再び清川へ
清河八郎記念館をどうしても訪ねたくて、もう一度清川へ向かった。
国道47号線を西へ。こういう軽で枯れ葉マークの車が前に次々に現れるので、なかなかスピードが出せない。遠くの山にはまだ雪が残っている。
よかった!今日は開いている。
先日の雪囲いのなかの清河八郎座像、というのはこういう姿なのである。
清河神社は御祭神が清河八郎なのであった。
清河八郎記念館の中は撮影禁止。女性の館員が二人でしっかり見張っているのだ。「どうしてもだめか?」と聞いたら、「ごめんなさい、きつくいわれているのでだめです」とのこと。
館内は寒い。ひとまわり館内を見まわしたあと、ストーブに当たっていたら、御茶を出してくれた。
清河八郎についての事跡と交友関係、系図などを見る。そして頭山満や山岡鉄舟、徳富蘇峰などの大きな額などが目をひいた。彼の愛用したいくつもある落款がすばらしいので写真に撮りたかったのになあ。
清河八郎は34才で暗殺された。
この冊子を購入。今回の収穫はこの冊子と、彼が母親と伊勢参りや安芸の宮島などを周遊した日記が残されていて、それが「西遊書」という署名で岩波文庫に収められていることを知ったことだ。帰ったら探して購入しよう。
右の地図をもらって芭蕉が下船した場所へ行ってみる。
芭蕉上陸の地の石碑。坂の上が最上川の土手である。
乗船したのは古口のさらに上流、本合海(もとあいかい)というところで、そこにも碑がある。
芭蕉の石像。後ろは清川小学校。
「五月雨を集めて早し最上川」の石碑。
清河八郎生誕の地、と立て看板はあるが、それだけ。
このあと古口の乗船場へ行ってみることにする。
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