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2015年10月20日 (火)

努力してバカになる

 これも老師の言葉の受け売り。あまりに納得したのでここに書き残す。

 人は「自分のバカさ」というのを知識の量や学術的スキルの不備のことだと思っている(それは違う、と老師は言う)
 無知というのは「データの欠如」のことではなく、「予断の過剰」のことで、何かを知らないというのは怠慢の結果ではなく、努力の成果である。

 それを知ることが「予断のスキーム」を破綻させる可能性があるとき、私たちはそれを「知らずにすませる」ために努力を惜しまない。人間というのは普通に思われているよりはるかに勤勉な生物なのである。だから「バカさの検出」というのは、「自分がそれを学ぶことを怠っていることとは何か?」つまり「自分がそれから目を逸らすために一番努力していることは何か?」という問いのことである。

 その問い方を知らない人間は博引旁証強記博覧を誇っても死ぬまで「バカのまま」である。「バカの壁」は「私はどのような仕方でバカなのか?」という問いを立てることのできる人間とできない人間の間に巍然として屹立しているのである。

 強烈!

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コメント

なるほど

難しいです。。。

藤子様
私も人に説明できるほどわかっているわけではありません。
ものを考えるときに、自分が掛けている色眼鏡を外す方法を知っているかどうかと言うことでしょうか。
針の穴から世界を見ていることを知っているか、と言うことでしょうか。
見れば見えるものを見ていないこと、それに気がつくにはどうするか、ということなのでしょう。
解る、ということにはレベルが何段階もあります。見えている世界をめくると、見えなかったものが見えるのですが、そのめくるということがどういうことか、解りますか。
それに気がつくと、「エンドレスの自己変容プロセスに身を投じることになる」と老師は言います。
仏教でいう「無明」からの目覚めということでしょうか。

ますます難しい。。

拙い経験からですと、(色眼鏡で反応しましたが)、人を見るときはかけないように努めています。
ある人の事について誰かが苦言を言っていたとしても、自分自信が見て経験しないかぎり信じません。

簡単にわかった、というのは実はわかってない事が多々あったり、さらにまたわからない事が登場したりします。
OKCHANさんの文章を何度も読み、勉強します〜(^^)

藤子様
ここで言う、解った、ということを人に伝えることはほとんど不可能です。
ただ、そういうこともあるかもしれない、と思ってもらうしかありません。
自分が解っていないことを、解っている人がいるらしい、と信じることが、第一歩かも知れませんね。
私はゼロではないという点でだけ、藤子さんにこんなことを言っていますが、私など全く箸にも棒にもかかっていません。

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