片田珠美「自分のついた嘘を真実だと思い込む人」(朝日新書)
精神科医である著者の本を「他人を攻撃せずにはいられない人」に続いて読んだ。長い題名だが、人の興味を引くうまい題名だ。
空想虚言癖の人は、自分の嘘を自分自身も信じてしまうところがあるので、まわりはそれに惑わされやすい。空想虚言症という言い方になると、もうほとんど妄想と区別がつかないが、精神病の妄想の場合は言っている内容に矛盾点が多くて、しかもそれを相手に信じさせることができないことが多い(しばしばそれを信じるものがいるのは驚くべきことだ)が、虚言症は矛盾を指摘されるとそれを糊塗するためにさらに新しい嘘をついて弥縫しようとする。
この本ではその空想虚言癖の人ばかりが取り上げられているわけではなく、嘘とは何か、なぜ人は嘘をつくのか、という本質的なところから、精神科の臨床での体験や、自分が個人的に直面した虚言の例を挙げていき、虚言に対しての対処法などを述べる。
特に自分が体験したある自称女医との対決例や、小保方女史の例が繰り返し挙げられて論じられている。自称女医との対決は、相手の嘘を暴いたためにかなり相手から反撃されて苦労したようだ。また小保方女史については当初から虚言を見抜き、それをメディアで指摘したために激しい個人的なバッシングを受けたと打ち明けている。災難だったが、ちょっとこだわりすぎではないかと思うが、よほどつらい思いをしたのだろう。
嘘をつかない人間はいない。自分を相手に良く思われたい、良く見せたい、というのは自然なことで、それならつい事実を多少粉飾することくらいは誰でもするものだろう。親に心配かけたくないから、何か問題を抱えていてもそれを知らせずにいることも、ある意味では嘘である。
仕事をしているときに、案件の進展率が50%だと認識しているとき、上司に問われて、30%と答えるのも、80%と答えるのも嘘と言えば嘘だ。30%と答えるのは成功しないときの言い訳のためである。わたしは80%と答えることが多かった。これは上司に対する成功の約束に近く、同時に自分に対するプレッシャーにもなる。そうしないと怠け者である自分を鼓舞できないからだった。多分上司はわかっていただろうが。
このように嘘は人間関係の潤滑剤として不断にあるものだが、それが相手に、そして社会に害をなすようなもの、法律的、道徳的に問題があるものとなると話は別である。そのような巧妙な嘘が次第にエスカレートする世の中になりつつあるのではないか、というわたしの危惧は杞憂だろうか。
嘘が巧妙になっていくのに対応して、こちらも知恵を磨かなければだまされて、ときに嘘に荷担することになってしまうことをこの本は指摘している。
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小保方さんは、嘘をついてないといいなあと少し思ってます。(笑)
学校を卒業したばかりのころ、同じ職場に 『今、国立大学の夜間に在籍している、アルバイトで
スペイン語の講師をしている、国家試験に受かった、ある人に金を貸している・・・など』
田舎者の私は、世間にはすごい人がいるなあと信じてました。
でも、だんだんと会話に辻褄が合わなくなってきました。
平気で嘘をつく人がいることを実感しました。
投稿: けんこう館 | 2015年10月 7日 (水) 08時59分
けんこう館様
在職していたころは営業という仕事をしていました。
営業は正直だけでは勤まりません。
多少の誇張を矛盾なく貫く加減の善し悪しが能力の仕事です。
いま考えると良くできたものだと思っています。
投稿: OKCHAN | 2015年10月 7日 (水) 09時52分
世の職業で最も嘘つきは画家と小説家だと云います。
〔言い換えれば優れた発想や構想〕そして作者本人は作品こそが真実なのです。
嘘が上手ければ上手いほど優れた芸術家に成れる?^^
とてもよくわかる言葉で、嘘の下手な私は生涯愚鈍な絵を描き続けることでしょう(-.-)
すみません。本題からずれましたね^^
投稿: おキヨ | 2015年10月 7日 (水) 13時15分
おキヨ様
嘘が嘘だと自覚されていれば、ある程度自制が効きますが、この本で問題にしているのはその自覚が弱いか、全く自覚がない嘘つきのようです。
思い込みの強い人はときに、はた迷惑です。
おきよさんが嘘が苦手なのは、真っ当な人であることの証拠です。
そのぶん多少辛口かも知れませんが。
投稿: OKCHAN | 2015年10月 7日 (水) 14時53分