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2015年11月

2015年11月30日 (月)

キューバ・フロリダ

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ヘミングウエイはキューバに来た当座はホテル住まいをしていた。その頃いきつけだったのが「フロリダ」というカクテルバーである。

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フロリダはいつも観光客で立錐の余地がないほど満員。入り口にでかくて強そうなおっさんがいて出入りをコントロールしている。

中は鍵の手の大きなカウンターになっている。奥はテーブル席。鍵の手のカウンターの一番奥にヘミングウエイの定席があり、いまもそこにいる。

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ヘミングウエイを訪ねて新聞記者達がいつも押しかけてきた。それがわずらわしいのと定住する気になったことで、郊外に家を購入したようだ。

フロリダの名物はフローズンダイキリ。氷とレモンと砂糖をミキサーでシャーベット状にし、そこへとラム酒を注ぐ。カクテルグラスで飲む。甘くて冷たくてとてもうまい。

ヘミングウエイは糖尿病なので、砂糖を入れずにその代わりラムを定量の倍入れて飲んだ。パパダイキリという。酔う。
歳をとって冷たいのに鈍感になった私でも、このフローズンダイキリは強烈に冷たくて胸や頭が痛くなる。アルコールによって多分零下五度ぐらいになっているのではないか。

このフローズンダイキリをこのあとあちこちでずいぶん飲んだ。うまいところとまずいところが極端に違う。これでいい調子になってストレートやロックを飲み始めると、一気に酩酊し、翌日は二日酔いとなるのを身をもって知ることになった。

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この看板にもダイキリと書いてある。

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こんなおっさんもいる。

キューバ・市場

市場へ行くというので楽しみにしたのだけれど。


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市場入り口。

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市場の中。広い。

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土産物屋。

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こちらも土産物屋、というより市場すべてが土産物屋。

市場と言うから魚や肉、野菜や果物が並べられているものだと思ったのに。よく考えたら、そもそも食料品を配給している国なのだから、そんなにふんだんに市場に食料品がないのだろう。この市場は外国人などの観光客に物を売るための市場なのであった。

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市場は海に面している。市場の建物を突き抜けると海岸にベンチがあったので、潮風に当たりながら海を眺めていた。

四六時中あの火力発電所は排煙をまき散らし続けている。

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入り口に戻る。この機関車はサトウキビを運ぶために作られた鉄道で活躍していたものらしい。

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日が傾きだした。

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馬車は普通に走っている。高速道路でもしばしば馬車が走っていた。

キューバ・ハバナクラブ

ハバナクラブに行く。


ハバナクラブはキューバのラム酒の最大ブランド。その会社(会社と言っても国営だけど)の記念館がキューバの歴史とラム酒の歴史と作り方などを紹介している。

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入口のエンブレム。RONというのはラム酒のこと。もちろんラム酒はサトウキビから作られる。

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床の石板もハバナクラブのエンブレム。左の青シャツはおしゃべりオズワルド。このおしゃべりが後日災いを招く。

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この大きな酒樽の中央が入り口のドアになっている。

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ここで奴隷たちがどれほど過酷な労働を強いられたのかが説明されている。

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絞ったサトウキビの汁を大釜で煮詰めていく。

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砂糖工場の模型。蒸気機関車が周りを回る。

中は空調がないので蒸し風呂のように暑い。

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蒸留した酒は樽に詰めて寝かされる。一年程度ではとても飲めない。二年から三年のものはカクテルに使う。

五年以上はストレートで飲む。年数が行くほどうまくなるので、高価になる。色も最初透明だがだんだん琥珀色になる。カクテルには透明なほうがいいからちょうどいいのだ。

六年物だったか、八年物だったかを試飲した。高級ウイスキーの少し甘みのあるもののようだ。ただし、私は蒸留酒をほとんどたしなまないので、味はよくわかっていない。

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待合室で休憩。とにかく蒸し暑い。

2015年11月29日 (日)

キューバ・ハバナを歩く

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建物の壁に掛けられたレリーフ。

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これ、壁一面に描かれた絵。通りの反対側の建物の壁面を写して、さらに人物を加えている。

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ここにもバンドが。

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上を見上げると…。

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土産物もカラフル。

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三百年の歴史を誇るカテドラル。

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カテドラルの鐘。

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生活がある。

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カテドラルの中。

キューバ・ハバナへ戻る

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コヒマルから海岸線をハバナに戻る。今日は盛りだくさんの予定だ。

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バスの車窓からハバナ湾を望む。大型の貨物船が見える。

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ここにもカラフルなクラシックカーがずらりと並んでいる。

向こう側に見えるranstarというロゴ入りのバスがハバナのほとんどを席巻しているバス会社の観光バス。中国製。

このバスについてはあとでひどい目に遭う。そもそもリクライニングシートのストッパーが不完全で、いつの間にか後ろに倒れ込んでいく。シートベルトは一部ちぎれている。こんなもの、普通切れるはずがないのに・・・。さすが中国製。

ここから徒歩で街中を歩く。

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革命のときに重要な役割をした建物だと言われた記憶があるが詳しいことは忘れた。

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建物の前のこの木はキューバでは神聖な樹だという。郊外でもときどき見た。バオバブの木のようだけれど分からない。

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わがツアーのご一行。総勢28名。みな旅慣れて元気な人ばかり。

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革命広場前は人があふれているし、アマチュアバンドなども多数でていてにぎやかだ。あえて人を写さず、その中で悠々と寝ている犬を撮影。死んでいるわけではない。

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サトウキビで財をなした大金持ちのスペイン人の邸宅兼事務所。ほとんどお城である。革命広場に面している。

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トップの写真とこの写真を比べてほしい。微動だにしないので金属製の人形にしか見えないが、気がついたら姿勢が変わっていた。子供が面白がってみつめていた。

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おじいさん達のアマチュアバンド。キューバはリズミカルなラテン音楽であふれている。なじんでくるとひとりでに体が動いてくる。

さらに街中を歩く。


キューバ・コヒマル

コヒマルは小さな漁村で、ヘミングウエイはここにボートを置いていて専属の船長とたびたび釣りに出ていた。狙うのは主にカジキマグロのような大物。船上で一杯やりながら釣りを楽しんだのだろう。うらやましい。


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コヒマルの小さな桟橋。釣り船もいいけれど、こういうところでのんびり小魚を釣るのも楽しい。

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ヘミングウエイの胸像がある。ヘミングウエイと縁のあった貧しい村人達が金を出し合って建てたという。

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ここにも小さな要塞がある。

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コヒマルのレストランで昼食。パエリヤが名物だと言うが、半分にしてもらって魚料理を足してもらう。

正直にいってうまかったのはビールだけ。パエリヤも魚も今ひとつ。味付けが薄すぎるし香辛料もほとんど使われていないので、うまくない。キューバは貧しいので仕方がないのだろうか。

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さらばコヒマル。これからハバナへ戻る。

キューバ・ヘミングウエイの家(2)

キューバの11月は雨季と乾季の境目に当たる。亜熱帯気候のキューバは雨季といっても雨が降り続くわけではなく、スコールのような降り方だ。今回も二度ほど出会ったけれど、車の中だったり食事中で、直接雨には当たらなかった。


平均気温は25度、今頃は昼間でも30度を超えることはないはずなのだが、今年は特に猛暑が続き、この日も強い日差しで多分30度を超えていただろう。

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ヘミングウエイの家で見た花。

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ヘミングウエイは糖尿病なのに酒をこよなく愛した。ソファーの上の酒瓶は彼が当時飲んでいたものをそのまま置いてある。キューバの酒はサトウキビから作ったラム酒であり、それにさとうを入れて飲むのだから糖尿病になるのは当然であろう。

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裏庭に展示している彼のボートを見に行く。木製。彼がキューバを離れる時、船長に寄贈され、後に船長がこの博物館に寄贈した。船長はコヒマルで長寿を全うした。

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近くに四つの小さな墓がある。愛犬の墓だそうだ。墓が四つだから彼の四人の夫人の墓ではないか、などと聞く人もいるとオズワルドが言った。

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サトウキビを搾っている。駐車場の横でサトウキビジュースを飲むことができる。レモンやら氷やらラム酒やら入れていくと一杯の料金が少しずつ高くなる。日本人は氷やラム酒を入れない人が多いようだが、私は全部入れてもらった。糖尿病なのに。暑さがちょっとつらかったから冷たい飲み物は実にうまい。


2015年11月28日 (土)

どん姫来る

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信州の友だちからリンゴが届いている。

実はキューバ旅行中、深夜に携帯に電話が入った。何ごとかと思ったら、「いつなら荷物を受け取れるか」という宅急便の運転手の問い合わせであった。

まさか先方もキューバに電話しているとは思わなかっただろう。こちらも旅行中としか言わなかったし。

27日なら受け取れると返事をしていた。

食べきれないから娘のどん姫に取りに来るよう連絡していた。二人でちょっとした酒盛りをして、ささやかなお土産とリンゴを持ってどん姫は帰っていった。

キューバ・ヘミングウエイの家(1)

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ハバナ郊外のヘミングウエイが暮らした家が博物館になっている。

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広い農園を買い取って四番目の奥さんと暮らした。入り口は狭いのだが、中は広々としている。

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こんな風に観光客がたくさん押しかけている。

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邸の中には入れないので、入り口や窓から中を覗くことになる。

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玄関から向こうへ吹き抜けになっていて、天井も高いから涼しい。

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壁に掛かっている剥製は、彼がサファリで獲ったもの。

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階段下で待つ添乗員のおねえさん。キューバは段取り通りに行かない国だからいろいろたいへんなのだ。

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書斎。本が合わせて9000冊残されているそうだ。この邸で「老人と海」などを執筆した。キューバには20年間滞在して、革命の翌年の1960年に糖尿病や精神の病の治療のためにアメリカに帰っている。

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サングラスに青いシャツの男がガイドのオズワルド。とにかくよくしゃべる。これは邸の裏側。

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木肌の変わった樹。背の高い樹がたくさんある。花もたくさん咲いていた。

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となりの三階建ての別館からハバナ市を遠望。黒い煙は火力発電所のもの。煙突一本でハバナ中を汚染させている。

もっと海に近い場所に暮らしていたと思ったのに高台とは意外であった。確かに涼しい。近くの漁村のコヒマルにボート(クルーザー)を置いておいて専属の船長と釣りに行っていたそうだ。

キューバ・モロ要塞

同行のYさんが「キューバにはインディオ系の人がいない」と言った。海外によく行くYさんは南米も知っているので、その違いに気がついたのだ。なぜだろう。ガイドのオズワルドの説明を聞いているうちにその答えが分かった。


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海底トンネルを通って対岸に見えたモロ要塞へ行く。写真はモロ要塞からの眺め。

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大砲がハバナ湾向きに据えられている。

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対岸に向けられているように見える。

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要塞の前のハバナ湾は狭くなって川のようになっているがその奥は大きく開けている。そちらに大型船の係留しているハバナ港や、火力発電所などがある。

革命本部は当初この要塞の奥の高台に据えられた。その後街の中心部に移ったが、ゲバラはこちらにとどまった。

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先ほど見た修復中の国会議事堂(右手の大きな方)が見える。

コロンブスが大西洋を渡ってカリブの島々を発見(!)し、やがてアメリカ大陸を発見(!!)して以来、キューバは長くスペインが支配した。

最初は金銀銅などの発掘を狙ったようだ。多少の成果はあったが思ったほどではなく、やがてアフリカ大陸から黒人奴隷を大量に引き連れて、サトウキビ栽培を主要な産業とした。

アフリカから連れてくる間の船中で25%、仕事の苛酷さや病気で25%が死に、生きのびた者は半数だったそうだ。

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要塞から見た大西洋側。

キューバには原住民はいなかったのだろうか。どうしてその原住民を奴隷としなかったのだろうか。

もちろん原住民はいた。彼らなりの文化を持ち、平和に暮らしていた。最初は彼らの持つ装飾品などを奪うために、そして金銀を採掘する土地を奪うために、彼らを追い払うのではなく、虐殺しまくった。そのためにインディオ系と思われる原住民は絶滅してしまった。だからどんな人々がもともと住んでいたのかいまでは分からなくなっている。

かすかにその痕跡が遺跡として残されているだけだ。

こうしてキューバは黒人と白人とその混血の人々ばかりの国となった。

2015年11月27日 (金)

キューバ・ハバナの街

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キューバではどこを撮っても絵になる。それは日本ではあまり見かけない風景だからだろう。

スペイン統治時代のヨーロッパ風の石造りの建物が多い。車が古いアメリカ車だらけなのと同様、ずっと使い回してきたのだが、石造りだから建物はそのまま残っているのだ。

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モロ要塞。ここが一番大きな要塞。目の前に見えるが間に海があるので海底トンネルを通らないといけない(ぐるりと湾を回る道はあるがとても遠回りとなる)。

この海岸の広い道から街の中心の方へ向かう。

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ガルシア・ロルカ劇場。とても大きい。

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現在修復中の建物。もともと国会議事堂だったが、修復が終わればまた議事堂となる。現地ガイドのオズワルドはその立派さを盛んに自慢していた。

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革命記念館の前を通る。戦車や戦闘機が無造作に置かれているが、なにかの理由で閉鎖中だとのこと。どんな理由か忘れた。

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海外へ行くと交差点の中にこのような木陰のある公園がよくある。風が吹き抜けて涼しい。

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こうしてスクラップアンドビルドが行われ始めているようだ。

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街頭風景。

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同じく街頭風景。

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おまわりさん。後ろにはクラシックカーがならんでいる。

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このクラシックカーに乗って写真を撮ってもらえる。もちろん有料。また時間貸しもしている。クラシックカーは燃費が悪く、排気ガスが凄い。せっかくのキューバの空気をこの排気ガスと火力発電所の排煙が汚している。

キューバはふんだんではないが石油が採れる。ただ硫黄分の多い重質油らしい。


キューバ・車窓から

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ハバナ市内。高層ビルの前にカラフルだけれど古ぼけたアパートが見える。

