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2015年10月 1日 (木)

大垣④

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大垣は芭蕉の奥の細道のむすびの地。

今回の目的の一つはそれを訪ねること。

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むすびの地に芭蕉翁の像と、この「蛤のふたみに別行秋ぞ」の句碑がある。これが奥の細道の最後の句である。

ここはまた川の港でもあった。

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これは船町港と呼ばれたこの場所に、標識と夜間の目印をかねて建てられた「住吉灯台」。

川を挟んで向かいに「奥に細道むすびの地記念館」がある。奥の細道と芭蕉に関連した資料があるかと思ったら、それはごくわずかで、どちらかというと大垣市の観光館で、土産物がたくさん売られていた。

日本酒を買おうかどうか迷ったが、歩きでお酒という荷物は重い。車で来たときに買うことにする。

大垣は水の都である。良い水が豊かに湧き出れば美味しいお酒が造られる。大垣は美酒の地である。

わたしが毎年蔵開きに訪れる津島の地も酒造会社の多い場所である。実は大垣の酒蔵が津島へ移って開いた酒蔵が多いのだ。

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記念館の庭のなかにこのような建物がある。

右側の大きな葉の植物は芭蕉。しかも奥の細道むすびの地であるから、当然この藁葺きの屋根の建物は芭蕉庵だと思うではないか。

眺めていたら「もっと近くで写真を撮ったらどうか」と声をかけられた。ボランティアでガイドをしている方らしい。

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芭蕉、つまりバナナである。この花はもう一年近く咲いていて、花が終わるとその幹は枯れてしまうという。触らせてもらったら重くて固い。

大垣は伊吹おろしでけっこう寒いところである。良く芭蕉が育ちますね、というと、建物の間で風よけになっているからだろう、という。

そしてびっくりした。この建物は芭蕉庵とは関係がないそうである。この建物は小原鉄心という幕末の大垣藩の人の建物で、ここへ移築したものだそうだ。小原鉄心は佐幕派であった大垣藩の藩論を単身で勤皇派にまとめ上げて、藩を滅亡から救った人物だそうだ。

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建物の様子から、多分小原鉄心の隠居所であったろうか。

いろいろ幕末前後の大垣の話を教えてもらう。わたしと同年か、やや年上と思われるこのガイドの人に、声をかけてもらって教えてもらわなければ、芭蕉庵だと勘違いしたままであった、ありがとうございます、と謝すと、嬉しそうに笑った。

先日同じように声をかけたら、奥の細道のむすびの地を訪ねて福島から来た人で、大垣が勤皇派に転じた話を聞くと不快な顔をして閉口したそうだ。会津の人だったのかも知れない。

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帰り道、違う道筋を歩いていたら、湧き水がこんこんと湧いている場所があった。これこそ大垣。

ゴム手袋でせっせとなにかを洗っているおばさんがいた。なんだろうとのぞき込んだら、銀杏だった。

おまけ。

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往きの道では裏からしか見なかった濃飛護国神社を表から。

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その前の公園で見かけたキノコの木陰。

わずか四時間足らずの徒歩散策だったが、大垣は思い出の地の一つになった。運動のためにもこういう散歩をこれからもっとしたくなった。

これで大垣はおしまい。

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コメント

青いバナナの写真と垂れ下がった花に一票。まるで・・・この地にふさわしく・・手を結んでいる(握手)ように見えました。

かすみ風子様
一票、ありがたくいただきました。

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