訃報を聞く
先輩が会社で縁のあった人の訃報を知らせてくれた。こちらがはったりでいい加減なことを言うと、ぎょろりと目をむき、口をへの字に曲げるので最初はちょっと怖かった。まじめな人だが、感情的に怒ることはない。好き嫌いの多少ある人だったが、どういうわけかかわいがってもらった。もうその人から毎年来る丁寧な年賀状をもらうことはないのだ。
その連絡を友人にしたら、別の知人の訃報を知らされた。こちらは私より若い人だ。どうして亡くなったのか分からない。来週会う兄貴分の人がかわいがっていた若手で、葬儀に参列したという。
年賀状を整理していて、そういえばあの人からはもう来ることはないのだ、と云う人が何人かあった。身内ではなく、当人の訃報が次第に増えていく。年末にかけてまた何通か知らせが来るだろう。
写真の整理が一段落したので(終わったわけではない)日帰りドライブにでも出かけようかと思う。飛騨の山はもう紅葉しているだろうか。
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こんにちは
先日は私のブログをご覧いただき感謝致します。
本を処分したのは数日前ですが
あの一種形容しがたい”寂しさ”は何なのでしょうか?
売られる本への愛着なのでしょうか?
考えさせられます・・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2015年10月23日 (金) 14時29分
shinzei様
本への執着がなくなったらもう私もありがたくなったということだと思っています。
しかしいかんせん物理的に読了が困難な本の山があるのは何とかしなければ、と思っています。
それは自分のためであるとともに、残され者たちのためでもありますので。
投稿: OKCHAN | 2015年10月23日 (金) 19時45分