キューバは社会主義国である。ラテンの国と社会主義がどのように両立しているのか、そしてアメリカと国交回復することで経済的な回復がなされた場合、どのように変貌するのか。それをこれから見ていくために、現状を知りたいと考えた。

アメリカによる長い経済封鎖が続き、キューバは苦難の道を歩んできた。それが却って国民を結束させ、みんなが貧しいけれどそれなりにしあわせ、という国のように見える。経済がよくなれば貧富の差が大きくなる。そのときキューバはどうなるのか。

いまキューバを訪れるアジア人のうち、一番多いのは日本人だという。意外である。今年急増していて日本語の話せる現地ガイドは少ないからたいへんな忙しさらしい。

来月から中国からの直行便が開始される。直行便といってもカナダ経由であるが。そうなればたちまち中国人だらけになるであろうか。すでにそうなっていると思っていたのだが違った。

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ハバナ市内観光に出発。バスの車窓からの一コマ。

現在のキューバ社会主義政権はカストロやゲバラによる革命で生まれた。ソビエトや東ヨーロッパ、中国、北朝鮮などの共産主義国が、ほとんど権力者に富が集中するというおぞましい姿をさらしたのに、このキューバでは権力者達もつましい暮らしをしているようだ。

それほど貧しい国だということかもしれないが、カストロやゲバラの理想主義的な精神が貫徹されていることも事実のようだ。このことは見たままの私の実感だが、昔の中国や北朝鮮を訪れた人達も同様のことを感じた、という記録もあるから真実かどうか分からない。

キューバは教育費と医療費はすべて無料。原則として国民はみな公務員ということになっていて、どんな職業でも国から給料が支払われる。食糧は配給で給料は安い。そして配給だけでは足りないし、都市部では給料だけでは食べていけない。それを才覚するのが当たり前で、その才覚の違いが暮らしの多少の豊かさ差としてあらわれているようだ。最近は個人事業も多少は認められるようになってきた。ただし会社組織を立ち上げることはできない。

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バスは海岸に出る。黒人の女性がぼんやりと海を眺めている。何を考えているのだろうか。

キューバは人種差別がない国だと内外で知られている。だから人種による統計を取っていないので正確な比率は分からない。黒人系が多く、スペインなどの白人系と両者の混血の人達でそれ以外はほとんどいない。そのことについて次回でちょっと触れる。

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ハバナ湾を挟んで対岸を望む。岬のような先端の部分はスペイン統治時代の要塞。あとで見に行く。


キューバ・ハバナの朝

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キューバに着いた翌朝の、ホテルの窓からの朝日。


キューバは遠い。
今回はカナダのトロント経由で首都ハバナへ入る。
トロントまで約12時間、あの狭い飛行機の座席に拘束されるのは、183センチ、90キロ近いデカ物の私にはつらい。
ひたすら耐え抜く。

トロントでは一度カナダ入国手続きがいる。
軽くビールなどを飲んで一息入れる。同行のYさんとF君の三人のビールの料金の精算がもたつく。
レジの女の子がたまたま計算に弱いのか、カナダ人が全般にそうなのか。こんな子が窓口で店は正しく利益を上げられるのだろうか。それにしてもカナダはビールが高い。グラスビール一杯7.5カナダドル(ほぼ750円くらい)。

カナダの悪口をもうひとつ。今回乗った飛行機はすべてエアカナダ。機内食がまずい。たいていの物が平気なわたしがそう感じるのだから相当ひどい。利用する時は覚悟しておいた方がいい。

トロントからハバナまで3時間半くらい。トロントとニューヨークとキューバは時差がない。真っ直ぐ南下する。到着は夜。羽田を夕方出発して、到着するのがその日の夜である。

レストランはすでに閉まっているのでそのまま就寝。

翌朝朝食のあとホテルの近くを散歩する。

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ホテルの横に停めてあった車。クラシックカーにお目にかかれるのがキューバと聞いていたがこれはピカピカ。

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こんな車がホテルの玄関に横付けされた。旅行客が興味津々。

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車内。実はあとで同じような車の助手席に坐ることになる。

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ホテルの前の道。朝の通勤なのだろう。ボロ車も多いが普通の車も走っている。

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なんとなく南国気分。

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元気のいい人もいる。

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木陰で語り合う二人。

キューバに行く時のテーマを考えていたけれど、そのことは次回に。

2015年11月26日 (木)

疲れた!

先ほどキューバ旅行から帰ってきた。

キューバは遠い!疲れた!
キューバはラム酒の国。そのラム酒を調子に乗って飲んだので後半は腹具合もおかしくなってよれよれであった。
詳しい話は写真を整理して、明日からゆっくり報告する。

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これはキューバで一番のリゾート地、バラデロのプライベートビーチ。この日(現地で24日)は寒冷前線が通過し、気温も低くて涼しかった。雲も多く、日差しもそれほど強くない。
フリータイムだったので海岸でごろごろしていました。

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(7)

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 有名なエスキモー料理キビャックについて。
 ウミツバメの一種アパリアスを、半ば腐らせた状態で保存食とするエスキモーの食べ物にキビャックがある。その味に完全に魅了され、それの虜になってしまった植村直己さんは、北極冒険旅行の旅にはいつもこのキビャックを大切に携えて行った。手記の中でそれを次のように記述している。
「キビャック、あれはいいですね。シオラパルク一帯に春先、五月のはじめごろに氷が溶けたころやってくるアパリアスという、ツバメをちょっと大きくしたくらいの水鳥で、水かきがついています。これをアザラシの、内臓を抜いたハラの中にそのまんま詰め込んで、ハラを縫ってしまうんですね。言わばアザラシの皮と厚い皮下脂肪でアパリアスを袋状に包んでしまうわけです。この上に石を積んでキツネにとられないように海岸に置いておくわけです。一年ぐらいですね。それを、何かあるととりだして食べるんですけど、エスキモーにとっては最高の食物ですね。なぜうまいかというと、ひとつは腐りかけた状態になっていて、アザラシの皮下脂肪がアパリアスの中に溶け込んでいるからですね。その臭いが、これはもうチーズを腐らせたというんですか、ウンチのもっと強烈な、クサヤのもっとどぎついような感じですね。ああいう鼻をさすような感じの臭いがします。凍った状態のを溶かすと、意外に簡単に毛が脱けるんです。で、丸裸にして、それから食べ方はいろいろあるんですけど、肛門に口をつけて内臓を吸って、これがドロドロになってチョコレート状でものすごくうまいんです。あと皮もうまいし、胸の肉とあばら骨をしゃぶって・・・。やっぱり最初、若い女の子が肛門のところに口を寄せて吸い込むようにして、口のまわりに真っ黒い血がベッタリついているわけですよ。そういう根皮ひきさきながら食べているのを見たらドギモを抜かれましたね。一瞬人食い人種がいるみたいな感じで・・・。ところが自分が食べられるようになってくると、もうとりこになってしまって、例えば脂のしみ込み方が足りない、とか、臭いがもう少し、とか、いうようになるんですね。あとクジラの皮、マッタというんですけど、これが凍ったのとか、尾のほうの肉、それと頭は肉がそんなについていないんですが、斧でゴンゴン叩いて割っていくと白いスジみたいのがでてきて、これを切って食べるとうまいですね。セイウチの心臓のすぐ近くの血管、イカの胴みたいなところなんですが、これは全然生臭さがなくて、意外とおいしいんですね。」
 強烈!

2015年11月25日 (水)

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(6)

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 蛭の食べ方。さすがにこれは小泉武夫先生もまだ経験がないらしい。

 (前略)
 探検家・伊東藤吉郎君に聞いた話である。彼がアマゾン流域の現地人開拓村に入り込んでいた時、「ヒルを使った牛血ソーセージなるもの」を毎日のように現地の人にごちそうになっていたというのだ。

 寝そべって酒を飲みながら彼の話を聞いていた私も、その話には思わず起き上がって身を乗り出したほどだった。だいたいの珍品は、口にしたと自負していた私だが、さすがに奇食の話には感動すら覚えたのである。

 彼の話によるとこうだ。現地の人達は昼、山に行って樹の葉に隠れたり落ち葉の間に潜んでいる血吸い山ヒルを五十匹ほど捕らえてくる。夜になったらそれを、飼っている五頭の牛に十匹ぐらいずつつけておくそうだ。するとヒルは夜の間に牛からどんどん血を吸って、自分の体の五、六倍もの大きさに膨満する。ちょうどゴム風船をふくらませたような丸い球となり、その重さに耐えかねて、ポタポタとヒルは地面に落下してくるというのだ。伊東君の言うのには、ちょうど日本にある巨峰という大型のブドウに色も形も似ているが、大きさはヒルの方がひとまわり大きいという。
さて、そのヒルをどうするかというと、これの食べ方には三つある。一方は湯で茹でてしまうと、血液の蛋白質は熱変性して固まる(生卵をゆでると硬くなるのと同じ)から、これをそのまま食べる方法。いま一方は、フライパンで炒って塩で調味し、やや硬めにしてから食べる方法。第三はさまざまな野菜とともにシチューのように煮込んで食べる方法だそうである。まさにヒルを使った「牛血の腸詰め」料理である。

 現地の子ども達は、この食べ物が大好きで、口の周りを固まり損ねた血でベトベトさせながら実にうまそうに食べているという。その味は濃厚で、舌に特有の「ぬめり感」があるあたりは大層スリリングであるが、総じて美味だといっていた。機会があれば、私も試食してみたいと切望しているのだが、未だ実現せず悔しく思っている。

2015年11月24日 (火)

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(5)

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 生理的に蛇は受け付けないという人にとって蛇料理など論外だろう。そんな人でも「美味しいかもしれない」と思うような料理が紹介されている。邱永漢さんの「食は広州に在り」という本からの引用である。
 ぶつ切りにしたり、割いた蛇を水煮し、「次に甘藷の汁と生薑と陳皮で五~六時間ほど煮詰める。蛇のお汁(おつゆ)がいい匂いになったところにその汁をとって鶏と鮑の中に加えて二重鍋で蒸し、最後に水律(スイルツ・水辺にすむ土鼠の一種)を入れて煮えるまで蒸す。次いで水律、鮑、鶏を糸のように細く刻み、花膠(フアカウ・魚の一種)、椎茸、筍、キクラゲをそれぞれ千切りにし、別に生薑と陳皮を油で炒めた鍋に少し紹興酒を加え、鍋がまっ赤になっているところで、蛇を千切りにしたものと、以上の材料を入れて一緒に炒める。」
 詳しいわりに具体的にはなにがどうなっているのか分かりにくいが、作ってもらったら食べてみたいような美味しそうな料理だ。
 そう思うでしょう。
 沖縄にはエラブウミヘビを使った「イラブー」という蛇料理があるという。一度食べてみたい。ただし姿のままのものは遠慮したい。せめてぶつ切りか開いてあるとありがたい。

2015年11月23日 (月)

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(4)

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 有名な「蚊の目玉」の料理の話。
 中国ではトンボを天鶏(てんけい)、ムカデを蝍蛆(しょくしょ)といって食べることが多いが、その中国の広東に、一風変わった珍品中の珍品料理があって、しばしば食通の話題を集める。それがすなわち「蚊の目玉スープ」という代物である。蝙蝠は別名「蚊食い鳥」と呼ばれるほど蚊が大好物で常食にしている。従ってその糞のなかには蚊の目玉がたくさんあるだろうと考え、そこからあみ出されたのがこの料理だという。この「目」と称する部分をスープに散りばめるとたいそう美味で珍しいことから、天下の珍味と称えたそうである。そもそも蚊の目玉は古来中国では「夜明砂」と名付け、老舗を誇る薬屋の看板に掲げられたというが、これは蚊や蝙蝠は夜明けでも目が見えるというので、夜盲症の人の薬にひっかけて薬屋の看板になったものである。
と蘊蓄を傾けたあとで、
 しかし実際には蚊の目玉などという代物があろうはずはなく、この料理はつくり話であって、スープに転々と浮く黒く微細な目玉はアミのような小さな海老の子である蝦子(ハアツー)の目玉なのである。だが、これを知って騙された、などと怒ってはいけない。昔から「目をむくより口を向け」(怒るより、よく説得すればもっと美味いものにありつけるかもしれない)という諺があるではないか。

 そんな諺は知らない。そしてこの蚊の目玉のスープの話は昔から知っているけれど、多分嘘だろう、と思っていた。だってどうやって蚊の目玉を蝙蝠の糞から濾すのだ。そんな目の細かい篩があるはずがないではないか。
 しかし最近小泉武夫先生、人が悪くなってこの料理が嘘であるとはいわずに珍しい料理の一つとして紹介したりしている。
 これで虫はおしまい。次は爬虫類と両生類。

2015年11月22日 (日)

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(3)

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 次は蝉を食べる話である。
 蛹から成長した成虫も、人間にとっては貴重な食べ物の一つであり、なかでも蝉は昔からよく食べられてきた虫である。飛騨生まれの私の友人は、今もって蝉食いの第一人者で、「ずばぬけて旨かった」あの蝉の味が忘れられず、毎年夏になるとその目的のためにだけ田舎に帰り、蝉を食っている。そして彼は、その味は野趣に富み、酒の肴には絶品だと得意げにうそぶいている。
(ここで蝉を採取する話が続くが中略)
 さてその蝉の食べ方だが、生きたままを竹串に連刺しし、囲炉裏の火の上に並べると、まずペラペラと羽根が燃える。次にこれに醤油をつけて焼き、焦げそうになった時、今度は味醂醤油につけてから照り焼き気味に焼き上げて食べるのである。香ばしい味がしたが、油蝉だけは独特の臭みがあったような記憶がある。
 蝉を食べるのは世界各地でも比較的多く見ることができる。たとえば中国の料理には蝉を「桂花菜」と名付けてその幼虫、成虫の油炒りが有名なほか、南米の山岳地ではフライにしたりシチューに煮込んで食べるところもある。
 むかし飼っていた愛猫のノラは鼠を見ると脅える弱虫だったが、虫や蜥蜴を捕るのは大好きであった。そういえば蝉もよく捕った。そして蝉の羽根だけがそこに残されていた。多分旨かったのだろう。

2015年11月21日 (土)

