチプラスはそう思わないらしい。却ってEU側の要求にこたえることが出来なくなったことに気がついていないのだろうか。EUの要求に妥協すれば民意に反するのだから、糾弾されるのは当然だ。そうすればあっさり退陣してしまうかも知れない。ギリシア人らしいと言えば言えるか。

 上海株が今日半日だけで8%も暴落した。昨日の時点で三割近い株価下落に耐えられない三分の一の企業が株価取引を停止している。今日になって半分以上の企業が株価取引を停止してしまった。半ば開店休業に陥りつつある。投資家の資産の三分の一が消失して自殺者も出ているようだ。

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 ギリシア問題ではびくともしなかった日本の株価もこれには反応して大幅下げになっている。これは別にギリシア問題が発端ではなく、中国経済の失速による先行き不安の反映なので、この状態はすでに予測されていたことだ。わたしも請け売りでそのことはここに書いてきた。

 問題はこれが一時的か、さらにひどいことになるのか、だ。中国政府が対策にかなり大胆なてこ入れ策を講じたことも報じられている。それが功を奏していないことから悲観的な予測が立ちそうではないか。中国政府がうろたえる事態になれば、ついちょっと嬉しい気持ちになる。本当はたいへんな事態なのだけれど・・・。

七夕(一日遅れで恐縮ですが)

 昨日は七夕だったが、あいにくの天気で星は見えなかった。そもそも都会では天の川を見ること自体がほとんど出来ない。

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 ところで七月七日というのは梅雨のさなかである。一体どのくらいの確率で星空を仰ぐことが出来ているのだろう。北海道あたりは別としてこの日に星を見ることは極めて少ないだろう。七夕は中国から伝わった習わしだから、梅雨がないということかと思ったが、そういえばもともとこれは旧暦で行うものだった。旧暦なら八月で、梅雨は明けているし星空を見る確率はとても高い。新暦で七夕を行うこと自体に無理があるのだろう。

 旧暦で七日というのはほぼ半月で、星を見るのに月の光はあまり邪魔にならない。しかし新暦では月齢と無関係である。それもおかしいのだ。

 新暦で七夕を祝うことが変だとみなうすうす気がついているのだけれど、なぜそのまま続けているのか。一度始めたらなかなか変えるのが難しいからか。

 多分七夕はおもに子供が祝うものだからだろうか。旧暦にすると夏休みになってしまう。学校でまとめて七夕をすることに慣れ、家庭ではそんなわずらわしいことなどしたくないからだろうか。笹も手に入らないし。おとなが祝う各地の七夕祭りはたいてい梅雨が明けてから行うではないか。

 そういえば愛知県・一宮の七夕祭りが七月後半にあるはずだ。人混みがきらいなので通りがかりにながめたことはあるが、一度も歩いていない。いつなのか調べて思い切って出かけてみようか。ただ今年は梅雨明けが遅れるらしいのが気掛かりだ。

放火殺人

 殺すために放火したのではなくても、放火したことで人が死ねば殺人である。大分県の杵築市の事件はつまりこの男(自衛官)が自分の子供四人を焼き殺したということだ。

 報道されているところでは、自分が単身赴任先に帰るのに妻が見送らなかったことに腹を立てて、発作的に油を撒いて火をつけたのだそうだ。もちろんそれだけではないのだろうけれど、結果の重大さと比べて理由にならないことで、みな唖然としているというところか。

 こんな理由が主な動機だとすれば、日本中が放火だらけになってしまう。武士の出仕ではあるまいし、三つ指ついて「行ってらっしゃいませ」と言えというのか。いまは夫が出かけるのに見送らない妻の方が当たり前の世のなかではないか。男は家を出れば七人の敵がいる、などというのはいまは死語である。

 キレやすい人というのが確かにいる。ふだんは尋常なのに突然怒りだし、火がつくと止まらない。こういう人が増えているのだろうか。なんだかそんな気がするのはそういう事件や場面を目にすることが多いからか。

 台風や地震、事故で列車が遅れたりすると、駅の改札の人などに延々とくってかかっている人を見かける。改札の人にも情報がないようだし、そもそも遅れているのは改札の人の責任ではないことは明白だから、たいていの人は食ってかかっている人を白い目で見ている。自分がその遅れのためにどれほど迷惑を受けているのか、激した言葉で訴えているけれど、それはみな同じなのだ。あまつさえ暴力をふるうものも少なからずあるという。

 彼は自分が正しいことを言っているのだからどんな暴言も許されると信じているように見える。そして自分が如何にみっともない恥ずかしい姿をさらしているか気がつくことが出来ない。

 以前、自分勝手でまわりの迷惑に気がつかないことの多い中国人について、幼児のようだ、と書いたことがある。左様、恥を知らない人、自分の姿が見えない人は幼児そのものだ。ただ幼児は感情が激しても泣きわめき、そばにあるものを投げるくらいしか出来ないから罪は軽い。

 精神に問題があるから幼児と同じように罪に問えないというのが刑法第39条だ。今回の放火事件もすでに犯人の精神状態が論じられている。常識で理解できなければすぐに精神の異常を理由にする。

