街頭インタビューが嫌い
二度ほど街頭インタビューを受けたことがある。一度は(カメラがなかったから)多分ラジオで、一度はテレビだった。けっこううろたえずにまじめに答えることができた。テレビのほうは番組で私を見た、と知らせてくれた人がいたので放送されたらしい(私は旅行中で見ていない)。
だからインタビューを受けることが嫌いだというのではない。
最近のテレビのインタビューを見ていると、バカにしてもほどがある、というような、愚かな人ばかりを選んでいるように見えて腹が立つのだ。ものを知らなくてもいいんですよ、バカでもいいんですよ、なにも考えていなくてもいいんですよ、と猫なで声でテレビ局がささやいているような気がする。
どうしてそんなに腹が立つのかと思っていたら、こんな文章に出会った。
そもそもTVが伝える「街の生の声」や、新聞投書欄にひしめく投書や、ワイドショーの「おじさん・おばさん」コメンテーターの騒がしい毒舌は果たして「生活者の実感」を伝える肉声であろうか。私はいささか懐疑的である。それはむしろ「街の声」や「市井の人々の声」とはこのようなものであろうというメディアの期待にすり寄ってくる「作り声」なのではないか。
TVのマイクを向けられたときに「大阪のおばちゃん」たちは、必ずインタビュアーの肩をどついてガハハと笑ってみせる。その「大阪のおばちゃんの定型的リアクション」は「街の人のリアルな反応」なのか、「メディアの期待におもねる演技」なのか、あるいは、多様な現実の内からメディアが選択して作為的に編集しているのか・・・私にはもう判断がつかない。
いずれにせよ、「生活者のリアルな実感」というものがメディアの「定型への囲い込み」によって限りなく痩せ細っているのは事実である。それにもかかわらず、私たちは、そのようなステレオタイプ化された「生活者の声」を「世界の現実」に対置することにいくばくかの批評性があるかのような錯覚のうちにいまだに安んじている。
そういうのはちょっとまずいのではないだろうか。
内田樹「ためらいの倫理学」から
鋭いでしょう。
私はメディアが「視聴者はバカである」というのを前提にしているのだと思っている。つまりメディアは「自分たちはかしこい」と思っているということだ。実は自分たちこそ自分の愚かさを知らない、ただのバカであることに気がついていない。だから私は腹が立つのだ。メディアに、そしてそれに合わせようとする人たちに(その理屈だと当然私だってバカであるが、でも自分がバカかもしれない、と思う程度の知性はある)。
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こんにちは
私も街頭インタビューどころか路上で知らない人に呼び止められるのが嫌いです。
だいたいそういう人は私に対し悪を為そうという人が多いからです。
私はそういう人にはできるだけ無視して通り過ぎます。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2015年12月 1日 (火) 13時53分
shinzei様
おかしげな勧誘が横行していますからね。
投稿: OKCHAN | 2015年12月 1日 (火) 15時20分