富坂聡「習近平の闘い」(角川新書)
習近平が行っている反腐敗運動「虎も蝿も叩く」は、彼の権力闘争が主な目的であるという見方がある。しかし著者は権力闘争の要素を持たないとはいわないが、主な目的は違う、と明言する。
古来中国の王権が倒壊したのは民衆の造反が原因である。中国史をひもとけば誰でもわかることである。いま中国では群体事件が年間20万件~30万件発生しているという。群体事件とは集団による抗議行動をいい、原則として中国では認められない行動だ。ときとしてそれが暴力を伴うものとなる。それが毎日何百件も起きているというのは異常なことだ。
その理由は格差、環境破壊、腐敗に対する止むに止まれぬ民衆の反発である。身の危険を顧みず、群体事件を起こさざるを得ないほど追い詰められている膨大な民衆がいるということだ。
胡錦濤前国家主席は、それらを解消しようという意志はあったが、ほとんど実効のある対策を打ち出せなかった。そのツケはもう限界に近い、手つかずの状態で習近平に残された。最後の共産党政権の国家主席になるか、問題の対処を強行するか。
さいわい習近平は政権交代とほとんど同時に全権を掌握することに成功した。江沢民は鄧小平の、そして胡錦濤は江沢民の影響から脱するのに3~5年もかかっている。実質的に十年の任期の半分は腕が揮いきれなかった。
これは習近平が巧妙であったから、とか胡錦濤が権力に対する終着がそれほどでもなかったからなどというが、私は胡錦濤最末期のある事件が習近平にさいわいしたと見ている。尖閣国有化について、あの空気の読めない(KYそのものの)野田佳彦首相のために胡錦濤は事実上政権交代前に失脚したのだ。そうならないために、胡錦濤は野田首相に国有化の公表をしばらく待つように懇願したのだが、KY野田首相は尖閣国有化は日本のためばかりでなく、中国のためでもある、などと思い込んで(多分いまでもそう信じているだろう。愚か者である)胡錦濤の懇請を一蹴した。
これをきっかけに、保身のためには反日の立場をとらないと危ないという状況を生み出し、結果的に反日行動だけは許されるという雰囲気を生み、それがあの反日暴動につながったとわたしは考えている。
この事件のあと、副主席であり、次期国家主席になることが決まっていた習近平は二ヶ月近く姿をくらまし、所在が不明であった。入院していた、というのが定説だが、身の危険を感じて逃げ回っていたことは間違いない。胡錦濤の最後の抵抗が恐ろしかったのだろう。
こうして国家主席に就任した習近平は、全権を掌握し、死んだふりをやめて大なたを揮いだした。
著者は、習近平が中国を左傾化させる、つまり毛沢東的な社会に舵を切り直そうとしていると見ている。
信じられないことだが、民衆は文化大革命や大躍進のあの大惨事を教えられていないから知らない。毛沢東時代は格差もなく、環境汚染もなく、みんなが平等に貧しかった。腐敗撲滅を謳うことは民衆支持を取り付ける最大の手法であり、これは文化大革命の手法に似ている。現に群体事件は頻発しているものの、現在習近平の人気は絶大となっている。
それ以上に中国の腐敗は社会を大きくむしばんでいて、経済的な損失は莫大である。ここにメスを入れることは経済対策にも寄与するかも知れない。ある意味で隠された資産のようなものだ。そして同時に老害を排除し、人事刷新に寄与する面もある。腐敗撲滅を理由に軍部に対する介入を深め、いま若手への入れ替えが進んでいるという。
もちろん毛沢東時代にそのまま向かおうというのではなく、左傾化と鄧小平の進めた改革開放を、習近平流にバランスさせようとしているというのが著者の見立てだ。
しばしば悲観的に中国をとらえる論調が多い中で、著者は、中国はしたたかで、習近平もしたたかであると見ている。明日にも中国は破綻する、などと勘違いをしてはならないと注意しているのだ。
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