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2015年9月16日 (水)

やったことはやったが・・・

 JRや変電所の放火事件の犯人(マスコミは刑が確定するまで容疑者と言い続ける)が「やったことはやったが、業務妨害とは思わない」と言ったと報じられている。

 こういう人間が世のなかにいることにうんざりするが、うんざりしたからといってすべて排除することなどできないし、存在することを前提に生きていかなければならないのが世の中だ。できるのは自分自身と自分の子供だけはせめてそのような人間にならないようにすることだけである。

 ところで「業務妨害とは思わない」という言葉には強い不快感と違和感を感じる。犯人の野田某の世界観では世の中の仕組みは自分がきめる、という狂気を感じるからだ。

 業務妨害かどうかは世の中の仕組みの中でおのずから決まることで、野田某がきめることではないのはいうまでもない。

 どうして野田某のその言い方がそんなに不快なのか。しばしば世の中で当たり前にその論理で物を言う人間を目にし、耳にするからである。

 究極的には世界は自分のためにある。自分が死ねば世界は続くかも知れないが、自分にとって世界はなくなるのだから。

 しかしそれは自分以外の人にとってもそうであることは誰でも知っている。自分ひとりで完結して完全自立で生きるので無い限り、他人と折り合いをつけて生きるしかないのがこの世の中である。

 それなのに、人権、人権、自分の権利、という錦の御旗が、いつの間にか自己中心的な、他人に配慮することのできない人間を次々に生み出している。人口が増えて、人間がひしめいて、社会と自分との関係にバランス感覚が必要なのに、却ってそのバランスを無視する人間が目立つようになったのはなぜなのか。

 欲望をむやみに刺激し、その欲望の達成が幸福なのだとテレビCMはわめき立てる。

 話を戻すと「業務妨害だと思わない」と言う彼の言葉から推定されるのは、自分の考える正義のための社会への報復であるという考え方だ。それならそもそも社会のルールを自分は認めないということなのだろう。

 正義の行為であるから、少しも犯行を隠した様子がなく、ネットに自分の行為を顕示するような書き込みまでしている。犯行時の服装もわざわざ赤い自転車、黄色い帽子、と目立つものを着用している。

 多分英雄的行為だと思い込んでいるから、いつまでも自分が犯人であることが判明しないことが歯がゆかったのではないか。しかし捕まってみれば、誰も彼をたたえないし、非難する。彼にとって心外なことにちがいない。

 恐ろしいのは模倣犯の出現である。どうしたらこのような輩を押しとどめることができるのだろうか。

 共産党や社民党なら「社会に問題があるからだ」と言うだろう。いまなら民主党が一番そう言うだろうか。それが犯人の考え方によく似ているのが奇妙ではないか。

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