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2015年9月

2015年9月30日 (水)

青樹明子「中国人の頭の中」(新潮新書)

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 中国に長く暮らし、中国に知人や友人がたくさんいる著者が、中国人がどんな価値観で行動するのか、実例を多数挙げて書いています。
 
 書かれていることの多くが、中国人に刷り込まれている反日のことです。最近は特に抗日ドラマによって子どもたちまでが、日本人は「悪者」だと思い込まされています。これを払拭するには世代を二つか三つまたがないとならないような気がします。ただそれもいまその反日刷り込みが停止されたら、という前提ですから、下手をすると永遠になくならないかも知れません。でも中国人は日本人と違って、日本が嫌いでも日本人と仲良くできるというところがあります。

 日本人の嫌中意識は、ちょっとした中国の美談のいくつかでころりと変わる可能性があります。そういう意味で日本人は世界でも類を見ないほどお人好しかも知れません。ただし、日本人は嫌いなままで相手と仲良くなることができません。いまその日本人をこれほど中国嫌いにさせるとはよほどのことでしょう。

 この本でとくになにか新しい知見を得るということはありませんでしたが、いま中国人自身がどうしてよいかわからないような状況に追い込まれつつあるのではないか、ということの一端を感じることができました。その兆候をこれからのニュースで意識して追跡してみようと思います。

 ちょっと「ですます調」にしてみました。このほうがいいかな?

大垣③

大垣は水の豊かな街である。昔は街のあちこちに泉が湧いていたというが、いまは残念ながら一部が残っているだけだ。


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大垣城から東側に水門川へ向かい、川沿いの遊歩道を南下する。駅の近くの水路とは違い、こちらの方が流れもあって大きな鯉が泳ぎ、水草も繁っている。

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川面を涼しい風が吹き渡る。

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さらに川沿いの遊歩道を南へ。

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ところどころに石碑がある。いわゆる句碑である。

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どんな句が彫られているのか。

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ここに句の説明がある。この句は芭蕉が小松の那谷寺でよんだ句。那谷寺は金沢営業所に在籍していたころ、営業所の女性に勧められて訪ねたことがある。石山、というにふさわしい、石の小山のある、紅葉と苔の美しい寺だ。

「ミニ奥の細道」というしつらえで、水門川沿いなどに二十数カ所の句碑が据えられているらしい。いくつかを確認した。

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水門川はやがて鍵の手になって東西と南北の二手に分かれる。かどにあるのが秋葉神社。小さな屋形船が舫ってあった。

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秋葉神社側から来た方を眺める。正面右手から来て遠くに見える橋を渡り、こちらへ来た。ここから水門川は左手の方へさらに南流している。

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上方を見上げれば、はるかに伊吹山が見える。

ここから奥の細道終点の地の石碑と記念館まで近い。

大垣②

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大垣城の天守閣は美しい。この城は四層四階建てという特異なもの。明治維新以後も残されていたが、先の大戦で戦災に遭い焼失、昭和34年に再建された。

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城内展示品を見ていく。このような説明がわかりやすい。

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実物と比較できる。

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焼失した天守の屋根に乗っていたもの。あまり大きくない。

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火縄銃。他にもたくさん展示されていた。

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槍の穂先のいろいろ。こんなので突かれたら恐ろしい。

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遠眼鏡。つまり望遠鏡。

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蒔絵が描かれたうちわ。こんな房飾りがあると、重くないだろうか。

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天守閣からの眺め。大垣市街の向こうに伊吹山が見える。

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お城の庭にあった戸田氏鉄公の騎馬像。江戸自体を通じて大垣藩の藩主は戸田氏であった。

ここから水門川へ向かう。

2015年9月29日 (火)

大垣①

母の四十九日から帰ってから、近くのスーパーへ買い物に行くくらいで、しばらく出かけていない。


本箱の観光ガイドや地図のならんだ棚を眺めていたら急に尻が落ち着かなくなった。

というわけで九時過ぎになって、急遽大垣に行くことにした。

大垣については芭蕉の「奥の細道」の終点の地であることはもちろん、他にも少し思い入れがあるところなのだが、じっくり歩くのは今回が初めてである。

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駅前の大きな通りのアーケード。街路樹のようすといい、なんとなく金沢を思い出した。

このあとこの大通りと並行して水路があるのでその道に沿って南下することにした。目的地はまず大垣城。

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水路沿いに遊歩道があるので強い日差しがよけられる。風が乾いていて気持ちが好い。

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水路が途中で四十五度の角度で曲がっている。そこから大きな通りに突き当たった。その交差点にこんな可愛いブロンズの像がある。

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つい写真が撮りたくなるではないか。

そして大きな通りを横切って水路沿いに進んでいくうちに、どうも道を間違えたらしいことに気がついた。変なまがり方をしたために方向を勘違いしたのだ。方向音痴を自他共に任ずるわたしだけれど、いったん方向がわからなくなると元々来たのがどちらかまでわからなくなる。

うろうろしたあと、ようやくお城の案内のある場所に出ることができた。

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護国神社の裏手に大垣城への入り口の一つがある。黒服の集団がお参りしていた。

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そこに立派な銅像がある。いい顔をしている。金森吉次郎という人らしいが、どんなことをしたひとなのか知らない。

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石段を登れば城内に到る。

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ようやく大垣城の天守閣に到着。入場料百円。郷土館などと共通券もあるらしいが、今日は郷土館は休みだという。

城内の話は次回。

和田秀樹「バカの人」(全日出版)

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 目が不自由だったり耳が不自由だったりするように頭が不自由な人に向かってバカとは普通いわない。それをバカというのは「バカ」だけである。子供が悪口を言い合う中で、「人をバカというやつがバカ」というのがあるが、それは正しい。

 この本に書かれているのは、だから頭の不自由な人のことでないのはもちろんである。本人に責任のないことでそれをあげつらうのは、人としてなすべきことではない。

 知能指数・IQは誰でも知っているが、社会で必要な「心の知能指数」といわれる「EQ」をご存じだろうか。これを評価する5つの能力。

①自分の感情を理解できているか、できるか
②自分の感情をコントロールできるか
③物事を楽観的な考え方で処理することができるか
④相手の気持ち、感情が理解できるか
⑤人付き合いをうまくこなすことができるか

 とくに④と⑤の能力はいわゆる「対人関係能力」で、社会生活を円滑に送るために重要な能力である。

 この本ではいろいろなパターンのバカが次々に取り上げられ、上司、同僚、部下、恋人が、そのパターンのバカである場合のつき合い方が示され、そして自分自身がそのバカのパターンであるらしいと思った場合の対処法が書かれている。

 しかし問題はここにあげられたバカは、このような本を読まないことだ。だからバカはたいてい直らない。

 この本は営業という仕事をする上で、そして部下を持つ立場になったことで参考になると思って読んだ本である。どういうわけか実家に残されていて、今回持ち帰った本のなかにあった。つい取り上げて読み出したら面白くて全部読んでしまった。

 もう人間関係に患わされることも少なくなっているので、必要ないようなものだが、ああこのパターンは誰それ、そしてこれは、と思い当たることがいろいろあった。その自分はどうなのだろうか。

 わかっているつもりだけれど、自分のことを一番知らないのは自分だというしなあ。

2015年9月28日 (月)

まないた

 盆休みは母の葬儀で終始した。息子は友だちと隠岐島へ行く予定だったらしいが、行けなくなった。実家の千葉から名古屋に帰り、残りの休みの一日を、息子は遊びにも行かず、台所まわりなどを掃除して、磨き立ててくれた。

 わたしなりに掃除をしていたつもりでも、息子にとっては薄汚く見えたのであろう。わたしと違ってきれい好きなのである。

 それからは、せめて息子の残した状態を維持したいと心がけている。こういうことは心がけなのである。

 今日は少し汚れた(少しでもないか)まないたをきれいにしたいと思って、キッチンハイターをたっぷり振りかけ、キッチンペーパーで覆っておいた。おお、真っ白になったではないか。裏側も同じように漂白する。

 そうなると、ちょっと鍋や食器の汚れもきれいにしてみたくなるではないか。さらにそれを磨き粉入りの洗剤で磨き立ててみた。一汗かいたら多少は見栄えがするようになった。

 こんなこと家庭の主婦は日常的にしているのだろう。男のやもめ暮らしはあまりやらない経験である(手抜きはわたしだけか)。

 見よ!台所のシンクのぬめりは消え去り、くすみまでちょっときれいになっているではないか。くせになればいいけど。

きわめて不愉快

 NTTの光通信を再開して快適にネット生活を送れるようになった。これは別に不愉快ではない。

 窓口になったディーラーからプロバイダをヤフーにすることを提案されて了解したので、最低限のものだけの契約にしてある。それも良い。

 問題はソフトバンクから荷物が届けられたことだ。宅急便で送られてきたものが、光通信に必要な機器だと思って中身がなにかわからず、受け取ってしまった。おもてに「ご注意 お客様どおしのモデム交換はご遠慮ください」と書かれている。

 NTTの工事の人が来て、すいすいと機器を据え付けてくれたけれど、もちろんソフトバンクの機器など不要である。そもそもNTTの光を頼むのにソフトバンクのモデムが送られてくるというのはどういうことかわからない。

 電話の契約をソフトバンクにしてくれということなのであろうか。しかしそれに関してソフトバンクから書面で了解を求めたり、電話での連絡を一切もらっていない。もしかして送られた荷物の中になにか書類が入っているのかも知れない。しかし開封するとどんな言いがかりをつけられるか分かったものではない。

 返送しようにも返送先がわからない。配送元は配送センターだから、送っても多分なにかに紛れて確認が取れなくなる恐れがある。

 ということでソフトバンクのサポートセンターで調べようと思ったら・・・、サポートの窓口がやたらに細分化されていて、どこに相談したらわからない。わからない時の窓口らしきものにメールで問い合わせようとしたら、なんと「ただいま混雑していますので、メールでの受付は休止しております」となっている。

 電話での受け付けはしてくれるらしいが、事情を説明するのがうっとうしくて面倒だ。そもそもこんな一方的なことをする会社だもの、こういう問い合わせに対して逆につまらぬ売り込みをかけてくるのが落ちだろう。

 メールが混雑しているのはこのような常套手段をとる会社に対して、わたしと同様に問い合わせをする人が殺到しているからであろうか。それとも、そもそも確信犯で、最初から受け付ける気などないのかも知れない。

 とはいえこのままおいておくのも気分が悪い。電話するしかないだろう。きわめて不愉快である。

森本哲郎「日本語 表と裏」(新潮社)

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 外国語に翻訳しにくい言葉というのがある。これは日本語に限らず、どんな言葉もそうだろう。その言葉を使う人々に特有の性格が刷り込まれていると見ることもできる。

 外国人に理解しにくい、日本語特有と思われる言葉をいくつか取り上げて、その言葉の成り立ちやその意味を分析し、そこに日本人の思考様式を読み取ろうというのがこの本のテーマである。つまり日本人とはどんな人たちかを言葉を通して考えようということだ。

 ふだん何気なく使っていた言葉に意外な日本人のメンタリティが含まれていることを知ることができる。

 取り上げられている言葉のいくつかをあげれば、「よろしく」「やっぱり」「虫がいい」「どうせ」「いい加減」「いいえ」「お世話さま」「どうも」「もったいない」「もの」「気のせい」「かみさん」「こころ」等々。

 「もったいない」などという言葉は、そのまま世界で通用する言葉になりつつあるようだ。つまり日本語のまま使わないとそのニュアンスが表現できないということを示しているのだろう。

 一つの言葉について多数の使用例、外国語に置き換える試み、語源的な考察、そしてどこが日本的な心性であるのかが述べられていて興味深い。

 人は言葉を使ってものを考える。というよりも言葉を使わずに考えることはできない。その言葉によってあるメンタリティが根源的に刷り込まれているとすると、違う言葉を使う人との交流は誤解を生みやすいのは当然であろう。だから自分の国の言葉のそういう個性を認識しておくことには意味があるのだと思う。

 最近「もの」という言葉をワープロ変換するとき、「者」「物」「もの」のどれが選択されるかわからず、こちらの思いと違うことがしばしばあってわずらわしいと感じていた。そしてどうしてそれが全部「もの」という言葉なのかな、と思っていた。この本で多少はその疑問が解けた。そういう言葉はいくつかある。これからそういうことにも少しこだわったら面白いかも知れない。

2015年9月27日 (日)

リコール

 愛用しているダイキンの空気清浄機が、リコールの対象だという連絡を最初に受けたのは、母が入院して取り込み中の七月だった。久しぶりに帰宅した時に留守電に残されていたけれど、それどころではないのでそのままにしていたら、八月にも連絡があった。これも母の葬儀などでばたばたしたあとのことで、面倒くさいのが先に立って放置していた。

 今月三回目の連絡が旅行中の留守電に残されていた。さすがに申し訳ない気がして、連絡先に電話した。

 今日返送用の段ボールと梱包方法の案内が届けられたので、それに従って内部をチェックした上で梱包し、先ほど宅急便に引き取りに来てもらった。

 リコールというのはメーカーにとってもユーザーにとっても面倒なものだ。いろいろなリコールのニュースを見ていると、なかなか片付かない様子が見て取れるけれど、自分が当事者になってそのわけがよくわかった。

 いままで不具合なく使えていたのだもの、別にいいや、とつい思うものなのだ。さて、わたしの空気清浄機はいつ返ってくるのであろうか。

今頃気がついても・・・

 夏目漱石の『草枕』の冒頭、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」とある。近頃読んだ本の中で引用されていて思い出したことがある。

 若いころ、この「情に棹させば流される」というのを、情という流れに逆らって棹を差して舟を留めようとしても無理で流されてしまう、と考えていた。

 それが、「棹さす」というのが、竿を使って流れに舟を乗り入れることらしいと知ったときは驚いた。逆らうのではなく、乗り入れることらしいのだ。こんな勘違いはしばしばで、知らぬが仏である。知ったら恥ずかしいことがあるはずだが、死ぬまで知らずに終わることが多いに違いない。

 そうしたら、智に働けば角が立つ、という言葉が気になった。智に働くとは、理屈や正論でこの世を渡ろうという態度のことであろう。日本人は正論を嫌う傾向がある。だから理屈っぽいと嫌われる。自分が多少(多少どころではない、といわれそうだが)理屈っぽいのでよくわかる。しかしこの感覚は、日本以外では不思議に思われるだろう。自分の意見を、理由を明確にして表明するのが世界では普通だからだ。日本的感性がこの言葉にある。

 若い人たちはだんだんグローバリズム化して、「なぜ」「どうして」にこだわるようになってきたから、この漱石の文章もだんだん意味がわからなくなっていくのだろうか。しかし「兎角に人の世は住みにくい」ことにはあまり変わりがないようだ。

 それにしても浅薄に本を読んだりものを見聞きしていたために、いろいろなことが少しも見えていなかったらしい。自分ではもうちょっとマシかとうぬぼれていたけれど、いまさら取り返しがつかない。せいぜいボケが進行する前に、もっと考える習慣を持つようにしなければ、と思っている。考えたことの断片をブログにも書くのだけれど、文章にすると、如何にその考えが人の受け売りばかりで薄っぺらかわかる。まあ六十の手習いみたいなものか。