 しかし幼児は重大犯罪を起こすことはほとんどあり得ない。やはりおとなには犯した罪に見合った刑罰を適用すべきだろう。

 今回の事件について、ほかの事件と同様に犯人の背景が次第に明らかにされていくだろうけれど、それで納得するような問題ではないのだからもう知らなくてもいい。それは裁判での情状酌量の場で論じれば良いことでマスコミが論ずるべきことではない。キレる理由を論じれば論じるほど、キレても良いように錯覚する輩が出てくる危険の方が大きい。おとなはキレてはいけない(自戒をこめて)。

映画「デッドハング」2014年アメリカ

 監督マレク・アッカド、出演サラ・バトラー、D.B.スウィーニー、マルコム・マクダウェルほか。

 大手証券会社の財務担当者が会社のビルの屋上から墜死する。死んだのは主人公の女性アナリスト・ジェーンの上司であり、相談相手でもあった。自殺として処理されるが彼女には信じられない。

 未亡人から頼まれた遺品を捜しているときに、彼女は偶然隠されていたメモリーを発見する。中身を見るとおどろくべき内容だった。一人で処理しきれないので上司に相談するのだが、それが彼女に危機をもたらす。会社にとって決して知られてはならない秘密だったからだ。 

 ひそかに処理のための男がやってくる。彼女が逃げるために乗り込んだエレベーターが動かなくなり、彼女を始末しようとしてエレベーターへ乗り込もうとする男と、エレベーターから何とか脱出しようとする彼女の戦いが繰り広げられる。 

 話はほとんどそれだけでシンプルそのものなのだが、シナリオが良く出来ているので緊張感は途切れることがなく、最後まで楽しめる。

 ただし処理にやってきた男はクールなわりには手際が悪い。手際が良ければ簡単に処理して終わってしまうから、それではドラマにならないとはいえちょっとお粗末。もし首尾良く彼女を片付けたとしてもその後始末をどうするのだろう。

 原題は「FREE FALL」、日本題は「デッドハング」、つまり落下か宙ぶらりんのどちらを表すか。最初が投身自殺だから原題も好いし、ラストも暗示している。エレベーターが動かない状況から日本題でも好いか。

2015年7月 7日 (火)

「空港日誌」

 中島みゆきの「SINGLES」「SINGLESⅡ」というアルバムを持っていてときどき聴く。どれも詩に彼女のイメージがこめられていて、歌の巧拙は別にして好きである。もっと歌のうまい歌手はいても、彼女のようにメッセージを見事に伝える歌手は少ないと思う。

 そのアルバムのなかの「空港日誌」という歌の歌詞の意味がいまひとつつかみきれずにいた。「乗客は九人、乳飲み子が一人、女性が二人、あとは常連客」というところでまず意味もなく引っかかる。では常連客は何人なのだろう・・・。常連客に女性は含むのか含まれないのか。「あとは・・・」というのだから女性は除いているので常連客はすべて男性らしい。しからば乳飲み子は九人に含まれるのか。乳飲み子は女性が抱えているとしか思えないし、料金を払っていないけれど含まないとも思えない。

 しかし全部で九人というのは少ない。広島空港が舞台で、歌詞から読み取ると福岡から広島へ飛ぶ便の話のように思われる。それならコミューターの小さな飛行機なのだろう。

 「写真ひとつでしあわせはたじろぐ」というフレーズがすばらしいではないか。歌の主人公である女性と、不倫相手(?)と思われる相手の男性の世界ががらりと崩れていく様がありありと見える。不倫相手だと思うのは、彼が彼女のもとへ帰ることが必ずしも前提とされていないらしいからだ。

 「貴方が博多にいたという愛のアリバイを壊してあげたい」と歌詞は言う。彼女は彼のアリバイを崩すような写真を手元に置いて、彼の主張する、博多にいたという言葉を否定しようとしているらしい。だから「壊してあげたい」というのは「壊したくない」という彼女の痛切な悲鳴でもある。ではその写真を彼女のもとへもたらしたのはだれなのだろうか。それとも偶然なにかで見つけたものか。

 それをただすために彼を広島に呼んだのだろうか。ところが彼は広島空港に着陸した飛行機に乗っていなかった。しかも「羽田へと向かう道にさえ乗っていない」。羽田への便にも彼の名前はないのだ。「尋ねられた名前はありません」と空港の女性に冷たく言われる。空港の女性は主人公の必死の様子に同情しかかるが、どうしようもないことでもあるのであえて事務的にこたえる。

 では彼はどうしたのだ。「こんなこと百もわかっていたことなのに・・・でも・・・」と繰り言が続く。百もわかっている、というのは、百も承知している、という言い方を歌詞を整えるためにこのように替えたのだな、などといらぬところに思いをいたす。

 本当に彼はどうしたのだ。これで二人の関係は終わることになるのか。破綻したのか。それはこれからのことなのか。

 実はようやくこういう解釈が出来るようになったところなのだ。本当の意味は全然違うかも知れないが、勝手読みの名人を自認するわたしとしては、いままで気になっていたことが少し晴れた気持ちでいるところだ。むりやりの解釈ですがね。 

