寝床の本

本日は病院の定期検診日。体重、血糖値、肝機能、尿酸値、コレステロール、中性脂肪、血圧の検査をして、医師の診察を受ける。朝一番に並んで早めに血液検査を受けると二時間ほどで結果が出る。結果が出次第医師が呼んでくれるので、そのあと処方箋に基づいてすぐそばの薬局で薬を貰うまで、半日で終了する。
以前はそのあと(当然午後になる)に生活指導(何も不良行為はしていないけれど)を受診すると一日仕事だったから少し楽になった。この生活指導の先生が厳しくて、いうとおりにしたら酒も飲めない。人生の楽しみを我慢して健康だけを考えて生きなければならない。そんなことをして、ただ長生きしても意味がないではないか。
しかしその先生に受診しないで済むために、目標をクリアする努力をしてどうにか達成できたのだから名医なのかも知れない。いまは受診を免除されている。
数日前から酒を控え、食事も控えめにして検査にそなえているので、多分今回もすべてクリアするだろうと思っている(検査の意味がないだろうか)。検査が済んだらごちそうをつくって美味いビールを飲むつもりだ。
押し入れの本をかき回していたら、小林秀雄の文庫本十冊ほどが出て来た。寝しなに読む本の一つにその一冊、「わたしの人生論」というのを加えて読み始めた。
いまどき小林秀雄の本を読む人はあまりいないかも知れないけれど、読みやすいところを選んで読めばそこそこ面白い。特に選んだ本は、表題と同じ「わたしの人生論」だけが彼の講演をもとに大幅に書き加えたもので長いけれど、それ以外のものは数ページの短いものだ。自身の交遊録、若いときの失敗談などに続き、知人の訃報に接しての文章が集められている。けっこう若いときむちゃくちゃな暮らしをしていたようだ。
若い人が「自分探し」などという言葉に惑わされているけれど、「青い鳥」は自分自身のなかにいる。もともと自分自身のなかにあるものとの折り合いをつけるために格闘するのが「自分探し」なのに、さまよっていては見つかるはずもない。それこそ「自分を見失って」いるのだ。そんなことを小林秀雄の本を読んで感じた。
小林秀雄といえば中原中也との関係がすぐ思い出される。中原中也の情人を小林秀雄が奪い、確執を生じたが、のちに交友を復活している。この本にもそのことが記されている。
詩の良さが分からない。分からないなりに若いときに(若いときほどではないが、いまも)気にいっているのが萩原朔太郎と中原中也だ。イメージが結びやすいと感じるからだ。
そんなことを思いながら気がついたら朝まで灯りをつけたまま眠っていた。
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