 ちょっと愚痴っぽくなった。

映画「薔薇の名前」1986年フランス・イタリア・西ドイツ

 監督ジャン=ジャック・アノー、出演ショーン・コネリー、クリスチャン・スレイター、ロン・パールマン他。

 ウンベルト・エーコの小説「薔薇の名前」を原作とするこの映画を観るのは三回目か。傑作であることを再確認したけれど、前回との間隔が空いていたので、記憶と違った部分がたくさんあった。自分の中で作品が改作されていたようだ。

 舞台は1327年の北イタリア山地に建つ修道院。ヨーロッパの中世という時代を自力でイメージすることは難しいが、この映画では厳密な時代考証に基づいて忠実に再現されている。そもそも原作が、細部にこだわって書き込まれた、博覧強記の著者の作品であるから当然なのだ。

 ヨーロッパがまだ未開の野蛮の地であったことがよく解る。ルネッサンスはまだ始まっていない。キリスト教という宗教がすべてを支配していた。人の思考すら支配するのが当然だと思われていた時代のことだ。異端審問官という存在がそれを象徴している。「魔女狩り」が神の名のもとに行われていた。

 主人公のウィリアム修道士(ショーン・コネリー)という人物は、元異端審問官。各宗派の会合に弟子のアドソ(クリスチャン・スレイター)を従えてこの修道院にやってきた。彼はこの時代に珍しい科学的思考の持ち主で、ある意味では来たるべき時代の先駆け的象徴である。

 この修道院で不審死があり、それを調べるよう修道院長から要請され、その調査を進めた矢先に殺人事件が起こる。これらの事件が、この修道院の秘密に関係していることが次第にわかってくる。その鍵となるのがアリストテレスの「詩編」という書物であった。

 中世は神の名のもとにギリシャの哲学や科学を封印した。ギリシャの科学が宗教と相容れない、不都合なものと考えられたからである。だからアリストテレスの書物が現存すること自体が奇跡なのだ。

 ギリシャの哲学や科学(これは一体のもの)がヨーロッパでは異端とみなされ、その文献がほとんど失われていたこと、そしてそれらが残されていたのは当時のペルシャやトルコのイスラム世界であった。このことがヨーロッパのコンプレックスという精神的な傷として残った。だからことさらにギリシャがヨーロッパの原点であると言い立てるのだ。

 ラストの、膨大な蔵書をかかえる巨大な党が炎上するシーンは圧巻である。これはヨーロッパにギリシャの文献が残らなかったことを表している。朝鮮半島に古代や中世の文物が残らなかったことと同様である。そしてイスラムにギリシャの文化が残されたように、朝鮮半島のものが日本に残されている。

 クリスチャン・スレイターが初々しい。

 この映画は観るたびに発見があって、何度観ても面白い。

2015年9月26日 (土)

養老孟司「養老訓」(新潮社)

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 2007年、著者が70歳になったのを記念して発刊された本で、再読。今度の方が、最初のときよりわたしも歳をとっているから書いてあることにシンクロしやすかった。

 最近の年寄りはキレやすくなっているといわれるが、たしかにそれを目の当たりにすることもしばしばあって実感している。それがなぜなのか、この本を読んでいてぼんやりとわかったような気がする。

 以下はわたしがぼんやり考えていることで本文とはあんまり関係がない。

 年寄りは盆栽か土いじりをするものだった。歳とともに自然に接する機会を増やし、人間社会という観念の世界とは距離を置くようにしたものだ。

 自分の人生なんてこんなものか、となんとなく達観していればそれほど腹も立たないだろうに、みんな欲張りすぎなのではないか。マスコミや有識者は年寄りに将来の不安を吹き込みすぎている。年寄りが貯め込んで使わない金が世の中の金の流れを悪くしている。オレオレ詐欺に騙された金の高額であることに驚くが、それほどの金が年寄りに抱え込まれているのだろう。

 子供の世話にはならない、と強がりをいっているのも、自分が親の世話をしたくないことの言い換えだっただけで、歳をとれば最後は誰かの世話になるしかない。そのときのための蓄えのつもりなのだろうか。

 不安を抱えて生きる人生は楽しくない。だからお金は必要だけれど、使い切れないほど持てば却って不安の原因になる。そこそこ、ほどほどで好いのだと思えば気は楽だ。万一のことばかり考えても空しい。万一の時は成り行きにまかせるしかないとあきらめればいいのだ。

 人は必ず死ぬ。それをだんだん受け入れられるように、せいぜい一日一日を楽しく生きればいいのだ。知っているのだけれど、解っていないのかなあ。

歴史はなにを教える?

 記者会見で、安保法制反対の国民が多く、国民への説明が足らないのではないかと問われた安倍首相が、反対運動が起きていることなどを認めた上で「世界の多くの国で(安保法制に)賛意が示されている。戦争法案などとレッテルを貼るのは誤解である」と答えていた。

 海外ニュースなどを見ていると、確かに日本が安保法制を採決したことに対して反対をとなえていたのは、中国と北朝鮮と韓国メディアだけで、これらはレッテル貼りの好きな国だ。

 「日本が戦争のできる国になって、あしたにも攻めてくる」という言い方は、議事堂前でアジテーションをしている人々の言葉とそっくりなことに驚かされる。

 中国のネットで、ドイツが日本の安保法制制定を歓迎していると伝えられたことに対して多くのコメントが寄せられているという。「ドイツもついにしっぽを出した」「かつての戦友だから当然だ」「ドイツも日本と同じだ」「難民圧力でドイツも右傾化している」などとドイツを非難しているようだ。

 中国では、たまたまドイツが賛意を示したことが伝えられたのだろう。日本と関係の深い国の多くが賛意を示していることは中国の人たちに知らされているとは思えないし、伝えられているのは日本の反対運動ばかりなのだろう。

 中国の南シナ海や東シナ海での行動が、満州事変前後の日本に酷似していることを当時の歴史を知る人は感じている。あのような軍部の暴走を許して追認した日本に対し、世界はこれをナチスドイツの強勢化とともに危険視した。

 中国は、日本に「歴史に学べ」といいながら、当時の日本と同じような行動をとっている。そしてロシアはクリミア半島の侵略統治を強行し、ウクライナに干渉している。ヨーロッパにとってナチスドイツの悪夢に見えているのではないか。

 オバマ大統領と習近平主席の会談後の記者会見を見て、その感を深くした。オバマ大統領の弱腰とも見える中国への対応が習近平中国を勘違いさせてきたと思っているけれど、それを是正する機会だったのにどうも歯がゆい。中国は多少は風当たりの強さを感じることができたのだろうか。

 ナチスドイツのオーストリア併合やチェコスロバキアのズデーデン地方占領などに対し、イギリスやフランスはミュンヘン会談で妥協した。このときのイギリス首相・チェンバレンの融和策がヨーロッパにどれほどの惨禍をもたらしたか。オバマにチェンバレンを重ねて見るひとは多いのではないか。

 危機に備える、そのことを暴走につなげないためには歴史に学ぶ必要があることは間違いない。しかし羮に懲りて膾を吹く、とばかりに危機に備えることまで否定することは、却って相手の暴走を増長させることを歴史は教えている。

2015年9月25日 (金)

具体策に欠ける?

 母の介護手伝いなどで不在のことが多くなり、二年ほど前に新聞の購読をやめた。母が死んだので、介護手伝いでの不在がなくなったけれど、新聞を再び購読する気にならない。ネットやテレビで主なニュースを知ることができる。特に朝はNHKBSの海外ニュースをつけっぱなしにしておくことが多い。そうするとロシアのロシア側の立場でのニュースや、中国のニュース、韓国のニュース、アルジャジーラの見る中東のニュースなど、それぞれの国のニュースが垣間見られて、日本のメディアのニュースでは知ることのできないものを知ることができる。同時通訳にうまい下手、声が聞き取りにくい人もあったりするのは仕方がない。野球やゴルフなどでそれが見られないととても残念だ。

 新聞の好いところは、記事をじっくりと読むことができることである。だからネットニュースでも特に興味をひいたものは、ハードコピーして読み返すことにしている。自分のためだもの、紙代やインク代などしれたものだ(こんな風だからわたしには電子書籍などまず考えられない)。

 ネットで各新聞社など、メディアのニュースを知ることができる。新聞記事の一部しか読んでいないけれど、たいていそれで不足を感じない。新聞を読みたい時には散歩がてらコンビニに買いに行く(多少の新聞紙はあったほうがときには重宝する)。

 先ほど読んだ毎日新聞の記事で、昨日の安倍首相の自民党総裁再任の際の今後の方針案のうち、GDP600兆円達成を目標にする、という項目を取り上げ、「具体策に欠ける」と批判していた。

 実際に安倍首相が方針を述べていたのをテレビで見たので、内容は記憶にある。限られた時間だから総花的で、駆け足で内容を説明することになったのは当然だろう。

 そもそもリーダーは方針を出すものである。その方針に基づいて各担当者がその責任と役割において目標達成のための具体的な手順をきめ、実行していく。それが政府組織というものだ。

 リーダーがすべて具体的なことまできちんと命令するというのを独裁というのだ。どうも毎日新聞のこの記事を書いた記者は安倍首相が独裁者として不足だ、といいたいらしいが、独裁的でなくてけっこうなことではないか。方針が具体的すぎてがんじがらめで自滅した民主党を忘れたか。

姜尚中「悪の力」(集英社新書)

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 新書を読むのは読書とは言えない、という考え方もあろう。確かに本と格闘するというより、短時間に読み終わる程度の適度な長さと内容は、メインディッシュというより間食とみなされるからだろう。

 しかし間食でも十分空腹が満たされれば立派な一食である。重い本が読みづらくなった。それは自分の衰えだろうか。それもあるけれど、以前は格好づけに歯ごたえのある本を読んでいたような気がする。だから読了することにこだわって字面を追うだけになりがちだった。

 それが幸いなことに、最近は意味を多少は読み取れるようになってきた。これは量を読むことにこだわることがなくなって、考える、ということが少しできるようになったからであるし、新書などで基礎的な知識と自分の知らなかった新しい視点を教えてもらったからでもある。

 それらは、ブログを書く、ということが大きく寄与している。書くためには意味を考え、読む人のことを考えなければならない。それを意識することが、わずかながら自分をレベルアップすることにつながっているのだろう。ありがたいことである。

 肝心の本のことである。

 世の中には悪が充満している。そもそも悪とはなにか。悪や正義がしばしば相対的で、時代や地域で異なることは驚くほどである。しかしながらそれでも、これだけは間違いなく悪であろう、ということがあると思っていたのに、いまはその歯止めを楽々と乗り越えてしまう事件がしばしば起こる。

 これがいままでもあったことなのか、最近特に増えたのか、いろいろな論があり、実際のことはわからないが、人間の心の闇を覗くような思いがすることも多い。

 この本では、そのような具体的な悪の例(たとえばオウム真理教の事件など)を取り上げながら悪とはなにかが論じられている。 

 さまざまな考察が述べられているものの、いまひとつ、だからなんなのか、という気持ちがぬぐえない。人間の原罪というものに言及もしているのだが、悪を論ずるには自分自身をその論に含めなければならなのに、その点が不十分だからではないか、という気がする。悪を客観的に語りすぎると心に響かない。

 損得よりも自分の悪を抑える心を涵養すること、他人も自分と同じように生きていることを感得すること、それがとりあえず正しい生き方と思うしかないではないか。悪の心があっても実行したりせず、しかも大きな悪に被害を蒙ることがない人生が送れるのは好運であると思う。

2015年9月24日 (木)

そう思いたくない

 韓国・高麗大学の教授が講義中に「慰安婦は性奴隷ではない」「日本植民地時代は誰もが親日派だった」と述べたことが韓国で物議をかもしている。

 多少でも近現代史をかじった人ならば、この教授の言っていることは特別おかしなことではないのだが、個人的なバッシングに発展しつつある。

 自分が思い込まされていることが、もしかしたらまちがいかも知れない、とは考えないのが韓国の反日である。そんな中でこのような言説を述べるこの教授の勇気には敬服する。

 誰でも自分が間違っているとは認めたくないものだ。だから意見の違う相手の言い分を聞こうとしない。もしかしたら相手のほうが正しいかも知れないからだ。「話せばわかる」という言葉は空しい。そもそも平和のために話し合いを主張する社民党や民主党は「絶対反対」が大好きで、相手の言い分を最初から聞く気がない。日本人どおしでこれでは、他国と平和のための話し合いなどできるはずかないではないか。   

 反知性主義や原理主義が跋扈している現代は、まさに問答無用の世界だ。こんな時代こそ人の言っていることに耳を傾ける努力が必要なのだが、さて自分はどうか。聞きにくいことを聞くこと、読みにくいいものを読むのは疲れるからなあ。

WOWOWドラマ「石の繭」

 たびたび言うが、WOWOWのドラマには面白いものが多い。なにより途中でCMが入らないのがありがたい。民放はNHK以外無料だが、CMの異常な増殖は番組の興味を大幅に削いでいる。CMが番組に割り込んでいるのがわずらわしいのはもちろん、スポンサーやCM会社が内容に関与していることがしばしばあるといわれるし、それも多分にあると思う。本当にただより高いものはない。

 これはネットでもそうだが、それは別の話だからここまでとする。

 ドラマは、木村文乃扮する警視庁捜査一課の新米刑事・塔子が遭遇する猟奇殺人事件。廃ビルでセメントに塗り固められた死体が発見される。胸の一部のみあとでセメントが剥がされていたこと、胃の中にもセメントが流し込まれていたこと、上半身に多数の傷があり、拷問を受けた可能性があること、また、犯人が意図的にポンペイ展の半券を残していたことなどがわかり、その意味を解明するために刑事たちは奔走する。 

 立ち上げられた捜査本部に犯人から電話が入る。トレミー(この名前にももちろん意味がある)と名乗る犯人は一方的にしゃべり、いきさつから塔子が電話の交渉役をさせられることになる。犯人は事件がこれで終わらないことを示唆する。

 塔子の面倒を見るためにコンビを組むことになった鷹野(青木崇高)とポンペイ展を調べに行った二人は、そこでコンクリートで固められていた死体と酷似したものを見る。火山に埋もれたポンペイ市民の死体が長い年月で空洞化し、そこに石膏(?)を流し込んでつくられたものである。

 これらの意味を解明すること、また被害者の身元をあきらかにすることが犯人の手がかりになるはずであるが、捜査はなかなか進展しない。そんななか、捜査本部の報告会の席にトレミーから電話がかかり、再び塔子が指名される。そして第二の事件が予告され、しかもそのヒントまで与えられる。

 第二の事件の被害者を救済するためにヒントを元に現場に急行する塔子たちだが、そこで発見したものはさらにおぞましいものだった。

 犯人から与えられた情報から、次第に犯人の犯行動機がわかってくる。そして、優秀な刑事であり、すでに病死している塔子の父親が捜査した誘拐事件が浮かび上がってくる。塔子は無関係ではなかったのだ。

 さらに犯人から第三の犯行が予告される。推測された犯行動機からなんとか犯行現場が特定され、警察がいっせいにそこへ急行する。今回の犠牲者はいったい誰なのか。

 そして事件は新たな局面に入る。これは当然予想されたことなのだが・・・。

 塔子の見かけたシルエットから、途中で犯人の予想がつくかも知れない。なぜ犯人は捜査本部で会議が開かれるときに必ず電話することができるのか。どうして犯人は警察の動きがわかるのか。

 塔子の同僚たちがいいキャラクターの集まりで、それがドラマに血を通わせている。青木崇高と平岳大は好きな俳優だし、今回はあまりひねりのない正義感としてでているので嬉しい。あまり悪役を演じて欲しくないのだ。

