池上彰「おとなの教養」(NHK出版新書)
いまは揃って幽明異にすることになったが、私の両親はNHKの「こどもニュース(確か日曜日の六時頃放送していたと思う)」が好きで、笑点を見て、普通のニュースを見て、つぎにこれを見ることをたのしみにしていた。そのときのキャスターが池上彰であった。
こどもニュースという番組を任されて、多分忸怩たる思いもあっただろうに、真剣に、しかもとことんわかりやすく努めたことで、この番組は隠れた人気番組になった。私の両親に知らされてから私も必ず観るようにしていた。
NHKを辞めても、それが彼の財産になっただろうと私は思う。誰にでもわかるように、誰でも知っているはずのところからきちんと説明していく、という手法は、誰にもありがたいことであったのだ。実はみんな知っているような顔をしていても、よく知らないことが多いのだ。
今池上彰は東京工大の「リベラルアーツ」の教授である。リベラルアーツとはなにか。それがこの本に書かれている。この本に書かれているのは、リベラルアーツの意味と、リベラルアーツを学ぶ意味である。
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」と副題にある。それがリベラルアーツを学ぶ意味ということであろう。「私さがし」というのに似ている。多分そう勘違いする人も多いだろう。しかし全く違うことに気がつかなければいけない。
世界を知るということがリベラルアーツなら、それは自分が世界を認識するための座標原点を知る営みである。世界と自分との関係を考え、それを総和することで自分の依って立つ座標原点を定めていく、それがリベラルアーツの意味であると私は思う。
「自分探し」をする人は、どこかにある自分の座標原点を捜すひとである。そんなもの、どこにもありはしない。自分と世界との関係を不断の努力で位置づけることに依ってしか自分の座標原点など獲得できるものではない。
その違いがわかっていれば、教養とはなにか、それが自分にどんな意味があるのか、そんなことは自明であろう。
« 江藤淳「幼年時代」(文藝春秋) | トップページ | 気分転換 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- テレビが休みだから(2025.12.06)
- 私の・・・(2025.12.06)
- 『新編 日本の面影』を読み始める(2025.12.04)
- 『二流の愉しみ』(2025.11.30)
- 『列島創世記』(2025.11.19)



コメント