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(2)

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 カミキリムシやクワガタの蛹はたいそう大型で、丸々と肥えているから、これを塩炒りしたり、油で揚げたり、串に刺して素焼きで食べたりした。蛹は熱によってその蛋白質が変性し、硬く固まるが、これを口にほうり込んで噛みしめると、口中に旨い汁が溢れるからたいそう喜ばれ、いまでも山に行くとこれを好んで食べる人が少なくない。私も福島県の山の中でおくった幼少の頃、ナラやクヌギの薪を割ると、中から時々出てくるこの幼虫を、焙烙で空炒りし、醤油で味付けしてよく食べたものである。ちょうど人差し指ほどの大きさで、さわるとやわらかく豆腐のような感触だったが、炒ると硬く固まって今度は焼き豆腐のような感触になる。口の中にこれをほうり込み、噛み潰す時、「プチュン!」という破裂音を残して虫が破れ、口中にドロドロの旨汁が充満する。

 私は旨そうだなあ!、多分食べられそうだなあと思うけれど、悪趣味でしょうか。でもゲテモノ好きなわけでは決してありません。

2015年11月20日 (金)

小泉武夫「中国怪食紀行」(知恵の森文庫・光文社)

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 肩のこらない気楽に読める本を読もうと押し入れの本をひっくり返したら、小泉武夫の本が数冊出て来た。その中から「中国怪食紀行」というこの本を選んだ。

 醸造学・発酵学の博士である著者は、世界の食べ物を自らの体で体験して研究を続けている。福島県小野町という中通り出身のこの人は、この地方の人特有の人なつっこさと陽気さを持っている。テレビなどで見たことのある人も多いだろう。

 マスコミはいかにも下手物食いの怪人のような取り上げ方ばかりする。しかしこの本にも書かれているけれど、彼は世界各地の人がその地区特有の文化として食してきた食べ物を食べるのであって、奇をてらっているわけではない。いささか躁に見えることがマスコミに受けるので、あえて演じているところもあるだろう。実入りがあればふたたび世界に出かける旅費の足しにもなろうというものだ。

 このシリーズは「アジア怪食紀行」「地球怪食紀行」「旅せざるもの食うべからず」と続く。もちろんすべて手元にある。このあとも続いているのかもしれないが、珍食の品目がだんだんかぶってくるのは致し方ない。いくら世界が広いと言っても人が目をむくほどのものがそんなに次から次にあるものでもないだろう。

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 この本の表題は「中国怪食紀行」だから、中国を旅して出会った珍しい食べ物がほとんどだが、韓国や東南アジアの食べ物もそれに加わってくる。食べ物については自ら撮った写真がふんだんに添えられているので、イメージしやすい。ときにはピンぼけだったりぶれたりしているのもご愛敬だ。

 衛生面に潔癖な人は、多分これを見て驚倒することだろう。そんなところで作られたそんなものは死んでも食べられない、と思うことだろう。たいていのことに平気なわたしだってどうしても遠慮したくなるものもいくつかある。でも食文化というものはそもそもそういうもので、普遍化しないからこそ文化だろう。

 文化を普遍化させようという恐ろしい風潮を拒否するためにはこのような特有の食文化を残してもらいたいものだが、次第に消滅してこういう本でしか出会えなくなるような気もする。

 同じもの韓国のエイを発酵させたホン・オも登場する。アンモニア臭が強烈な食べ物で、読んでいるだけで目がシカシカして、口の中がビリビリしてくる。ついでにスウェーデンのシュールストレンミングにも言及している。においの強烈さでは超弩級の世界一だと折り紙をつけている。また東南アジア(一部中国)で食べられている雛がかえる前の卵・カイ・ルゥクを食べる話も定番だ。

 さて今度のキューバ旅行でどんな特有のキューバ料理に出会えることだろう。

2015年11月19日 (木)

小泉武夫「奇食珍食」(中公文庫)より(1)

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 わたくし、本日よりキューバ旅行に出かけており、不在。着替えとカメラだけでパソコンなどを持参しないので、ブログを更新することもいつも拝見している方々のブログを見ることもできない(帰ってからゆっくり見ます)。
 
 訪問していただいてなにもないのもさびしいので、お口汚しに「奇食珍食」から面白いところを抜粋して何回かに分けて保存しておく。あとで紹介する小泉武夫の「怪食紀行」のシリーズは、この「奇食珍食」から展開されたものと言える。これが原点なのである。この「奇食珍食」からほとんど同じ文章が転用されている部分が何カ所もある。自分の本だからかまわないけど。

 「奇食珍食」では虫、爬虫類と両生類、軟体動物・腔腸動物、魚、鶏、哺乳類、灰、奇料理・珍料理、奇酒・珍酒に項目を分けて面白い料理法と食べ物、食べ方を紹介している。とても面白いので特に刺激的なものを選んで何回かに分けて引用する。

 つなぎになりますかどうか。

 では虫から

(ジバチの巣の発見法と採り方が語られたあと)

 こうして得た蜂の子は、フライパンで塩炒りしたり、それを味醂・醤油で煮付け、酒の肴やご飯に炊き込んだりする。刻のある味で甘みもあり、栄養価も高く、滋養強壮を第一の価値としている。

(中略)

 他にアシナガバチやスズメバチのさなぎを塩炒りして食べるのも主として北日本に多い(東北生まれの父がアシナガバチの巣から幼虫や蛹をとりだして炒ってくれた。子供心にとてもうまかった記憶がある・引用者註)。

 蜂を食べると炒っても成虫ではなく、その主体は蛹である。蛹は昆虫の幼虫で、その体の中には新鮮な成長要素がいっぱい詰まっているから栄養価は高い。そこに目をつけ、長野県や岐阜県の一部では、蚕の繭ごもりを食べていたところもある(現在でも一部で食べたり、珍味として土産品となっている・著者註)。以前私もこの空揚げや佃煮を天竜川沿いの農家で食べてみたことがあるが、味にコクがあるものの特有の異臭が鼻についてどうも苦手であった。

 次回も虫を食べる話。

陳舜臣「三国志と中国」(文春文庫)

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 中国について知識の豊富な人たちと著者との対話集。前半は表題通り三国志に関するもので、1990年代に雑誌などに発表されている。後半は三国志にこだわらず、中国史そのもの、中国人についての蘊蓄が語られる対話集で、こちらは1970年代のものが多い。

 陳舜臣は大部の著書「秘本三国志」でも分かるように、羅貫中の「三国志演義」や吉川英治の「三国志」のように劉備を主人公として肩入れする立場を取らず、曹操を再評価している。

 「三国志演義」は本来の陳寿による「三国志」という史書を元にして、巷間で講談などで物語として流布していたものをまとめたものだから、史実ではないことが多い。あくまで物語なのだ。もちろん吉川英治の「三国志」も、正史よりも「三国志演義」に依っている。そこでは曹操は悪者とされている。

 実際の実力からすれば、三国の内、曹操の魏が最も実力があり、しかも漢の皇帝を擁していたから大義名分もある。曹操が悪者扱いされるのは、魏が短命で終わり、司馬氏に簒奪されて晋に替わってしまったからである。短命の王朝は次の王朝で悪く記録されることが多いのが中国なのだ。

 対話の相手がすばらしいので、読み応えがある。対話相手のなかで、貝塚茂樹、山崎正和、武田泰淳、狩野直禎の四氏はその著書で敬意を感じているので、なんとなく親近感を感じた。特に武田泰淳はその著書「司馬遷」でわたしの蒙を啓いてくれた恩恵を感じている。

 三国志の魅力、そして中国史の魅力を存分に感じさせてくれる本だが、自分がその遙かな足元にも及ばないことに忸怩たる思いも感じさせられた。同じものを読んで受け取るものが少なすぎるのが哀しい。不勉強が身にしみる。

2015年11月18日 (水)

乱れまなこの勝手読み(22)

 韓国のハンギョレ新聞が、社説で「朴槿恵大統領が露骨な選挙介入に出た」と報じた。いったい何ごとか、どんなことを言ったのか、と思って記事を読むと、閣僚会議で「来年の総選挙では偽りのない人を選んでほしい」と語ったことが問題らしい。  

 これは「与党内であっても、自分の意思に逆らう人はすべて偽りのある人」と規定したことになるのだそうだ。いままでの経緯を含め、公認者に対する介入もあるらしいから、それなりの理由はないとは言えないが、朴槿恵大統領としては自分の身のまわりから背信者が少なからず出ていることを気にして発言したのだろう。それが「露骨な選挙介入」と断定されるとは、韓国のマスコミの異常さは日本以上のようだ。

 朴槿恵大統領が強硬に韓国の歴史教科書を国定化しようとしているのに反対する運動が過激化している。警察が反対デモに対して激しい放水や、催涙ガスを放っていた。逮捕者や負傷者も多いという。

 なぜ国定化を強行しようとするのかよく分からなかったが、具体的な事例が一部報じられて、多少分かった。朝鮮戦争の話である。現在使用されている歴史教科書は、朝鮮戦争が、北朝鮮からの侵攻が発端であるという事実(これは旧ソビエトに残されていた毛沢東とスターリンと金日成の、この戦争に関する文書のやりとりの記録が公開されているから、間違いないのだ。ソ連と中国の了解を得て金日成は侵攻を開始している。韓国は不意打ちを受けて壊滅的な事態となった)をあいまいにして、責任は南北の両方にあるとしているという。

 また、第二次世界大戦終結後、北朝鮮については「国家樹立」と記載し、大韓民国は「政府樹立」とされているのだそうだ。朝鮮半島の本来の国家の正当性は北朝鮮で、半島分断の責任は韓国にあるかのように書かれているのだという。

 韓国のマスコミ、野党、教育界、司法界に北朝鮮からの影響が直接間接に強く働いているというのは、陰謀史観ではなく、歴然たる事実らしいから、こういう教科書もまかり通っていたのだろう。大統領も北朝鮮の影響を少しでも排除したいところだが、反日に血道を上げている内に足元が危うくなってしまった。大丈夫か?

 中国の10月の鉱工業生産が前年同月比で5.6%の伸びだったそうだ。その報道に続けて、中国の経済減速続く、とある。9月が5.7%の伸びだったから0.1%減ったことが減速なのだそうだ。

 鉱工業生産のための原料の輸入が二桁で減少し、エネルギー消費も減少し、物資の流通量が減少しているのにどうして鉱工業生産が対前年で伸びているのか。原料の在庫の消化で物を生産しているのだろうか。本当に生産が伸びているなら生産された物の輸出が増えるか在庫が増えるかしなければおかしい。

 報じられているように中国の輸出はずっと対前年マイナスである。では在庫ばかりが積み上がっているのだろうか。今年1~10月の日本からの対中投資は25%減少した。正しい判断であろう。しかし中国は日本以外の世界からの投資は伸びている、と強弁する。本当だろうか。

 中国は何が本当なのかますます分からない。

陳舜臣「ものがたり 史記」(朝日文芸文庫)

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 中国の古典をわかりやすく紹介する三部作の一冊。ほかは「ものがたり 唐代伝奇」「ものがたり 水滸伝」。唐代伝奇は先日読んで紹介した。これらの本を読むのは二回目か三回目か。気楽に読めるし、著者がかみ砕いて時代背景も詳しく描いてくれているので、入門書として最適であろう。

 中国で正史と呼ばれるものが二十五ある。その嚆矢が史記だ。その後の正史はこれを踏襲しているが、史記は漢の時代までの全史である。それ以後の正史は前王朝のことのみを記した断代史である。

 ところで最後の正史は清の時代に書かれた「明史」であり、清の時代のことを書いた正史はない。どんな戦乱の時代を経ても書かれてきた正史が途切れていることは、近現代の中国という国が如何に異様な国であるのかを表しているのかもしれない。

 いまの共産党王朝が正史を書けばそれは「大日本帝国史」になるのかもしれない。共産党の存在の大義は日本と闘って勝利したことにあるのだから・・・というのは冗談だが。

 史記は膨大な史実を網羅した本だが、この「ものがたり 史記」はそのうちの有名なものをほんのいくつか取り上げているだけだ。読みやすい一冊にまとめようとすればそうするしかない。

 冒頭に伯夷叔斉の話があげられている。この二人の話はいまの功利的な世の常識からはわかりにくい。殷の紂王という暴虐な王を倒すために周の武王が立ち上がったことを、戦場に赴く途中でその馬前にあらわれてその非をならした。周の天下になったあと、周の粟を喰らわず、として山にこもり、蕨を食べてついに死んだとされる二人だ。革命の大義とは何か考えさせてくれているのか。

 彼らの義とは論理的に相矛盾することを抱えている。だから死ななければならなかったとも言えるが、そのことの意味がなかなか分からない。歴史とはそういうものであり、人間とはしばしばそういうものなのだ、ということをこの年でようやく多少分かったような気がしている。多分司馬遷もその思いを込めているのだろう。

 春秋戦国時代、そして秦の始皇帝の時代、さらに陳勝呉広の反乱から項羽と劉邦の戦い、そして漢の成立について、重要なエピソードを元に分かりやすく中国の古代史をたどることができる。もちろん三国志は後漢の後の話だから史記には出てこない。

2015年11月17日 (火)

養老孟司「大切なことは言葉にならない」(新潮社)

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 養老孟司の大言論 Ⅲ。このシリーズはこれが最終巻。

 いつものように養老孟司先生の思考のあれこれがたくさん盛り込まれているが、この本のメインは宗教に関するものであろうか。

 宗教といっても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のような唯一絶対神である一神教もあれば、八百万の神のような汎神もある。そして仏教のような哲学的なものもあって、一つにくくれないのはもちろんである。

 先生が宗教を語り出せば、「唯脳論」と関わってくる。神は人間の脳が作りだしたものだから当然なのだ。そこでREALということが問題となる。信者にとって神はREALである。そのことが普通の日本人には分かりにくい。そしてその分かる、と分からない、の違いを言葉で説明することはとても難しい。「大切なことは言葉にならない」のである。

 あることを識る、という第一歩、自分の知見の二次元平面から三次元の知見へ踏み出すことは、踏み出したあとで、ああこれか、と分かるもので、二次元平面をくまなく捜しても出口はない。

 「そういうことってあるかもしれない」(by内田樹老師)という、物事を見る構えが大事であろう。

 多分先生はそのことを繰り返しいろいろなテーマを設定しながら語っているのだが、重力の地平からどれだけの人が飛び立てるのだろうか。かくいうわたしはまだゼロではないというだけの立ち上がりだけれど、ゼロとゼロではない差はとても大きいのだ。

 この本でも先生の思考について行けないところが多々あったが、そのことこそがわくわくさせてくれる。自分がものを知らないということ、考えが足らないということを識ることこそ、まだまだ楽しいことがこの世にあることを知らせてくれるものなのだから。

心神喪失は無実?