 ドラマとしてはよくできていて面白かったが、猟奇殺人の動機としては多少弱いところがあるような気がする。

2015年9月23日 (水)

遺品

 母の四十九日のために、一昨日千葉の実家に帰っていた。渋滞に事故が重なり、とんでもなく時間がかかって、疲労困憊した。御殿場から海老名の先までの数十キロを平均時速20K~30Kで走らされたのだ。事故が合計で七件もあった。豊田インターや岡崎での小さな事故を含めて御殿場インターあたり、足柄SAあたり、鮎沢PAあたり、大井松田インター手前で2カ所と、その事故の多さは異常である。よほどぼんやりしている人が多いのか。

 連休でトラックが少ない代わりに、ふだん運転しない人が繰り出しているからだとはわかっているし、渋滞の原因が自分にもあることは承知している。しかし今回こちらはちゃんと用事があるのだ。

 昨日はわが家の墓のある寺で四十九日の法要。兄弟とその子供や孫だけ集合し、他の親類は呼ばない。法要のあと、母の遺骨を納骨した。六十年以上ともに暮らした父と母は、父の死後四年の別離のあと、今回めでたくまた一緒になった。

 帰りに精進落としの会食をした。主催者である弟が挨拶して、わたしが献杯の音頭をとる。食べきれないほどのボリュームのある料理を食べながらみんなで談笑、昼間から酒を飲む。

 夜、母の遺品などをわたしと弟妹で簡単に確認、形見分け、というほどのものはそれほどないのでさっぱりしたものだ。父母はその点、見事に身の始末をした。わたしは自分用の和服と布団を一組か二組ひきとることにしたが、今回は本をまとめて(それでもほんの一部のみ)持ち帰るので、次回以降に持ち帰ることにする。

 遺産については、わたしは一切関与せずに弟たちのものとすることを通知してあるので、その旨の書類をあとで渡すことにする。妹もそれは一応了解しているはずだ。それに妹の嫁ぎ先の母親も六月に死んで遺産が妹の旦那に残されているので、その整理でいまは大わらわだそうだ。古い家が残されているので建て直す(いままでは別居で借家住まい)つもりだと義弟が言っていた。

 どこの家も世代交代が進んでいるのだ。

 今朝は早めに千葉を出立、さいわいたいした渋滞にも遭遇せず、昼前にはわが家に無事帰着した。本を持ち帰っても、さてどこへ収納するか。わたしの本の始末はまとめて古本屋に頼むように息子には伝えてある。一応頼む古本屋も当てがあるが、さほどの金にはならないだろう。本以外はたいしたものがないから、わたしも始末はさっぱりしたものとなるはずだ。わたしの子どもたちに残す遺産は、人に頼らず、人のせいにせず、自分の力で生きていく力だけだ。

古谷経衡「左翼も右翼もウソばかり」(新潮新書)

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 宮家邦彦氏の著書「日本の敵」でも思ったけれど、表題の付け方がわたしには今ひとつしっくりこない。この本の内容は表題の通りのことが書かかれてはいるのだが、もう少しソフトな題名にできないものだろうか。こういう題名をつけてばかりいると、内容に最初から賛同する人だけが読んで、あらたな読者を獲得するのが難しいだろう。面白い視点から書かれているのにもったいない。

 この本は書かれている内容よりも、著者のものの見方が良いのだ。しばしば人は見たいものだけを見るし、知りたいものだけを知ろうとする。この本では「願望」という言葉を使っているが、この視点はわたしも以前からぼんやりと意識していたことなので、いちいち得心がいくことが多かった。

 しかし同時に著者自身が自分の論にこだわることでこの「願望」にとらわれている面もないとは言えない。ただ物事の理非曲直の境目に科学と非科学の境界を目安にする、というのはマスコミの偏向や差別や偏見、デマから自らを守るために大事な点である。

 取り上げられている話題は数々あるが、主なものとして、「朝日新聞の誤報問題」、「美味しんぼの鼻血騒動」、「安倍政権は戦争をしようとしている」、「若者は右傾化している」、「若者は草食化している」、「中国は滅亡する」など。それぞれがどれほど根拠薄弱な妄説であるかが完膚なきまでに論破されている。

 一部「?」の部分があったが、多分誤植か勘違いだろう。

 国会議事堂前の市民たちの安保法制反対運動を見て、多くの有識者やそこに集った人々が「かくも多数の反対者がいるのに強行採決した」と憤激していたが、百人に一人の反対者が集まったらたちまち一万人になる道理で、それが国民の大多数である、などと思い込むのはいかがなものであろうか。

 わたしの予想では、来年の総選挙でも自民党は大敗北したりしない。

映画「砂漠の鼠」1953年アメリカ

 監督ロバート・ワイズ、出演リチャード・バートン、ジェームズ・メイスンほか。

  ロンメルに北アフリカのトブルクに閉じこめられた連合国軍。連合国は豊富な物資と兵員を持って反攻を準備しているが、そのためにトブルク死守が絶対に必要だ。寡兵で弾薬も燃料も足りないなか、ロンメルが狙うスエズ運河侵攻を食い止めるために、どのような戦いが行われたのか、それが描かれた映画である。

 話も連続しているわけではなく、監督も違うが、「砂漠の鬼将軍」に引き続き、ロンメル将軍をジェームズ・メイスンが演じている。彼の風貌がロンメルにふさわしいからだろう。

 トブルクに立てこもっている連合国軍は生き残りを集めた寄せ集めの軍隊である。イギリス軍の将校がオーストラリア軍の兵士たちの指揮官を命じられる。その将校を若き日のリチャード・バートンが演じている。厳格なこの将校に兵士たちは反発する。彼のためにひとり、またひとりと兵士が死んでいく。戦いはゲリラ戦の様相を呈し、いつ自分の後ろから弾が飛んでくるかわからない。

 いつまで待っても連合国の反攻は始まらず、援護も全くない。しかしそのことが厭戦とならずに士気が高まっていく。これは指揮官が有能であるということである。しかしリチャード・バートンはそのことに気がついていない。絶体絶命のなか、弾も尽き、敵が迫る。

 最後は感動的。戦友とはこういう関係を言うのだろう。

2015年9月22日 (火)

映画「砂漠の鬼将軍」1952年アメリカ

 監督ヘンリー・ハサウェイ、出演ジェームズ・メイスン、ジェシカ・タンディ他。

 砂漠の狐の異名で知られるドイツのロンメル元帥の秘話が描かれる。北アフリカで、装備も兵員も弾薬も燃料も補給が不十分ななか、連合軍の反攻にさらされたロンメルは撤退を進言するが、ヒトラーとその取り巻きは徹底抗戦を厳守するよう命令する。

 無駄に兵士や武器の損耗が強いられるが、そんななかロンメルは病に倒れてしまう。心身ともに疲労の極みだったのだ。そんななか、親友から停戦のための画策をする動きがあるという話を聞く。

 謹厳なロンメルは耳を貸そうとしないが、ドイツの敗勢は濃厚で、このままでは祖国の存立の危機であるということを認識せざるを得ない。

 あえて身命を賭してヒトラーに連合国との話し合いを進言するが、歯牙にもかけてもらえないばかりか忠誠を疑われる事態となる。

 ヒトラーを退陣させることが不可能であることを覚悟した軍部の一部がヒトラー暗殺を企てる。それを知らされたロンメルは積極的に参加はしないがそれを黙認する。

 暗殺計画は実行に移されるが、ヒトラーは負傷しただけで暗殺は失敗に終わる。そして暗殺計画の関係者が数千人処刑される事態となり、その捜索の手はロンメルにも及んでくる。

 ロンメルはそれにどう対応したのか。連合国側からも称賛された偉雄ロンメルは、自分の矜持を維持したまま家族のためにある決断をする。

 これが全部事実かどうかは知らない。しかしジェームズ・メイスンの演じるロンメルのすがたに男のあるべき姿を見てしまう。それは戦争賛美につながるというのだろうか。

宮家邦彦「日本の敵」(文春新書)

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 副題「よみがえる民族主義に備えよ」。

 表題はやや強すぎるので誤解されるかも知れない。この本で著者が訴えたい世界観は副題の方にある。

 最初に、著者の世界観をベースにして19世紀以来の世界の歴史の流れを記述していく。すでによく知っている歴史的な事柄の意味が、(別に変形を受けていないのに)新しい見え方で見えてくるのは驚くほどだ。

 たびたび書いているからまたかと言われそうだが、いままで知らなかった視点を教わることこそこういう本を読むわたしのよろこびである。それのない本(ここでは新書版の人文や社会に関する本のことに限定している)は残念ながらあまり評価できない。

 戦後の米ソ冷戦時代の意味、そしてそのあとのベルリンの壁崩壊からソビエト連邦の崩壊、そしてポスト冷戦時代の意味、それがもたらしているものが、民主主義の普遍化ではなく、民族主義の台頭であることの危惧が丁寧に説明されている。なぜジャスミン革命が民主化ではなく、こんな混乱した世界をもたらしたのか。

 そして中国についてネットアセスメント(総合戦略評価・詳細は本を読んで欲しい)という手法で解析していく。いままでどういう国であったか、なにを目指そうとしているのか、国の実情はどうなのか、これからどうなっていくのか。もちろん未知数が多いから解答は一つではない。そもそもネットアセスメントが求めるものは正しい答えではなく、正しい質問である。

 正しい質問は無意味な質問を排除する。正しい質問に対する答えを必死で考えること、そのことの中になにをなすべきかの答えがある。状況は時々刻々と変わるから質問も答えも変化する。

 ネットアセスメントの手法について、具体的な部分は高度な知性の働きを必要とするので、わたしはただその結果の部分を見て、なるほど、と感心していた。書かれているのは難民問題やIS、ロシアや中国など、世界全般であり、たいへん勉強になった。

2015年9月21日 (月)

済南

 中国山東省の省都、済南を紹介する番組をNHKBSで見た。芸術大学で書道を勉強しているという女性が見所を歩いて行く。

 黄河に隣接して、というより黄河が横切っている済南という街は清んだ泉があちこちに湧き出す、水の豊かな街であることを知った。

 人口700万人というから大都市だけれど、人口800万人の、わたしの好きな杭州に似て、たたずまいの落ち着いた街のようだ。

 北京や上海の空港で国内便の行き先を見ていると済南(チーナン)行きがけっこう多い。ここが各地への拠点であることがわかる。どんなところだろうかと思っていたけれど、一度訪ねたい気がした。

 この街に有名な観光地があるわけではなさそうだから、観光客はあまりいないだろう。それよりも、料理が素材の味を大事にする山東料理だというから、それを食べてみたい。

 観光地に行って写真を撮りまくり(それも好きなのだけれど)行ってきました、という旅行ばかりもなんだか空しいこともある。ときにはあまり見るものがない街に行くのもいいかもしれない。

四十九日

 明日の22日が母の四十九日なので、今日中に千葉に行く。昨晩はあまり眠れなかったのはどうしたことか。

 なんだか千葉に行けばベッドで寝ている母に会えるような気がする。四十九日の法要は父の墓のある佐倉の寺で行い、済んだら母の遺骨を墓に納骨する。父と母は四年あまり別々だったがこれでまた一緒になる。

 母の死後の始末は申し訳ないけれどすべて弟夫婦にまかせている。父と母はなにがしかのものを残していたと思うけれど、それについては一切関知しないと伝えてある。もしかしたら持ち出しになっているのかも知れないけれど、なにも聞かないから彼らもいわない。

 明日の晩は弟と飲むことになるから、そこで一言あるかもしれない。

 母の介護手伝いのためにいろいろなもの、特に本がたくさん弟のところに持ち込んである。それを持ち帰らなければならない(弟はほとんど本を読まない)けれど、一度ではとても無理だ。しかし弟のところに行くのも前のようにたびたびというわけにはいかない。もう親元ではないのだ。

 弟のところの末娘がもうすぐ出産。母の生まれ変わりみたいなものか。姪は蒼井優に似ていて(わたしだけがそう思っているらしい)笑顔が可愛い。こうして人は生まれ、そして死んでいく。

2015年9月20日 (日)

物質的条件と「生活の質」満足度

 韓国で練炭自殺が急増していると朝鮮日報が報じている。

Photo むかし中国で見かけた練炭。事故が多いと言っていた。

 記事は、日本や台湾では練炭購入の際には使用目的と使用場所を確認するよう義務づけられているが、韓国はなんの制約もなく、自由に買えることが問題だと指摘している。

 うーん、そういう問題なのだろうか。

 韓国の保険社会研究院は、OECDが今年発表した「より良い暮らし指標(BLI)」を分析して報告書を発表した。

 それによると、OECD36カ国のうち、韓国は所得、職業、住居などの物質的生活条件でフランス、アイルランドに続く20位であった。一方、社会的人間関係、人生の満足度を評価する生活の質では29位であった。

 スウェーデン、デンマーク、ノルウェーなどの「福祉先進国」は物質的生活条件よりも生活の質の評価が高く、結果的にBLI指数が高い結果となっているという。

 日本の結果が知りたいところだが、「福祉先進国」よりも韓国に近いのではないかと予想される。

 物質的な生活が豊かになることと、生活の満足が必ずしも相関しないことはよく考えるべき大事な問題だろうと思う。欲望がむやみにかきたてられて、いま持っているものによる満足よりも、まだ持っていないものがあることへの不満が勝ると、人は幸福を実感することができない。

 韓国の練炭自殺の急増と関連づけてそんなことを考えた。

売名行為

 「生活の党と山本太郎となかまたち(無意味に長い!これだけでも消滅した方がよい党だとみなされる理由になりそうだ)」の山本太郎参議院議員が、安倍首相の問責決議案の採決の場に喪服姿で現れ、手に数珠を持って大げさなパフォーマンスをしていた。

1310_278 ベトナムの牛。山本氏同様牛歩する。

 これが彼の信念に基づく義憤の表れである、などと思う人はよほどのお人好しであろう。安保法制に賛成であれ反対であれ、立場を越えて眉をひそめた日本人がほとんどであったと信じたい。

 ただの売名行為としか思えない。こんなことをしても彼の人気が上がるとは思えないが、それでも拍手喝采をする人間はいるだろう。

 そう思っていたら、なんと中国のネットで「日本人は本当にユーモアがある」、「葬式の花も持っていけばよかったのに」などという書き込みが続発していると報じられた。

 揶揄しているのはもちろんだが、こんなパフォーマンスは中国でできるはずもないから、それをちょっとうらやんでいるのかも知れない。そんなところはむやみに興奮して日本が絶対悪みたいにがなり立てる韓国より健全な気がする。

中国人観光客が増えることはいいことか

 今年8月までの訪日外国人は対前年比49.1%増の1287万5400人と急増している。8月だけ見ても前年同月比64%増の181万7100人、そのうち中国人はなんと2.3倍の59万1500人だったという。

 たしか2020年までに年間2000万人を目標としていたはずだが、早くも今年中にその数字を達成しそうだ。観光による収入は日本経済に貢献することが期待されていて、それが順調に増えていることは経済的に見ればめでたいことだ。イギリス人のデービッド・アトキンソンが「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」という本で書いていたのは、観光という日本の資源の経済活用への提言であったが、それがたちまち実現しているのは驚きである