専門家の予測が聞きたい

 ニュースバラエティ番組をしばしば見る。CMがきらいだし、無知で無意味なゲストのお笑いタレントのコメントや街頭インタビューなどは見たいとも聞きたいともあまり思わないが、その話題についての専門家の分析や今後の予測についての意見は聞いてみたいので我慢して見る。

 あまり興味のない事件などについての話題がまず取り上げられることが多いから、知りたいことが後回しになってもどかしい。しかしリアルタイムが肝心のニュースを、録画して見たいところだけ見るというのも間が抜けている。

 ギリシアは、そしてEUはこれからがどうなるのか、今回の世界遺産の登録により韓国との関係がどうなるのか、中国経済はギリシア問題からどれだけ影響を受けるのか、その予測を聞きたいではないか。多少はなぜこういう事態になったのか説明も聞きたい。

 ところが専門家というのはリスクを構えない人ばかりらしく(特にテレビに出るような人は自分の名声を維持することに気を遣っているらしく)分析についてはとうとうと述べるのに、予測についてはあまり語らない。こういうこともこういうこともあり得ます、としばらく先のことは述べるけれど、直近の、たとえばギリシア国民がどういう難局を迎えそうか、などと言うことは語らない。

 ここで根拠をもとに自分の意見として明確に予測を語る人のみがテレビに必要な専門家だとわたしは思う。テレビは文字に書かれたメディアではないので、繰り返し見直して検証されることが少ない。視聴者はすぐ忘れてくれるのだ。だから間違ってもそれほど深い傷は負わない。テレビにはリスクを構えない専門家は不要だ。

 ところでギリシア国民は当面どういう生活を余儀なくされるのか。EUはギリシア国民の選挙の興奮のほとぼりが醒めるまでしばらく何の結論も出さない交渉を続けるだろう(わたしが予測してどうする!)。7日からいまの規制が解除されて本当に銀行で自由に金が下ろせるようになるのか。銀行はそれに対応して金が続くのか。銀行が倒産したら何が起こり、それによって国民の生活はどうなっていくのか。

 視聴者は「国」という抽象的なものではなくて「ギリシアの国民」という具体的な人たちがどうなるか一番知りたいのに、なかなかそれを予測する専門家に出会えない。最悪なのは、この事態の原因とその責任はそもそもどういう点にあったのかということばかり言っている専門家だ。分析として一度は聞く値打ちがあった情報だが聞き飽きた。済んだことを戻すことは出来ない。すでに事態を知っている現在の視点で過去を裁く左翼的手法にはうんざりだ。

 ところで上海株は政府の相次ぐてこ入れ策によって昨日若干だけ持ち直したけれど、EUの動揺が影響しないはずはないので、このまま持ち直すのか、それともさらに下がるのか、それが中国経済にどう影響が出そうなのか。それこそ日本人にとって(わたしだけか?)一番知りたいことだけれど、それについて語る専門家にテレビでまだ出会っていない。もちろん番組を全部見ているわけではないが、たいていどこかで誰かが言えば、あちらでもこちらでも同じことを言うのがテレビだから、多分その予測を言っている専門家がまだいないのだろうと思っている。

2015年7月 6日 (月)

映画「天使の処刑人 バイオレット&デイジー」2011年アメリカ

 最近短めのあまり聞いたことのない(たぶん評判にならなかったのだろう)映画ばかりを観ている。最近大作映画を観る気力がやや不足していることもあるし、意外な拾いものがあったときに嬉しい。

 学生時代に手当たり次第に映画を観て、そんな拾いものにときどき出会った。ただし時間と金の無駄になることも多かった。いまはあまりひどければ途中で止められるし、WOWOWから録画したものが多いから無駄になるわけでもない。

 前書きがくだくだしいが、つまりこの映画はその拾いものの、当たりの映画だったのだ。ただし他の人がこの映画を観てそう思うかどうかはかなり疑問だけれど。

 ティーンエイジャーの殺し屋二人組というのが意表を突くが、案外若い女の子はクールであるから、テクニカルな点さえ備われば向いているかも知れない。うだうだと悩まないのだ。ただしものを知り、世界が分かりだしたら多分そうも行かないだろう。

 この映画はそんな二人組が引き受けた「簡単で楽な仕事」でターゲットになった男と関わったために、自分の外界について目覚めはじめたことで起こる出来事がコミカルに描かれていく。

 最初から殺されることを覚悟している男の行動が彼女たちには不思議に映る。しかしターゲットを知れば情が移り、次第に仕事の実行が難しくなっていく。別の暗殺者たちがこの男を襲いに来たためにそれを返り討ちにしてしまい、さらにあらたに最強な暗殺者が送り込まれ・・・。

 最後に彼女たちが迫られる重い決断とはなにか。

 とにかく最初に二人が登場するところからぶっ飛びます。

榎本宏明「『過剰反応』社会の悪夢」(角川新書)

