危険センサーの劣化
「イントゥ・ザ・ストーム」という映画を観た。巨大竜巻が主人公(と言うのも変だけれど)のパニック映画だが、駄作である。台詞が陳腐で、登場する人物が愚か者ばかりという、見ていて怒りばかりを覚える映画であった。
危険が迫っているという情報が、十分与えられないことは確かにあるだろう。しかしその危険が間近に迫れば、「へんだぞ」、「これはやばい」と誰かに言われなくても、さすがに感じるはずだ。
その危険センサーがまったく働かないで危機に陥る連中が、何とか生きのびた姿を見ても、ちっとも感動しない。
言いたいことはこの映画のことではない。
幕張メッセでゲームソフトのイベントがあり、想定外の人数が押しかけて会場の内外が人であふれかえった。炎天下で何時間も待ち、会場に入ってもまた延々と並ばされた。しかも会場でテロ行為を避けるために液体ものの持ち込みを禁止したので、飲み物がない。何とそのために持ち物検査まで行ったという。並んでいる道筋の自動販売機はすべて売り切れ。水分なしで猛暑の中に立ち続けて、熱中症で倒れる人が続出し、救急車が走り回ったとニュースで報じられた。
イベント開催者の不手際の責任は大きい。大きいけれども並んだひとびとは誰かに強制されたわけではない。こんな状態が続けば危険だと思わないのか。自分の前にまだたくさんの人がいれば、あとどれくらい立ち続ければならないかわからないのか。
会場で主催者に対して怒号を浴びせていたが、そんなことをする前に帰れよ!
そんなゲームソフトに思い入れもないし、とにかくならぶのがきらいだからそんなことを言う、というわけではない。これは危ないかも知れない、という危険センサーは、本来誰にも備わっているはずなのだが、それが劣化しているのを見ると、愚か者だな、と思う。
多分自然界では危険センサーの働きの悪い種は淘汰されて滅び、感度の良いものが生き残ってきただろう。それが人間だけ鈍感でも生きのびられるというわけにもいくまい。センサーの劣化したものばかりになれば、いつか突然人類は滅びてしまうかも知れない。
ところで中国の軍拡の脅威に危険を感じるか、安倍政権の安保法制に危険を感じるか、センサーの感度はどちらに強く反応すべきなのであろうか。
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