 それに反して韓国訪問の外国人観光客は一時の勢いを失っている。MERS問題による急減がその理由だとみられていたが、それが終息してもあまり回復していない。

 観光の要諦は口コミとリピート客だろう。「行って好かった」という口コミが広がり、「もう一度行きたい」と思われれば観光客は増加し、しかも持続する。

 MERSによる一時的な観光客の減少ではないらしいことで、韓国には反省の声があるようだ。悪評は一度立つと回復にはたいへんな努力が必要で、時間もかかる。その例はくだくだしく書かなくてもすでによく知られている。

 さいわい日本は今のところ評価は良好で、リピート客も増加している。中国の経済が減速している、などと言われながら、中国からの観光客が減るどころか増えているのは、欧米など遠方で高額の旅行より、近場の日本への旅行の手頃さが受けているからであろうし、中国の元高、日本の円安で、日本での買い物が値打ちであること、資産の換金の意味もあるなどとも言われる。

 だから中国の観光客は不測の事態がないかぎり、当分増加し続けるだろう。

 問題は受け入れ体制である。急激な観光客の増加は想定を越えている。受け入れ体制の対応がそれに追いつかない事態が起きていないだろうか。そこに不備があると観光客に不満が生ずる恐れがある。悪評の口コミは恐ろしい。しかしその受け入れ体制を万全にするためのコストは、万一観光客の増加が止まった時には大きな負担として残される。経済とはそういうものだといえばそれまでだが。

 このようなことはすでにいろいろいわれてきたことなので、いまさらだけれど、わたしの心配はそんなことではない。普通の日本人が皆感じ始めていることだ。

 観光地に中国人観光客が増えすぎて、ゆっくり観光できないことだ。とにかくやかましいし、邪魔である。最近の日本人もそうなってきたから中国人ばかりではないが、とにかくまわりに対する気くばりというものが欠けている。

99120092 15年前。いまはこんなものではない。もっと混雑。

 今回の友人との旅行では、あまり中国人がひしめいている観光地へ行かなかったので幸いであったが、京都などへ行くとうんざりする。静かに歩きたい哲学の道などを中国人観光客が占拠していると、幻滅する。いま観光地に対する悪評は日本人に生じ始めていないだろうか。

 大好きな中国旅行に行かなくなったのは、案外旅行の代金が高額なこともあるが、なによりどこの観光地に行っても中国人が佃煮にするほどひしめいていて、観光どころではなくなっているからだ。

 昔は中国が好きな外国人が九割に中国人の観光客が一割だったのに、いまは逆である。だから外国人観光客が全く優遇されない。外国人観光客を優遇しなくても観光地は中国人観光客だけで商売が成り立つからだ。 

 日本人がうんざりするくらいだから、いまに中国人自身が自家中毒のように「日本に行って中国人を見てきた」とうんざりするかも知れない。そして中国以外から来た外国人観光客が同様な不快感を持ったらこれも悪評につながってしまう。

 近場に中国人観光客という大きな資源を持つ日本が、その資源を生かし続けられるかどうかが、中国人自身の精神的成長にかかっているというのも悩ましいことだ。願わくば、日本に来て多少は気配りを覚えてもらいたいものだ。それなのに日本人自身が劣化しはじめている。これでは中国人観光客から却って悪い影響を受けてしまうかもしれない。

 蛇足だが、中国人は長い歴史の中で徹底的な利己主義をたたき込まれた上に、一人っ子政策で甘やかされて育っているから、ほとんど精神的な成長をしていない子供みたいなものだというのがわたしの見立てである。相手の立場に立って考える、などということは思考の中にほとんど存在しない。だから日本に来ると驚くのだ。

2015年9月19日 (土)

「韓国も盗んでくればいい」とは何ごとか

 韓国のあるメディアによれば、外国に流出した韓国の文化財は16万点を超え、そのうち42%に当たる6万7708点が日本にあるという。次いで米国、ドイツで、中国は9806点と四番目なのが意外である。

 日本には主に植民地時代に搬出された、と報じているが、それ以前に朝鮮との合法的な関係の中で歴史的に持ち込まれたものも多いのではないか。植民地時代にすべての貴重品をさらっていったというのが韓国の思い込みか、または言いがかりだが、韓国は個別に検証などしていないから事実はわからない。韓国は検証する気はないだろうし、検証したら不都合な真実があらわれることだろう。

 中国にあるのが少ないことが意外なのは、日本以上に中国に流出したものがあるだろうと思えるし、日本の六分の一以下というのはいかにも少ない。本当にないのか死蔵されてわからないのか。

 そもそも朝鮮半島には流出した文物の百倍以上のものが存在したであろうことは常識的に明らかである。しかし韓国には残念ながらほとんどが失われてあまり残っていないのだ。韓国の歴史的な文物の研究をするには日本に来る方が早いというのが実情である。

 韓国は再三の戦災によってほとんどを喪失した。そのことは不幸であると思う。しかし、日本も京都を除いて都市部は再三の空襲を受け、美術館や博物館も壊滅的な被害を受けたにも拘わらず、多くの文物が残された。そのために命がけの努力をした人たちがいた。

 しかし韓国や中国はそのような努力が不足したと、これは結果から見て言うことができるのではないか。

 中東でISが遺跡を破壊している映像を見て、衝撃を受けた人は多いだろう。しかし全く同じことを全国的に行ったのが中国の文化大革命であったことを思いだしたら良い。むかし中国各地を訪れると、その文化大革命の破壊の傷跡をそこら中に見ることができた。いまは知らない。

Dsc_0043 三蔵法師一行。よく見ると先頭の三蔵法師以外は、像の頭部がすべて破壊されている。これは文化大革命の際の破壊の跡である。杭州霊隠寺・飛来峰の石像の一部。

 戦禍に遭いながら文化財が残っている国は文明国である。文明とはそういう文化を、そして歴史を大事にする心性そのものであろう。ものが残るのは残す意志があって残るのである。韓国はいまさらながら自国になにも残されていないことに愕然として、そして日本に多くが残されていることを知り、それはすべて日本が盗んだものだ、という。

 そして、あろうことか「韓国も盗んでくればいい」と公言する。なんたる非文明的なたわごとであろうか。もし、日本が善意で一部を提供したとして、百年後にいくつが残るだろう。

 歴史をいたずらにもてあそぶ国は文明国とは言えないし、過去の遺産を継承する資格もない。そのことに韓国や中国はいつ気がつくのだろうか。

この男はクズか

 中国の重慶市のある男性が、宝くじに当選して460万元(約9000万円)を手にした。問題はこれを妻に知らせずに強引に妻と離婚したことである。

 裁判所は妻の訴えを取り上げ、男に115万元(約2200万円)を妻の取り分として支払うよう命じた。

 これが話題になり、こんなクズが当選するとは世の中は不公平だ、との声が相次いでいる、と中国のマスコミは報じている。

 宝くじは、当たった人と当たらない人と、結果的に不公平なのは当然であって、ただ自分に当たらなかったことを嫉妬しているだけの言葉だから論外だが、わたしなりになぜこの男がこのような行動をとったのか想像してみた。

 この男と妻との関係が良好であれば、はたして離婚しただろうか。普通なら二人で好運を分かち合うのではないか。

 宝くじの当選の事実が知られる前に離婚が認められたのはそれなりの理由があったにちがいないと思う。

 多分この妻は常々この男を支配的に扱い、稼ぎが少ないことをなじり、無能呼ばわりをしていたのではないか。浪費家であったかもしれない。

 もし妻が宝くじの当選金を手にしたら、男が自分で使える分はわずかになることが明白だったのではないか。

 離婚は覆らない。減額したとしても男は当選金の残りを自分で自由に使うことができる。もし離婚できていなければどうなるか考えれば、この裁定は彼にとってそれほど不満足ではないだろう。

 それでもこの男はクズだろうか? 

 そのあとこのあぶく銭がきっかけで、この男と元妻にどんな人生が待っているかどうかは別の話である。

阿川弘之「青葉の翳り」(講談社 文芸文庫)

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 短編がいくつか収められているが、特に表題の「青葉の翳り」について述べたい。

 この小説を女性はどう感じるのだろうか。この小説に感情移入できるのだろうか。男にしかわからない小説のように思うのは、わたしが女性について知らなすぎるからだろうか。

 海軍の将校であった主人公の牧野は、中年を過ぎ、戦争からずいぶん歳月が過ぎて、父を亡くし、母を喪って以来ふるさとに帰ることもなかった。その父母の墓を移すため、久方ぶりにふるさとの広島にやってくる。いままで墓参りにすら来ていないのだ。

 この中で、自分の少年時代、そして戦争時代、さらに母が死んで帰郷したとき、そして現在、さらに未来の、自分が老年になってからがオーバーラップして語られていく。

 読んでいるわたしは、主人公である彼にとって未来の視点から読んでいる。

 男でないと分からないのではないか、というのは、実際に戦地に赴いて戦う者か否かの違いを言っている。もちろんわたしは戦争に行ったことはないけれど、戦争は、自らを戦地に送られて命をその場にさらすものとして見る。

 現代は、戦争は兵士も市民も無差別だが、この小説で語られている戦争はそうではない。特に海軍はそうだろう。それにどんな違いがあるというのか、と言われてしまえばその違いはわかる人にしかわからないような気がする。

 この小説で戦争自体はほとんど描かれていない。しかし主人公の牧野の背景をそれが影のように覆っている。

 彼が見ている世界がまるでわたし自身が見ているように現前する。ここまで感情移入して小説を読んだのは久しぶりだ。

 巻末の解説で得心したが、阿川弘之の小説は私小説のようで実はそうではない。そのことの意味は、彼が敬愛し、師事した志賀直哉と似ているかも知れない。自分のことを書きながら、いわゆる私小説を越えている。だからわたしがこうして感情移入できるのだろう。

 志賀直哉と阿川弘之が似ているなどと今まで考えたこともなかったが、この小説を読んで初めてそんな気がした。

 久方ぶりに帰郷した彼のために同窓会が開かれる。その場での彼の違和感はわたし自身も小学校の同窓会で強く感じたことに似ていた。初恋の人との挿話は時の流れを強く感じさせる。同窓会とはそういうものなのかも知れない。

 とりとめのない文章になってしまったので、この小説を読んでいない人には何のことやら分からないものになった。多分わたしだけの受け取り方で、他の人は全く違うのかも知れない。

 阿川弘之が先日亡くなって、気になって仕方がない。いままでエッセイばかりを主に読んできたが、小説を少し読み直してみようかと思っている。

2015年9月18日 (金)

光につながる

 ちょっとした行き違いから光回線接続の工事は昼前になってしまった。その上設定の手順を前後させてしまったために二度手間となり、無駄な時間を食ったが、ようやく光回線でネットがつながった。

 契約の中にいろいろ不快なことがあったが、今回はもう言う元気がない。勝手に加えられているものがあるので、あとで解約しなければならないことがいくつかある。それが済んだら一言言いたいと思っている。

 そのあとに懸案だったカーナビの地図(SDカード)の更新を行ったりしたので一日仕事(朝のうちはただ待つだけ)に近かった。

 お陰で快適にネットがやりとりできるようになった。なにせ動画のCMがついているものが多いので往生していたのだ。

 しかし今日はこれから録画してあった倉木麻衣のライブを見ながら、酒でも飲んでぼんやりしたいと思っている。そういえば世間は明日からシルバーウィークだそうだ。私はその間に母の四十九日がある。千葉までの往復は混むだろうなあ。それが気掛かりだ。

光へ

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 今日午前中ようやくNTTの光通信の工事の人がやってくる。

 光通信は以前設置していたのだが、モバイルルーターだけで問題ないので二年近く前に解約していたけれど、最近は通信量が大きくなって、モバイルルーターの枠を大幅に超えるようになってしまい、不便このうえない状況になっていた。

 前にも書いたが、モバイルルーターはドコモのものを使っていて、これは通常Xi(イクシィ)という高速通信で快適に使用できるのだが、通信量の枠が7Gまでである。それを超えると通信ができなくなるわけではなく、125Kになってしまう。特別に枠を増やすことは可能だが、そのたびに大きな課金があって論外である。

 125Kといっても実際はそれよりずっと遅く、ブログを開いたりネットニュースを見たりするのにとてつもなく時間がかかる。

 というわけでやむを得ず光通信を再度導入せざるを得なくなったのだ。ネットニュースのチェックや、いつも拝見している何人かの方のブログを見るだけで長時間を費やすのはさすがにつらい。金より時間の方が大事だから、出費の増加はつらいが仕方がない。

 工事の人、早く来ないかな。

2015年9月17日 (木)

雑用にもエネルギーが必要

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 やろうと思えばすぐ済む雑用(だから雑用というのだが)もいくつか重なるとついおっくうになり、気がつくとたまってしまう。これを片付けるとなると案外エネルギーがいる。

 今日は朝からそれを一つづく片付けていった。

 やってみれば何ほどのこともないのだが、片付いていくよろこびよりも、疲労感の方が大きい。現職中にはこんな程度のことでは何ともなかったのに、いささかの精神力の衰えを実感している。

 そうして、雨の中を出かけたりしてようやく一段落した所だが、帰ってぼんやりしていたら、また次から次にやらなければならない雑用が思い浮かんでくるのはどうしたことか。

 まことに人生は雑事でできているようである。なかなかぼんやりばかりもしていられない。

能登・巌門

南惣美術館でゆっくりしたので、もうあまりあちこち見る時間がない。


とりあえず輪島に近い千枚田をのぞきに行く。ここの駐車場もほぼ満杯。「まれ」の人気の影響おそるべし。

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実際はもっと急な棚田である。一部稲刈りが始まっているようだ。潮風を浴びたお米は塩気をわずかに含み、甘みが増すという。そのためにも潮風に当てて天日で乾燥させるのが好いそうだ。

友人は輪島の朝市(もう午後だから朝市ではないが)に寄りたいようだが、そうすると最低でも一時間は輪島にいることになる。夕方は車も混むから、彼を敦賀に送る時間が下手をすると7時過ぎになってしまう。朝市は次回に先送りすることにして、今回は巌門に少しだけ寄ってから切り上げることを納得させる(不満のようだが)。

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暗くて狭い穴蔵を降りて洞窟を抜けると、右側の穴から出てくる。

天気が良いと景色もいいのだが、曇っている上に夕方なのでやや暗い。

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遊覧船が洞窟をのぞき込むが通り抜けるのは無理。

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このように水はきれいだが浅い。

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高台に登り、遊覧船の行方を見ると、結構狭い所を通り抜ける。乗ったことはないが、多分海側からしか見えない絶景が見られるのだろう。

巌門はもう能登半島の南で金沢に近い。のと里山道を走り、金沢から北陸道を快適に飛ばして無事敦賀に着いたのは6時前であった。

これで今回の旅は終わり。いろいろありましたが、おかげさまで無事帰ることができました。ありがとうございました。

南惣美術館

学生時代に初めて来て以来、今回は五回目か六回目か。それほどこの美術館が好きである。


能登の豪族で海商でもあった南惣右衛門(歴代当主はこの名を名乗る)のコレクションが土蔵の中に展示されている。こんなところ(といっては失礼か)にこんな逸品が、と思うようなすばらしいものがたくさんある。

以前その一部をここで紹介したこともある。

今回はちょっと毛色の変わったものと一部お気に入りのものなど。

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てあぶり。つまり小型の火鉢。変わっていて見飽きない。

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備前焼の花入れ。横から挿すのがおもしろい。

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唐三彩。麒麟に乗る童子。残念ながら色はほとんど失われている。