 白昼、祖父と孫を殺戮した事件の犯人が、裁判を受ける能力のない心神喪失状態である、として地方裁判所によって裁判が打ち切られていた。しかし検察が告訴を取り下げていないのに裁判所が裁判を打ち切るのは不当であるとして高等裁判所が裁判の再開を指示した。

 今回の件は心神喪失である、という確度が高いのだろう。それにしてもだから無罪というのはどういうことか。有罪であるけれど、心神喪失だから罰を与えることができない、ということではないのか。

 もちろん無実と無罪とは違うことくらいは分かっている。しかし弁護人の言い方は、無罪であることが無実であるかのように聞こえたからいうのだ。犯人の人権を理由に、しきりに今回の高等裁判所の指示が不当であると訴えていたのだ。報道もその辺の違いをあいまいにつたえているから、うっかりすると犯人が別にいるのだろうか?と思ってしまう。

 検察も裁判が継続できないと判断すると告訴を取り下げてしまうことが多いと聞く。犯人が明らかならそれをはっきりと伝え、こういう理由で罰を与えることができない、とおおやけにするべきだ。そのとき初めて無罪の意味が得心される。人権を理由に犯罪がなかったかのように扱われるのにはうんざりだ。殺された人が浮かばれないではないか。恨みをあの世から晴らしてくれ。そのときは弁護士やマスコミも怨むがよい。

2015年11月16日 (月)

ちょっと一息

 本日は毎月一度の離婚調停の日。気にかかっていたのはこのこと。

 前回は相手先の千葉まで行ったけれど、今回は名古屋の弁護士事務所にて電話による調停員とのやりとり。結果的にはほとんど事態の進展はなかったけれど、こちらの意向はほぼ伝わったはずだ。そう思いたい。

 今回はどちらかというと、こちらが頼んでいる弁護士にこちらの状況をより詳しく理解してもらうことが主眼になった。ちゃんと伝えたつもりのことがうまく伝わっていないことがよく分かった。世の中そういうものである。弁護士も忙しいし。

 今回の成果は弁護士との意思統一が進展したことの方が大きい。そのことがとても気になっていたので、それが改善したことはこちらの精神の安定に大きく寄与する。

 いままでは女性弁護士なので、どうしても女性側に立つ物言いが感じられたのだ。こちらの意思を繰り返し伝えることで、どんな立ち位置でこれからの交渉をするのか分かってくれたのではないかと思う。

 思うけれども多分次回にはまたズレが生ずるだろう。そういうものである。そのことを忘れないでおこう。

 次回は調停員、先方の都合、こちらの弁護士の都合から、来年になってからということで、だいぶ先になった。だからしばらくこのことは念頭から外しておくことができる。

 さあこれで心おきなくキューバ旅行を満喫できるぞ。

 名古屋に用事ができたので、息子が週末に帰省するという連絡があった。会いたいけれど、旅行中である。とても残念。一泊するだけというのだけれど、家の中はちょっと雑然としている。わたしと違って息子はきれい好きなので、出かける前に少しは片付けておかなければ。(多分仕度だけで終わるだろう。まあいいや)。

陳舜臣「含笑花の木」(朝日文芸文庫)

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 主に1980年代に書かれた随筆が収められている。中国のこと、特にシルクロードのこと、友人知己のこと、生まれ育った神戸のこと、中国関連の書籍に著者がよせた言葉などが集められている。
 表題の「含笑花の木」は短いけれど心にしみる。「含笑花」というのはどんな木なのか、文中に説明があるので全文を転記する。

      含笑花の木

 終戦の翌年であったか、身なりはよくないが、人品いやしからぬ人物が、含笑花(がんしょうか)の取り木を売りに来た。当時、焼け跡には、世が世であれば、といったかんじの人がときどき目についたものである。かなりの値段であったが、家内の父がそれを買った。
 熱帯の原産なので、日本ではそれほど多くない。正式には「カラタネオガタマノキ」というらしい。クリーム色の花は、高い香りを放つ。台湾では女性が髪に挿したりして、香水がわりに使っていた。茶葉のなかにいれて、においをしみこませるのにも使うので、そのために栽培もしていた。戦時中、食糧増産が第一なのに、そんな不要不急の木は場所をとるだけだと、日本の台湾総督府の命令(あるいは下っ端役人の忠義立てかもしれない)で、切りたおされたという話をきいた。ばかげたことである。
 神戸では外人の邸(やしき)の庭によく含笑花の木が植えてあった。プリンス・オブ・ウェルズが来日したとき、神戸の松蔭高女の校庭に植樹したのも、この木であったようにおもう。売りにきた人物は、空襲で焼けて廃墟となったある外人の邸の庭に、その樹が生きのびているのをみつけて、取り木したと正直に語った。
 十四年前、わたしが六甲に引っ越したとき、また取り木をして植え、無事に根がついて現在にいたっている。花が咲くと、そのあたりに甘ったるく、またやわらかいかんじの香りがただよう。母が亡くなったあと思いついたのだが、わたしが含笑花の香りを好むのは、それが母のにおいだったからかもしれない。その季節になると、母はいつも含笑花を髪に挿したり、ハンカチに包んでそばに置いたりしていたものである。おそらくわたしがまだ物心のつかないころから、母はそうしていたのであろう。いつの間にか、わたしはそれを母のにおいだと思いこんでしまったようだ。
 カラタネ(唐種)というから、あきらかに外来種で、渡来期は江戸中期と明治初年の両説があるようだ。この国にはなじみの浅い木だが、このごろ植木屋でときどきみかけるという。そろそろ日本の人たちも、高い香りの花を好むようになってきたのかもしれない。
 香りが高いことでは、もくせいに似ている。中国でもくせいのたぐいの総称は「桂(クイ)」である。日本語の桂はかつら科で、字は同じだが、モノは異なる。同文同種のおとし穴とでもいおうか。有名な中国の桂林は、町じゅうがもくせいに埋まり、シーズンになると、どこへ行ってもその香りから逃げることはできない。
 わたしの庭の含笑花を取り木した親木は、いまはもうない。駐車場をつくるために、地主があっさり切りたおしたという。わが家の含笑花の木も、家の主とおなじように親を失った。たっぷり水をやって大切にしている。
             (1984.10)
 数年前、桂林の鍾乳洞でねかせた桂花酒を飲んだ。もくせいの香りを移した、薫り高い酒だった。桂林の思い出である。

2015年11月15日 (日)

 人間社会が生命体だとすれば、ISは癌ではないか。ISの人々も人間であり、人間社会の一員である。癌細胞は体の一部でありながら自らの体を蝕む。彼らは敵対する者に戦いを挑んでいるだけで、人間社会を破壊しようとしているつもりはないのかもしれないけれど、結果的に人間社会は大きな被害を受け、無辜の人々が殺されている。

 人類は進歩史観がまちがいであることの証拠を突きつけられた。人類は進歩などしていないのではないか。進歩しているのは科学的知識だけで、人類自身は精神的に進歩していない気がする。

 歴史的な経緯が世界の火薬庫の暴発エネルギーの元となっているけれど、すんだことは元に戻せない。アメリカや中国はこれを強権で押さえつけた。しかし抑えれば抑えるほどエネルギー(内圧)は高まる。ことはおさまらず、混乱は拡大する。

 ではどうしたら良いのか。そんなことは分からない。わたしに分かるくらいならとっくに賢い人が手立てを講じているだろう。エントロピーは必ず増大するのがこの世の理である。

 人類は増えすぎた。あとは滅びへの道を進むだけではないか。すでに自家中毒症状が深刻化しているではないか。

 パリのテロ事件のニュースを見て、なんだかとても悲観的な気持ちになった。

 養老孟司風に言えば、脳(概念)が原理主義を生んだ。それが世界に蔓延し、原理主義と原理主義の戦い(つまり正義と正義の戦い)がいま世界を、つまり人間社会を破綻させつつある。ISの兵士に、額に汗して労働したことのある人がどれほどいるのだろうか。彼らは少数の癌細胞だから生きることができるが、真っ当な人たちを殺し尽くして彼らが多数になれば、人類とともに彼らも滅びるだけである。大義など妄想であろう。

 虫けらのように殺された人々に追悼。

長谷川慶太郎「2016長谷川慶太郎の大局を読む」(徳間書店)

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 これでいま手元にあるリアルタイムの時事ものはおしまい。

 まず、北朝鮮の崩壊による朝鮮半島有事の予測、中国の香港や台湾への介入の問題点について。半島についてはすでに書いた。中国は経済立て直しと覇権主義の達成のために金が必要だが、そのために香港と台湾の資産を狙っている。ところがもし中国がそれを手に入れると、金の卵を産むニワトリはただのニワトリ以下になってしまう、と予言する。その通りだと思う。だから香港でも台湾でも中国の介入にあれだけ反対しているのだろう。

 アメリカの利上げで新興国はダメージを受ける。インフラ整備などに必要な資金がドル高でアメリカに吸い上げられる恐れがあるからだ。特にブラジルとロシアが大きなダメージを受けるだろうと予測する。ロシアもブラジルも資源国であり、すでに石油価格の大幅下落や中国の需要減でも資源価格の大幅下落となってダメージを受けている。はたしてリオのオリンピックは大丈夫だろうか。当面の資金は大丈夫でも、反対勢力が過激化することによるテロが怖い。

 ヨーロッパはドイツのひとり勝ちだが、その状況は変わらないだろう。なんとか張り合おうとしているフランスも、経済的にはドイツには遠く及ばない。フランスの頼みは年間8000万人という世界一の観光客だけだ。イギリスがEUにもの申す姿勢を示しているけれど、何をめざしているのか、離脱を脅しにして何を勝ち取ろうとしているのかよく分からない。

 来年のアメリカ大統領選挙では、民主党はクリントン女史が候補になるのは間違いないが、弱点がありすぎて勝つのは無理だろう、と著者は見ている。切磋琢磨している共和党の候補の中から、勝ち抜いた候補が大統領選に勝つだろうと予言する。それにしてもトランプ氏などという候補が最も支持率が高いなどという報道を見ていると、アメリカはどうなってしまったのか、と思う。彼には品位というものが感じられない。彼のように、人間として当然の、他者に敬意を払う、という品格を持たないリーダーを選ぶとしたら、アメリカという国はそんな国だということだろう。

 まさか最後まで残るとは思わないが、もし彼が大統領になったら世界はどうなるのだろうか。たぶん自国のことしか考えないだろうし、世界には介入しようとしないだろうから、中国は大喜びするだろうけれど。

 オバマからトランプという継承があるとすれば、将来アメリカの没落の分岐点として歴史に記憶されることだろう。トランプ氏の話題以降はわたしの妄言であってこの本に書いてあることではない。

 これで時事問題については一区切りとする。

2015年11月14日 (土)

ノラの思い出

Img732 愛猫のノラ。本当は白猫だが、顔の一部としっぽだけ茶色。近所の風呂屋にお気に入りの場所があり、そこでついたすすで顔が汚れている。

 古い写真についての拙ブログにコメントをいただいたイッペイさんに返事を書きながら、愛猫のノラのことを思い出していた。

 母が「人形の家」のノラ(自立した女性)にちなんで飼い猫にノラと名付けたことはすでに書いた。そのときは雄猫だとは思わなかった。それまで何匹か猫を飼ったがすべて三毛猫だったから雌猫ばかりだったのだ。

 父は動物があまり好きではなかったけれど、ノラは別格だった。直接かわいがるようなことは決してしない。ノラも父を敬して遠ざけるというところがあった。

 まだノラが若猫のとき、近所のボス猫がノラを追いかけてわが家の庭に侵入した。そのとき父は竹箒をもってそのボス猫を追い散らした。まるで我が子がいじめっ子に追われたかのようだった。

 それからも父とノラはべたべたしたつき合いは全くないけれど、なんとなく互いに一目置いて認め合っている雰囲気で、いま思い出してもちょっと頬が緩んでくる。

 わたしが受験勉強しているときは、ほとんどわたしの膝の上にいた。かまってもらいたいときは机の上の本に座り込んでしまう。そうでないときは無愛想な顔をして何か考えているか、寝ているかであった。多分なにも考えていなかったのだろうけれど、そう見えるところが面白い。

 去勢していないから時期になると数日家を留守にする。ほとぼりが冷めると帰ってくるが、満身創痍であることが多い。他の雄猫と雌を争って闘ったのだろう。サカリのときの変な声で啼いていたのが、声をかけると、しまった、という顔をしてあわててふだんの声で啼く。

 大学に入ってからは帰省したときしか会えなくなった。しかし家の前まで来ると、いつもどこからか飛んできて足にまとわりついてきたのはなにより嬉しいものだった。

 確か大学三年生のころだったと思うが、病気で死んでしまった。急にやせだしたので獣医に診せようとしたら、姿を隠してしまった。そしてそれからしばらくして半分ぐらいにやせてしまったすがたでひょっこり現れて、ふたたび姿を消した。挨拶しにきたのだろう、と母は言った。

 わたしは家を離れていてそれを見ていないから、いつまでもノラの姿がそのまま記憶に残り、ずいぶん長い間ノラに似た白い猫を見るたびに、ノラに見えて仕方がなかった。

 わが家ではそれ以来二度と猫を飼わなかった。

長谷川慶太郎「日本経済は盤石である」(PHP)