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 だいぶ以前だが、三波春夫の罪は重いと書いたことがある。「お客様は神様です」という言葉が日本社会にもたらした弊害が大きいという意味で、もちろん三波春夫自身に対して悪感情があるわけではない(ファンの人に悪意をもたれるのがこわいから言い訳しておく)。このときはクレーマーについて書いた本を読んだときだったかと思う。

 この「『過剰反応』社会の悪夢」という本の前半には具体的な事例の数々(これでもか、というほどたくさん)が列べれていて、最初は不快感、次第に腹が立ち、しまいにはあきらめの気持ちに陥ってしまった。「過剰反応」をする人たちの非論理的な正義とそれに「過剰対応」する社会の異常さにあきれるとともにむなしい気持ちになったのだ。

 後半はその「過剰反応」をする人たちの心理的な心の働きが分析されている。そこでも具体的な例に則しているから、前半に感じたこちらの感情のざわめきは増長するばかり。

 最後にその「過剰反応」社会に対する方策についての提言がある。しかし正直なところこの部分の著者の文章はいかにも弱々しい。つまりどうしようもない、という気持ちが透けて見えてしまうのだ。

 自分がすでに社会的な役割から降りてしまっていて、このような「過剰反応」する人びとと接することがほとんどなくなったことに対してこれほどホッとしたことはない。営業をしていたからどう考えても理不尽な人に会うこともあったし、組織の中にはこの本の具体例に近い人もいたけれど、いまのように世のなかがそれをのさばらせるような風潮はそれほどなかった。

 極端なことをいえば、日本の国を滅ぼすのは、このような人たちの意見が社会をリードするようになったときだろう。すでにその兆候は現れ始めていて、そこから引き返すためのまともな言説はほとんど力を持てないでいる。

 あきらめの気持ちになったのは、どうせわたしが生きているうちくらいは悪くなる一方にしても何とか持つだろう、という利己的な理由による。

 近頃何となく沈滞していて気持ちがだらけていると思う人はこの本を是非読むとよろしい。心が激しく波立つだろう。

2015年7月 5日 (日)

辛坊治郎「ニュースで伝えられないこの国の真実」(KADOKAWA)

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 面白い。

 そうだったのか!と膝を叩くことも多々あるし、そうだそうだ、と手を打ちたくなるようなことも多い。報道はどうあるべきかということについて具体的に多くの事例をもとに持論を展開しているが、読む前に想像していたよりもずっと面白かった。

 マスコミの一部が一般人の常識とはかけ離れた論理で動いていることを歯に衣を着せぬ言い方で非難している。それがまた批判の対象になるのだろうが、どちらがまともかは歴史が明らかにするだろう。それにしてもここで取り上げられている「おかしな、そして困った人たち」がのさばっている現状は何とかならないものだろうか。

 わたしのブログを我慢して読んでくれる人ならこの本を楽しめるし、同時にいまの日本の現状をあらためて深く憂えることだろう。

今朝のニュースから

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 ユネスコの世界遺産の審議が行われているが、日本の明治維新の産業革命遺産の審議が韓国の横やりで異例の一日遅れになった。日韓である程度合意が出来ていたはずなのになぜ韓国はここまで反対するのだろうか。多分韓国が条件付きで認めるらしいと報じられたことで、極端な反日を煽るネットなどが、それを韓国の敗北と騒ぎ立てたことが影響しているのだろう。日本人は韓国の態度にあきれながら不快感をまた募らせた。こうして韓国は日本との関係改善の兆しをまたもやふいにしそうだ。

 ユネスコの各国の代表はこの韓国のかたくなな反対をどう感じているのだろうか。正直なところを聞きたいものだ。ところで韓国が申請している「百済歴史地区」については日本をはじめ全会一致の賛成で登録が決定した。ここで日本が異論を唱えずに賛成したことは当たり前とはいえ良かった。

 人民日報が安倍政権のメディアへの報道規制を批判する記事を掲載した。「どんなに意を尽くして報道を操作しようとしても、ある可能性はいつも存在する。それは自分で自分の首を絞めることだ」と論評したそうだ。まことにもっともな意見で同感である。しかし人民日報とは中国の官報のようなものである。中国政府の意向に逆らうような記事を書くことが出来ないのは公知の事実であって、その報道はまるまる中国政府の規制のなかにある。

 中国のネットでは「爆笑ものだ、一番笑えた」と痛烈な書き込みが相次いだ。安倍さんも中国にだけは言われたくないだろう。

 公衆トイレのトイレットペーパーを無償にすることは「中国人の民度を試すだけのものではない」と中国の新聞が書いているそうだ。これは広州ではじめられた公衆トイレ革命と呼ばれる無料のトイレットペーパーやハンドソープの提供のことをさすらしい。無償にすれば持って行ってしまう者が横行する中国で、あえて民度をあげるために試行するということなのだろう。

 むかし学生時代に寮生活をしていたとき、トイレットペーパーを持ち出して自分の部屋のティッシュペーパー代わりに使う輩が居た。平然とそうする人間と、「あっうまいことやっている」と真似する人間と、絶対にしない人間とがいた。ひそかに軽蔑されても何とも思わない人というのは居る。真似する人間を減らすことだけは可能であり、それが民度をあげることかと思う。

 「日本には中国の正常な軍事力の発展に対して四の五の言う権利はない」と中国外交部が日本の防衛報告に対して批判した。

 「正常な」という言い方に中国という国を強く感じた。こういう品のない言い方は北朝鮮によく似ている。そして絶対的正義をもとに人を非難する人びとの口調によく似ている。いま『「過剰反応」社会の悪夢』という本を読み始めたけれど、自分が正しい、だから相手が間違っている、という決めつけをする者の腹立たしさをとことん味あわせてもらっている。

2015年7月 4日 (土)

中国に黄色信号?

