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2016年3月11日 (金)

柳田國男「妖怪談義」(講談社学術文庫)

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 この文庫に収められたのは1977年、もとの本は1956年に刊行されている。内容は、民俗学者の柳田國男が雑誌や研究誌などに書いた文章をまとめたもので、ほとんどが戦前に書かれている。民俗学の論文ではないから、いろいろ地方で取材したものや、収集した民俗学的な話のなかから、不思議な話を大まかに分類しながら、簡単な考察を加えた体裁となっている。だから学術に偏らず、読み物として面白い。ただ、戦前の文章をそのまま新仮名遣いにしてあるだけだから、こういう本に慣れないと読みにくいかもしれない。

 取り上げられている話に、是非紹介したい話がどっさりあるので、何回かに分けて引き写してみたい。

(路の怪)
 昔正直な爺様が夜の山路を通ると、しきりに路脇から「飛び付こうか引ッつこうか」と呼ぶ者がある。あまり何度も言うので「飛び付くなら飛び付け」とつい答えると、どさりと肩の上へ重いものが乗りかかった。家へかついで戻って燈の下でひろげて見れば、金銀一ぱいの大きな袋で、これによってたちまち長者になる。これを大いに羨んで隣の慾ばり爺が、同じ時刻に同じ処を通ると例のごとく、これに答えて「引っつくなら引っつけ」というや否や、どさりと背一面に落ちかぶさったのは松脂(まつやに)であった云々。

類似の話

(薩摩の阿久根の近くの山中の、「半助がオツ」という名の崖の由来)
 四助と三助という二人の友だちがあった。或日四助は山にはいって雨にあい、土手の陰みたような処に休んでいると、どこからともなく「崩(く)ゆ崩ゆ」という声が聞こえ、あたりを見まわしても人はいない。四助はこの声に応じて「崩ゆなら崩えてみよ」というと、たちまちその土手が崩れて、沢山の山の薯が手もかけずに取れた。三助はこの話を聴いて大いにうらやみ、やはり同じ山に往って松の木の下を通ると、又どこからともなく「流る流る」という声がする。「流るるなら流れてみよ」と答えたところが、今度は松脂がどっと流れて来て、三助がからだを引き包んで動けなくなった。三助の父親の半助、炬火(たいまつ)を持って山へ捜しに来て、おーいと喚ばわるとおーいと答えるので、近寄って松の火をさしつけたら、たちまち松脂に火が移って三助は焼けてしまい、父の半助は驚いて足を踏みはずして落ちた。それで半助がオツと称するという。

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コメント

おはようございます
先日は私の拙い文章を読んでいただきありがとうございます。
私の周囲には酒が原因で亡くなった人がけっこういますから
これからも酒とはうまく付き合いたいと思っています。
妖怪ですが、以外とこれは馬鹿にできない話だと思います。
妖怪自体の存在は疑わしいですが、こうした妖怪という”存在”を信じていた人たちの背後にある思想というのは
耳を傾ける価値があると思います。
私見で恐縮ですが妖怪というのは昔の日本で生きていた人々と自然との対話が産み出した”コンセプト”だと思います。では、
shinzei拝
 

shinzei様
中国の志怪小説や小話の類が大好きです。
日本の妖怪の話も、おっしゃるように背後の自然があってこそのものです。
この本にも日本人が妖怪を見失っていくことの意味を考えさせてくれるところがあります。

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