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 世のなかには「ピーターと狼」のピーターがたくさんいる。アメリカが利上げをすれば円が暴落する、日本の国債が暴落して日本経済が破綻する、AIIBに参加しないことで日本は大損をする、中国経済が破綻すると日本は大打撃を受ける、などという本が本屋の店頭に並んでいる。狼は本当に日本にやってくるのか。

 それに対して、日本は全く心配ない、というのが長谷川慶太郎先生だ。ほとんどの経済学者や経済評論家が社会科学系の出身者であるなかで、先生は理科系の出身者である。だから技術面での知見に優れる。日本の技術力を高く評価する。経済学者たちと視点が全く違うのだ。

 どうしてそう言えるのか、そのことを説明したのがこの本であり、驚くことに実際に世界は先生の予告通りの動きを示している。そして先生は中国の統計をほとんど信用せず、その裏を読む。多少断定的に言い過ぎるところが気にさわる人も多いだろうが、それは先生のパフォーマンスだろう。それとも中国は崩壊すると予言する先生こそピーターか。

 ちょっちこういう本ばかりを読みすぎているか。普通は年末の大晦日の晩にこういう本を積み上げて次々に読む。過ぎていく年を想い、やってくる年の行く末を考えるためだ。同時にやかましい紅白歌合戦をはじめとする年末の馬鹿騒ぎから耳をふさぎたいためでもある。今年は森本哲郎老師の本でも読むことにするか。

 あと一冊だけ長谷川慶太郎の本が残っている。

2015年11月13日 (金)

古い写真

それほど粘り強い方ではないのだが、古いフイルムのデジタルスキャンを続けている。すでに6×4.5センチのセミ判のネガは終了したのだが、35ミリの白黒のネガのスキャンを開始してしまった。だいぶ傷んでいるし、扱いが悪かったのでほこりが目につくのは仕方がない。


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これは45年ほど前に家族で東北旅行したときに撮った。

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これは大学時代、初めて佐渡へ一泊のひとり旅をしたときのもの。米沢から新潟は案外近い。

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大学の寮の窓から写した晩秋の米沢の田園風景。自分で現像したからネガに拭きムラが残ってしまった。

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愛猫のノラ。わたしが大学三年の時に病死した。母はイプセンの「人形の家」が愛読書で、主人公のノラにちなんで名付けたのだが、雄猫である。

時間がたつとともにどんな写真もなんだか輝きを放ち出す。

スキャンしながら横で本を読んでいる。よく読める。

写真を少し補整してみた。

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少しマシになっただろうか。

映画「マザーウォーター」2010年・日本映画

 監督・松本佳奈、出演・小林聡美、小泉今日子、加瀬亮、市川実日子、永山絢斗、光石研、もたいまさこ他。

 大森美香監督の、タイのチェンマイが舞台の映画「プール」、荻上直子監督の、フィンランドのヘルシンキが舞台の「カモメ食堂」などでおなじみの顔ぶれがメインキャストで登場する。そういえば「プール」で母(小林聡美)を訪ねてくる娘役だった伽奈もちょっとだけ登場する。

 こういう映画を観ているとなんだか切なくなる。どうしてかは映画を観てもらわないと分かってもらえないだろう。ストーリーがほとんどないし、クライマックスもないから、面白くないと思う人もいるかも知れない。

 「マザーウォーター」という題名通り、水がテーマだろう。日本人は水辺に住むのが好きなのだ。映画では常に川が登場する。川が流れるように時間も流れていく。そして人も。

 同時に、もたいまさここそがその街のシンボルでもあるのだろうか。その独り暮らしの端正で豊かであることにすばらしさを感じる。日々の細部をおろそかにしない、そして他の人たちに対する目配りと気配りを忘れない。ときには積極的に関わっていく。もたいまさここそマザーウォーターなのかも知れない。

 そして彼女や彼たちの中心に据えられているのがポプラと呼ばれる赤ん坊なのだが、誰の子供であるのか最後まで判然としないところも面白い。

 ずっと映画やドラマを見続けているが、ここに書くのが億劫でサボっていた。しかしこの映画についてはどうしても書いておきたかった。他に「警察署長 ジェッシイ・ストーン」シリーズが出色。これは年に一作ずつ作られるアメリカの有名なドラマらしい。

 主演がトム・セレック、なにせ原作がロバート・B・パーカーだから面白くないはずがない。スペンサーシリーズを何作か読んでそのおもしろさはよく知っている。とにかく会話がクールで最高なのだが、このドラマでもそこが見所聞き所である。

 このシリーズを以前録画していつか見ようとしていたのにうっかり消去していた。今回WOWOWで第八作までが一挙放映される。第四作まではすでに放映され、今回はすべて見た。今週放映される残りの四作を見るのが楽しみだ。

阿川弘之「座談集 文士の好物」(新潮社)

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 今年逝去した阿川弘之の対談の中から、特に名対談と言えるようなものを集めた本である。

 対談相手は、沢木耕太郎、「日本鉄道旅行地図帳」編集部、齋藤孝、開高健、向田邦子、高松宮喜久子妃殿下、井上ひさし・小森陽一、阿川佐和子。

 旅好きであり、鉄道好きであり、言葉についてのこだわりの人であり、食通であり、志賀直哉の高弟であり、阿川佐和子の父である。

 それらが渾然として銘酒のように発酵した人格が、一言一言ににじみ出している。歳下に対しても自然な形で丁寧な言葉づかいをしていることに人柄が偲ばれる。だからといって不快なこと、自分の美学に反することには激しく感情的な怒りを発する。これは師匠の志賀直哉に似ているかも知れない。

 井上ひさし・小森陽一との対談では「志賀直哉論」が語られるが、そのレベルの高い読み手たちの言葉から、また志賀直哉を読み直したくなった。

 この本では阿川弘之が明確に浮かび上がるとともに、対談相手が輝きを放って見えてくる。なにせ沢木耕太郎や開高健、向田邦子など、大好きな人ばかりがそこにいるのだ。

 この本はときどきとりだしてまた読む本の一冊として大事にするつもりだ。

2015年11月12日 (木)

乱れまなこの勝手読み(21)

 韓国が深刻な旱魃に見舞われている。韓国政府と与党のセヌリ党は四大河川の水を貯水池やダムに連結する工事のための大型の予算を組むという。工事をしてもすぐに結果は出ないから、旱魃は一時的なものではないということなのだろう。

 実は北朝鮮は韓国以上に旱魃がひどいらしい。今年の米の収穫は平年の半分だという話も聞かれる。

 金正恩第一書記が年末か来年早々に中国を訪問するというニュースもある。中国の北朝鮮離れが明白となる中で、彼が中国に膝を屈しに行くにはそれなりの理由があるはずだ。この旱魃による食糧難が理由なのではないか。

 金正恩体制は粛清に次ぐ粛清で、強固になるどころかますます危うくなっているように見える。だからうっかり国を離れると帰れなくなる可能性もあるだろう。それでも中国に行かざるを得ないのがいまの北朝鮮ではないか。

 もし金王朝が瓦解すれば北朝鮮は大混乱となるだろう。中国は難民をシャットアウトするつもりである。韓国はそのときのために北朝鮮からの難民を受け入れる態勢が以前からちゃんと計画されている。問題は受け入れたあとの韓国がそれを支えきれるかどうかだ。

 どうやら韓国が日本に対して若干ながら歩み寄りを見せているのは、北朝鮮のいざというときが近いという兆候をつかんでいるからではないか。実はそのことは中国もアメリカも、そして日本も、トップは知っているのかも知れない。 安保法制もその一貫かも知れない。

 ところで日韓の外務省の間で慰安婦問題などが話し合われているが、日本から、ソウルの日本大使館前の慰安婦像の撤去を要請したようだが、それに対する韓国側の答えが「民間が建てた。政府は関与できない」だったそうだ。

 ただの言い訳ではあるが、聞きようによっては、韓国政府としては撤去する必要があると認識しているようにも聞こえる。

 また、日韓請求権協定について、「慰安婦問題は解決済み」とする日本側に対して、韓国側は「同協定は民事的な債務関係を解決するためのもので、慰安婦問題がそれで解決されたとは言えない」と反論している。

 慰安婦問題は(朝日新聞のマッチポンプで浮上した問題だから)、日韓請求権協定のあとで明らかになった問題だ、という韓国の主張は、国際的なこのような条約の場合の常識から見て理不尽だが、百歩譲って、両国の国益上必要ならそれを問題として捉えて、妥協点を考える余地はあるかもしれない。

 しかしその論理でいえば、近年韓国や中国で頻発する、戦時中の日本企業を対象とした民事訴訟は明らかにおかしいではないか。韓国政府はそれが分かっていながら正せない。韓国の司法界は中国が共産党の意志に基づくように、超法規的な民意に基づいている。しかもその民意はマスコミが作っている。韓国はマスコミ王朝か。

やりたいことをやる

 気持ちに影の差すことを抱えているので、ついそのことを考えてしまう。いわゆるストレスを感じていて、体もそれに反応しているのが分かる。

 そういう気分だと集中力が削がれる。集中力こそ人生の要諦だと思うわたしにとってはゆゆしきことである。人生が面白く感じられないようでは旅に出ても本を読んでも甲斐がないではないか。

 ふとそんな自分を見ている自分になって、捉われている自分を眺めたら、なにかが背中から離れていった。

 いつまで生きるか分からない自分、かけがえのない自分に残された時間を無駄に使いたくない。

 人生にはわずらわしくてもしなければならないことがある。それは坦々とこなしていけば良い。それ以外は自分のやりたいことをやり、それを楽しむに如かず、であろう。もったいないではないか。

 こんな当たり前のことをちょっと見失っていた。心だけでなく、体も心なしか楽になった。

でも心は揺れる。

榊原英資「世界を震撼させる中国経済の真実」(ビジネス社)

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 ミスター円と異名を取った元大蔵相財務官の著者が、長谷川慶太郎とは違う世界観の立場で中国経済の現状分析と、将来のすがたを予測する。

 著者は中国経済が減速していることは認めるが、ソフトランディングに成功して、崩壊などないと断言する。中国の崩壊というものがどういうものを指すのかは人それぞれだが、中国の共産党独裁体制が終わることを指すなら、わたしは崩壊は必至だろうと思うけれど、中国が四分五裂してしまうという予測はありそうも無い気がする。著者は共産党体制すら存続するという見立てだ。

 中国は遠からずGDPでアメリカを抜き去って世界一の経済大国になると断言する。ただし、その後人口の減少によって頭打ちになると予測する。人口減少はとめようのない事実であるから、誰が予測してもそうなるだろう。

 中国が狙っている人民元の国際化、アジア通貨化は達成されるだろうか。中国にはそれを支えるだけの外貨の裏付けがあるのだろうか。そして国際的なルールを遵守すると信じられるのだろうか。

 著者の分析や予測は中国の発表している統計値を元にして、欧米の調査会社が分析した数字に基づいている。だから空想的なものではない。しかし、中国の発表する統計数字と実際との乖離をどの程度に読み取るかによって予測は大きく違ってくる。

 欧米や日本のように、中国もある程度の信頼性のある数字だと前提していることが危ういのではないか。もうひとつ著者がその判断のもとにしているものに、中国の経済政策をしきっている人たちとの個人的な交流からの人物への信頼があるようだ。しかしそれが「木を見て森を見ず」になっていないだろうか。

 それとも中国の実態はもっと悪いのだ、と思いたい気持ちがありすぎて、わたしの目が曇っているのだろうか。

2015年11月11日 (水)

強風のセントレア

昨日の午後、セントレア(中部国際空港)に行った。


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セントレアは知多半島の常滑沖の海上にある。海上はだいたい地上よりも風が強い。オープンデッキラウンジに出ると、この日は特に強風であった。飛行機は大丈夫なのだろうか。

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閑散として見えるのは風のせいか。

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それでも飛行機を見に来ている人がいる。

このデッキの欠点は、張り巡らされているワイヤーである。見晴らしをあまり邪魔しないが、写真を撮るときに写り込んでしまう。最初の写真も横に変なぼやけた線が見えるだろう。

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遠くに対岸の四日市のコンビナートが見える。

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やがて飛行機が着陸した。

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逆光に飛行機が輝く。

このあとカナダドルの両替をする。そしてトラベルグッズを眺めたけれど、めぼしいものがない。品揃えがお粗末に感じた。

セントレアもトヨタが指導して当初利益を上げていたけれど、最近はなんとなく観光客の感覚とずれてきているような気がする。

来週の旅行に向けてもう少し胸のときめきを感じるかと思ったのに。


養老孟司「嫌いなことから、人は学ぶ」(新潮社)

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 養老孟司の大言論 Ⅱ。三部作の第二冊目である。

 巻末に養老孟司先生の要請による内田樹老師との対談が載せられている。最後に感想を問われた内田老師が

「『わからない』ところは多々ありました。でも、『わからない』というのは、『わからないのですぐ教えてください』というはなしではなく、『この辺がわからないけど、気長に片付けよう。まだ自分には修行が足りないので』という『わからなさ』だからいいんです。『わからないから教えてください』というのは横着なんですよ。読んでわからないのは、わかるだけのレベルに達していないということなんだから、『ああ、わからない、わからない』と思いながら、『デスクトップ』に置いておけばいいんです。デスクトップにおいてあると、いつも気になっていて、何年かたって開くとささっと読めた、ということになる。だからたくさんわからないところがある本はよい本だとぼくは思っているんです。そこから始めればいいんだから」

  さすがに老師は絶妙な感想を述べる。フランス哲学やユダヤ人の思想家レヴィナスの研究をするほどの頭脳明晰な老師でもわからないところが多々あるのだもの、私がわからないところが多々あるのは当然なのだ、と安心させてくれる。

 この本では、信仰について、意識について、博物学について、エネルギーと二十世紀、石油とアメリカ、生きているということなどについて考える。それらはすべて著者にとっては実は共通するテーマにつながっているのだが、そこがいま一歩「わからない」。私もそのことを「デスクトップ」に置いておくことにしよう。

 もちろん分かったこともたくさんある。こんな考え方もあるのか、と視界が広がることもある。そのときはとても嬉しい。

 

2015年11月10日 (火)

乱れまなこの勝手読み(20)

