開高健「ああ好食大論争」(潮文庫)
どうでもいいことからいう。開高健は「かいこうたけし」が正しい読みなのだが、私はこの人の本に出会ったときに「かいこうけん」として記憶してしまい、いまだにそのままであって、もう直す気もない。
中学三年生の時に最初に読んだのが「パニック」という短編小説で、小説のおもしろさをあらためて知るきっかけになった。その後高校生の時に「日本三文オペラ」を読んで強烈な印象が残った。その印象は、後に米沢で学生生活を送ることになったときのホルモン好きにつながった(読んだことのある人なら意味が分かるはず)。
更にその後、小松左京の「日本アパッチ族」を読んで、ある意味でその類似性を感じるとともにその違いも楽しんだ。この小松左京も対談相手に選ばれているのが嬉しいではないか。
この「好食大論争」という本は、対談集である。きだみのる、檀一雄、阿川弘之、石井好子、黛敏郎、草野心平、團伊久磨、牧洋子、小松左京、荒正人、池田彌三郎、安岡章太郎たちと、食に関して大いに語り合う。錚々たる面々、多くは私が敬愛し、大好きな人々である。
こうしょく、といえば好色が普通である。好色と好食に通底する人間の本能的なものがあることを、冒頭のきだみのる・檀一雄との対談(「美食とエロスと放浪と」)で大いに論じている。
開高健の対談集に「午後の愉しみ-開高健対談集」という大部の本(愛蔵している)があるが、その中から二つほどがこの本に収められている。その本も、この「好食大論争」も、健啖、豪酒、強記、博覧、奇味、珍味、怪味、魔味について盛りだくさんに語られている。
巻末の解説で、向井敏が開高健そのものを論じている。この人はきまじめで、わたしの大好きな書評家であるが、開高健の友人の一人でもある。開高健を真に論ずることができるのは、この向井敏と谷沢栄一しかいない、とわたしは思っている。
潮文庫というのはいまもあるのだろうか。もしなければこの本は手に入らないかもしれない。
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