 中国の株価が下がり続けている。上海株は6月半ばの高値から比べて本日までで29%の大幅ダウンとなっている。

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 指数で4000ポイントを超えて、5000ポイントの声を聞いたあと下がりに下がり、ついに本日は3700ポイントを切ってしまった。

 実はこの急激な下がり方に歯止めをかけようと、中国政府はいろいろな方策を講じている。巨額の年金の30%を株の投資に振り向けることを可能にしたこともその一つ。もちろんいままでは許されていなかった。これで株価が持ち直すかと思いきや、何の効果もなかった。さらに本日、証券業界が投資信託に日本円で2兆4000億円ほどの資金を投入することが発表された。しかし結果として株価は持ち直すことがなかった。

 以前にも書いたけれど、中国の株は機関投資家の比率が低く、多くが一般国民投資家である。不動産投資で資産を増やしてきた人びとが、不動産があまりに高騰してまさしくバブル状態になったために中国政府が日本のようなバブルがはじけることのないように介入し、土地の価格が上がらなくなってしまったので、その資産を株に向けたのが株高の要因である。

 一説には上海株が2000ポイント近くになると中国経済は崩壊必至と言われる。まだ3700ポイントだから深刻ではないけれど、実際には三週連続で下がり続け、一気に1300ポイントも下落したのであるから、このまま下がり続ければデッドポイントに近づくことがないとは言えない。

 こういうときに実体の経済以上にパニック的な行動をするのが一般投資家である。来週もこの下落の流れがとまらなければさらに投資家は損失を最小限にしようとして株を売り、株はさらに下がるかもしれない。

 そうなると中国の企業は金が足らなくなり、危機に陥る。それを回避するために銀行からつなぎの融資を引き出すことになる。こうして銀行に金がなくなり、銀行が行き詰まる可能性がある。そもそも国営企業は放漫財政で体質が健全ではないとも言われる。このまま行くと一つか二つ、銀行が倒産するかも知れない。

 中国はいまその瀬戸際にある。深刻な事態は目の前なのだ。しかし中国には賢い人びとが多いし、いざとなれば独裁体制を使って強権で対処するだろう。

 さあ来週以降7月中、どう株価が動くか、興味は尽きない。どうも人ごとで恐縮であるが、中国には少しお灸を据えたいとつい思ってしまうのだ。長谷川慶太郎が言うことには、中国がそういう事態になっても日本はそれほど大きな打撃はないというし。

 あまり詳しくないわたしが書くのもどうかと思うが、現在伝えられているニュースからわたしが思うことをまとめてみた。

久しぶりのどん姫

 娘のどん姫に声を掛けていたのだが返事がない。連絡くらいくれれば良いのにと思いながらも、忙しいのだろう、とあきらめていたら昨晩、「いま帰る!」とメールで連絡があった。

 うちのなかは散らかり放題で片付いていないけれど、さいわい多少の食べ物はあるし、とっておきのロゼワインがある。これはどん姫と二人で飲もうと思って以前松本のワイナリーで買ってきたものだ。

 つたえておきたいことがあったから連絡していたのだけれど、その件は了解。お土産に秋芳洞で買ったアンモナイトの化石を渡したら、けっこう喜んでくれた。こんなものいらない、というかも知れないと少し不安だったから嬉しかった。けっこう高かったのだ。

 独り暮らしのバカ親父はクールな娘に久しぶりに会えてゴキゲン。どん姫は「また来る!」と言いつつ一晩泊まって今朝さっそうと去って行った。

年金が少ないから生活できない?

 今回の新幹線での焼身自殺の報道によると、犯人は、年金が少なくて暮らしていけない、ということを知人に繰り返しもらしていたことから、その不満が犯行の動機らしい。

 そんな動機で起こした犯罪で、日本の社会が受けた被害は莫大なものだ。何万人という人が新幹線の遅れで迷惑を受け、あまつさえ殺された人や負傷した人まであった。さらに新幹線の安全保持のために莫大なコストを掛けなければならない恐れも出ているし、その利便性を大きく損なう対応も検討されている。

 彼には犯罪を起こすという自覚はなかっただろう。自分の死を正当化するセレモニーを実行したつもりだろう。その心性はまさにISのテロリストと同じだ。地獄があって彼が閻魔大王に裁かれることを期待したくなるではないか。