 マイナンバー通知カードがそろそろ郵送されてくるはずだと待っているのだが、まだ配達されない。愛知県は11月に入ってからだと云うから、これからなのだろうか。

 ところで通知カードの誤配達や紛失のニュースが相次いで報じられている。これは通知カードが膨大な数だから、まちがいがたまたま起きたのか、それとも郵便業務というのは実はこれくらいまちがいや紛失が日常的におきているのだろうか。

 信用していたのだけれど、いままで問題なかったのはただ運が良かっただけなのだろうか。

 高齢ドライバーの高速逆走や事故のニュースが連日報じられている。高齢になれば反応速度は遅くなり、視野も狭くなり、判断力も鈍る。そもそもそのことに気がついていないからこのような事故を起こすのだろう。自覚していれば運転をやめるはずだ。

 大分県が全国に先駆けて、高齢者に危険予測トレーニングを導入したという。ここで如何に自分が劣化しているか自覚できるらしい。危険性のある高齢ドライバーに対してむりやり免許を取り上げることができないというが、野放しにすれば事故が起き、被害者が生まれる。

 ある程度選別して危険性が高いと診断された人は、自賠責だけではなく普通の自動車保険を義務づけして、保険のない場合は免許を取り上げたら良い。そして保険会社は高齢者の保険料を高くするようにすれば、免許を返上する高齢者も増えるし、万一事故があってもそれなりに保障があることになるだろう。

 過疎地の山村などで、車以外に移動の手段がない場合が問題だという。そういうところに住んでいるのは高齢者ばかりだ。できる手立ては取るべきだろうが、もう少しインフラの集中できる場所に移動してもらうしかないのではないだろうか。それが地方自治体のコストダウンにもつながるはずなのだが。

必要なもの

 だいぶ先だと思っていたのに、キューバへ行くのがもう来週に迫っていた。案内の資料を今日初めて開いて読んだ(とっくに手元に着いていたのに)。

 キューバで両替するにはアメリカドルだけが特別に手数料が高い(10%)ので、カナダドルの方が良いらしい。知らなかった。キューバへは日本から直接行く便はないので、アメリカ経由だと思っていたら、行きも帰りもトロント経由なのだった。

 当座の分だけカナダドルを用意して、現地で円をペソに両替すれば良いらしい。円の両替もできるのだ。キューバでは、キューバの国民が普通に使うペソ(CUP)と外国人の使うペソ(CUC)が違うのだそうだ。

 昔中国でも人民元と外国人用の元が違ったのと同様だ。もちろんCUPとCUCは両替可能だが、CUPは出国時に他国の通貨に戻せない。

 キューバは暑いだろうと思ったら、東南アジアほどの暑さではないようだ。どんな服を用意していこうか。迷うほどたくさん服があるわけではないが、今回は期間が長いから、荷物もよく考えないといけない。

 チェックリストを見ると、意外なものの用意が必要だ。ティッシュペーパーやスリッパ、そして懐中電灯(停電が多いそうだ)。できればおかゆなどのレトルト食品も持参せよ、とある。体調を崩したときに重宝するという。洗面用具一式は必需品。備え付けが十分でない可能性があるらしい。常用の薬は絶対忘れないようにしなければ。

 久しぶりにセントレア(中部国際空港)にでも行ってトラベルグッズを見てこようか。飛行機も見てきたいし。そこでカナダドルの両替ができたらしておこう。

 むかし「チェ」という映画を観た。チェ・ゲバラの映画だ。ゲバラをオマー・シャリフが演じ、カストロをジャック・バランスが演じていた。舞台となったあのキューバへ行くのだ。だんだん気持ちが高揚してきた。というよりいままで少しテンションが低すぎて少し自分が心配だったのだ。

 歳のせいなのだろうか。最近ウエイトを落としすぎてちょっとパワーダウンしている気がする。だいじょうぶか。

2015年11月 9日 (月)

明治村(5)

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聖ヨハネ教会。京都にあったもの。
中に入ろうとしたら女子中学生か女子高校生の集団が中でにぎやかにしているので、やめた。わずらわしいからということではなく、ちょっと歩き疲れたからだ。

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明かり取りの出窓がステンドグラスになっているようだ 。古ぼけて傷んで来ているのがかえって風情がある。

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近衛局本部付属舎が明治村の住民登録受付所になっている。

住民登録とは、つまり年間パスポート発行券受付のことらしい。

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正門のすぐ近くにある大井牛肉店。神戸の牛鍋屋だそうだ。実際にすき焼きが食べられる。そばを通ると好いにおいがするが、まだ入って食べたことがない。見るたびにますます値段が高くなっていて敷居も高くなっている。

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一番南側に来たので今度は山沿いに北へ帰る。

明治神社の前の街灯。とても大きい。

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山沿いの逍遙の小道をぶらぶら歩いていたら脇を市電が通って行った。慌てたのでちょっとぶれた。

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小走りに追いかけたら市電の名古屋駅の手前で追いついた。ここから高台のSLの名古屋駅に乗り換えて「とうきゃうえき」に行くことができるが、今日は乗り物に乗らない。

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こんな気持ちの好い近道をたどればすぐ「とうきゃうえき」だ。

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「とうきゃうえき」にはちょうど出発を待つSLが。

出発を見送らずに駐車場に戻り、帰路についた。

橋本治「いつまでも若いと思うなよ」(新潮新書)

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 久しぶりに橋本治節を味わった。「孤独」に続いて「老い」について考える本を読んだのはそれほど意図的ではないが、無意識にそのような本に反応したので購入したのだろう。

 老師・内田樹がリスペクトしている何人かの人たちのひとりがこの橋本治である。たとえば養老孟司先生もそのひとりである。こういう人たちにシンパシーを感じるのは私の意識が老師にシンクロしているからだろうか。

 それぞれの人の政治的立ち位置や生き方は全く違う。通底しているのはその考え方と、ものの見方だ。それはとらわれないと云うことである。いわゆる「居着く」ことから自由であると云うことだ。

 「居着く」というのは武道の言葉で、自分の自由度を自ら損なうようなあり方のことである。詳しいことは老師の本を読んでもらいたい。よく分かると思う。分からなければ多分あなたは居着いている。

 橋本治が大借金を抱え、しかも難病を患っていると云うことを初めてこの本で知った。彼は私の二歳年上で、自分を前期高齢者だと強調している。この年齢は自分の体力的衰えを強く自覚しはじめる年齢で、それとの折り合いをどうつけるかが老いの受け入れの巧拙に関わる。

 この本で書かれている老いの実態があまりにリアルなので、苦笑いしながら「そうだよなあ」と呟いている。

 橋本治の文章は牛のよだれのように区切りが不明確なまま次々に展開していくので、慣れないと読みにくいかも知れない。話題の転換について行けないと何のことだか分からなくなる。これは養老孟司先生の本も同様だ。

 だからといってよく分かるまで読み直して理解してから次へ行く、などということにこだわると、この本のおもしろさのリズムを見失ってしまう。こういう人たちの本は分からなくてもいいから分かったことを手がかりに先へ進んでいく方が良い。

 あとで分かることもあるし、分からなくてもとりあえずいまは分からないけどいまに分かる、と気楽に読むことだ。しばらくして読み直すと面白いほど分かったりする。

 この本でも繰り返し書かれているけれど「そういうものらしい」「そういうことだってあるだろう」という心の自由さこそが、楽に生きるこつなのだ。分かってはいるのだけれど。

2015年11月 8日 (日)

明治村(4)

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いつもは正面から撮る北里研究所の建物を横から撮る。

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明治村の中心部、煉瓦通りから研究所を振り返る。見慣れたものとおもむきが違う。

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煉瓦通りに洋装のお嬢さんの姿が。

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衣装を貸してもらえるらしい。

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偉人坂を登ると森鴎外・夏目漱石の旧宅がある。この階段の上部ももう少しすると紅葉がすすむ。

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玄関口に猫が。名前はない。

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猫はこちらの縁側の方が似合うはずなのだが。

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いつも紅葉が一番見事なのがこの西郷従道邸のあたり。

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正面から。

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従道邸の前の庭にて。

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同じく。

このあと聖ヨハネ境界を回り込んで正門前に出て帰り道をたどる。次回が最後です。

明治村(3)

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シアトル日系福音教会。

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神戸山手西洋館住居。

海外にいるような気分になる。天気もいいし。

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品川灯台。この灯台の横に菅島(三重県鳥羽市)の灯台付属官舎の建物がある。

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暗室があって灯台が点滅しながら回っている。

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灯台に据え付けられていた避雷針。

そうか、灯台は落雷を受けるような場所にそびえている。
たくさん雷を受け流してきたのだろうなあ。

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西園寺公望の別邸(静岡県清水市にあった)坐漁荘の離れにあった茶室・亦楽庵(えきらくあん)。

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坐漁荘玄関。

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坐漁荘の縁側。ガラスが歪んでいるから昔のままなのだろう。

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すぐ隣にある、幸田露伴の屋敷・蝸牛庵。露伴だけではなく幸田文もここで暮らしたのだ。

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紅葉の始まった樹と一緒に蝸牛庵を裏側から。

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ようやく紅葉らしい写真が撮れた。蜘蛛の巣はご愛敬。

ここからこの明治村で一番写真写りのいい建物、北里研究所本館へ向かう。


片田珠美「孤独病 寂しい日本人の正体」(集英社新書)

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 孤独であることや老いは病気ではない。それをなぜあえて「孤独病」という病名にするのか。心理学者や精神病学者は自分のテリトリーを拡大することに夢中になって、自分たちの役割を見失い、引き受けたことに対しての責任を正しく認識しているのか疑問に思うことがある。

 というのは言いがかりで、この本は「孤独」がそのような精神的な病につながることが多いこと、それがなぜなのか、そしてそれを回避するにはどうしたら良いかを考察した本である。

 読んでいてうなずくことが多い。著者もこの本を書きながら試行錯誤しているように見受けられる。それがこの本を中途半端なものにするのではなく、読んでいるこちらととてもシンクロしやすい状態をもたらす。

 孤独などと一口に言っても人により千差万別である。置かれている境遇、生きてきた生き方、性格がひとりひとり全く違うのだから当然である。それを分類するのは不可能だ。そうなると処方も個別なものになるしかない。つまりこの本を読む意味というのは、自分自身に照らし合わせて、自分なりの処方を見つけられたらいいね、というものだ。

  世の中が若いこと、健康であること、強いこと、豊かであることが価値が高いという価値観で支配されている時代、そうでない人は孤独になりがちだ。老いはその最も大きな理由につながる。孤独死する老人のニュースなどはますますその価値観の正しさを裏付けるものになっているような気がする。

 だからといって世間との関わりをもっと持ちましょう、といわれても、わずらわしいと思う人もいるのだ。

 この本は、ではどうする、ということを考える一助になるのではないか。

2015年11月 7日 (土)

明治村(2)

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さてこれはなんでしょう。ピンぼけ写真ではありません。

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聖ザビエル天主堂。階段下から見上げたので玄関が半分見えていない。

これを中側から見ると、

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最初の写真はこの下の部分だけを撮ったもの。

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聖像にもステンドグラスの光が。

天主堂の椅子に座って、しばらく雰囲気に浸った。

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天主堂を回り込んで南下すれば、呉服座(くれはざ)がある。昔の芝居小屋だ。

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左隣が小泉八雲が避暑の宿にしていた焼津の家。昔の駄菓子屋の体裁なので、修学旅行生がたくさん押しかけてにぎやかだ。

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ハワイ移民の集会所。

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横から見る。

ここは入鹿池に面している。

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入鹿池。

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湖面の右手側にボートがたくさん浮かんでいる。入鹿池はワカサギ釣りで有名なのだ。これからがシーズン。

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ハワイ移民の集会所の向かいにあるブラジル移民の住居。集合住宅のようだ。いわゆるアパートだろう。

そのまま入鹿池に面した道を歩き、坐漁荘や蝸牛庵をめざす。

明治村(1)

前回の信州方面旅行は兄貴分の人の車でまわったので、あのタイヤバースト事件以来私の車は半月近く動かしていない。車のためには良くないので、出かけることにした。


例年の紅葉には少し早いけれど、今年は紅葉が早いからちょうど良いかもしれないと明治村に出かけることにした。ここの紅葉はタイミングがいいと嬉しくなるほどすばらしい。

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ナビの案内通りに行くと、正門川ではなく、北側の駐車場に案内される。正門からは一番遠いところだ。「とうきやうえき」の脇が明治村北口の入り口である。ここから線路の下、地下道をくぐって坂を下りると旧帝国ホテルの前に出る。

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坂の途中から帝国ホテルを見下ろす。

振り返ると煉瓦造りの陸橋がある。SLがこの上を通るのだが、なかなか橋上を走るところを撮ることができない。そのときかすかに汽笛が聞こえた。

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間もなく蒸気機関車がやってきた。

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あたたかいから蒸気が見えないのは残念。

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なかなか迫力のある写真が撮れなかったけれど、とにかく写すことができたことに満足して帝国ホテルに行く。

写真は帝国ホテルの玄関の上。

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ホテルの玄関から外側を見る。

何遍もこの明治村に来ているけれど、帝国ホテルの中に入ったことがない。初めて中に入る。

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ロビー。

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喫茶コーナーらしい。

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二階を案内するボランティアガイドの人。頼むと案内してくれる。

このあと帝国ホテル前の庭園で販売しているコロッケーを昼食代わりに食べて、天童眼鏡橋や新大橋の鉄橋などを撮影して(割愛)から聖ザビエル天主堂へ行く。ここのステンドグラスが好いのだ。

長谷川慶太郎「2016年 世界の真実」(WAC)

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 いままでの長谷川慶太郎の世界観がそのまま語られているので、多くが目新しくはない。中国経済は崩壊する、そして韓国もつぶれるしかない、というのはこちらの気持ちにもマッチするのだけれど、それはその言葉を聞くと気持ちが良いことが分かっている魔術師の言葉かも知れない。

