能ある鷹は爪を隠す
能ある鷹は爪を隠す--という。才能ある者、実力ある者は、その才や力を、みだりに誇示しないものだ、いや、けっして、ひけらかすべきではない、という戒めである。たしかにそれは謙譲の美徳ではあるだろう。
けれども、一見、謙譲のようにみえるそうした態度は、往々にして打算を裏に秘めている。つまり、自分の力や才能をむき出しにしては損だ、という計算である。なぜなら、おのれの正体が相手にわかってしまうからだ。正体をさらせば、相手は、すぐにつけ入るスキを見出すだろう。対応策を練るにちがいない。それは相手を利するだけで、こちらには何の得にもならない。それよりは、自分の正体を不明のままに、いや、むしろ低く見せておけば、相手はタカをくくって油断するだろうし、とうぜん警戒心を持たなくなる。そこにこちらがつけ込めばいいのだ、という策略である。
これは私の文章ではなく、森本哲郎の文章である。宮本武蔵よりも佐々木小次郎に魅力を感じる、として佐々木小次郎について論ずるなかに、宮本武蔵の一見すると純粋な求道的な生き方が、実は打算的で、佐々木小次郎のあたかも傲岸にみえる態度にこそ純粋さがあるのではないか、というのだ。
吉川英治の筆の力で、宮本武蔵が努力の人、そして佐々木小次郎が非情な天才であるように描かれているから、読者はみな宮本武蔵に武道者の理想をみる。しかしよく考えれば、武蔵は立ち会いの場に、決められた時間に登場せず、ほとんど奇襲の形で勝利を収めることが多い。相手を研究して、勝てる戦いしかしなかったともいう。
だから宮本武蔵は柳生宗矩や小野次郎右衛門などと互する力がありながら、幕府にはついに徴用されることがなかったのだろう。
強いこと、賢いこと、金持ちであることを、相手に不快感なく受け入れさせるのは難しいのかもしれない。その人に魅力があってたいていの人が受け入れても、ただ自分がその人より劣ることが許せない、と妬み、怨む人間は必ずいる。
だから謙譲の美徳、というよりも、自分の身を危険から守るために、ひとは能があっても爪を隠そうとするのかもしれない。でもそれとなく気づかせるようにしていたりすると、ただの厭味だけれど。
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『パイプのけむり』(2024.09.13)
- 戦争に当てる光(2024.09.06)
- ことばと文字(2024.09.05)
- 気持ちに波風が立つような(2024.09.02)
- 致命的欠陥(2024.09.01)
こんばんは
団塊世代は競争社会と言われますが、私の場合は振り返って見ても
客観的な物の見方をすること無く、ただただ一生懸命に働いてきた。
その様に思えます。営業畑をひたすら歩いてきた私は、謙譲の美徳
それはさて置き、波風をもろともしない道を真っ直ぐに歩いて来ましたが、
最後の仕事リストラだけが厳しかったです。
投稿: 岳 | 2016年2月26日 (金) 21時20分
岳様
私も営業一筋でした。
五十を過ぎてからようやく周りが見えるようになり、自分の役割が分かり、なにを目指せばいいのか考えて仕事が出来るようになりました。
そうなると却って保身よりは積極的にチャレンジするようになったのが不思議です。
ただ、冒険的な行動は時代にマッチせず、トップと意見が合わなくなっていきました。
でもその頃はやりがいがあって仕事は面白かったです。
投稿: OKCHAN | 2016年2月26日 (金) 21時57分