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2015年9月25日 (金)

姜尚中「悪の力」(集英社新書)

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 新書を読むのは読書とは言えない、という考え方もあろう。確かに本と格闘するというより、短時間に読み終わる程度の適度な長さと内容は、メインディッシュというより間食とみなされるからだろう。

 しかし間食でも十分空腹が満たされれば立派な一食である。重い本が読みづらくなった。それは自分の衰えだろうか。それもあるけれど、以前は格好づけに歯ごたえのある本を読んでいたような気がする。だから読了することにこだわって字面を追うだけになりがちだった。

 それが幸いなことに、最近は意味を多少は読み取れるようになってきた。これは量を読むことにこだわることがなくなって、考える、ということが少しできるようになったからであるし、新書などで基礎的な知識と自分の知らなかった新しい視点を教えてもらったからでもある。

 それらは、ブログを書く、ということが大きく寄与している。書くためには意味を考え、読む人のことを考えなければならない。それを意識することが、わずかながら自分をレベルアップすることにつながっているのだろう。ありがたいことである。

 肝心の本のことである。

 世の中には悪が充満している。そもそも悪とはなにか。悪や正義がしばしば相対的で、時代や地域で異なることは驚くほどである。しかしながらそれでも、これだけは間違いなく悪であろう、ということがあると思っていたのに、いまはその歯止めを楽々と乗り越えてしまう事件がしばしば起こる。

 これがいままでもあったことなのか、最近特に増えたのか、いろいろな論があり、実際のことはわからないが、人間の心の闇を覗くような思いがすることも多い。

 この本では、そのような具体的な悪の例(たとえばオウム真理教の事件など)を取り上げながら悪とはなにかが論じられている。 

 さまざまな考察が述べられているものの、いまひとつ、だからなんなのか、という気持ちがぬぐえない。人間の原罪というものに言及もしているのだが、悪を論ずるには自分自身をその論に含めなければならなのに、その点が不十分だからではないか、という気がする。悪を客観的に語りすぎると心に響かない。

 損得よりも自分の悪を抑える心を涵養すること、他人も自分と同じように生きていることを感得すること、それがとりあえず正しい生き方と思うしかないではないか。悪の心があっても実行したりせず、しかも大きな悪に被害を蒙ることがない人生が送れるのは好運であると思う。

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