 とはいえその方向に進んでいるように見えることはまちがいがない。ただ、中国はしぶといからそれなりに対処はして行くであろう。韓国は知らない。

 この本で特に目新しく感じたのはロシアの状況である。想像以上に危機的である、と著者はご託宣を垂れる。それが本当であれば、アメリカにとっては慶賀すべきことで、中国にも喜ばしいことだろう。プーチンもそろそろ退場の時期なのかも知れない。

 しかし次の役者はいるのだろうか。

 長谷川慶太郎の予言は、多分かなり正しい。しかし、その危機を誰も手をこまねいて見ているわけではないから、必死でそれに対処する。そしてその結果、予言が外れたり遅れたりするのは当然なのである。

 だから私は長谷川慶太郎が「ピーターと狼」のピーターだというつもりはない(そう見えるけれど)。彼だけが持っている情報に基づく予言はほとんど正しいと思っている。ただ世界は常に変わり続ける。だから面白い。

2015年11月 6日 (金)

目が小さい

 友人が「視界が半分くらいになった気がする」と云っていた。

 病気ではない。歳をとると瞼の肉が落ちて、たるんで下がってきて視界を妨げるからだ。

 兄貴分の人から、先日長野方面の旅行へ行ったときの写真が届いた。よく撮れている。いまは本当にカメラが良くなった。

 その写真に写った自分を見ると、目が小さい。もともと顔が大きいから相対的に目が小さく見えていたのに、さらに小さくなっていた。そうか私も眼瞼が下がっているのか。鏡を見るときはちょっと目を見張るから気がつかなかった。

乱れまなこの勝手読み(19)

 旭化成建材のデータ改竄問題が騒がれているが、検証が困難なことであることから、多分これもいつの間にかうやむやになるだろう。

 こういう話は最初は一つだけれど、調べると次から次に問題が顕在化する。東洋ゴムの問題もそうだ。いまだに新しい不正が暴かれている。不正があらわれたときは、その下に山ほどのあってはならないものが隠されている。たまたまではない。

 ということはそれに気がつかない会社の態勢があったということか。そんなはずはないので、多くの人がそれを見て見ぬ振りをしなければそんなことが見逃されるはずはない。

 他の会社でも同じようなことをしていたにちがいないが、これを他山の石として今後はきちんとしてもらう、ということで終わりであろう。

 電子書籍の会社が一社、サービスを年内で終了するそうだ。これにより、購入者は再ダウンロードができなくなる。紙の本と違って、手元に保管できないとこういうことになる。

 大学が文学部を次々に廃止している。さらに人文科学系の学部を廃止する大学が増えている。これは文部科学省の人文科学系の学部の再編を求めた通知に従ったものだ。

 人文科学というのが「科学」というのもどうかと以前から思っていたけれど、だから人文系の学部がなくてもいいとは決して思わない。

 どうも大学も文科省も産業界の価値観に偏りすぎているのではないか。何に役に立つのか、という価値観からしか学問を見なければ、人文科学系の学部はなくてもいいということになるのだろう。

 それなら自然科学でも社会科学でも世の中にどんな役に立つのか分かりにくいものも多い。多分そのような学部もこれからは選択的に淘汰されていくのだろう。そんなことをしていると、大学はただの企業の予備校みたいになってしまう。

 そういう価値観とは違うものが大学という存在だったはずで、これは大学が自滅しつつあるということではないか。何でも金、という価値観が大学にも及んできた、いやすでにほとんどそれに覆われてしまったのかも知れない。このままでは将来日本もノーベル賞受賞者は出なくなるだろう。

 昔、われわれの時代は教養課程ということで、人文科学、社会科学、自然科学の基礎を大学のレベルで学び直したものだ。これで如何に多くのことを身につけることができたのか、計り知れない。いまは教養課程がなくなって、当然身につけていなければならない素養を持たない新入社員に、企業が仰天している。これは教養などは無駄だから最初から専門課程を教えろ、といって企業が求めたことなのだけれど。

ドキュメント昭和 4「トーキーは世界をめざす」(角川書店)

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 副題・国策としての映画(ヒトラーにならい、国策の道を進んだ日本の映画の行方は?)

 映画は当初サイレントであった。それが技術の発達により、次第にトーキーが増えていく。まさにその時代と戦火が拡大していく時代とが重なっているのだ。ナチスは映画をプロパガンダに利用することを国策とした。宣伝相ゲッペルスはヒトラーの意を受け、国策映画の制作に力を注いだ。アメリカも映画の力をよく知っていたから、国威発揚のために映画に力を入れた。

 日本はどうだったのか。ナチスにならい、国策として映画を管理しようとしたけれど、それはただ徹底的に検閲を強化するだけに終始した。

 第二次世界大戦までの世界の映画の変遷と、それに対比しての日本の映画界の興亡が詳細な取材を元に明らかにされる。映画の題名やスチール写真が豊富に載せられているからそれだけでも楽しめる。

 もともと「ドキュメント昭和」のシリーズはNHKのドキュメンタリー番組で取材した内容を本にまとめたものである。

 戦前の映画ばかりだから、見たことのある映画はほとんどないけれど、機会があれば見たいものだ。日本はフイルムライブラリーが不備だから、なかなか難しいことだろうけれど。

 巻末に対談が載っている。安岡章太郎や淀川長治、山田洋次なども加わっていて面白い。それにしても専門家とはいえ、淀川長治の映画の知識のすごさにあらためて驚かされる。

2015年11月 5日 (木)

本日は厭世的

 今日は朝から気分がよくない。理由があればまだしも、なんの理由もなく厭世的な気分である。

 私は楽観主義者であると思っている。しかしここで主義者というのは変な言い方だ。意志の問題ではないから、単に楽観的か。それがどうして悲観的に、厭世的になるのか分からない。人というのは不思議だ。

 確かに体調も少し悪いような気がする。それは気分から来るものなのか、本当にどこか具合が悪いのか、いまは自分では分からない。

 本を読む気もしないし、映画を観る気もしない。そんなくらいだから音楽を聴く気もしない。

 こんなときは出かけると気分が変わるのだが、運転は危ない。集中力が落ちているから気が散る恐れがある。

 ぼんやりとして無駄に時間を空費することを心身が望んでいるのかも知れない。そういうことにして今日もぼんやりすることにする。明日には多少充電ができているだろうか。

養老孟司「養老孟司の大言論 Ⅰ」(新潮社)

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 副題「希望とは自分が変わること」。

 シリーズ三部作の第一巻で、出版されたときに(最近の本は気がついたときに揃えておかないと二度と手に入らなくなることが多いので)すぐ買いそろえたけれど、この第一巻を読んだだけだった。今度あらためて通しで読もうと思ったので、第一巻は読み直しだ。

 前回は飛ばし読みに近かったので、意味がよく理解できないところも多かった。今回はそのときより少し賢くなっているのだろうか、だいぶマシであった。前の文章とあとの文章が相反するような書き方をしたりしているので、うっかり読むと混乱するのだ。

 養老孟司先生が若いときから長い期間かけて考え抜いたことを文章にしているので、世の中のひとはこう考えているらしい、しかしそれは違うのではないか、自分はこう思う、しかしまた違う考えもあるようだ、それならこういうことだろうか、などという思考の流れがそのまま記されているから、そういう書き方になる。

 それをわきまえれば、先生のたどった道を歩くことができるし、ときに自分の視点での考えとつき合わせることもできる。とても親切な本なのだ。ちゃんと理解すればだけれど。

 先生のテーマの一つは、「同じ」ということと「違う」ということの意味である。これは意識、つまり脳の働きと、個別のもの、つまり感覚世界との違いということなのだけれど、これでは何のことが分からないだろう。本を読んでほしい。それが博物学と科学という問題にもつながる。また西洋的な思考と東洋的な思考の違いにも関連していく。さらに田舎と都会、自然と人工という問題にもつながっている。

 たいへん分かりやすい言葉で書かれているし、おかしな造語は使われていないので、読むことに苦労はしない。何年かしたらもう一度読み直すと、同じ道を通りながら、さらに高いところへ到ることができそうな、そういう本である。確かにこの本を読んで理解すれば自分が変わる。そのレベルは無限の階梯があるけれど。

2015年11月 4日 (水)

乱れまなこの勝手読み(18)

 中国が国産ジェット機を完成させ、来年にテスト飛行するという。これは中国初の国産ジェット機で、中近距離の旅客機として使用される予定。

 たちまち思うのは日本の国産ジェット機MRJのことだ。遅れに遅れ、10月に初飛行の予定だったのにまた延期になった。年内に初飛行できるのだろうかと心配している。中国はこれをターゲットにしているのではないか。

 ところで習近平主席はアメリカの飛行機を何百機も購入する約束をし、イギリスでも飛行機の大量購入を約束している。新型の国産ジェット機はこれにかぶらないのだろうか。

 今回は中近距離用だが、当然長距離用の大型ジェットの国産化もめざすだろう。そうなれば、今度はアメリカもEUも競争相手である。アメリカのエアバスの担当者は祝辞を述べ歓迎すると語ったらしいが、本音だろうか。アメリカのネットでも言っているけれど、あまり中国製の飛行機には乗りたくない。多分中国人もそうだろう。

 日中韓首脳会議について、韓国のメディアがどのように評価しているのかヤフーの国際ニュースで拾い読みしていると、各会社の特色が分かる。比較的に好意的に見ているもの、成果がなかった、と酷評するもの、こんなものだろう、というものなどいろいろだ。こうであるべきだ、という色に染まった目で見ていれば、それができなかったことで酷評するだろうし、久しぶりに首脳どおしが会えたのだからとりあえずよしとする考えもある。

 日本の新聞も各紙各色だが、最初にこうであるべき、という新聞社の記事はもう読むに堪えなくなった。

 いわゆる私が従軍慰安婦だった、と主張するおばあさんたちが、「日韓首脳会議に失望した」、とコメントしている。それによると、「よい知らせがあると期待したのにまた同じだ。われわれにはもう時間がない」とのこと。何を期待していたのだろう。周りの人たちは彼女たちにどんな期待を抱かせたのだろうか。それをはっきり言わないから、さっぱり分からない。

 ところでソウルでは首脳会談反対のデモが相次いだ。「韓国侵略、北朝鮮を狙う安倍政権を強く糾弾する」そうだ。日本は朝鮮を併合したために戦後これだけうんざりするようなことになっている。誰がまた韓国や北朝鮮に手を出したりするものか。妄想を抱くのもいい加減にしてくれ。

 このデモの文言から見れば、北朝鮮がデモの背後にいるのが見え見えではないか。

 大統領府の前のデモでは若者16人が警察に連行された。そのうちの一人は日本人の学生(26)で、立件しない方針という。それにしても巻き込まれただけというのは疑わしい。もし本当にそうならよほど馬鹿な学生だ。

乱れまなこの勝手読み(17)

 フランスのオランド大統領が習近平主席の招きに応じて、2日と3日に中国を訪問した。フランスとしては今年のCOP21に中国の支持を得ることが大きな目的の一つであり、低迷するフランス経済立て直しに中国との連携を深めたいとの思惑もある。イギリスやドイツに先を越されたが、なんとか追いつきたいということだろう。習近平皇帝陛下からどんなお土産を下賜されたのか、興味のあるところだ。

 ところで日中韓の首脳会談に習近平は出席せず、李克強首相を出席させた。この会談は突然決まったものではないはずで、フランスの大統領の招請はそのあとできめたものではないか。だとすれば、日中韓の首脳会談に参加したくなかったのかも知れない。オランド大統領はそのダシに使われたのか。

 中国として日本や韓国に頭を下げないといけない用件もあったにちがいない。皇帝陛下は頭が下げたくなかったのだろうと思うのは勘ぐりか。

 中国が一人っ子政策から二人っ子政策へ変更することが決まった。いままで一人っ子政策を管理してきた国家衛生・計画出産委員会は、「新政策が施行されるまでは一人っ子政策を続ける」、と言明した。

 正式に新政策が決定されるのは来年の三月に行われる全人代の承認のあとだという。では今妊娠して、来年三月以降に産んだらオーケーなのか否か。どこで線引きするのだろうか。腐敗の温床といわれる国家衛生・計画出産委員会がその利権を易々と手放すとは考えにくい。中にはおかしな線引きをして金をたかる連中がいるかも知れない。 

 ソウルの記者会見で安倍首相が「南シナ海問題に国際社会が強い関心を持っている」と述べたことについて、中国外務省の報道官が「関心を持つ理由がいったい何なのか分からない」と反発した。

 中国外務省の報道官というのはどの人も木で鼻をくくるような物言いで、相手を不快にさせることが巧みである。「分からない」はずがないことを平然と、「分からない」と言ってのけることができるにはずいぶんな演技力が必要だ。多分その能力があることが買われてあの場にいるのだろう。

 香港などで日本の粉ミルクが中国人に大量に買い付けられてしまい、香港の赤ん坊の分がなくなる騒ぎが続いていた。いまはかなり制限が厳しくなってようやく落ち着いたと思ったら、ドイツを訪れた中国人観光客が粉ミルクの爆買いをはじめたために、ドイツのスーパーなどが、中国語で「粉ミルクは販売しません」と張り紙をして中国人への販売を中止したという。もともと粉ミルクはドイツ人の需要分しか生産していないから、爆買いされるとたちまち困る人が多いのだろう。

 これに対して駐ドイツの中国大使が「幼児が飲む粉ミルクを外国に頼るべきではない。中国の巨大な需要には世界も対応できない」と苦言を呈し、これは「中国の食品の安全が保障されず、中国企業が信用を失っているからだ。中国の企業は最低限のモラルを持つ必要がある」と中国メディアに対して述べたそうだ。

 その通りだと思うけれど、「モラルを持つべきだ」といわれてもそれができていないから海外品を購入しようとしているのだろう。~であるべきだ、というのは誰にでも言えるけれど、どうしてそうなのか分からなければ、どうしたらいいかも分かるわけがない。

 どうしてそうなのか、実は分かっているけれど、口に出せないというところが問題なのだけれど。多分日本が悪いのだろう。

鶏のトサカが赤いのも、私の鼻が低いのも、みんなあなたが悪いのよ!

