妻を恋う幽霊(幽明録から)
庾崇(ゆすう)と云う人が建元年間(晉のころ)に江州(江西省)で水に溺れて死んだ。ところが魂はその日のうちに家に帰り、ふだんとかわらぬ姿をして、たいがいは妻の楽氏の部屋にいた。妻は初めのうちはこわがって、毎日姪たちを呼んではそばにいてもらった。そこで幽霊もつきっきりでいることは次第に稀になったが、それでも時たまちょっと顔を出しては、腹立たしげにどなるのであった。「おれはあとに残ったもののそばにいたくてたまらないだけなのに、疑ったり嫌ったり、おれが帰ってきた気持ちにさからうなんて、もってのほかだ」
そして姪が部屋の中で糸を紡いでいると、道具が不意に空へ舞い上がり、なにかにかき散らされたようになってしまうし、ときには地べたに投げつけられたりするので、姪はこわがって寄りつかなくなった。
それからは幽霊がいつも姿を現すようになった。ひとり息子は三つになったばかりで、母親に食べ物をせがむと、母親は
「おあしがないのだから、食べ物など買えるものかね」
と言う。すると幽霊はうちしおれて息子の頭を撫でながら言った。
「運が悪くてわしが早く死んだばっかりに、おまえにもつらい思いをさせるなあ。おまえにすまなくて、おまえのことを思うとまったくやりきれない気持ちになるんだよ」
そして不意に二百貫の銭を持って来て妻に差し出すと、
「せがれに何か食べさせてやってくれ」
と言った。こうして数年たったが、妻はますます貧乏になって、その日の暮らしも立たないありさまとなった。そこで幽霊が言うには、
「おまえも後家を立て通して、こんなにも貧乏に苦しめられるのなら、こちらへ迎えてやろう」
と言ったが、それからまもなく妻は病気になって死んだ。それっきり幽霊も姿を現さなくなった。
夫の幽霊は「妻が後家を立て通した」と言うけれど、こんな幽霊が憑いていたら再婚の話も来るはずがない。よく考えると幽霊のストーカーの身勝手さに腹が立つ。妻はあの世に連れて行かれたというけれど、幽霊のために疲れ果てて死んだのであって、あの世でも夫につきまとわれるわけだから絶望感は深いだろう。少なくとも食べる心配はなくなっただろうが(ただ、中国ではお供え物をあげないと幽霊はひもじい思いをするらしい。もう死んでいるから飢え死にすることはないだろうけれど)。しかし残された子どもは誰か面倒を見るのか。
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