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蕪村の俳画。最も好きなもの。他に芭蕉のものもある。

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雪舟。

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円山応挙の猫・・・ではなく虎。

尾形光琳、俵屋宗達をはじめ、多くの書画や陶磁器の逸品がこれでもか、というほど狭い所にならべられていて、丁寧に見ているときりがない。

機会があれば是非見てもらいたいが、人出が多くなりすぎるとゆっくり見られなくなってしまうのでそれも問題だ。なにせ狭いのだ。今回も人がまばらだったので見たいものをじっくりと見た。友人も感歎して眺めていて、わたしが先へ行くのが速すぎる、と苦情を言ったほどだ。

見終わると、女主人に母屋の土間の敷台に呼ばれてお茶をいただく。わたしのことを覚えていてくれたようだ。

2015年9月16日 (水)

上時国家

塩田見学のあと上時国家を見に行く。平家の平時忠の息子、平時国の子孫の館である。何代目かで二つに分かれ、上があるように下もある。


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玄関。ここから靴を脱いで座敷に入る。ちょうど観光バスの人たちが帰る所で、中は少ない人数でゆっくり見ることができた。

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一番エライ人が入る上段の間。

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控え室に当たる伺いの間から。欄間がすばらしい。上段の間の天井もうかがえる。

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ここの欄間も、

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別の場所のこの欄間もすばらしい。

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回り廊下。庭が見事だが、コントラストが激しすぎて写真にならない。

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すてきなアンティークな柱時計。

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立派な神棚。実際は真っ暗でよく見えない。

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広い土間。正面屋や右手の縦長のものが切り籠。これは子供用。実際は最低でもこの三倍以上ある大きなものだ。

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天井を見上げるとものすごく太い梁が。その梁に駕籠がつり下げられている。駕籠はすべてで四丁。

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土間から部屋の中を見上げる。長押(なげし)には長刀と槍が架けられている。

平家の末裔がこのように豪族として君臨していたのだ。

このあとすぐ近くの、大好きな南惣美術館に向かう。

やったことはやったが・・・

 JRや変電所の放火事件の犯人(マスコミは刑が確定するまで容疑者と言い続ける)が「やったことはやったが、業務妨害とは思わない」と言ったと報じられている。

 こういう人間が世のなかにいることにうんざりするが、うんざりしたからといってすべて排除することなどできないし、存在することを前提に生きていかなければならないのが世の中だ。できるのは自分自身と自分の子供だけはせめてそのような人間にならないようにすることだけである。

 ところで「業務妨害とは思わない」という言葉には強い不快感と違和感を感じる。犯人の野田某の世界観では世の中の仕組みは自分がきめる、という狂気を感じるからだ。

 業務妨害かどうかは世の中の仕組みの中でおのずから決まることで、野田某がきめることではないのはいうまでもない。

 どうして野田某のその言い方がそんなに不快なのか。しばしば世の中で当たり前にその論理で物を言う人間を目にし、耳にするからである。

 究極的には世界は自分のためにある。自分が死ねば世界は続くかも知れないが、自分にとって世界はなくなるのだから。

 しかしそれは自分以外の人にとってもそうであることは誰でも知っている。自分ひとりで完結して完全自立で生きるので無い限り、他人と折り合いをつけて生きるしかないのがこの世の中である。

 それなのに、人権、人権、自分の権利、という錦の御旗が、いつの間にか自己中心的な、他人に配慮することのできない人間を次々に生み出している。人口が増えて、人間がひしめいて、社会と自分との関係にバランス感覚が必要なのに、却ってそのバランスを無視する人間が目立つようになったのはなぜなのか。

 欲望をむやみに刺激し、その欲望の達成が幸福なのだとテレビCMはわめき立てる。

 話を戻すと「業務妨害だと思わない」と言う彼の言葉から推定されるのは、自分の考える正義のための社会への報復であるという考え方だ。それならそもそも社会のルールを自分は認めないということなのだろう。

 正義の行為であるから、少しも犯行を隠した様子がなく、ネットに自分の行為を顕示するような書き込みまでしている。犯行時の服装もわざわざ赤い自転車、黄色い帽子、と目立つものを着用している。

 多分英雄的行為だと思い込んでいるから、いつまでも自分が犯人であることが判明しないことが歯がゆかったのではないか。しかし捕まってみれば、誰も彼をたたえないし、非難する。彼にとって心外なことにちがいない。

 恐ろしいのは模倣犯の出現である。どうしたらこのような輩を押しとどめることができるのだろうか。

 共産党や社民党なら「社会に問題があるからだ」と言うだろう。いまなら民主党が一番そう言うだろうか。それが犯人の考え方によく似ているのが奇妙ではないか。

塩田村

能登半島の先端をぐるりとまわり、曽々木海岸に近いあたりまで走ると、実際にいまでも海水から天然の塩をとっている塩田が何軒かあり、そして道の駅「塩田村」がある。このなかに塩の博物館があって100円で塩について知ることができる。また塩田の実際を体験することもできる。


以前来た時は、人がまばらにしかいなかったのに、今回は平日なのに駐車場はほぼ満杯、観光バスまでやってきて混んでいた。朝ドラの影響は本当に大きい。ここの観光用の塩田は、ドラマで田中泯が実際に海水散布を演じたところのはずだ。

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塩田前の海。ここから潮汲みをするのか。

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こんな大きな岩塩がいくつか展示されている。

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野外の塩田の前で塩撒きの桶を持つ友人。

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ふだんは実際に塩撒きを体験できる(確か有料)が、本日は実演なし。多分係の人が月曜で休みなのだろう。

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むかしはこうして汐汲みの女性が桶で運んだのだろう。

日本人形の汐汲みはきれいな服を着て可愛いけれど、実際はたいへんな重労働だ。日に焼けて色も黒くなるだろう。

そういえば「山椒大夫」の安寿はこの汐汲みをさせられた。

小さな道の駅なのでうっかりすると通り過ぎてしまう。輪島からそれほど遠くないので近くへ行ったらのぞいてみてください。

2015年9月15日 (火)

能登の端っこ

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女性がのぞき込んでいるのは能登のランプの宿、葭ヶ浦温泉。能登の北の端、狼煙(のろし)灯台の近くにある。

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上からのぞき込むとこんな風に見える。人気があって、どんどん建屋が増えて、いまはずいぶん大きな宿になったようだ。

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上から見るとこんな風になっている。風で揺れる。高所恐怖症の人はしんから楽しめる。

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おっかなびっくりのぞき込む友人。

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少し先の別の展望台から見た海は青かった。

崖下へ降りると「青の洞窟」がある。洞窟の中が青い光で満ちているらしい。あのイタリアの「青の洞窟」の真似だ。

高い(遊歩道で1500円、船だと4500円)のでパス。

あとで地元の人に聞いたら、数千万円もかけて洞窟を削って人工的に作ったのだそうだ。

九十九湾と見附島

能登島で迎えた朝は快晴。朝食にイカと白身の魚がついている。嬉しくて頬がほころびるが、まさか飲むわけにはいかない。


八時過ぎにすぐ出発。まず九十九湾に向かう。

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途中でボラ待ち櫓を見る。海は静かで波一つない。櫓の上にいかにも人がいるように見える。ボラは群れでやってくる。大群を発見するといっせいに網を出す。ときにボラの重みで網が破れるほどだったという。いまはそんな大群が来ることがなくなっているようだ。

九十九湾ははいりくんだ小さな湾がたくさんあり、むかし源氏に敗れた平氏が舟隠しに使った場所だと言われる。

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海岸に遊歩道があり、磯伝いにずっと行くことができる。海の水は信じられないほど透明である。

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こういう飛び石伝いに歩くことができる。本当の海中公園だ。

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こんな洞窟をくぐってずっと先まで歩くことができる。潮風が磯の香りを運んでくる。

つぎの目的地、見附島はもうすぐ。

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見附島は通称軍艦島。見たとおりだ。潮が引いていれば石伝いに島まで歩いて行ける。

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むかし空海(弘法大師)が佐渡から船でここへやってきて、この見附島に登ったという。そして山の上に社を建てたそうだが、再三の震災などで崩れ去り、いまはなにもない。そもそもどうやってこの島の上に登ることができるというのだろう。昔は登り口があったというのだろうか。

能登の東岸を走っている。この周辺は祭りに切り籠(きりこ)という背の高い大きなものをかつぐ。山車とは違い、車がないので人がもつしかない。東岸を北上していると、ちょうど祭りのある集落がいくつかあり、何度かその行列に遭遇した。もちろん神輿や山車もある。

むかし珠洲で友だちの友だちの親類の家の二階からこの切り籠の勇壮な行列を見学して感激したことを思い出した。

水族館の魚

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角館の武家屋敷を見たあと向かったのは、山形県鶴岡市の湯野浜温泉の民宿。ここは海が目の前。友人は日本海の海辺で生まれ育ち、魚やイカやカニをおやつにしていたというから魚が大好き。私も九十九里浜に近い町で育ったから魚が大好き。

この宿ではお刺身の盛り合わせを特に頼んでいたから食べきれないほど。それに大きな紅ズワイガニが各自についている。二人とも面倒くさいのがきらいで、蟹は美味しいと思うものの食べるのが面倒だという横着者。その蟹を食べ終わったころには酩酊状態に。酒を追加追加した上に焼酎をボトルで一本まるまる空けてしまった。

最初は水害の話をしていたのだが、災害対策の責任問題について意見の相違があり、あまりに友人が頑固なのでこちらもエスカレート。大声で言い合うことになった。夜遅くまでやかましかくて他のお客さんや宿の人に迷惑だったことと反省している。

もちろん翌朝は二人ともけろりとしている。いつものことなので。

空は一応晴れているのに、天気予報は午前中日本海は雨。この湯野浜を最後にして長途帰宅する予定だったが、前日友人がこのまま帰るのがもったいないからもう一日どこかに行きたい、というので、能登島で一泊することにしている。そうすると少なくとも午前中は雨の中を走ることになりそうだ。

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出かけるころには雨がぽつりぽつりと降り出す。新潟を過ぎるころから本格的な雨、上越市を過ぎるころには雨が次第に激しくなる。糸魚川あたりではスコールのような雨になる。
いったいどうなっているのだ。

富山県のあたりでようやく雨中を抜ける。写真は立山方向。この雲の向こうが立山で、多分その下は激しい雨だろう。
能登は遠い。ひたすら走り、ようやく能登島へ。空は晴れ、海は青く、いままでの雨が嘘のよう。

宿へ入るまで十分時間があったので能登島の水族館へ寄ることにする。

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ここの売りの一つがジンベエザメ。シュモクザメやエイと一緒に悠々と泳いでいる。

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こういう魚を見ると、友人も私も、うまそう、と思う。

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オオカミ魚。さすがにこれはうまそうではない。

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ウツボ。食べたらうまいけれど、あまりお近づきになりたくない。

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大サンショウウオ。これは淡水魚。どこが目かよく分からない。

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ライトアップされて美しい赤クラゲ。これも食えない。
この水族館は広くて見所がたくさんあり、充実している。ペンギン、イルカ、ラッコを見物する建物などもあるけれど、くたびれたので切り上げ、と思っていたら・・・。

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スコールのような激しい雨。またか。

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美しく青い海がたちまち無彩色の海になった。

しかしソフトクリームなどを舐めながら眺めていたら空の一角に青空が見えだし、やがて雨は上がった。

たちまち空は晴れ渡り、無事能登島の最先端の宿に到着した。晩も魚三昧、盛大に酒盛りしたのは言う迄もない。飲み過ぎだ。

2015年9月14日 (月)

無事わが家に帰着

ブログではまだ旅の途中ですが、本人は先ほど無事わが家に帰着いたしました。本当は昨日帰宅予定でしたが、友人がもう一日延ばしてどこかに行こうと提案したので、なんと能登半島の能登島まで足を伸ばし、宿泊しました。


その日に捕れた魚をこれでもか、というほど食べ、大満足し、朝早くから出発して能登半島を一周しました。

それについては順次報告したいと思います。

旅行中ずいぶんきわどい旅でしたので、ご心配をおかけしましたが、それが思い出に残って忘れられない旅になりました。

最後になる今日は快晴で、能登の海はすばらしい色でした。

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角館武家屋敷

角館(かくのだて)は佐竹支藩の小大名の領地。現在の秋田県知事はここの直系の子孫の佐竹氏、本来ならお殿様である。


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道路の両脇に武家屋敷が並んでいる。いくつかの武家屋敷が公開されているが、今回は青柳家を見学。

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塀の外から青柳家をのぞき込む。中へ入るととても広い。数万点の展示物があるので、丁寧に見ているとたちまち時間が過ぎる。

その中からいくつか。

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Dsc_5550 蝋管・レコードの原型。

Dsc_5551 レトロ感があふれる。

Dsc_5566 徳川慶喜の写真。

いずれも数ある中のほんの一部を掲載しました。

是非実際に訪ねてみてください。その膨大な量に驚きます。

2015年9月13日 (日)

田沢湖に寄る

花巻から角館に行くつもりで走り出したが、友人が行ったことがないというので、田沢湖に寄ることにした。


湖畔でちらりと湖を見たらすぐ角館に行くつもりだったのに、たつこ姫の像が見たいという。湖畔を三分の一周ほどして、たつこ姫の像を見に行く。

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空はいまにも泣き出しそう。友人はこのたつこ姫の像を見て幻滅したらしい。私は三回目だけれど、以前よりは違和感を感じなくなっている。慣れたのか。

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田沢湖の水色は深い青色。晴れていればもっと神秘的な色なのだが・・・。友人は田沢湖の大きさに驚いていた。天気が良くて時間に余裕があれば、一周したい所だ。高台からの景色は見応えがある。

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すすきの若い穂が赤みを帯びて美しい。もう秋だ。

さあ角館へ。


宮沢賢治童話館(2)

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虫の世界。

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セロ弾きのゴーシュ。

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注文の多い料理店。 山猫軒。

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梟の小さな置物をコレクションしている。今回も二つほど買った。これは大きすぎるし売り物でもない。

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宮沢賢治の銀河のイメージの一つ。

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なんだかなつかしい。

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野外ステージでは若い女の子たちが踊りの練習をしていた。ときどき笑い転げている。箸が転んでも笑う年頃だ。

宮沢賢治童話館(1)

前日宮沢賢治記念館に来たのだけれど、童話館にも行こう、ということで再びやってきた。


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童話館の入り口。

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ここも是非見たい所。

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これが友人。向こうが賢治の学校。右手に自然観察の場所がある。

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友人はこういうところが大好き(もちろん私も好き)。

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写真を撮っているのは私。醜い姿に幻滅しないでください。ただ写真写りが悪いだけですから。

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宮沢賢治の世界に入りかけている友人。

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コートもカバンも石膏でできている(中身は本物かも知れない)。

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宮沢賢治のイメージしていた宇宙。実際に見えるのと写真は違う。

このあとさらにどっぷりと宮沢賢治の世界に浸る。

2015年9月12日 (土)

宮沢賢治記念館

花巻に泊まるのは四回目。ここに来るのはもちろん宮沢賢治に対する思い入れが大きいから。


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今回も山猫の市の職員が受け付け。

館内は大幅に変わっている。アナログからデジタルに変わったような・・・、それほど変わっている。

若い人にはわかりやすくなっていることだろう。

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宮沢賢治は私から見ればスタイリスト。

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雨にも負けず、の詩はこの手帳に書かれて残されていた。

レプリカの手帳も売っているけれど、高い!

