あれだけ節制したのに血中糖度だけがわずかに基準をオーバーしていた。それでもhA1C(ヘモグロビンエイワンシー)が余裕を持って基準内なので、今日の女医さんはにこやかだった(怒るとすこしこわいし、数字がわるいと哀しそうな顔をする)。「薬を減らしましょう」という。やった!ところが減らすのは血圧の薬だけだった。なかなか糖尿病の薬は減らしてもらえない。
夏場の水分補給が足りないとの指摘。自分ではずいぶん水分を摂っているつもりだが、最低2リットル以上飲みなさいといわれた(確認しなかったが、ビールは別らしい。それなら足りないかも知れない)。わたしが汗かきで、しかも体格が大きいから夏場はそれくらい飲まないといけないとのこと。
病院の待ち時間で小林秀雄の続きを読む。読みながらいろいろ考えていたらほとんど読み進めず。
今日読んだところの抜粋(少し長くなりますが、我慢してください)
アラン(フランス生まれの作家で詩人のアラン・フルニエだと思われる・引用者註)が、ある著名な歴史家の書いたトルストイ伝を論じたものを、いつか読みまして、今でもよく覚えておりますが、ほぼこういう意味のことを書いていた。
ここに書かれていた事柄は、一つ一つ取り上げてみれば、どれも疑いようのない事実である。ところが全体としてみると、どうしてこう嘘らしい臭いがして来るか。三途の川をうろついているようなトルストイが現れるのか。
いや、確かにアランは、三途の川と書いておりました。なぜ、確かな事実を描いたはずなのに影しか描けておらぬのか。トルストイの生涯は、実に激しく長い生涯であった。まず、己の情熱の赴くがままに生きた。次に、すべてを自分の家庭に捧げて生きた。次には、公衆のために、最後には福音のために。これらの花や実や収穫は、ことごとく私たちの糧である。私たちが食い尽くすことのできない糧である。しかし、彼自身は食い尽くしたのである。彼自身は、花は萎れ、実は落ちるのを見たのだ。彼の命は、もはや取り返しのつかぬ里程標を一つ一つたどったのだ。
思い出の裡にある十年とは何か。そんなものはない。十年は諸君の現在の裡に隠れているだろう。かつて抱いていたが、もはや知らぬ思想とは、いったい何ものか。時間は、自分の歩く足を決して見せやせぬ。ところが、歴史家というものはおかしなことをする。時間のやり直しをする。時間を逆に歩こうとする。「復活」から「アンナ・カレニナ」に還って来る。「コサック」を書きながら、「クロイチェル・ソナタ」を予見している。トルストイには決っして起こらなかった思想のさまざまな組み合わせが、歴史家の頭では、苦もなく起こっている。
トルストイも私たちと同様、常に未来を望んで掛け替えのないその日その日を前進したのだ。なぜ歴史家というものは、私たちが現に生きる生き方で古人と共に生きてみようとしないか。
そういうことをアランは書いておりました。そういうことになるのです。歴史の見方が発達して来ますと、過去の時間を知的に再構成するということに頭を奪われ、言わば時間そのものを見失うといったようなことになりがちなのである。私たちが、少年の日の楽しい思い出に耽る時、少年の日の希望は蘇り、私たちは未来を目指して生きる。老人は思い出に生きるという。だが、彼が賭けているものは、彼の余命という未来である。
かくのごときが、時間というものの不思議であります。このような場合、私たちは、過去を作り直していないとは言わぬ。過ぎた時間の再構成はかならず行われているのであるが、それは、まことに微妙な、それと気づかぬおのずからなる創作であります。
また、西行流に言ってみれば、時間そのもののごとき心において過去の風情を色どる、そういうことが行われるのである。私たちの思い出という心の動きの裡に、深く隠れている、このような演技が、歴史家たちに、過去にあった他人たちを思い出す時に、応用できぬわけがありますまい。
しかし、今日のような批評時代になりますと、人々は自分の思い出さえ、批評意識によって、滅茶滅茶にしているのであります。戦い(先の大戦・引用者註)に破れたことが、うまく思い出せないのである。その代わり、過去の批判だとか精算だとかいうことが、盛んに言われる。これは思い出すことではない。批判とか精算とかの名のもとに要するに過去は別様であり得たであろうという風に過去を扱っているのです。凡庸な歴史家なみに掛け替えのなかった過去を玩弄するのである。戦いの日の自分は、今日の平和時の同じ自分だ。二度と生きてみることは、決してできぬ命の持続があるはずである。
無知は、知ってみれば幻であったか。誤りは、正してみれば無意味であったか。実に子供らしい考えである。軽薄な進歩主義を生むかような考えは、私たちがその日その日を取り返しがつかず生きているということに関する、大事なある内的感覚の欠如から来ているのであります。
「わたしの人生観」という講演のための長い文章のほんの一部を抜き出して、勝手に段落をつけました。本では引用したこの全体にまったく段落がありません。
この文章が唯物論的な歴史観というものを批判していることは明らかで、このあとに直接そこに言及していき、とても面白いのですが、ものすごく長いので入り口だけ紹介しました。こういうことを言うから彼は保守派の論客のような言われ方をしたのでしょう。しかしこれだけでもこちらの思いと波長がシンクロする気がします。
昔ならちっとも分からなかったことが、ようやく少しだけ分かるようなったのも年の功でしょうか。お陰で病院の待ち時間がちっとも苦になりませんでした。
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