 年金だけでは生活できない?自給自足の田舎暮らしでもしないかぎりそれは出来ないだろう。では年金生活者はすべて生活出来ずに餓死しているのか。年金を増額して彼らを救わなければならないのか。いま就業している人たちから年金のためとしてこれ以上高額を徴収しようというのか。ギリシアのようになりたいのか。

 年金だけで生活が出来ないなら自分でそのための手当てをしておくのが当たり前ではないか。人間はいまある金の範囲で生活するしかないのは当たり前ではないか。本当に困れば日本ではそれを救う制度もちゃんとあるではないか。

 いまさらアリとキリギリスの話を持ち出すまでもないとおもうけれど、いまは冬に困ったキリギリスをアリさんが夏の間に蓄えた食べ物で救う話になっているそうだ。アリさんはよほどゆとりがあるのだろう。

長谷川慶太郎「株価上昇はまだまだ続く!」(徳間書店)

 わたしは原則として株はやらない。唯一の例外はもと居た会社の株を保有していることだが、これは会社が上場したときに購入してそのまま持ち続けているもので、売買はしていない。預金よりは配当が良いので金に困ることになるまで持ち続けるだろう。

 株の売買で資産運用をしている友人も多い。バブルがはじけてダメージはあったようだが、トータルでは満足できるような結果を出しているらしく、わたしよりみな豊かだ。

 預金金利がほとんどゼロの時代、資産運用をしないことは愚かであるとまでいわれる。この本では、運用は「いのち金」でしてはならない、とまず書かれている。その金がなくなるとたちまち生活に窮する恐れがあるような金は投資につぎ込んではならない、ということだ。そして株は多少の上下で売り買いせず、長期に持ち続けることを前提にしろ、と言う。つまり企業に投資するので、売買益ばかりを狙ってはならないという意味なのだろう。

 なるほどしからばわたしは株を買うか。この本を読むと具体的な企業名を挙げていてその予測と実際の推移が見事に合致していることが分かる。買いたくなるではないか。しかしわたしは買わない。買わないことでみすみす利益を逸するとしても買わない。それがわたしの信条だからだ。

 株価は経済の間違いなく指標である。そして株価の上がった会社、下がった会社にはかならずその理由がある。情報に詳しい人がそれをもとに売買している結果であろう。それが出来ない人は株の投資にはむいていない。

 長谷川慶太郎が株に関する本を出すのは久しぶりだそうだ。相変わらずその情報量の豊富なこと、細部にわたっていること、なおかつ正確なことはおどろくばかりである。この本は昨年8月からの彼の「未来塾」の質疑がベースになっている。断言した予測がことごとく的中している。

2015年7月 3日 (金)

ネットの意見

 ほかの意見に埋没しないように目立つためと、匿名であることからネットの意見は極端なものが多い。

ネットの意見が民意を反映しているものではないことに多くの人が気がつきだしている。いまだに、ネットでこう言っているから、などとそれを民意の反映であると信じて、だからこうしなければならない、などという政治家やジャーナリストがいるが、なに、こういう輩はマッチポンプであるだけで、本当に世のなかのあるべきイメージなど持っていない。同類である。

 ではネットの意見など無視するべきなのだろうか。ときどきウイットに富んでいてクスリと笑わせてくれるものもあるし、なるほどそんな考えもあるのか、と思わせるものもあるので、わたしは無用だとは思わない。本気で乗せられる方が悪いのだ。

 最近面白いのは韓国の自虐ネタだ。以前は意気軒昂、韓国は世界一、日本中国アメリカ何するものぞ、という元気なものが多かったが、相次ぐ事件や事故などで自信を失ったのか経済的な失速がこたえているのか、悲観的なものが大分混じりだした。

 経済の立て直しのために韓国政府は15兆ウオン(約1兆6500億円)の対策案を打ち出した。韓国の貿易は輸出入とも前年比マイナスが続いている。輸出立国と自他共に任じている国だから深刻だ。しかし輸出以上に原油安によって輸入が減少しているから貿易収支は大幅な黒字が続いている。外貨がどんどん貯まって、韓国は見かけ上金持ちだ。当然ウオン高は続く。企業生産や小売り指数も軒並み前年比マイナス。これでは景気浮揚対策を打たなければならない。 

 この対策案で今年度の経済成長率の当初目標である3%を達成させるという。至急実施する必要があるだろうことは論を待たない。

 これに対するネットの意見

 これまで何度も対策をしてきたが成功したことはない。

 根本的な対策など朴大統領にはない。

 15兆ウオンは結局税金。その税金で大企業が儲かる。庶民から税金を取って大企業に手渡すだけ。

 税金を投入するなら国民一人一人を支援する方が良い。

 公務員の福祉だけが膨らんだ韓国はこのままギリシアのようになってしまう。

 IMFがまたやってくる。

 大半が悲観的で批判的な意見ばかりだった。多分まともな意見もあるのだろうが、そういう意見は面白くないから採りあげられていないのかも知れない。

 IMFがやってくる、というのは通貨危機の際に韓国も深刻な財政危機となり、IMFにデフォルトを通告されかかり、厳しい緊縮財政を余儀なくされた記憶が韓国の国民に強く残っているからだ。そのときに日本が韓国とスワップ協定を結んだことで国際的な信用を確保し、韓国は最悪の事態を免れた、と日本側は思い、韓国は余計なお節介だった、と思っている。いまは中国と巨額のスワップを結んで日本とのスワップは解消した。でも韓国が深刻な危機になるのは中国が不調になったときのはずで、そんな状況のときに中国が韓国を助けられるとは思えないのだけれど。