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セロ(セロ弾きのゴーシュのあのセロ)。

写真を撮っていたらおねえさんに「写真はだめ」と叱られた。
以前はなにも言われなかった。見逃してくれていたのか、いまは撮影禁止なのか。私はストロボは炊かないから見逃して欲しい所だが。


宮沢賢治の童話の世界については翌朝もう一度童話館に行ったので、明日の朝。

中尊寺

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中尊寺で見かけた猫。

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中尊寺参道入り口。ここから勾配の急な坂が続く。

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勾配が急なのはこの弁慶堂前まで。友人と二人大汗をかき、フウフウ言う。

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金色堂は一番奥。久しぶりに見たらやはりすばらしい。

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ここを松尾芭蕉も訪ねている。

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この中尊寺を護持する白山神社内にある能楽堂。江戸時代、伊達氏の殿様が建てた。亀井勝一郎がこの能楽堂を絶賛した。

このあと花巻に向かう。思ったより時間を食ってしまった。それでも宮沢賢治記念館だけは立ち寄りたい。

毛越寺(もうつうじ)

東北自動車道の一関インターを降り、中尊寺へ行く前に手前の毛越寺に寄る。


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山門右手上、すでに楓の色が変わりはじめている。

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毛越寺は庭園がすばらしい。京都の寺とは全くおもむきが違う。大好きな庭園だ。前回は震災でくずれてしまった池の石の補修で水を半分ほど干してあったので、見る影もないすがたであった。

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初めて見た時は感激した庭だが、今回はそれほどでもない。少し感性が鈍ってしまったのだろうか。

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見る位置で全く景色が変わる。この池の広さは通常の日本庭園の常識を越える。ここで曲水の宴を開いたというのも頷ける。

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この池の周囲に消失した堂宇の跡がいくつも残されている。
藤原三代のころにはとても大きな寺だったのだ。

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寺を開いたのは慈覚大師円仁。

池を一巡りしてつぎにすぐ近くの中尊寺に向かう。



2015年9月11日 (金)

こんな旅もある

宿では夜中から再三緊急メールの警報で寝ていられなかった。宮城県大崎市内では一部河川が決壊、鬼怒川の氾濫した茨城の常総市ほどではないけれど、たいへんなことになっていた。


朝食の時、宿の女将さんがおそるおそる「お願いがあるのですけれど」という。宿からJRもバスも止まっているので身動きできない人がいて、古川の駅まで送ってもらえないかというのだ。

この川渡温泉は土日がお祭りで、宿の主人はその幹事のために、午前中はどうしてもそのお客さんを送ることができないのだそうだ。

どうせ古川インターまでは行くつもりなので、引き受けた。心配なのは、古川の街の一部が冠水しているという情報があることだ。駅の近くでそんなのに引っかかったら身動きとれなくなってしまう。でもまあ何とかなるだろう。

案ずるより産むが易し、古川の駅まで順調に行き、駅に送り届ける。このままなら石巻方面も楽勝ではないか、と思えた。

走り出してすぐ、道路は・・・

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こんな状態。

急遽作戦2に切りかえ。古川インター方向に引き返し、東北道(朝は通行止めだったが、開通したことを確認)を北上、平泉の中尊寺と毛越寺へ行くことに決定。

こんな道路でトラブルに見舞われたらそこでアウトになってしまう。

平泉の話はまた明日の朝。

避難警報に起こされる

 いまいる鳴子温泉は宮城県大崎市である。

 午前二時半、友人と私の携帯がけたたましい音を鳴らしたのでとび起きた。宮城県の各地に避難準備警報が出されたという知らせである。川の水位が警戒水位を超えたからだそうだ。大崎市全域もそのなかに含まれる。

 外の雨音が断続的にすさまじい音を立てている。もう寝ているどころではない。

 テレビをつけるとこの地域がオレンジ色の大雨地帯になっていた。三時過ぎに再び携帯が鳴る。今度は避難警報である。避難しなければならないのだろうか。宮城県の道路のあちこちが通行止めで寸断されているようだ。東北自動車道も一部通行止め。海側へ降りていくのは危険なようだ。今日の予定を見直さなければならない。

 この宿は川に近い。橋を渡って温泉街に入る。昨夕橋を渡った時は濁流ではあるがそれほど心配しなければならない様子はなかった。ところがその川が警戒水位を越えたらしい。ただ、ここは川幅も広く、河原もゆとりがある。おそらく安全であろう。だから宿の人も慌てていないようだ。

 ただどこかで氾濫したり冠水したりする場所があるかもしれない。

 雨が収まり、様子がわかるまで出かけるのは待つことにしよう。

 えらいこった。

2015年9月10日 (木)

つなわたり

日光いろは坂が大雨で通行止めだという。それでは金精峠越えをして、中禅寺湖から日光に降りて東北自動車道へ抜けることができない。


朝のテレビニュースを見ていたらいろは坂の通行止めが解除されたという。ホテルでは通行止めだという。

思い切って金精峠へ向かう。賭けだ。万一の時は引き返さなければならない。

雨はそれほどひどくないが峠の前後は濃霧。

中禅寺湖の湖畔を通過すると、いろは坂は通止め解除の表示。やった。

余裕ができたので雨が降る中、華厳滝を見に行く。
カメラが濡れるのがイヤなので傘だけ持って行ったがこれが痛恨の事態に。

観瀑台へ行くエレベーターの係のお兄さんに聞くと、華厳滝は通常の水量は毎分2t、ところが本日の水量は60tだという。しぶきが凄いし雨と霧がひどいのでよく見えないかも知れないです、という。

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これが携帯で撮った華厳滝。ふだんの華厳滝を知っている人にとっては信じられないような景色なのだが、写真ではその迫力が全く伝えられないのがくやしい。とにかく一生忘れられないすさまじいものを見た。

友人と感歎しきり。興奮状態のままいろは坂を降る。

これで日光-宇都宮自動車道路に乗ればそのまま宇都宮インターだ。

ところがその道路が通行止め。まさか!

しかも地道もところどころが通行止めで迂回を余儀なくされる事態に。予定より一時間以上余分にかかってなんとか宇都宮インターにたどり着く。

そこからは快調に走ったのだが・・・。

福島を過ぎてしばらくしたら猛烈な雨。全く前が見えない。それからは断続的にその豪雨の中を走り続ける。

今晩の宿に着いて、ニュースを見たら通過した場所のあちこちでたいへんな被害となっているではないか。すれすれのところで危ない所を切り抜けてきた。そういえば東北自動車道で鬼怒川を渡った時、川幅一杯に濁流が轟音を立てて流れていた。あれでは下流はたまらない。茨城の常総で鬼怒川の堤防が決壊したのも頷ける。

今晩は宮城県の鳴子温泉郷・川渡温泉。宿泊している宿は昔からの旅館らしい旅館。料理も風呂も好い。むかし母と泊まったことがある。

外はいまも大雨が降っている。明日の朝まではこの調子らしい。

明日は牡鹿半島へ、むかし友人と泊まった半島の突端、鮎川浜の民宿の震災後の様子を見に行く。昨年も訪ねている。金華山の見える港なのだが、壊滅的な被害を受けた。

そのあと花巻温泉に宿泊する。明日の午後には雨は上がるらしい。上がって欲しい。神様お願い。


暗雲ただよう

今朝の老神温泉は小雨。

テレビをつけると栃木方面は大雨特別警報がでているという。

今年の4月の末に通行止めで行けなかった金精峠から日光への道(国道120号線)を再度チャレンジしようとしているのだが、はたして通れるだろうか。中禅寺湖を見て、宇都宮へ抜け、東北自動車道を北上するつもりだが、まさにそのコースに沿って大雨予報が・・・。まさに暗雲がただよって・・・いや暗雲たちこめる、だろうか?

Dsc_5329 窓からの風景

Dsc_5333 眼下に片品川の支流が轟音を立てて流れているのだが、木の繁みでよく見えない

2015年9月 9日 (水)

思わぬアクシデント

 友人が「晴れ男(私のことです)の威力畏るべし」と感歎するほど、本日の出足は絶好調であった。名古屋から中央高速に乗り、走り出したらなんと青空が見えるではないか。本日の目的地は群馬県の老神温泉。赤城山の北側、定宿のバイキングの温泉ホテル。

 しかし好事魔多し、岡谷ジャンクションの手前で、佐久の前後で通行止めのため、長野道には行くな、というカーナビのご託宣。そのまま中央道を東京に向けて走り続ける。快走。ところどころ雨も降るがおおむね晴天である。台風なんてどこ吹く風。

 このまま八王子ジャンクションから北上し、圏央道から関越道に行けば楽勝、と思っていたら・・・・。八王子ジャンクション手前で事故があったとの情報。渋滞は如何に。しかし多少は渋滞したものの何ほどのこともない。

 しかし、しかし、・・・ジャンクションへの流入は不可。大雨で通行止めだという。

 しかも東京方面は事故渋滞13キロの表示、降りるしかない。仕方がないから八王子インターまで行って降りる。圏央道は「あきるの」より先の北側なら行けそうだ。16号を進み、横道などを使って、うろうろしなから通行止めの先の圏央道に乗ることができた。 

 雨が激しく降り出したが、あとは一気呵成、一時間以上の遅れを一気に挽回。たちまち関越道へ、そして沼田インターへ。

 沼田インターを降りて、国道120号線を東へ。

 進行方向の東を見ると虹が。

 とてもすばらしい完全な虹であった。運転していたので、写真はない。友人は虹に感激していたけれど、私の代わりに写真など撮る御仁ではない。「きれいだねー」で終わり。

 部屋は片品川の渓流を見晴らせるいままでで一番良い部屋(もちろんやや高い)。しかし、今日は濁流の流れる川音が・・・うるさい。

 バイキングのビールと酒でいささか酩酊。友人と談論風発。

 友だちって好いね。しあわせ!

台風18号来たる

 雨が降れば大雨を、風が吹けば大風を、もし自分が安全で被害の恐れがなければつい期待してしまう。大人げない。

 今日から北への旅に出かけるつもりなのになんたることか、台風が名古屋を直撃しそうだ。いままでの大雨大風への願いをこんな時に叶えてくれることはないのに恨めしい。

 昨晩、友人が大阪から心配して電話してきた。今朝大阪から近鉄でやってくるので、名古屋で拾って出発の予定なのだ。雨天決行、荒天でも決行。どうせ車だ、雨に濡れることはない。それに今日は移動がメインだ。

 明日は雨は上がる、上がるはずだ、上がると思いたい。

 さあ朝飯を食べて、仕度をするぞ。

2015年9月 8日 (火)

村上陽一郎「科学者とはなにか」(新潮選書)

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 著者は科学史と科学哲学専攻の東大教授。科学がキリスト教という宗教と不即不離の出生でであることをこの人の本で知って、目からウロコが取れる思いをして以来著作を何冊か揃えていて、ときどき読む。

 今回は特にこの本の中のSTAP細胞問題に関連する部分(第5章「その倫理問題」)を興味深く読んだ。この本が出版されたのは1994年だから、もちろん小保方さんのあの事件が起きるずっと前で、直接STAP細胞のことが書かれているわけではない。それなのにまるでそれを予告しているように読めないことはない。

 あの事件は意図的なデータ捏造があり、論文は取り下げられ、まちがいである、という結論にほぼ落ち着いているようだが、釈然としないところがある。そもそも論文に書かれたことが画期的であれば、必ず第三者によって検証が行われることは、科学者なら知らないはずがない。完全な捏造ならすぐそれは暴露されてしまう。

 いまわかっていることは、STAP細胞とされていたものが、外部から紛れ込んだES細胞だったということである。実験中に誤って汚染され、紛れ込むことはないとは言えない。しかしあり得ない結果が出たなら繰り返し確認作業をしたと思われる。その際に汚染による混入についても細心に注意したことであろう。

 いま疑われているのは、誰かが故意にES細胞を紛れ込ませたのではないか、ということである。これなら繰り返し結果が同じになる可能性が大きい。そうなると結果優先で、裏付けのデータをそれに合わせてしまうということが起こりえる。そのことについてこの「科学者とはなにか」という本の中で「研究における不正、データの捏造」という文章の中に詳しくそのメカニズムが記されている。

 これは小保方女史の行動を正当化することではないが、研究者の陥りやすい陥穽である。ここで著者は一転してノーベル賞の役割は終わったのではないか、とその問題点を提起する。その論理の流れを説明しようとすると私の手に余る。ただ言わんとすることはわかる人にはすぐわかるはずだ。

 この本では原爆の開発に科学者がどう関わり、アインシュタインをはじめ主要な科学者がどう行動したのか、それが詳細に紹介されているので、あわせてそれも興味深い。

 できてしまったものをなかった昔に戻すことはできない。できないけれども、人類は自分で制御できないものを手に入れてしまったことに対して、対応策をいまだに見つけ出せずにいる。科学とはなにか、科学者とはなにか、あらためて考えさせてもらった。

ニュースを見て

 香港のメディアの「中国人民代表大会常務委員会は、刑法を改正して、女性や子供の誘拐・人身売買について、一律に刑事罰を適用することを決定した」というニュースを見て仰天した。いままでは刑事罰が適用されないことがあったということだからだ。

 公安部(警察)の幹部の話では「今後は誘拐された女性・子供を買ったものは罪に応じて処罰される」と明言したそうだ。

 中国で女性や子供の誘拐が絶えない理由の一つが、現在の刑法では「購入は無罪」、「買い手はリスクなし」と思われていたし、事実そういうことが多かったからだそうだ。買い手が存在するから人身売買業者がなくならないし、一つの産業になっているのだそうだ。なんと恐ろしい国だ。

 中国の外貨準備高が大幅に減少している。八月末の時点で、一ヶ月に939億ドル減少し、総額3兆5574億ドル(約424兆円)になった。

 これは最も多かった2014年6月の3兆9932億ドルから見て4000億ドル以上の減少となっている。額が大きすぎてわかりにくいが、一ヶ月で10兆円以上、一年で50兆円近いドル売り元買いがなされたと言うことだ。

 元を切り下げて輸出にドライブをかけようという動きと、ドル売りして元買いをする動きとは矛盾するのではないか。よく分からない。なにか中国でたいへんなことが起きようとしているのではないか。昨日も四日連続して上海株式が下がった。

 ところで消費税10%への引き揚げにあわせて公明党が軽減税率導入を強硬に主張してきたが、酒類をのぞく飲食料品について還付方式で実施することが検討されているという。何でこんな面倒なことをしようとするのか。ただの嫌がらせとしか思えない。せっせと税金を集めて、生活に困っている人に配分すればいいだけではないか。

2015年9月 7日 (月)

気分転換

 今日は朝からぼんやりしていた。気分が乗らない日というのがある。本も読まず、映画も観ず、昼寝をするでもなく、時がゆっくり過ぎていくのにまかせる。考えてみればぜいたくな話だ。

 しかし夕方になったらさすがにぼんやりしているのにも飽きてきた。そこで行かなければと思いながら先延ばしにしていた散髪に出かけることにした。

 思い切ってさっぱりと丸刈りにしようと思わないこともなかったのだが、刈りあげの短髪で留めた。これでシャンプーがさらに少量で済むようになった。しかし丸刈りならシャンプーがいらず、石けんで良くなるのに・・・。つぎこそ丸刈りにしよう。

