どうして知っているのか
秦の始皇帝が旅先で死んだとき、宦官の趙高と丞相の李斯が共謀して始皇帝の遺書を書き換え、末子の胡亥を二世皇帝に据えた。
始皇帝は長男の扶蘇を後継者に指名する遺書を残していたのだが、扶蘇は趙高たちの陰謀で死ぬことになる。
しかしそのことがどうして歴史的事実として残されたのだろうか。遺書が書き換えられたことを知る趙高と李斯と胡亥が黙っていれば誰にも分からないはずではないか。
秘密は他人が知っていたら秘密にならない。知られなければそもそもそういう事実は無かったことになるはずだ。
秦の始皇帝が、実は荘襄王の子ではなく呂不韋の子であった、というのは知る人は知る秘密だったようだが、これは決定的な事実ではなく、状況証拠に基づくもののようだ。
いつもこの頃の中国の歴史を見ると不思議に思うことである。
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