教え方と教えられ方
ベートーウェンの父親はテノール歌手だったが、手のつけられない酒飲みで、正確破綻者といってもよかった。幼いベートーヴェンは、どれほどこの父親から被害をこうむったことだろう。ヨハンという彼の父は、息子ルードヴィヒを音楽家にしようと思い、見境もなくピアノの練習を強要したことはよく知られている。むろん、我が子を立派な音楽家に育てたい、という理想あってのことではなく、息子を、いわば食いものにしようとしたのだ。少年ベートーヴェンは、貧困に加えて、この父親と戦わねばならなかった。
とうぜん父親の教え方はめちゃくちゃだったが、しかし、世の中には、いつの時代にあっても、教えられ方の巧みな子供がいる。反対に、どんなにいい教師についても、教えられ方が下手なばかりに、いっこうに伸びていかない子供がいる。人間にとって何より大事なのは、教えられ方を自得することだ、と私は思う。
ちなみに、最近の日本での教育論議は、もっぱら教え方ばかりに集中しているようである。すべてを教師のせいばかりにして、肝心の教えられ方の方を問題にしない。もちろん、いい教師にめぐまれることは幸運にちがいないが、いくら立派な師について学んだところで、教えを受ける側に、教育される素地がなければ、ヌカにクギのようなものであろう。
これはベートーヴェンについて述べた森本哲郎師の文章の一部である。
私は高校時代、古典が特に苦手(得意なものはほとんどなかった)で、教師が悪いと思っていたが、そうか、教えられ方が悪かったのだ。おとなになって、古典の本にチャレンジすると、分からないなりに少しだけ読めてきて、もっとちゃんと勉強したら良かった、と悔やんでいる。
内田樹老師の本に「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)というのがあって、そこに、師はどんな師であってもえらいのだ、ということが書かれている。つまり弟子は教えられ方を自得することで向上するということで、おなじことを言っているのだと思う。
いまの教育を考えるとき、大事な考え方のような気がする。いまは、子供が先生から教育を買う、と思っている時代だ。だから教え方が悪いのは教育という商品の品質が劣る、と思って親はクレームをつける。
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