徳永進「カルテの向こうに」(新潮社)
徳永進医師についてはだいぶ以前に書いたことがあるけれど、気がつくと彼の本が十冊近く手元にたまっている。久しぶりにその著書を読んだ。
彼を知った(もちろん会ったことはないし知人でもないけれど)のはテレビドラマだった。彼を演じたのが平田満、徳永夫人は平淑江(この人はいわゆる美人ではないかも知れないけれど、私は美しい人だと思う)だった。
病院に勤める医師としてその臨床で出会った患者たちとの関わり、そこから患者のたどった人生というドラマがうかがえる。徳永進という人が、そういうものを聴き取り、引き出し、感じ取る能力があるから短い文章の中にそれを伝えることができるのだろう。さいわい私も多少なりともそれを感じ取ることができる。
いろいろなエピソードが語られているけれど、その一つを引用してみる。
「死んでもええぞ」(「カルテの向こうに」から)
七十八才のみきばあさんが、下血のために救急車で運ばれてきた。輸血し、血圧もよくなり冷や汗がひくと、「下血だなんて、陛下と同じだね」と、看病をしていた八十一才の姉さんと七十五才の妹が言って、笑った。「便の色がよくなったよ」「お茶飲むかい」「すまんなあ、世話させて」「心配せんでええよ」「わたしが紙おむつを捨ててくるから」「ありがとう」
仲のいい高齢三人姉妹だった。
みきばあさんを初めて診たのは、八年前であった。体がだるい、と言って外来にやってきた。肝硬変だった。それから一ヶ月に一度の割合で通院していた。「肝臓の検査はどんなあな。あがっとりゃしませんか」と口ぐせのように尋ね、「大丈夫、全然心配ないよ」と、ぼくは検査値も見ずに口ぐせのように答えた。
診察が終わるとばあさんは、「先生、廊下に置いときましたから、持って帰ってください」と、耳元で、大声でささやいた。廊下には黒い帯でしばった段ボール箱が置いてあった。土のついたジャガイモ、タケノコ、卵百個、油揚げ五十枚が入っていた。油揚げは、みきばあさんの住んでいる谷の村の豆腐屋さんが作っているもので、ぶ厚くてうまい。
みきばあさんが「このごろやせる」と言ったのは二年前。「心配ないよ、年だもん。誰でもやせるよ」と言いながら、腹部超音波の検査を指示した。返事には、「肝癌が疑わしい」とあった。すぐに入院し、血管撮影で確認した。抗がん剤を冠動脈に注入し、エタノールアルコールを腫瘍内に注入すると、直径三センチの腫瘍は直径二センチに縮小した。ばあさんは元気を取り戻し、「命拾いしました」と言って退院していった。
みきばあさんの下血は少しずつ続き、輸血しても顔色はよくならなかった。内視鏡検査では、食道静脈瘤は軽度、胃から十二指腸球部までには出血性潰瘍はみられない。球部より向こうの出血か、チビチビした食道静脈瘤からの出血が考えられた。
「どんなもんでしょう、おばあの具合は?」
まるまると太った長男が廊下で聞く。長男は五十五才、谷の村で散髪屋をしている。説明をすると、「つまりもう、耐用年数がきたぞ、とこういうわけですな」、あっけらかんと言う。その大雑把なとらえ方に思わず頷いた。
入院五日目、下血もなく、高齢三姉妹は団らんの時を過ごしているように見えた。
「先生、もう死ぬってこれが言いますけど、そんなこたあありませんわなあ。わしが先だもん」
と姉さんが言うと、みきばあさんはこっちを向いて、「わしゃあもう死んでもええ。先生になあ、死に水とってもらったら、それでもう言うこたあない」と言う。顔色は悪く、頻脈だった。
その日の夜の八時、ぼくはみきばあさんの病室にいた。そのときばあさんは苦しそうにしはじめ、そして大量の下血と、膿盆一杯の血を目の前で吐いた。姉と妹がティッシュペーパーやタオルで、顔や枕についた血を、「かわいさあに、かわいさあに」と言いながら一生懸命に拭いた。手首で触れていた脈が、スーッと消えていった。「濃厚赤血球十パック!輸血がくるまでヘスパンダー。酸素を五リットル、エホチール1A側管、ソルメド一グラム、気管チューブの挿管の用意をして!」と、次々に看護婦さんに指示をした。「皆さんに至急に連絡を取ってください」と姉と妹にも言った。
みきばあさんの呼吸は苦しそうになり、みるみる下顎呼吸にかわり、いまにも止まりそうだった。救急カートが運ばれてきた。点滴を全開で落とし、挿管した。呼んでも強く刺激しても反応がなかった。呼吸器が来るまで、ひとりの看護婦さんがアンビューバッグを押し、もう一人の看護婦さんが心マッサージを始めた。すぐに濃厚赤血球がきて、パンピングで三本を注入した。注入し終わるころ、レスピレーター(人工呼吸器)が到着した。「スーストン、スーストン」と言う音が病室に響きはじめた。
五本目の血液を注入していると、ドアが急にあいて、慌てた顔の長男が入ってきた。夕方に見た病室と全く違った気配の病室をみて、「そうか」と呟いた。そしてつかつかとみきばあさんのベッドサイドに行って手を握り、目に涙を浮かべた。
「おばあ、来たぞ。皆がおるぞ。よし、死ね。手を握っとるけえな、死ね。もう、心配せんでもええぞ。な、死んでもええぞ」
と言って歯をくいしばった。亡くなっていく人の前で、「死ね」と声をかける家族に初めて出会った。
「脈、触れます」と看護婦さんが言った。輸血の効果が出てきた。止まりそうに見えたこきゅうは、止まらずにいつまでも続いた。みきばあさんは、首と手を動かした。「わかるか?お祖母さん」と二十六才の孫息子が耳元で叫ぶと、おばあさんは頷いた。
「わかる!わかっとる!」と皆が言い、次々にみきばあさんの目の前に顔を並べた。「がんばれよ、死ぬなよ、あしたはズガニ取って来て食わせたる」と孫息子が泣きながら言う。ズガニは谷の川で取れるカニで、みきばあさんはズガニをご飯と一緒に炊いたのが大好きだった。
呼吸器を止め、抜管すると、みきばあさんは声を出した。「わかっとるで、ありがとう。おかあちゃん、おるか。あんやはおるか、姉さん、おるな」
「生き返った。なんだあ、テレビドラマみたいだなあ」と長男が呟いた。次から次に親戚の人たちが自分の名を言い、手を取った。
一時間後、再び血圧は下がり、仲のよかった姉や妹、そして孫たちに死に水を取ってもらい、病室一杯の人たちに見守られて、午後十一時五十五分にみきばあさんは息をひきとった。
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