分かっているのだけれど
使ったものを、用が済んだらそのつど片付けていれば、家の中はそれほど散らかるはずはないのである。分かっているのだけれど、気が付くと身の廻りが雑然としている。多少のものならたちまち片付けられるのだが、たいてい手遅れである。
そうなるとその気になるまでなかなか腰が上がらなくなり、ますます収拾がつかなくなる。それに思いついて手元においたのに、「あとにしよう」とすぐ気が変わる。身の廻りは、要るような要らないような宙ぶらりんのものだらけになる。そもそも不要なものが多すぎるのかもしれない。
そろそろ何とかしなければならないなあ、と思っている。それにしても、なにかしなければならないことがあるときほど、それ以外のことがやりたくのはどうしたことか。試験前の読書なんか、ほんとうに集中できたなあ。
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知り合いの家で、なんともならない状態になってるところがあります。
たぶん8割は不用品と思われます。
歩く所と寝るところ以外は山になってます。本人は、さほど気にならないようです。
なので、我が家の散らかり具合は我慢の範囲内と思うようにしてます。
投稿: けんこう館 | 2016年2月 8日 (月) 09時43分
けんこう館様
なんとか手遅れになる前に片付けました。
ある限度を超えると精神のほうがそれに耐えられなくなって、ゴミの山がゴミと感じられなくなってしまうのかもしれません。
こわいことです。
投稿: OKCHAN | 2016年2月 8日 (月) 10時17分