 明後日の9日から友人とドライブ旅行に出かける予定なのだが、天気予報を見るたびに予報が悪化していく。私は比較的に晴れ男だ。予報が雨でも現地に着くころにはあがることが多い。してみると友人が雨男なのか。

 今回は台風まで飛び入りしてきた。しかし私の念力で天気を改善してみせる。台風により、秋雨前線が吹き飛ばされ、天気が良くなるはずだ。

池上彰「おとなの教養」(NHK出版新書)

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 いまは揃って幽明異にすることになったが、私の両親はNHKの「こどもニュース(確か日曜日の六時頃放送していたと思う)」が好きで、笑点を見て、普通のニュースを見て、つぎにこれを見ることをたのしみにしていた。そのときのキャスターが池上彰であった。

 こどもニュースという番組を任されて、多分忸怩たる思いもあっただろうに、真剣に、しかもとことんわかりやすく努めたことで、この番組は隠れた人気番組になった。私の両親に知らされてから私も必ず観るようにしていた。

 NHKを辞めても、それが彼の財産になっただろうと私は思う。誰にでもわかるように、誰でも知っているはずのところからきちんと説明していく、という手法は、誰にもありがたいことであったのだ。実はみんな知っているような顔をしていても、よく知らないことが多いのだ。

 今池上彰は東京工大の「リベラルアーツ」の教授である。リベラルアーツとはなにか。それがこの本に書かれている。この本に書かれているのは、リベラルアーツの意味と、リベラルアーツを学ぶ意味である。

 「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」と副題にある。それがリベラルアーツを学ぶ意味ということであろう。「私さがし」というのに似ている。多分そう勘違いする人も多いだろう。しかし全く違うことに気がつかなければいけない。

 世界を知るということがリベラルアーツなら、それは自分が世界を認識するための座標原点を知る営みである。世界と自分との関係を考え、それを総和することで自分の依って立つ座標原点を定めていく、それがリベラルアーツの意味であると私は思う。

「自分探し」をする人は、どこかにある自分の座標原点を捜すひとである。そんなもの、どこにもありはしない。自分と世界との関係を不断の努力で位置づけることに依ってしか自分の座標原点など獲得できるものではない。

 その違いがわかっていれば、教養とはなにか、それが自分にどんな意味があるのか、そんなことは自明であろう。

2015年9月 6日 (日)

江藤淳「幼年時代」(文藝春秋)

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 文字通り、この作品が江藤淳の絶筆である。江藤淳なんて知らない、と云う人が多いのだろうなあ。

 1932年(昭和7年)生まれの江藤淳は、1999年(平成11年)愛妻の死後一年で自裁した。六十六才。驚愕した。驚愕したけれどそれもありか、と思った。

 この本の前半は表題の作品で、後半は(弟子であった)福田和也、吉本隆明、石原慎太郎の追悼文。特に石原慎太郎の追悼文は胸に来る。

 思うところがあって久しぶりに読み直したのだが、われわれが、つまり日本が失ったものの大きさをあらためて実感した。

 できれば「幼年時代」の本分の、プロローグの部分を引用したい所だが、やめておく。

 江藤淳はいかにも右派の論客のようにみなされているが、世にはびこる右派とは画然と違う。その違いをうまく説明できないことがもどかしい。

 論文「閉ざされた言語空間--占領軍の検閲と戦後日本」を私は苦労して読んだ。苦労して読むことの面倒を乗り越えて、読むことの意味を感じるというよろこびを知った初めての経験だったかも知れない。言論の自由とはなにか、それを知ることができたと思っている。だからマスコミの言葉狩りに強い危惧を感じることができる。

「幼年時代」は幼くして喪った母を想う著者が、いろいろ残されたものから自分の幼年時代を回顧する、という体裁だが、深読みすれば、母との別れはそのまま癌で死んだ愛妻との別れの哀しみとオーバーラップする。

 残されたものはそこから想像するしかない。

 筑摩文庫から「江藤淳コレクション」全四巻・福田和也編がでていて拾い読みしてきたが、一度腹を据えて読み直したいと思っている。

ニュースを読む

 厚生労働省のメタボ健診のデータがシステムの不備で活用できないという。検診データの書式の不一致が原因らしいが、データの書式を揃えない、などというのはお粗末というレベルを超えている。そもそも厚労省はこのようなお粗末を繰り返している省庁だという印象がぬぐえない。たるんでいるし、無責任きわまりない。

 厚労省は、実は最大の国家予算を扱っている省である。つまりここがお粗末であるということは最も国家として無駄が生じている省である可能性があるということだ。そのことの自覚が厚労省になく、厚労大臣になく、そして国民にもない。

 維新の党と民主党が合流するという。それに合わせて、民主党の若手の中に、民主党を解党して新しい党を模索する動きがあるという。民主党はそもそも理念が全く反対の人々が、同じ党内に存在するという、異常な党だ。解党は必然だけれど、求心力になる存在がないからただ烏合の衆のような状態のままである。

 ただ、橋下徹氏にシンパシーのある議員の抜けた維新の党との合流をきっかけに解党を模索するというのもなんだかタイミングとしてわかりにくい。もっと自発的に解党を考えることができないのだろうか。これでは日本のことを真に考えていると国民に思ってもらえるだろうか。

 日弁連が「左巻き(日弁連内部の一部の若手の言葉)」であることは、国民の多くが以前から強く感じていることだろう。極端な人権主義により、犯罪者の方が被害者よりも優先して扱われていると感じる国民は多いと思う。その若手の弁護士たちが日弁連の政治的発言に異論を唱えているという。

 ところが日弁連はその政治的発言は「政治的ではない」と言明した。民主党の辻元清美議員や社民党の福島瑞穂議員と共闘する日弁連が「政治的でない」といわれてしまうと、そもそも政治的、という言葉が行き場を失ってしまう。言葉が意味を失えば、弁護士の存在の意味も失われてしまうのではないか。

 しかし弁護士にも「左巻き」ではない人がけっこういるらしいことに少し安心。

 トルコのアンカラで開幕したG20での主な議題の一つが中国経済である。中国の株価下落や経済減速が世界に大きな影響を与えているから当然である。初日の4日には各国から中国の政策や現状認識に対して疑念や注文が殺到した、と伝えられている。

 中国は自由主義国家ではない。しかし自由主義国家のような顔をして、AIIBを発足させようとしている。中国は弁明に努めたようだが「納得はできなかった」と麻生財務大臣が不満を述べたように、各国は釈然としなかったようだ。そもそも違うルールで同じグラウンドで試合をしているのだもの、当たり前だろう。

2015年9月 5日 (土)

ニュースを見て

 元社会党で、元首相であった村山富市氏は戦争反対、絶対的平和主義を唱え、安倍内閣の安保法制にも絶対反対の立場を貫いている。

 その村山富市氏が中国の抗日戦勝70周年記念軍事パレードに招かれて、中国まで行ったのだが、体調不良により救急車で病院に担ぎ込まれて行事に参加できなかった。「記念行事に参加できずに非常に残念」と中国メディアに語った。中国ネット子から村山首相を気づかう声が数多く寄せられて感激しているという。

 戦争反対を高らかに唱えながら軍事力誇示の記念式典に参加するという心性がどうにも理解不能だが、本人には矛盾がないようだ。まさかその矛盾に突然気がついて、慌てて仮病を使って欠席したわけでもないらしい。中華料理のごちそうを食べ過ぎたのだろうか。

 予想通り、つまり思惑通り、中国の抗日戦勝70周年記念軍事パレードに出席したことで、朴槿恵大統領の支持率が一気に20%も上昇し、セウォル号事件の前の支持率にもどった。おめでとう。このまま支持が続くと好いね!ただ、欧米の首脳たちが韓国をどう見たかはまだ報じられていないのでわからない。論評に値しないと思っているのかも知れない。

 ところで、式典のあと、朴槿恵大統領は上海に赴いた。韓国の独立運動家が上海に置いたという大韓民国臨時政府の建物は、1993年になって復元されたが、そのまま改修されず、中国側に放っておかれていたのだが、最近突然中国側が全額を出資して改築し(韓国の設計に基づいているという。しからば改修ではなくあらたに建てられたということだ)、再館された。その再開館式が4日に行われ、そこに出席したのだ。

 上海にあった韓国の臨時政府が抗日戦争を戦った、というのが「光復軍」の神話で、実態などなにもなかったことは、中国も韓国もよく承知しているが、しかし国の成り立ちとしてその神話をかかげてしまった以上、それを飾り立て、言い立てるしかない。

 この神話があるから、韓国と中国は日本と戦って勝利した、として戦勝記念をともに祝えるのだろう。ところで先の大戦のあと、ちゃんとした国家となった大韓民国は中国の義勇軍(実は中国解放軍)とすさまじい戦争を戦ったけれど、それはどうなったのだろう。お互いに戦死者も多かったはずだ。そもそも第二次世界大戦では、多くの韓国人は日本軍として戦い、日本軍と戦争した韓国人はテロリストをのぞけば、ほとんどいない。だから日本軍の攻撃による戦死者もほとんどいない。

 歴史を否定する日本、と日本を非難しながら歴史を否定しているのは誰なのだろうか。それとも中国と韓国は戦ったけれど、いまはこれだけ親密になったとアピールしているのか。そういえば日本に対してオバマ大統領がそんなことを言っていたなあ。

 国連の潘基文事務総長が中国の軍事パレードに列席したことを、日本から「中立性を欠く行為だ」と指摘されたことに対し、潘基文事務総長は中国メディアに問われ、「一部の人は、国連事務総長は中立だと誤解している(?)ようだが、実際にはいわゆる中立ではなく、公正公平なのである」と答えたと報じられた。これに対して中国では絶賛されているというが、私には意味がわからない。

 北京の空は軍事パレード終了後の翌日、一転してスモッグに覆われた。

養老孟司「文系の壁」(PHP新書)

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 理系とか文系とかいう。確かに理科系が得意な人と文化系が得意な人という違いはあるかもしれない。しかし、どちらかというと理科系が苦手だから文系、文化系に価値を感じられないから理系、という面が大きいような気がする。

 かくいう私は工学部という理科系の大学を出ているが、文化系に親和性が高くて、理系というより文系だろうと思っている。母方が理科系ばかりで、父方が典型的な文化系だ。高校の時に、将来を考えれば理科系で行く方がよさそうだと思って理科系を選んだ。実は語学が大の苦手(父は語学系の専門学校を出て、青春時代は中国で暮らし、中国語が得意で、英語の教師だったのに)だったので、文化系は無理だというのが大きい。

 文系とか理系という壁を軽々と乗り越えている賢人たち四人と養老孟司が個別にテーマを決めて対談している。それぞれのテーマはとても重要で興味深いもので、そのテーマについて認識が必ず深まることだろう。

 その内容は、私のつたないまとめ方を見るよりは、読んでもらう方がずっと好いと思う。

 それよりも、わざわざ「文系の壁」と表題にしていることの意味を考えてみた。これは文系に壁があって、理系の人がそれを苦手にするということとは違う。逆である。文系の人は自分が文系である、という壁を繞らせていることが多い。そのために、理系の思考様式で社会を捉えるということができないことが多い。

「理系の対話で人間社会をとらえ直す」というこの本の副題がそれを示している。

 理系の人は文系が苦手、ということをあまりいわない。文系の人に、しばしば顔をしかめて理系が全く理解できない、というひとがいるのは誰でもうなずくことだろう。

 そもそもそんな壁などないのだ。そもそも人文科学も社会科学も自然科学もみんな同じ哲学という学問から派生している。できればオールラウンドに目配りが出来れば良いけれど、なかなか難しい。

 壁はあると思うからそこに生ずる。著者の一世を風靡した「バカの壁」という本の意味はそこにあると私は思っている。世の中に「バカの壁」は数々あって、私もそれに陥ることも多いけれど、それは外的な存在ではなく、自分の内部にあることを知り、乗り越える努力が必要なこともあるのではないか(無理なことが多いけれど)。   
 世の中、案外知らなかったものにこそ面白いものがあるものだ。

コールタールの海

 モバイルルーターはコールタールの海を泳ぐようなもどかしさながらなんとかつながるようになった。多分30Kバイト/秒くらいのアクセススピードであろうか。

 たのしみにしていつも拝見している方々のブログを見るのにとても時間がかかるが、なんとか見ることはできる。写真が多かったり、動画があったりしているとちょっとつらい。njftyに張り付いているCMが重くて、如何にわずらわしいか実感している。

 これではいくら何でもかなわないので、モバイルルーターがあれば不要だと考えて止めていたフレッツ光を再契約した。しかし工事は最短でも18日だという。二週間もこの状態に堪えなければならないのか!ただ、来週後半は友人と北の方へ旅に出るので、旅先にLANがあれば助かるが、たいてい安い田舎の宿ばかりを予約しているので、どうだろうか。

 モバイルルーターはXi(イクシィ)という高速通信なので本来不都合はないが、先月も月末に往生したように、通信量が7Gバイトを越えると128Kに自動的に落ちてしまう。それを越えるような(そこまで大きいとは思っていなかった)通信をうっかりしてしまい、途中でフリーズ状態になってしまってからこんなことになった。うかつであった。内心危惧はしていたのだけれど・・・。

 時間さえかければ通信はできるようになったのでブログは休止しないで続けられそうです。

2015年9月 4日 (金)

モバイルルーター不調

モバイルルーターが不調でネットアクセスが極端に遅くなってしまいました。

どうするか思案中。
申し訳ありませんが、しばらくブログを休止することになるかも知れません。
この文章を流すだけでもたいへんでした。

礼儀知らず

 先月末、カザフスタンで行われた世界柔道選手権の団体戦で、韓国の選手たちがきちんとした礼をしなかったことを、日本のメディアが取り上げて批判した。

 そのことを韓国のネットユーザーがさまざまにコメントしていた。

 韓国選手たちの礼儀がきちんとしていないことを嘆くまともなものもあるが、
「日本は礼儀をいう資格がない。礼儀を重んじるならなぜ韓国を侵略して略奪したのだ」
「柔道は口でするな。日本は体裁ばかりだと世界に知らせてやれ」
「歴史を否定する日本には頭を下げる必要はない」
などのひどいものが多いという。しかし礼を失していたことは認めざるを得なかったのだろう。

 こころは形にあらわれる。だからまず形としての礼を重んじる、というのが東洋の考え方だ。多分西洋だってそうだろう。ましてや韓国は礼儀を重んじる儒教の国といわれている。

 「日本には頭を下げる必要はない」というけれど、はたして頭を下げなかったのは日本に対してだけだったのだろうか。そもそも、どこの国に対しても頭を下げなかったのかも知れない。

 きちんと挨拶することを教わらない韓国選手は、世界の恥さらしになっていることを、選手はもちろんこのネットユーザーたちは気づくことができないらしい。

 ただの負け惜しみとは思うが、何でも歴史認識で免罪される、と思い込まされているとすれば、韓国の将来は危うい。

長谷川慶太郎「ロシア転覆、中国破綻、隆盛日本」(実業之日本社)

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 AIIBは破綻する、と長谷川慶太郎は断言する。ことによったらまともに発足しないかも知れない。日本もAIIBに参加すべきだ、という少なくない意見があるが、当初から私も、参加しても日本には全く良いことはないだろうと確信している。中国の独断専行が見え見えだからだ。そういう国なのだから仕方がない。

 中国は最近ため込んだアメリカ国債を売り続けている。大きく水をあけられていたはずの日本の方が、いつの間にか中国を抜いて保有高がまた世界一になった。これではアメリカも日本にすり寄らざるを得ないだろう。だからアメリカは日銀による日本の円安誘導を黙認せざるを得ない。

