ぼんやりしている
毎度のことながらぼんやりしている。世の中は三連休ということで、にぎやかなのかも知れないが、こんなときは外出しないからわからない。
先日の、離婚調停のために弁護士と千葉まで出張した費用の請求が来たので近くの銀行に振り込みに行った。費用について説明は聞いていたけれど、いまさらながら高額であることに驚く。
なにかにせかされないと本を読む気がしないというところがあって、ぼんやりしている暇なときほど本があまり読めない。学生時代、明日が試験、などというときほど本に集中できた。早く寝なければいけないときなど、本をたたむことができなくて夢中になってしまう。覚えのある人もいるだろう。
時間が無為に過ぎるのを、過ぎる時間を惜しんで焦る気持ちと、そんな自分を他人の目で笑っている自分がいる。
自分ではせめて八十歳くらいまで生きられれば御の字だと思っている(若いときとことん不摂生をした)けれど、そんななにがあるかわからない未来にスケジュールを立ててもしようがないではないか。それこそいま突然心臓発作で死ぬかも知れないのだ。
未来はまだ来ていないし、いまの自分には永遠に追いつくことはできない。過去の自分にとっての現在が過去の自分の未来であるに過ぎない。
娘のどん姫の机の前の壁に、わたしの父の書いた言葉がいくつか貼られている。どこかで見て気にいったものを選んだのだろう。
そのなかに
「いまという、いまの時なる時はなし、いの時過ぎればまの時は来る」というのがある。なるほど。
ぼんやりできることをありがたく楽しみたい。
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