 国民一人一人を支援せよ、というのは、ばらまけ、ということで、つまりわたしに直接金をくれ、ということだろう。政権の人気取りにはなるだろうが、よほどたくさんでないかぎり、経済効果は一時的でほとんど意味がないのは日本でも経験済み。公明党が大好きな政策だ。なにせ人の金だ、自分の金ではない。

 景気は人の心の要因も大きいと言われる。経済対策を打ち出して、「これで景気が回復するのではないか」と思えば効果は上がり、「どうせだめだ」と思えば効果は半減する。

 このネットの意見が大勢かどうか知らないが、これでは経済対策の効果があまり期待できない気がする。韓国は自信を取り戻せるのだろうか。

 いままでが韓国はあまりに自信過剰だったから、少し嬉しい気持ちになってしまうのがわれながらちょっと情けない。

志怪小説(おばけのはなし)を楽しむ

 志怪小説というのは幽霊や妖怪などをはじめ、この世のものでないものや不思議なできことを書いたものだ。

 少し前に「子不語」という、清代に袁枚(えんばい)が書いた志怪小説について紹介したことがある。いくつかその中からわたしがおもしろいと思ったものを取り上げた。

 「子不語」という題名は、孔子が「怪力乱神は語らず」と言ったことを踏まえて、「子(孔子)が語らなかったこと」という意味であろう。つまり文人は志怪小説など読んだりするものではないという風潮に対しての反発が感じられる。

 志怪小説は魏晋南北朝のころに「捜神記」、「遊仙窟」などいくつか傑作が作られたけれど、その後一時廃れてしまった。それがまた書かれるようになったのは明の時代からで、その先鞭をつけたのが瞿佑(くゆう)の「剪燈新話(せんとうしんわ)」である。このあと次々に志怪小説が生まれ、清の時代には「聊斉志異」や「閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)」などの傑作が次々に書かれた。「子不語」もその一つと言えるだろうか。つまり儒学のくびきから多少自由になった時代が来たのかもしれない。

 「唐代伝奇集」は普通志怪小説とは呼ばないという。伝奇小説は志怪小説とは別のジャンルということらしいが、その区別はよく分からない。どちらにしても、志怪小説も伝奇小説も好きなので気がついたらけっこう手元に集まっている。原典を読む力はないので、ほとんどが翻訳されたものだ。現代文のものは読みやすいが、少し古い時代に訳された文語調のものの方が雰囲気があって良い。中国の本屋でも何冊か買ってきているけれど、もちろん簡字体の白文なのでまったく読めない。読めないのにたまに引っ張り出してながめている。それでも何となく好い気持ちになるからいい気なものだ。

 先日神田の古書店で手に入れた「剪燈新話」をいま読み始めたところだ。この本の中の「牡丹燈籠(原題は「牡丹燈記」)」は有名な日本の怪談、「牡丹灯籠」の原作である。まずそれから読んだけれど、一度この文章を読んだことがある。どこかに引用されたのを読んだのかもしれない。そのときは抄訳だと思っていたら、全文だった。つまり日本の怪談のようなひねりや屈折がなくて話が簡単なのだ。だからカランコロンと鳴る足音はない。ただ、主人公が死んでしまってからたたりをなしたためにそれを祓うための後日談が多少詳しい。

 主人公が幽霊に憑かれているというのでお札を授けた魏法師が、本人が死んでしまったあとはたたりのお祓いは自分の力に余るから山の中の鉄冠道人に頼め、と告げ、そのお陰ですべては解決するのだが、その魏法師が鉄冠道人を患わした罰を受ける、というのが釈然としない結末なのだ。

 この「剪燈新話」には上田秋成の「雨月物語」にもおおきく影響を与えているとみられていて、先日取り上げた「吉備津の釜」や「浅茅が宿」なども「剪燈新話」のなかの話を取り入れているということだ。

2015年7月 2日 (木)

足がつる

 今朝夜明け前にこむら返りで飛び起きた。最近拝見しているイヌイカさんのブログ「マケイヌイカ」で足がつる話を読んで、そういえばこの頃足がつらなくなったなあ、と思った矢先だった。

 寝起きにときどきこむら返りを起こすことがあった。「あっ危ない」と無意識に感じて「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせると何とか回避できることもある。分かっているのにグーッと筋肉が硬くなってつっていくときの感じはイヤなものだ。何より痛い。