 長谷川慶太郎は、はやければ年内中にプーチンが大統領職から降りるのではないか、と予測する。原油安とルーブル下落のダブルパンチで、ロシアの外貨残高が遠からず底をつくことになりそうだ、というのだ。そうなるとロシアをインフレが襲うことになり、プーチンの80%を超える支持率も一気に低下し、混乱が起こるだろうという。すでにロシアでの車の販売台数の激減などに兆候が現れている。原油安はロシアがターゲットであることは歴然としている。

 7%を維持しているという中国のGDPの統計値が事実を表していないことは再三指摘されている所だが、著者は電力消費量の統計値や物流の統計値からみると、3~4%あるいはマイナスの可能性もあるとみる。中国が7%の成長にこだわるのは、それ以下だと雇用が大幅にマイナスとなり、社会不安につながるからだ。現に若者の失業者が大量に発生している。

 中国は生産設備過剰により、在庫の山になっているという。自動車の中国国内生産台数はなんと年間5000万台、しかし2014年の販売台数は2500万台だ。なんと2500万台が在庫となっているとみられている。他も推して知るべし。上海株下落には理由があるのだ。

 中国の電力消費の落ち込みの影響で、モンゴル経済が極端に冷え込んでいる。モンゴルの主な輸出品である石炭の価格下落が著しい上に中国輸出がほとんど止まっている状態だからだ。中国の火力発電所は石炭が使用されることが多いのは御承知の通り。

 中国に進出した日本企業は可及的速やかに撤収をはかるべき時だろう。それなのに伊藤忠商事は巨額の投資をきめた。これが伊藤忠に大きな禍根を残すことになるおそれが大きい。あの日本大使の公用車の日章旗強奪事件は丹羽宇一郎大使の時のことである。丹羽氏は周知のように伊藤忠商事の社長であり、会長であった。伊藤忠商事には中国になにか引くに引けない弱みでもあるのか、単なる判断ミスなのだろうか。

 その中国に韓国はすり寄っている。しかし韓国は、貿易収支は大幅黒字なのに、手持ち外貨残高の増加はほとんどなく、ついにマイナスに転じたと報じられている。企業の収益は大庭に下落している。中国向けの輸出に力を入れれば薄利販売を余儀なくされるのは当然だ。

 今のままだと再びデフォルトの危機が迫る可能性が出てくる。前回は日本とのスワップで切り抜けたけれど、まさか日本を頼るわけには行くまい。前回の恩を仇で返すようなことを続けた上に、日本が継続を提案したのにそれを蹴ったのだから。では中国に頼るか。日本と違って、ただというわけには行くまい。在韓米軍基地撤去でも条件に出してきはしまいか。それともさすがに中国もない袖は振れないかも知れない。

 これらの国が失調すれば日本の株価も下がり、日本の経済にも悪影響が出るのは必至だが、長谷川慶太郎先生は、日本は心配ない、とおっしゃる。株価が下がっても、私は投資などしていないから関係ない。おごれるものが久しからざるのを笑ってみるだけである。

2015年9月 3日 (木)

自画自賛

 中国の抗日戦勝70周年記念行事が盛大に行われ、中国メディアはそのすばらしさを絶賛した。韓国メディアも朴槿恵大統領が習近平主席の向かって右側、左側のプーチン大統領の次に位置する招待首脳の序列二位であることを大々的に賛美した。

 考えてみると、この三国は世界の経済失調の中でも、最も深刻な国々である。同病相憐れむ図のような、哀れな勢揃いと言えなくもない。

 この三人、あのときが華だったなあ、とあとで回顧することになるのではないか。

 習近平主席は、人民解放軍の30万人削減を発表した。このことが単純に世界平和に寄与する、と喜ぶわけにはいかないだろう。今は兵隊がいなくても戦争はできる。それよりも軍事費削減が目的だろう。それだけ中国経済は深刻なのではないか。

 いま長谷川慶太郎の「ロシア転覆、中国破綻、隆盛日本」(実業之日本社)という本を読んでいる。想像している以上にロシア経済や中国経済の内情は深刻であるようだ。そして韓国はその中国にすり寄っている。

 このセレモニーを終えたら朴槿恵大統領はアメリカに行く。アメリカに対して自分の立ち位置をどのように説明するのだろう。朴槿恵大統領はバランス外交に自信があるようだが、世界のパワーバランスに対して的確な認識がないとバランス外交などできるはずがない。朴槿恵にそんなバランス感覚があるとは思えない。

半島統一が進展するかも知れない

 今日(九月三日)の中国抗日70周年式典に先立ち、昨日習近平主席と朴槿恵大統領の首脳会談が行われた。今回習近平首相が単独で首脳会談を行うのは朴槿恵大統領とだけ。

 その席で、朴槿恵大統領が「南北平和統一の早期実現」を訴えたのに対し、習近平首相は「韓半島(朝鮮半島)の平和統一を支持する」と答えている。言葉通りなら朝鮮半島統一の可能性が具体化しそうな話である。

 中国は北朝鮮をバッファ(緩衝地帯)として、存在の意義を与えてきた。もし北朝鮮が崩壊すれば、米軍基地のある韓国と直接対峙することになる。それはアメリカと直に接するということである。

 しかし習近平は、韓国が親中国を明確に打ち出すなら、別に朝鮮半島が統一してもかまわない、北朝鮮のバッファの意味はなくなる、と答えたのだ。

 それは先般の国境での、北朝鮮の地雷爆発事件による緊張の際の、中国と韓国の水面下の交渉で、すでに確認されたことなのであろう。朴槿恵大統領が中国の抗日式典に参加することに危惧を覚えた北朝鮮の恫喝に対して、中国の支持を取り付けた朴槿恵大統領は強硬な姿勢で北朝鮮との交渉に臨んだ。

 北朝鮮は全く立つ瀬のない状況に追い込まれた。金正恩は近頃しきりに南北統一を示唆する言葉を発している。本音のところでは、自分たち金王朝一族の身柄の保障さえあれば、韓国に降ってもかまわないのではないだろうか。

 朝鮮半島統一は絵空事ではなくなりつつあるようだ。それに人気が低落した朴槿恵としては、南北統一くらい国民からの人気回復に寄与する話はない。無能な大統領という評価から、一気に救国の英雄になれるかも知れない。それなら多少の北朝鮮の言い分を受け入れることぐらい安いものだと考えるだろう。

 中国にとっては、北側に向いていた韓国のミサイルが南東側に向きを変えるのは願ってもないことだ。北朝鮮の核についても、中国に向かうことさえなければ、統一朝鮮が保有してもかまわない、くらいのことは朴槿恵に約束しているかも知れない。

 つまり中国は、北朝鮮という危うい国だけではなく、朝鮮半島全体がバッファになるという、願ってもない状況を期待している。

 米軍の基地の存在に対して、今後韓国がどのような態度をとるか、ひところ過激な行動のあった基地反対運動が再燃するかも知れない。それに連動して沖縄基地反対運動も激化するだろう。韓国に火種は山ほどある。

 こうして北朝鮮も韓国もミサイルの照準を日本に向ける。

 朴槿恵の親中国、反日政策は南北朝鮮統一を推進させるけれど、同時に日本の危機を急激に高めることになるのではないだろうか。

 そんな風に考えるのは妄想か?

 ただし、南北朝鮮統一は、実際にどれだけの混乱をもたらすか、その覚悟なしにポピュリズムでそれを推進するくらい韓国にとってわざわいはないと思うけれど、朴槿恵はそんなこと考えようとしない。そのことが恐ろしい。

呉善花「朴槿恵の真実(哀しき反日プリンセス)」(文春新書)

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 朴槿恵という女性について、書いてあることと書かれていないことがあるだろうとは思う。そもそもすべてを書くことは不可能だ。とはいえこの本で、朴槿恵という人の行動の不可解さの多くの理由がある程度理解できた気がする。

 普通の日本人は、当初朴槿恵が大統領になることによって、李明博大統領の突然の極端な反日行動が是正されるのではないかと期待した。李明博が保身のために是日(親日は韓国ではあり得ない)から反日に豹変したことは、韓国人以外にとって明白なことで、朴槿恵新大統領がそれ以上の反日言動をするとは想像もできないことだった。

 人は理解できないとその理由を求める。左派の人は当然安倍首相にその理由を求めた。安倍首相が日本軍国化を目指す超右派であるからだというのだ。だが、その側面があってもそれは口実だろう。

 それにしても、韓国という国のためを考えれば、極端な反日は東アジアのパワーバランスを損ない、韓国経済にとってもマイナスが大きい。日本だけではなく、アメリカもそれを危惧している。

 では朴槿恵はなぜそのような反日に固執するのだろうか。外的状況やポピュリズム(韓国民感情への迎合)が理由だろうか。それとも朴正煕という、見かけ上親日的な大統領の娘であることから却って反日を表明せざるを得ないという政治的な保身からだろうか。

 自分がある程度思い込んでいたことと事実はだいぶ違うことを、この本を読んで知った。朴槿恵という人物が意外と利己主義的な人間で、しかも性格的に暗く、厭人的であることが明かされている。これについて具体的な事実が次々にあげられて裏付けられているので、ただの感覚的な見方ではないようだ。

 この時系列でならべられた多くの事実を読んで、あなたならどんな感想を抱くだろうか。

 この本を読んで、韓国との関係は行く所まで行かないと修復は難しいのではないか、などと思ってしまう。韓国経済の凋落からまた日本にすり寄ることがあったとしても、中途半端な融和はさらなる反日を呼ぶような気がする。

 著者の呉善花は韓国済州島生まれ、1983年来日、1998年日本に帰化。拓殖大学教授。ベストセラー「スカートの風」で山本七平賞を受賞している。

2015年9月 2日 (水)

ニュースから

 朝鮮日報が、韓国の8月の輸出額が対前年同月比で-14.7%の大幅減少だったと報じていた。仕向先別では、対日本が-24%、対EUが-21%、中国向けが-9%であった。

 輸出立国である韓国にとって、輸出額の減少は経済的な危機と言えるのではないか。世界が中国の経済減速の影響を受けていると連日報じられているから、韓国の失速も中国の影響かと思ったら、なんと日本向けの減少が一番大きく響いているようではないか。そうでなければ一番額の大きい中国向けの輸出の減少比率より全体の減少比率が大きいわけがない。

 韓国の国を挙げての反日政策、反日姿勢は、日本人の韓国離れを推進することになっている。温厚な日本人もさすがに嫌気がさして、その韓国の反日効果が表面に現れてきたというところではないか。

 つまり韓国は自分の首を自分で絞めているということだ。最近は、韓国が不調になると、なんとなく嬉しい気持ちになるのは韓国の反日のお陰だろう。大人としてはあまり正しい態度ではないのだろうが、どちらかと云えば小人だから仕方がないのだ。

 ポピュリズムによる強硬な対日政策を、どうして朴槿恵大統領がとりつづけるのか、それがよく分からないので、いま呉善花「朴槿恵の真実(哀しき反日のプリンセス)」(文春新書)という本を読んでいる。根の深さがよく分かった。

社会学がわからない

 大学時代、教養(多くの大学で、いまは教養が必須ではないらしい。このことはまた別に考えたいと思っている)で社会学を受講した。社会学とはなんぞや、ということくらいは知っておきたいと思ってけっこうまじめに受講し、ノートも丁寧にとった。しかし一年間講義を聴いても社会学とはなんなのかわからなかった。わかったのは社会学は方法論だけでできている学問らしいということだった。

 もともと相性が悪かったのか、私の空気頭が問題だったのか(多分両方だろう)。結局、社会学とは統計学に過ぎないのではないか、というのが私の印象である。なにを求めるための方法論なのかがついにわからなかったのだ。

 最近拝見するようになったsinzeiさんのブログで、社会学について書いていたのを読んでそのことを思い出した。皆目分からないままのものがあるというのは気持ちの悪いもので、喉に刺さった魚の骨のような嫌な気持ちが残っていた。

 そこで宮台真司や上野千鶴子(敬称略)が社会学者であると知った。そんなことも知らなかったのはうかつなことだが、それで社会学とはなにかが少しわかったような気もするし、ますます社会学がなんのためにあるのかがわからなくなった。

 統計学的に社会を解釈するだけなら学問ではない。取り上げた二人のように、社会を自分が解釈したいように解釈してご託宣を述べるのが社会学なら、新興宗教とどう違うのだろうか。

 (このボンクラ頭で)二人の本を読んで、社会についてなにか新しい見方を得た記憶がない。こちらの非才によるものだとは承知しているが、やはり社会学とは相性が悪いようだ。

2015年9月 1日 (火)

山本七平「人生について」(PHP文庫)

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 ベストセラーとなったイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」という本を出版したのは山本書店。その山本書店の社長が山本七平である。イザヤ・ベンダサンは山本七平その人ではないかとずっといわれ続けていたが、本人は死ぬまで否定し続けた。

 山本七平の全集・全13巻を持っているが、その中の一冊が「日本人とユダヤ人」。もちろんそれだけは著者がI・ベンダサンになっているが。

 この「人生について」という本は、山本七平が読者に対して、人生とはこういうものだ、こう生きなければならない、などとご託宣を垂れている本ではない。自分自身の生い立ちから、自分がその文章を書いている現在まで、つまり自分自身の人生をふりかえって書いたものだ。

 両親が内村鑑三の弟子であり、クリスチャンであったことから、彼もクリスチャンであることが当然として生きてきた。そして招集により、フィリピンへ従軍。大岡昇平の「野火」ほどひどくはないが、それに近い日々を送り、終戦後捕虜としてマニラに収容される。自分でも理由がついに分からないものの、戦犯収容所の一員とされたが、収容所が閉鎖される最後の最後に日本に帰還することができた。

 帰ってからマラリア、結核、胃病で長期にわたり闘病生活を余儀なくされる。

 彼の名著「静かなる細き声」も同様の内容だが、こちらの「人生について」は縮刷版とでもいおうか。

 山本七平は「静かなる人」である。声高になにかを主張したりしない。「空気の研究」「常識の研究」など、日本社会の特質を独自の切り口で淡々と語っていく。その「静かさ」のよってきたるものの原点が彼の人生なのだとわかる本である。

パオロ・マッツァリーノ「『昔はよかった』病」(新潮新書)

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 著者は日本在住の自称イタリア人。あまりに日本人的なので、日本在住の日本人ではないかと思われるが、不明。多分日本人としての視点を外して、イタリア人として日本を見直すという作業をしているのではないか。いいたいことをいっても、日本では外国人ということで大目に見てもらえるし。

 著者の本は二、三冊読んだことがある。日本についてときどき鋭い突っ込みを入れているのがとても面白い。品があるとはいえないけれど、下品ではない。

 「昔はよかった」「いまの若いやつは」というのは大昔からの常套句であるが、いまの方が昔よりよくなっていることの方がずっと多いことを、社会学的に統計資料を駆使して立証していく。

 マスコミは、いまの世の中が犯罪だらけで、格差は世界一拡大している不幸な時代であるかのように警鐘を鳴らし続けている。しかしそれを検証してみると意外な事実がわかってくる。

 こういう使い方をすれば、社会学というのは意味があるような気がする。

 思い込んでいたことと違うことを知る、その意外性をたのしむことができるかも知れない。読みやすい本(読みやすすぎて考えないで読み飛ばすおそれあり)。

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