ノラの思い出
古い写真についての拙ブログにコメントをいただいたイッペイさんに返事を書きながら、愛猫のノラのことを思い出していた。
母が「人形の家」のノラ(自立した女性)にちなんで飼い猫にノラと名付けたことはすでに書いた。そのときは雄猫だとは思わなかった。それまで何匹か猫を飼ったがすべて三毛猫だったから雌猫ばかりだったのだ。
父は動物があまり好きではなかったけれど、ノラは別格だった。直接かわいがるようなことは決してしない。ノラも父を敬して遠ざけるというところがあった。
まだノラが若猫のとき、近所のボス猫がノラを追いかけてわが家の庭に侵入した。そのとき父は竹箒をもってそのボス猫を追い散らした。まるで我が子がいじめっ子に追われたかのようだった。
それからも父とノラはべたべたしたつき合いは全くないけれど、なんとなく互いに一目置いて認め合っている雰囲気で、いま思い出してもちょっと頬が緩んでくる。
わたしが受験勉強しているときは、ほとんどわたしの膝の上にいた。かまってもらいたいときは机の上の本に座り込んでしまう。そうでないときは無愛想な顔をして何か考えているか、寝ているかであった。多分なにも考えていなかったのだろうけれど、そう見えるところが面白い。
去勢していないから時期になると数日家を留守にする。ほとぼりが冷めると帰ってくるが、満身創痍であることが多い。他の雄猫と雌を争って闘ったのだろう。サカリのときの変な声で啼いていたのが、声をかけると、しまった、という顔をしてあわててふだんの声で啼く。
大学に入ってからは帰省したときしか会えなくなった。しかし家の前まで来ると、いつもどこからか飛んできて足にまとわりついてきたのはなにより嬉しいものだった。
確か大学三年生のころだったと思うが、病気で死んでしまった。急にやせだしたので獣医に診せようとしたら、姿を隠してしまった。そしてそれからしばらくして半分ぐらいにやせてしまったすがたでひょっこり現れて、ふたたび姿を消した。挨拶しにきたのだろう、と母は言った。
わたしは家を離れていてそれを見ていないから、いつまでもノラの姿がそのまま記憶に残り、ずいぶん長い間ノラに似た白い猫を見るたびに、ノラに見えて仕方がなかった。
わが家ではそれ以来二度と猫を飼わなかった。
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コメント
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内田百閒の〔ノラや〕を思い出しました。
あの強面の作家が、家出した愛猫〔ノラや〕に心身翻弄される作品です。
お読みになったとは思いますが、もしまだでしたら。。。^^
投稿: おキヨ | 2015年11月14日 (土) 12時56分
おキヨ様
内田百閒は大好きなので「ノラや」も読んでいます。
母がわたし以上にこの「ノラや」が気にいって何度も読んでいました。
NHKのちょっと趣向の変わったテレビドラマにもなりました。
そのときの内田百閒は、石橋蓮司が演じていました。
意外と似合っていましたよ。
投稿: OKCHAN | 2015年11月14日 (土) 13時35分