陳舜臣「ものがたり 唐代伝奇」(朝日文庫)

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 枕もとに「唐代伝奇」の原作本を置いていて、ときどき読む。レ点付きの原文と書き下し文、注釈だけ、という本だから、知識の非力な私にはなかなか読み進めない。内容のおもしろさでなんとか継続しているというところだが、どちらかと云えば睡眠導入剤である。

 今回読んだ陳舜臣の本は、「唐代伝奇」の中のいくつかの話を彼なりに脚色して分かりやすくしたものだ。その物語の背景、時代考証など、付随する考察が特に面白い。もちろん物語だけを楽しむこともできる。

 唐の時代以前は「志怪小説」といっていたものが、唐からは「伝奇小説」といわれるようになった。この辺については魯迅がまとめたものがある(「中国小説史略」 持ってるけど読んでない)。「唐代伝奇」は唐の時代の伝奇小説を集めて編集したアンソロジーなのだ。

 有名なところでは「杜子春」がある。芥川龍之介の小説を読んだ人は多いだろう。しかし原作と芥川の小説ではずいぶん違う。著者がその違いを比較して書いてくれているので、芥川龍之介の美学がよく分かるし、それはそのまま日本人と中国人の美学の違いであることもよく分かる。

 また、「枕中記」は「邯鄲の夢」、「黄梁の夢」として知っている人もあるだろう。能楽の「邯鄲」の原作でもある。ここでも能楽の「邯鄲」と比較して日本人と中国人の違いを教えてくれる。

 恋愛ものあり、異類婚などの不思議な話ありで、しかも読みやすい。日本の昔話にはこれらを原作としているとおもわれるものが数多い。それとも人間というものは同じような話を別々に創作するものなのだろうか。

2015年11月 3日 (火)

買いまちがい

 本を普通の人よりたくさん買う。もちろん読みたい本を買うけれど、読むより買う方が多い(つまり自分の読む能力を超えて買ってしまう)ので読み残しがたまっていく。でも読みたい本なのだから仕方がない。こうして老後の蓄えは激減する。

 昨日月初めの定例の所用で名古屋にでて、その足で本屋に立ちよったら、いつも以上に買いたい本があった。両手に抱えてレジに運ぶ。本を選んだら、積んであったり棚に重ねてある本の二冊目または三冊目を取る。表の本は誰かが触って、ときに雑に扱っていて本が傷んでいることがあるからだ。

 いつもならだいたい一万円前後、それが今回はハードカバーをメインに十冊以上あったからそれよりかなりの出費。これで今月前半はもつだろう。後半はキューバ旅行だから本はほとんど不要なのだ。

 買って帰って本をチェック。買ったときと、自分のものになった本を眺めるときと気持ちが少し違う。それも楽しい。

 そこでびっくりした。買った覚えのない本が混じっている。どの本と間違えたのか分からない。多分表の本と違う本が下にあったということだろう。

 それがどんな本だったのか。それは読んだあとで報告する。まず買うはずのないような本だが、ちょっと最初を読むと面白そうだ。この本を読むのは読みかけの本が多いからしばらくあとになるけれど。

 いままで持っているのに同じ本を買うことはあっても、読むつもりのない本を間違って買ったことはなかった。そのことに驚くとともに自分に「おまえ大丈夫か?」と思う。本当に大丈夫だろうか。

内田樹「狼少年のパラドクス」(朝日新聞出版)

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 老師はもともと女子大の教授であった(この本を書いていた時点では教授在職)から、教育問題については当事者であったし、ブログ(「内田樹の研究室」)でも言及が多い。この本の多くがそのブログからの転載である。たまたま読み直していたブログの部分と重なるところがあり、このように本にまとめてあるとその論旨の流れがとてもよく分かる。

 あとがきにもあるように、教育問題については「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)、「下流志向」(講談社)に続く三冊目の本である。

 前の二冊が教育や師弟関係というものを新しい見方でとらえ直すものだったのに対して、この本は現に大学や教育界でリアルに起こっていることを分かりやすく伝えながら、大学教育が如何に危機に瀕しているかを明らかにする。

 それはなぜなのか。大学に問題があるのか。教育行政に問題があるのか。大学生そのものの問題なのか。

 それらについて老師は悲憤慷慨しながらも、大学のあるべき姿を考え続けていく。そうして「教育」とは何か、という問題に対しての認識が、多くの人が間違っているのではないか、ということを感じ取ることができるのがこの本なのだ。

 大学は知識を学ぶところであるけれど、それよりも知識を学ぶ学び方を獲得するためにあるところだ、ということの意味が分かるかどうか。

乱れまなこの勝手読み(16)

 今回の日中韓首脳会談は内容を明らかにしていない部分があるので、その成果がよく分からないところがある。

 中韓両国では、大々的な成果として、韓国から中国へのキムチや参鶏湯の輸出が容易になることが報じられている。中国から安いキムチが大量に流入しているのに、韓国から中国への輸出は検疫などの障壁でできなかったらしい。これが改定されるのだという。

 しかしキムチや参鶏湯の輸出ができるようになることが大々的な成果とは・・・。

 それよりもパンダ保護協定の覚書が調印されて、来年にも二頭のパンダが韓国に貸与される見通しだというから、その方が大成果か。

 ところでこの首脳会談の直前の世論調査で、朴槿恵大統領の支持率は44.5%であった。最近まで50%を軽く越えていたから、大幅に下がりつつあるという。これは歴史教科書を国定に変更することを強行していることが政界やマスコミで激しく反対されているからだ。

 この首脳会談の大成果で支持率が回復するといいね。

 韓国の10月の輸出額が対前年15.8%の減少で、2009年の通貨危機以来最大の下げ幅であった。輸出量では9.4%の減少。

 これが一時的なものか構造的なものかが論じられている。韓国は中国向けの輸出に力を入れてきたから、中国経済の減速が韓国の輸出失速に直結していることは間違いない。つまり一時的か否かは、中国経済の減速が一時的かどうかということなら、これはとても一時的とは言えないだろう。

 構造的なものかどうかというのは、韓国がオリジナルな技術を生み出す努力を怠り続け、資本の大量投下による大量生産安価販売を競争力としてきたことが、世界的な需要の低迷や、同様の手法を中国が模倣して韓国のコンペティター(競争相手)となったことを指しているのだろう。

 韓国が資本の大量投下が可能であったのは、巨大財閥の存在があったからで、日本は戦後財閥解体により、そのような巨大資本による大量生産の道を選ぶことができず、多数の会社が激しい競争をしながら切磋琢磨してきた。だから日本は一時的に価格競争に後れをとり、不要な細部にこだわりすぎて隘路に入ったところもあったが、技術力の蓄積は少なくとも韓国よりもずっと多い。

 だから一時的か構造的かというのは問題点のずれた比較だろう。どちらにしても韓国政府が問題点に対して的確に手をうっているかといえば、とてもそうは言えないことをこのところ韓国メディアは盛んに批判しはじめている。これが日本へのにわかな歩み寄りの理由の一つであろうか。

 ある意味では日本と韓国は小さな冷戦を続けてきたけれど、経済的な勝負がその冷戦の勝敗を決めているのだろう。アメリカとソビエトのように。そしてアメリカは中国に対して冷戦を仕掛けていくことだろう。ソビエトをつぶしたように。習近平はわざわざアメリカに行ってオバマからその通知を受け取った。

2015年11月 2日 (月)

乱れまなこの勝手読み(15)

 琉球民族独立総合研究学会というところの松島氏という人物が日本メディアに発表した記事を中国メディアが取り上げた。

 「沖縄は独立しても中国に帰属することはない」という考えを紹介したのだが、それに対して中国のネットの反応が面白い。

 「中国は沖縄独立を支持すべきだと思う」などというのはおだやかなものだ。

 「琉球はもともと中国のものなのだから帰属もなにもない」
 「独立してもしなくてももともと沖縄は中国のものだ」
という、日本から見れば(多分ほとんどの沖縄の人々にとっても)不穏当なものがほとんどだ。ネットの意見は特殊なものであることが多いけれど、このように考えるように仕向けられて(つまり思い込まされて)いる中国人が多いらしいことがうかがえる。

少し歴史に詳しい人は「琉球王国時代は清国の属国だった」と歴史的な正当性を主張している。

 これらの中国の声を承知で琉球民族独立総合研究学会の松島氏は沖縄の独立を叫んでいるのだろうか。

 「中国なら独立を主張したら即刻逮捕される」
 「日本政府はこんな人物を逮捕しないのか」
というコメントを見ると、中国の実態がよく分かるではないか。

 ウイグル自治区やチベット自治区、そして内モンゴル自治区はもともと独立国だったのに、いまは中国が支配しているけれど、ここで独立を主張したとたん、牢につながれ、激しい拷問を受けて命を失うのだ。

  その中国が独立を支援する、という意味が分かっているのだろうか。

 翁長知事という人は沖縄を日本から孤立させようとしているように見えるのだけれど、これほど強硬なのは中国によほど弱みを握られているのか、家族や自分の身が危険にさらされているのだろうか、などと勘ぐってしまう。

葉室麟「風かおる」(幻冬舎)

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 人生には分かれ道がたくさんある。同時に別の分かれ道を歩くことは身一つである人間には不可能だから、どちらかを選ぶことになる。それが自分の意思であることもあり、よんどころない事情から片方を選ばざるを得ないこともある。

 そうしてあとで別の道を選べばよかったのではないか、と後悔することがしばしばある。もちろんそちらを選んだときにも同じことを考えるかも知れない。

 主人公の女医師である菜摘は昔養女に出されたが、養家先の事情で離縁され、その後医師の佐久良亮に嫁いでいる。夫の亮はいま長崎に留学中であり、菜摘は代診として家を支えている。その菜摘に内々で治療の依頼がある。

 往診先で出会ったのは病んで変わり果てた元の養父であった。養父は妻仇討(めがたきうち)の旅に出ていたが、本願を果たして十年ぶりに帰ってきたのだ。そしていま、命がけである男との果たし合いをするつもりである。

 とても果たし合いをする体ではないことから、なんとか翻意させるか、相手に頼んで取りやめさせることができないか、菜摘とそのなかまたちはそのために奔走する。

 妻仇討とは妻が私通をして相手と出奔したものを追い、相手と妻とを討ち果たすことで武士の意地を通すものだ。

 菜摘にはそもそも自分の養母だった人がそのようなことをしたことが信じられないし、その理由が不明である。しかも果たし合いをしようという相手が誰であるか、養父は頑として語らないためにまずその相手を知らなければならない。

 探索の中でいろいろな人との関わりが出てくる。そして次第に明らかになっていく過去。

 人はときに善い人であり、ときに悪意の人である。それにはそれぞれのいきさつがあり、それらが複雑に絡み合っている。養父という人のその隠された闇の部分が明かされて行くにしたがって、人生の分かれ道の先にある深淵を思い知らされる。

 そしてそれらを弥縫することによってさらなる齟齬が生じていく恐ろしさ。

 菜摘を取り巻くなかまたちがさわやかであるだけ物語の暗さが際立つ。人生はけっこう恐ろしい陥穽に満ちているもので、いま安泰であることはじつはたいへん僥倖なことなのだ。もちろんそれは個人の性情によるものも大きいけれど。

2015年11月 1日 (日)

宇田川敬介「本当は共産党が嫌いな中国人」(PHP新書)

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 この本は、中国人がいったい何を考えているのか、共産党政権についてどう感じているのか、それを「なぜ中国は、共産主義なのに貧富の差があるのか。なぜ、共産主義なのに偉い人と偉くない人が分かれているのか」という質問をぶつけることで解いていこうという試みである。

 もちろんいきなりそんなことを聞いてもまともに答える中国人などいるわけがない。それなりに親しくなり、信頼関係を築いた上のことである。それを手がかりにいろいろ質問をぶつけることで日本人の知らない中国人の本音の一端が明らかになる。

 日本人には、「中国人はこう考えているはずだ」という思い込みがある。それは中国を旅して中国と接したつもりでもその思い込みがあるかぎり、本当の中国は分からない。ましてや中国について報じるマスコミは、その日本人の思い込みに迎合することしか伝えないし、中国政府もその方が都合がいいからそれを許容している。

 だから日本人は中国人をひとくくりにしてその思い込みを固く信じてしまい、多様な中国について知ることができない。

 中国には多様な人々がいる。その多様な人々をいくつかに分類してその本音を窺う。たとえば共産党の幹部、それも上級の権力者、中級、下級、軍人、そして中央と地方、国有企業の経営者、私企業の人、外資系企業の人、農民、少数民族、ウイグル自治区の人、チベット自治区の人、内モンゴルの人、等々。

 それぞれ立場はまるで違い、共産党政権に対する考えも違うし、現状に対する満足感や不満も千差万別である。それらの総合的なものから中国の現状と将来を考えよう、ということである。

 そして同時に日本はそのような中国とどう対峙していけばいいのか考えようと、いうのが本書の主旨である。

 それぞれについて多少の知見があり、全く意外である、ということはなかったが、全体として中国を把握し直した観があり、読んだ甲斐があった。

 多様性を見失い、先入観にとらわれることが如何に知性を欠いていることか、そんなことをあらためて教えられる。

仕掛けに乗れない

 10日ほど前から近くのスーパーのレジのおねえさんたちが、へんてこな帽子をかぶり、マントを肩にかけてキーを打ち込むようになった。若いおねえさんはそれなりに似合うけれど、似合わない人や似合いすぎる人もいる。

 ハロウィーンの仮装だけれど、これには驚くよりも笑ってしまった。これも昨日までで終わり。間もなくクリスマス、今度はクリスマスのデコレーションが始まる。

 テレビのニュースでは若い人たちが顔を塗りたくって仮装して、集団でにぎやかに騒いでいる様子を報じていた。ハロウィーンがお祭りとして定着しつつある、などとコメントされていたけれど、この騒ぎは仕掛けられたもので、これが多分経済効果を生んでいるのだろう。

 仕掛けられたものを祭りというのはどうかと思うが、人が楽しんでいるのをとやかく言うのも大人げないか。

 誰かの仕掛けに乗るのが若いときから嫌いだったから、この偏屈じいさんは横目で見てふんと鼻で笑っている。

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