Dsc_3869 この人ほど痛くはない

 今朝は痛みで目が覚めたのか、こむら返りが起きそうだから目が覚めたのかどちらが先だったのかよく分からない。今回はあっと思った瞬間にこむら返りが起きて痛みが走った。

 不思議なことにいつも左足だ。そういえばこのごろ階段を登るとき左膝が痛むことがある。以前酔って足を溝に踏み外し、半月板と靱帯を傷めてしばらく松葉杖を使っていたことがある。その古傷が今頃うづき出したのかも知れない。その影響があるのだろうか。

 癖になって繰り返さなければ良いと思うが、そう思うからこむら返りが起きるような気もして、どうして良いか分からない。

張岱「陶庵夢億」(岩波文庫ワイド版)

Dsc_4331

 ようやく読み終わったけれど、思ったより早く読み終わった。こういう本は読み慣れるものらしい。

 まず細部にこだわらず、全体の文章を読み取る。イメージをつかんだら添えられた注釈を読む。特にポイントになる注釈は集中して読み取る。そこにもっとも大事なことが書いてあることも多い。そうすると霧が晴れるようにその文章の意味が現れる。しばしばそれでも意味が分からないことがある。でも訳者である松枝茂夫氏自身が、この段はわたしも意味がよく解らない、などと書いてあって思わずニヤリとするとともに安心したりする。

 張岱のように博覧強記の人の書いた文章は膨大な過去の文献を下敷きにしているから、それを注釈で教えてもらわないとおもしろさが解らない。枕草子の「香炉峰の雪」の逸話ではないけれど、言葉を楽しむには素養が必要なのだ。日本の古典を読むには古歌の知識は必須だし、中国の名文や漢詩の知識も知らないと分からない。

 中国はもちろん、日本でも、人間の積み重ねた文化の精華を素養として身につけていないと教養人と見做されなかった。この歳になって泥縄式に素養を身につけようとしても猿の物まねにしかならないが、「男子三日会わざれば刮目して見よ」と言われたい。多少は変わると信じたいではないか。それに知らなかったことが分かるというのは結構面白いものだ。なにかが少し分かっただけで、それを手がかりにしてまた次のことが少し分かったりする。

 本を何度も読むことの楽しみをようやく感じられるようになった気がする。

 張岱の「西湖夢尋」が東洋文庫から新刊で出版されたらしい。今日用事で名古屋に行くから探してみよう。

Dsc_0205 西湖

Dsc_0318 西湖・白堤と断橋

2015年7月 1日 (水)

龍應台「台湾海峡一九四九」(白水社)

Dsc_4747

 著者のあとがきを読んでいて涙が止まらなかった。読んでいる最中には読み終わって泣くなんてまったく思っていなかったから自分でおどろいた。

 著者は台湾高雄生まれの女性。作家で評論家だが、2012年には台湾文化省の初代大臣を務めた。裏表紙に履歴が書かれているけれど華やかだ。写っている写真では親しみの持てそうなおばさんに見える。

 この本は歴史書のようで歴史書の枠を超えている。著者は一部でこの本を文学と捉えられていることを否定していない。登場する人物は多数でその生い立ちや現在の境遇は千差万別である。それらの人びとを探し出し、面談し、記憶に基づいて当時の状況を物語として再現する。だから細かい話が次々に列記されている。その形式が最初なじみにくいかもしれないけれど、それに馴れてくると一気にのめり込む。すさまじい話が多い。目を背けたいような話が続く。それはそれぞれの人にとっては脳裏にこびりついて一生消えない記憶なのだ。

 もちろん長い時間のなかで事実とは違うものに変形したものもあるにちがいない。しかしこうして語られなければそんなことがあったことそのものが失われてしまう。存在しなかったことになってしまうのだ。あの遠藤誉の「卡子(チャーズ)」に描かれた新京(現在の長春)での地獄絵図は、この本の中でも同様の証言から再現されている。
 
1949年は中国にとって、そして何より台湾にとって歴史のターニングポイントである。その前後に何があり、そのとき、そしてそのあとどれだけの人びとが無辜に死んでいったのか、それを思って涙が止まらなかったのだ。著者の龍應台に対して証言できた一人一人の後ろに何も語ることの出来ない何百万人という人がいるのだから。

 訳者の天野健太郎があとがきにこう書いている。

 本書の特異さは外省人である作者が、1949年に台湾に逃れてきた国民党政権(と軍)を、戦後台湾を権力と暴力で支配した強者としてではなく、故郷を失った一人一人の弱者として描いたことにあり、さらに受け入れた側の台湾人の痛みをも描いたことに価値がある。
 ひいては太平洋戦争のころ、立場を異にして、しかし同じ南方戦線にいた日本兵、台湾人日本兵、連合国軍捕虜、中国軍捕虜などの当時の若者を、著者は分け隔てなく見つめている。そして物語が語りかける相手は、いまは年老いた若者であり、作者を含む子どもたちであり、これからを生きる若者である。

 中国大陸ではこのあとここで描かれていることよりもさらにすさまじいこと(「大躍進」と「文化大革命」)があり、数千万人が命を失った。そしてその詳細はいまもほとんど語ることがゆるされずに封印されている。台湾には「非情都市」があるが、中国にはない。いつ中国に当時のことをそのときに生きた人の証言を元にした映画が作られる時代がくるのだろうか。

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